chase-04:コートは温かい
「まずは服だよね」
スイートの一言から、再び場所を移動して、ラグナは彼女の塒の一つに案内されていた。
「ちっさいって時々不便だねぇ。ボクのお古ってラグナに合うかな?」
のんびりと言いながら、スイートは次々とクローゼットの中から服を引っ張り出していく。
ラグナは「ちっさい」の一言に眉を潜めながら、着ていたコートを脱いで、部屋に置いてあったベッドに放った。
「例えサイズが合っていようといまいと、この服でこれ以上行動するのは嫌ですよ、スイート」
「まぁ、軍のものだしね」
スイートは少し考えてから、躊躇いがちに付け加えた。
「……ぶかぶかの、さ?」
ベッドに広がる派手な真紅の軍服を見下ろし、ラグナは溜息を吐いた。両肩についた二つ星は、明らかに軍の中でも階級が高い者――すなわち、少将を表す。
シグマの部屋から出てきた時、着の身着のままで脱出できる状態ではなかったのだ。仕方なしに一着拝借してきたこのコートも、肩の二つ星の存在が怖くて、黒いストールを見つけて肩に巻いて隠していた。
「でもどうしようか。カフェにいた時も思ってたけど、その格好じゃあ……って、何だいそれ?」
着替えを見繕い終わったのか、スイートは立ち上がり――振り向きざまに顔を顰めた。
ラグナは息を呑み、さっと腕を自分の身体に回した。
不覚だった。まさかコートを脱いだ時の自分の格好を一瞬でも忘れていたとは。
「見ないで下せぇますか?」
「……君の身体の『ソレ』については言及しないから安心して。ボクが聞きたいのは、逆に何で『ソレ』が見えるぐらい下着が透け透けなのかだけだから」
「し、しっ……すけって、それは! 奴の侍女の仕業でごぜぇますですよ!」
しどろもどろに言い返しながら、嫌でも全身が沸騰するのを感じた。同時に思い出されたあれやこれやの屈辱の数々に、ずっと締めていた涙腺が緩む。
「将軍って侍女なんか雇ってるの? へぇ、ふうん……じゃあオリが使えるかなぁ? あの子、変装して紛れ込むのなんか得意だし」
そこなのか……。
あくまでも寝首をかくための隙に反応したスイートに、ラグナは肩を落とした。
「無駄でごぜぇますよ。もともと彼女たちは私が来るまではあそこで働いていなかったようでしたから」
「……なるほど?」
微妙に残念そうな顔をしないでもらいたい。
ラグナは嘆息して、スイートに背を向けた。
背中に回していた腕を動かし、そっと『ソレ』に触る。
左の背。もっと言えば肩甲骨のあたりに、互い違いに組み合わさった二つの渦、という形で、拘束の意を表そうとした小さな刺青があるはずだった。
昔ラグナが奴隷にされかかった時に、途中まで彫られたものだ。中央だけ彫ってから師に助け出されたので、ラグナの背に残りが刻まれることはなかった。
「……お師匠様のところに、帰りたいでごぜぇます」
ぽそりと吐き出した声に、後ろでコートを畳んでいたスイートが動きを止めた、ような気がした。
それから再び衣擦れの音がして、彼女が言葉を探すように深呼吸をするのが聞こえた。
俯いていたラグナの肩に、ふわりと、肌触りの良い服が覆い被さった。
「……トラクの町は、今は行かない方がいい。国境沿いにあることも影響して、最近、ミゼットの内情を探ろうとあちこちに間諜が出没しているらしいからね。下手に行動して君がシグマ・アルスミードの愛人だったと知れたら、ことだよ」
ラグナは大人しく、引っ掛けられた服に袖を通した。
「分かっているでごぜぇますよ。言ってみただけですから、気にしないで下さいな」
愛人役とはいえ、一時は軍の上層にいたのだ。情報収集は決して怠っていなかったので、シグマの監視の目を縫っては、トラクがどんな情勢下に置かれているかはぼんやりとながら把握していた。
「気を付けて、ラグナ。少将がミゼットに忠義を立てているのは、決して愛国心からじゃないように思える。『アレは何を考えているか分からない』と父ですら時折零すほどだ」
「ペンネ当主にそこまで言わせるのでごぜぇますか」
「まぁ危険人物だろうね。場合によってはどの国に転がり込んでもおかしくない人間だ。だからみんな、チャンスが平等にあると信じこむ。ティーリス帝国なんかも彼の引き抜きに躍起になっているようだし、軍部も常に神経を尖らせている。そんな彼が執着するものがあると知ったら……君は、有無を言う暇もなく勢力争いの道具にされ、最悪殺されてしまう。否応なしに巻き込まれるのは、運が悪かったとしか言いようがないけど。とりあえず、出会ったのが運の尽きだったと思っておけば傷も浅くて済むよ」
ぽん、と慰めるように肩に手を置かれる。
「それに将軍の傍に居続けても、遅かれ早かれ君の奪い合いが始まっていた。相手の出鼻をくじくという最高の形で少将の下から出て来られたと思うよ?」
「……ですが、そうなると私は平穏な生活はできるでしょうかね?」
「できるよ。ラグナなんだから」
スイートが答えた時、ラグナは腰までのズボンを履き終えたところだった。
「……意外とぴったりだね。胸周り以外は」
「一言余計でごぜぇますよ?」
すっとコートの胸ポケットのペンに手を伸ばすと、空笑いをしながらスイートは目を細めた。
「ごめんごめん。でも後のことを考えるとね。やっぱり細かい所は測らせて」
どこから取り出したのか、メジャーがスイートの手に登場する。ラグナの後ろに回り込むと、身頃などを測り始めた。
先ほどからやけに気にされている胸囲にくると、ん、とスイートが眉を寄せた。
「……ひょっとして、君着やせするの? 思ったより何か「わぁああーっ、わぁあーっ!?」
さっとメジャーを取り上げ、ラグナは軽く発狂した。
「……誰も聞いてる人なんか居ないよ?」
「私が聞きたくないんでごぜぇますよ!」
息を荒げてスイートに怒鳴ると、しゅる、とメジャーを巻き直す。
「その割にボクの記憶が確かなら、自分に合いそうな服はサイズ見ながら選んでるよね」
半目の友人からの確認に、うっと詰まる。
スイートはしばらく手をこまねいてラグナを見下ろした後、ぽつりと、
「そういえば……将軍は君の身体つき見たの?」
顔が爆発した。
次の瞬間、かの鬼畜将軍もかくやという運動能力を発揮し、気付けば問答無用でスイートの頭を締め上げている自分がいた。
「おめぇ様はっ……言って良いことと悪いことの区別がつかねぇんでごぜぇますかっ!?」
「ごめん、ごめんって! 出来心だから! 化粧で服汚れちゃうよ!?」
ひとしきり互いに揉めた後で、ぜぇはぁと上がった息を吐いた。
「……馬鹿なことしちまいました」
「いいんじゃない? グレネードやら将軍の話やらで滅入ってたんだし」
ふぃーっ、と、妙な音を立ててスイートはベッドに倒れ込んだ。
「服がしわになりますよ」
「いいよもう……今日一日だけで何だか疲れたし。逃走一日目なのに疲れるのもアレだし」
疲れた声を聞いて、ラグナはスイートにならって彼女の横に倒れてみる。ぼすんとばねが軋み、妙な余韻を味わった後、言ってみた。
「……しばらく世話になります」
「今更だねぇ、それ」
吹き出したスイートは寝返りを打ってラグナに微笑みかけた。
ベッドに寝転がった途端にとろとろと睡魔が襲ってくる。ラグナの塞がりかけている目を見て、スイートが忍び笑いを漏らす気配がした。
「ラグナ、ラグナ。無理に起きようとしなくていいよ。白目剥いてる」
「うるさいでごぜぇます……んむ」
言い返しながらも、言葉に甘えることにする。
手近に掛け布の端を見つけて、引き寄せて体に巻きつけると、それほど時間をかけることなく眠りに落ちていた。
「……ラグナ? 巻いてるのって将軍のコートだよ?」
スイートの言葉は、もう、耳に入っていない。