chase-23:誘拐、箱詰め、犯罪臭
こいつにまともな人間の扱いを期待してはいけない。
横抱きから一転、ひょいっと肩に担がれていたラグナはそう半眼で思った。腰骨に彼の肩が当たって痛い。人間というのは、腕に抱かれようが担がれようがあまり乗り心地の良くない輿といえる。どこかに必ずしがみついていないとバランスが悪いことこの上ない。
最も互いに安定するのは背負ってしまうことだろうが、この男に言わせれば、背負えば有事の際には上半身の自由が利かず、重心が後ろに奪われて腰も使い物にならないから悪手なのだそうだ。腕抱きなど両手が塞がるので勿論論外。
片腕一本犠牲にしても、一つ腕が丸ごと動かせ、足腰を踏ん張れるこれが一番良いのだという。
「婦女子などは皆やたらに軍人やら騎士やらの腕に抱かれたがるが、あれをやれと言われたら即座に戦場に残していく自信があるな」
「そう言うということは、一応庇う気があったのでごぜぇますね……」
意外だ。
とても。
「回復時間と戦力の関係だ。しのげば後が楽ならそうする。一人よりも二人の方ができることは多く、無能でもそれなりに使い出はある。デメリットの方が多いなら捨て置く可能性の方が高いが」
……いや、やっぱり違うだろうか。前言を撤回したくなってきた。
「でも今は戦闘中ではないでごぜぇましょう?」
「何を言っているんだ?」
そりゃこっちの台詞だ。
「逃げられないために決まっている」
がっくり肩を落とした。
「傍から見れば婦女子をかっさらう立派な誘拐犯でごぜぇます……」
そもそもこいつは前から誘拐(未遂)犯だ。誰かこの犯罪者を逮捕してほしい。
でも仮にここに人がいたとして、通報されたからと、悪名高い鬼畜将軍を尋問できる憲兵などいるのだろうか。いや、いないだろう、たぶん。思ってラグナは情けなくなった。この男を敵に回すと最後、最悪国がひとつ沈みかねないところが嫌だ。
なのにこと自分のことに関しては、この男は貫いてくる。最悪だ。
とっことっこシグマの後をついてくる王犬二匹と目が合って、思わずラグナは溜息を吐いた。――この二匹を開放できるのはいつになるのだろう。
「おまえが見せたアレはここからそう遠くない。四半刻もしないうちに見つかるだろう」
「何の拍子に見かけたのでごぜぇますか、あんなもの」
「通りがかった時に厭な感じがしてな。その辺りはまぁ、何の根拠もないが」
ぼやくように言った将軍に対し、ラグナは静かに眉をひそめた。
根拠がないと言えど、少年の頃から戦場で数多の死線を潜り抜けてきた人間だ。まさに叩き上げの実力者、それがシグマ・アルスミードという男である。極限の状況下、生き残ることにかけての本能や直感が磨き抜かれているはずの、そのシグマまでもが厭だという。見つけた時には、どれほど死臭をまとっているのだろうか。
「ラグナ。おまえは魔法の専門家だろう。あれが何か説明できるはずだ」
「…………」
「先ほどの話。私の身柄はミゼット王国ではなく、魔術師連合第四次席の下にあるのだろうが。海底の蛇の名を借りているあの女と話していたはずだ」
聞く権利ぐらいあるはずだが、とシグマは話す。
「……さて、どうしたものでごぜぇましょうか」
「話さない気か?」
「いいえ」
ラグナは再び、嘆息交じりに言った。
「何から話せばいいか、整理していやした」
シグマが黙したまま、とんとんと人差し指でラグナの腰を叩く。続きを話せと促している。ラグナは口を開いた。
「――今回の事件を引き起こしているのは、気象魔法と我々が呼ぶ魔法でごぜぇます」
これは戦時での行使さえ禁じられている強大な魔法で、構成にも発動にも年単位の時間がかかるとされる。なぜ禁じられているかといえば、ローゼ・レヴィアが話したように、『理を曲げすぎる』きらいがある魔法だからだ。かつては天候操作ひとつで火器を無力化することもでき、立派な戦略兵器だった。その禁止の裏には、魔連単体での技術独占、他の地下世界の魔術師による発展阻止、諸国による魔術師の力の抑え込み等様々な思惑が含まれている。世界の平和は常に薄氷の上、大人の事情で決められ守られているのだ。
そのような経緯のある魔法であるので、当然監視の目も厳しく、そうやすやすと潜り抜けて行使できるほど甘くはない。そのはずだった。
「魔連がここに至るまでティーリスの事情を知らなかった。そんなことがあり得るのか?」
「相手方の工作もあって、情報が太古の海に届く前に途中で握りつぶされていたようです。最も、事の露見を恐れて、無視を決め込んでいた可能性も高いと思われやすが。魔連が禁止魔法をコントロールできていないと世間に広まれば、事はウチの沽券に関わってきやすからね」
「パワーゲームか」
なるほど、と冷えた声で呟きが落ちた。
「相手はそちらも『よく分かっている』ようだ。それも相当の自信家といったところか」
そうでなければ、ここまで魔連に手をこまねかせるなど難しい。
「ええ。そして、構成にも腕の良し悪しが現れます。良ければ効果は大きい。今回のものは――」
「――聞くまでもない、か」
気付けば町を見渡せる丘の上だ。荒れ果てひび割れた大地を眺め、シグマが独りごちた。
「これほどの実力だ。国一つ滅ぼせるほどの魔法の使い手ならば、『色持ち』であることは確定だろう」
「身内の裏切りを認めるのも業腹ですが……地下世界の人間だとも、思いたくありやせん」
どちらだろう。重い沈黙の中、ラグナは眉をひそめた。この力を持つ存在が、魔連の管理下ではないとしたら。それは、魔連にとっても、巻き込まれたティーリスや他の諸国にとっても、ここ十数年なかった巨大な脅威となり得る。
「危険だな」
シグマも同じ判断を下したようだ。この件が終われば、ラグナによる召喚中、どのような活動に関わったのかと合わせて、彼もミゼットに報告を行うだろう。
徐に、背後に立っていたぼろ屋を指さし、ラグナに示した。
「この町に、同じものが少なくとも二つある」
「それで充分です。複数破壊できれば、だいぶぐらついてきます。ただ、自動修復の効果がある場合は――」
「同時破壊か」
「おそらく」
ラグナは頷いた。
「二手に分かれやしょう。……ところで、時間は大丈夫なのでごぜぇますか?」
抜け出してきたということだが、反乱軍の方はシグマの不在を気にかけたりしないのだろうか?
「その件に関しては問題ない」
将軍は流れるようにラグナの身を地面に下ろし、
「人質を置いてきたからな」
さらりと物騒なことをのたまった。
*
「ぃっくし!」
小さくジェスはくしゃみをした。
「っかー……――あの鬼、悪魔、人非人、ド鬼畜野郎」
ここにいない戦友を思うがままに小声でぼそぼそ罵り、仕上げにジェスは盛大に舌打ちをした。
(俺を人質にして自分は出歩くとか、どういうつもりだあのアホンダラ……。ここまでてめーを保護して安全な状態に置いといてやったのは俺だっつぅのによ!)
内心で悪態をついていると、向かいに座っていた人物が首をかしげる気配がした。
「お風邪でも召されたので?」
「さーな。この前濡れたのがまずかったかもな」
適当に返事をして、ジェスは溜息をついた。
野営地の中でも一回り大きく張られた天幕の中、木箱を適当に重ねただけの即席の机を挟んで向かい合っているのは、反乱軍を指揮しているという男だった。これはジェス個人の感想だが、自分のことを棚上げにしても、ずいぶんと若いと思う。ちょうど昼時で、カップ一杯の水とふかした小さな芋二つがそれぞれの前には置かれていた。干ばつに喘ぐ国の兵糧としては立派なものだろう。こっちだってひどい時は石に張り付いた苔すらかじるのだから。
「しかし、反乱軍の野営地の近くに町があったとはね。なんでまた町に入らなかったんだ? こんなところで野営をするより、風も寒さもしのげていいだろうに」
「ほとんど何もないもので。井戸も涸れ、川辺にいっても水はわずか、魚も少ない。作物も世話をする者がいないので枯死して食べられたものでもない。金品も住人や盗人がほぼ持ち去ったり、闇市で食料との交換にほとんど消えたりで、これ以上賊が略奪する余地すらないのですよ」
「へぇ。それでよく食いつなげているもんだな」
「山の方は食料が豊富なんです。山の土の方が水をよく保持していて、それでどうにか皆が食べられるだけのものが自生している。山中や谷の方が生き延びられる確率が高いのが今の国の現状です。――ひどいところでは、倒れた友の肉を食らった者もいるので」
「……そうか」
国が一つ死にかけている。ジェスは嘆息した。だからといって自分にできることは何もない。
「これは俺の純粋な疑問なんだが。その状態で帝国を倒してどうするつもりだ? 民の不満のはけ口を国や革命に求めても、国体による恩恵がなくなるだけで、天災が止まる訳じゃねぇ。周辺から押し寄せる諸国に食い破られ、蹂躙される未来が待ってるだけだろ」
「――帝国の恩恵があってもなくても、蹂躙されても。ティーリスの民は死んでいくのです」
乾いた声が男から発せられた。
「皇帝は諸国に地を差し出してでも俺たちに食料を供給できたのではないのですか。民を思って民を救ってくれないのなら、国は皇帝と一部の人たちだけのための組織で、俺たちはただ搾取され飢えて哀れに死んでいく家畜だということだ。このままでは俺たちは無駄に死ぬ。意味もなく。――『仕方がなかった』、その一言で片づけられて。それがどうして我慢できますか」
「……それで、何もせずにはいられなかったと?」
自棄の集団か。返しつつ、ジェスは内心で独りごちた。恨みだけで動いている。
どうせ死ぬならば、国もろともに。
これは何をやりだすか分からない。一見統制がとれているように見えて、やはり烏合の衆。あとは滅ぶまで暴走するだけか。
そこまで自らを追い詰めるほど、この国は窮しているということだ。
(末期症状かもな……問題は、これが人災の可能性があるってことだ)
目覚めたシグマ曰く、大旱魃が巨大な魔法による作為的なものだろうとは分かっている。その場合に、何が起こるのか、だ。
事が露見すれば、確実に批難の矛先はティーリスから一転、『何もできなかった』魔連に向かうだろう。露見しないなど、あり得ない。いつかは必ず分かる。誰かがその不自然さに気付く。国境付近で、シグマやジェスが気が付いたように。
魔連を攻撃したいがために用意された大舞台然り、数年がかりで周到に作り上げられた災害然り。こんな状況を平然と作り出す者の気が知れない。バレても、制裁を受け自らが危うくなるとしても、一向に構わない。それは常人の考えではない。
「それなら、おまえたちはこんなところで足踏みしてる場合じゃないだろう。帝都までは歩いて一週間以上かかるはずだ」
近くの町の名前からジェスが大雑把に計算したところ、少なく見積もってもここからティーリスの帝都まで、歩兵の移動速度で一週間かかる。山からいくばくかの食料が調達できるとはいえ、限りもある。そこまで行軍するのに、この軍に余裕などないはずだ。
男は嘆息交じりに、夜色の髪をかき上げた。
「――機が熟すまで、待っているのです。いえ、待つしかないのです」
ぼかした答えが返ってきた。だが、やはり何かの手は打っているのだろう。シグマの予想では、ラグナが関わっている可能性が高いということだ。それを探りに彼は町へ繰り出している。
情報を引き出せるとしたらここが限度か。ジェスは結論付けて、カップの水に口をつけた。
「しっかし、ラグナ・キアを捕まえたところで、何が変わるってんだ?」
昼食がてらの対談を終え、天幕を出たジェスは首を傾げながら呟いた。
魔連も反乱軍も。ラグナがずいぶん大好きのようだが。
あの魔術師が、『色持ち』と呼ばれるような実力者だとして、そこまで取り合うような存在だろうか?
「いや、でも――」
『巻き込んですまない』とシグマが謝ったのが気にかかる。ラグナとの知識の回廊が繋がっていると魔連に予想されている、それだけでも十分まずい。
だが、何か見落としているような気がする。
自分やシグマが知らない事実があるのではないか。複雑に様々な勢力が入り組んでいるように見えて、実は繋がっているのではないか?
物思いに沈みながら、ジェスは寝泊りに貸してもらっている天幕の布をまくった。
そして、妙な違和感を覚えて、動きを止めた。
さっと目を走らせる。天幕の中にはほとんど何もない。寝ていたシグマの看病もあって、なし崩しで老医と共に寝起きをしていたので、地面には寝袋やら毛布が適当に散らかっている。そこから、ジェスの目は、すっと、隅に置いてあった長い木箱に向かった。物資や天幕の支えとなる棒を入れて運ぶ時のものだろうが、その蓋が妙に持ち上がっている。――物など入っていなかったはずだ。
だが、人が一人入れるぐらいの大きさはある。
「―――、」
静かにジェスは足を踏み出した。身をかがめる。足元に丸めていたコートを手に取った。
包んでいたナイフ、こっそりくすねておいた小銃。武器はある。
片手で銃の撃鉄を起こす。
――いつでも撃てる。
気を張りながら、そのまま足音を潜め箱に近づく。軍靴の爪先を蓋と箱の間に押し込み――
バガン! と一息に蹴り開け、銃を構え。
中を見てとったジェスは、息を呑んだ。
「――はっ?」
思わず、素っ頓狂な声が漏れた。
まじまじと箱の中を凝視する。自分は夢でも見ているのだろうか。
中に入っているのは、予想通り人間だった。意識がないのか、ぐったりしている。
が。
「……何で?」
呟きがぽつんと宙に浮く。
窮屈そうに箱の中に収まっていたのは、この場にいるはずのない人物。
『詐欺姫』スイッティシャ・イャル・ペンネだった。