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鬼畜チェイス  作者: 風癒
逃げ出した鳥は自由を得るか。悪徳の男は最後に笑うか。 【逃亡編】
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chase-06:王犬

 『三級危険指定』の魔獣グリムドリバーがほぼ野放し状態だと知り、夢見の悪さも吹っ飛んだ。


 形振り構わず朝食に飛びつき、スイートの鮮やかな手並みによって変装を終え、髪も魔法で茶色に変えて一つにまとめて準備を終了させる。

 ちなみに本日の得物は、スイートの部屋の隅で見つけた片口スパナである。なぜ工具が置いてあるのかをラグナは一瞬考えたが、何かの手入れをするのに使っているとしか思えなかったので、疑問は放棄した。

 しかし、スイートは不満だったようだ。


「工具が魔術師の杖ってどうなの!?」

「使えりゃいいんです使えりゃ! 急ぎますよ!」


 裏の車に二人で乗り込むと、スイートが問題の魔獣がいるという場所まで車を走らせた。


「特級の魔法ってどんなものだい?」

「場合にもよります。“永久の眠り(エンドレス)”、“昏睡(カマ)”が一般的でごぜぇますね」

 ハンドルを捌きながら、スイートは僅かに目を見開いた。

「ずいぶんきつい威力のヤツだね」

「獣の眠りは総じて浅いでごぜぇますから。ちょっとやそっとじゃ起きないぐらいにしないと、世話する人間が一番危険なんでごぜぇますよ」

 だから、扱いを間違えたなら、魔獣に噛み殺されても文句は言えないのだ。

 そうこう言っている間に、車はグリムドリバーの入った檻があるという倉庫街へと進入していた。

「考えたくはないですが、既に暴れ出して手が付けられなかった場合は……?」

 ラグナの言葉は、途中から消えた。

 隣のスイートは表情を失くしている。

「その場合は……どうだって?」

 ラグナは一瞬スイートから『ソレ』に目を向け、またすぐに彼女に戻した。

「話では倉庫にいたはずでごぜぇますよね?」

「そのはずだけど」

「何ですかあれは」

「さぁ」


 グルルルルルルル――と、猛獣の唸り声が前方から聞こえた。


 車は、倉庫街の中にぽっかりと空いた場所に止まっていた。

 スイートが言っていた倉庫は、『ソレ』の背後で炎上中。消火活動に当たろうとするものなら真っ先に餌食になるため、誰もが遠巻きに怯えて『ソレ』を眺めている。

 そこに飛び込んできたのがラグナたちの乗った車だったということだ。

 悲鳴と怒号が飛び交う中、ラグナは車のドアを押し開けた。

 そろりと降りて、緩慢な動作で『ソレ』――魔獣を見上げる。


 犬に似た漆黒の容姿。記憶にあるグリムドリバーの外見通りだ。

 だが、これは。

 呆然としてソレを見上げながら、ラグナは頭の中でゆっくりと、聞き及んでいた魔獣の特徴を上げていく。


 一つ。グリムドリバーの目は真紅である。

 ……金色だ。


 一つ。グリムドリバーは炎は吐かない。

 ……魔獣の顎から、火の粉がちろりと漏れた。


 一つ。グリムドリバーの牙、爪は白銀である。

 ……白銀というより、鈍い金色だろうか。


 一つ。グリムドリバーの大きさは三マート前後である。

 ……優に六マートを下らないのでは?

 


 結論。

 話が違う。


 

「……スイート」

 魔獣を刺激しないように、ラグナは囁いた。

「スイート。あれはグリムドリバーじゃありません」

「……うん。ボクも何となくそんな気がしていたよ。聞いた話と何か違うなぁって思ったもの」

「思っても思わなくても魔連に報告すべきでした。あれ、グリムドリバーの上位種で、『特一級危険指定』でごぜぇます」

「……種名は?」


王犬(アークハウンド)


 ぴくん、と王犬の耳が動く。

 機微を察して、スイートとラグナはその場から飛び退いた。

 一拍後、王犬の太い前足が車を押し潰していた。

「わ!」

「っ」

 衝撃に軽く二マートの距離を吹き飛ばされ、二人で背中から地面に転がった。

 いち早く体勢を立て直したスイートが、はっと息を呑む。

「まずい、車の燃料に引火する。ラグナ、でんぐり返りに失敗してる場合じゃないよ!」

「たまたまこんな風に転がったんでごぜぇますよ!?」

 後転の要領でラグナが起き上がった時、既に王犬が火を吹いたところだった。

 火柱が空気を喰らって、轟、と立ち上る。まともに火を浴びたはずの王犬は、ぬるま湯程度の暖かさにしか感じないのか、少し目を細めた程度だった。

「くっ……んの!」

「! ラグナ、無茶だよ!?」

 腰に差していたスパナを引き抜き、ラグナはスイートの言葉に耳を貸さずに、走る。

 王犬が爪を振りかざした。

 反応不可能の速度で一撃が迫る中、

「“縛れっ”!」

 一言叫び、ラグナは目一杯にスパナを振り回した。

 スパナの硬くて重い頭が、唸りを上げて王犬の足に激突する。

 王犬が鋭い悲鳴を上げ、もんどりうって地面に倒れる。

 スパナが打ち据えられた王犬の足が、地面にしっかりと縫い止められていた。毛むくじゃらの足に絡みつく魔法の紋様に、おお、と周囲から感嘆の声が漏れる。

 しかし、王犬の隣に立っていたラグナは、

「…………死ぬかと思いました」

「あのね……死ぬと思うんなら無謀な真似しないで欲しいよ」

 どこか脱力した顔でスイートが近づいてきたが、ラグナは手を出してそれを止める。

「まだ終わってませんよ。一時しのぎですから――っ、スイート!」

 鋭く声を飛ばしたラグナに、スイートはきょとんと呆ける。

「え?」

 スパナが魔法の軌跡を描く。


 どんっ、と。


「ラグナ!?」

 ラグナの生み出した衝撃波に吹き飛ばされ、スイートは目を瞠った。


 身をよじるように、王犬を振り返る。

 顎の隙間から、火の粉など目ではない、紅い炎が生まれる。


(これは――)


「ラグナ!」


(――ピンチでごぜぇますかね)


 じわりと汗が額を伝う。

 次の瞬間、ラグナの全身を炎が巻いた。





「倉庫街に王犬(アークハウンド)? 何の冗談だそりゃ、笑えねぇな」

 ジェス・カリスは王犬出現の報告を聞き、眉根を寄せた。

「准将!」

「分かってるよ、笑いごとじゃないんだろ。それこそ冗談だ、気にすんな」

 手を振って部下の真面目な顔に応えると、ジェスは沈み込んでいたソファから、戦友が執務をしている机の方を見やった。

「シグマ、聞いたか?」

「……ああ。対策課の四班が使えるだろう」

 シグマの返事に、ジェスは溜息を吐く。

 分かってない、こいつ。

「いや、だから王犬だと。対策課の連中じゃ、危険度が高すぎて話にならんよ」

「知っているが」

「は?」

 シグマは読んでいた報告書から目を上げた。

「四班は実績も高い。王犬を相手にできるのは良い経験だろう」

「……おまえホントにスパルタだな!?」

「今に始まった事ではない」

 呆れて肩を落とした時、准将、と部下が声を上げた。見れば、耳に引っかけてある魔力式無線機に彼は集中している。

「報告に続きがあるようで……、……何だと? スパナ持った魔術師が王犬の炎に巻かれた? 一体何を言って――」

 はっとジェスが息を呑んだ時、紅い色が目の端で(ひるがえ)った。

「行くぞ准将」

「早っ!?」

 窓を開いてこちらを見たシグマは、軍用コートに身を包み、得物に剣を一本引っ提げて、出かける準備は万端だった。

「さっきまで読んでた報告書どうしたんだよ!?」

 机を見れば、数枚はあったはずの報告書の全てに読了済みの判が捺してある。

 『職務怠慢』の一言はどこに消えた。

「スパナを杖に使うような技量は、アレ(ラグナ)しか持ち合わせていない」

 ふっと薄く冷笑するシグマを余所に、ジェスは「ん、」と気づく。

「ラグナがいる、ってことは……」


 =詐欺姫(スイッティシャ)も一緒。


「おし行こう」

「准将!?」

 ばっと濃紺のコートを羽織ったジェスに、シグマの時は無反応だった部下も驚きの声を上げた。

 ジェスは彼に振り返ると、にこりと笑う。

 しゅたっと手を上げて、

「じゃ、留守頼むわ」

 無情に一言。

 シグマが窓から飛び降りる。

「じ……准将ぉおおおおおおっ!」

 部下の悲鳴を気にもかけず、ジェスもシグマに(なら)い、鼻歌混じりにのっそり窓の枠を飛び越えた。


「ここは四階です――――っ!?」

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