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鬼畜チェイス  作者: 風癒
魔術師、もふもふ北上す   【ティーリス動乱編】
20/27

chase-18:眠り野郎

 さらさらと頭の頂点から、顔全体を伝うものがある。ひやりとした感覚は、ゆっくりとジェス・カリスの意識を覚醒へと誘った。


 夜よりも深い闇の中から、徐々に光の中へ。


 しかし、突如として光量は一気に増して、ジェスの意識を()き尽くす。

 浮上していく意識を最後に強引に引き上げた原因は、脳天を割るような激痛だった。


「い゛っ――!?」

「起きろ、塵屑(ゴミクズ)が」


 身体が強張る。酩酊時よりもひどい眩暈。

 激痛に見開いた目は、滲んでよく見えなかった。涙ではない。ずっと顔が被りつづけていた水だった。それでも揺れる視界の中、開口一番にジェスそのものを否定するような暴言を吐いた男の姿を何とか確認する。


 こいつ、人の頭を蹴りやがった……。


 口を何度か開け閉めしてから、流れ込んだ水を飲み干したジェスは、ようやく擦れた声を発した。

「――シグマ……」

「動くな」

 静かに短く制されて、ジェスは口を(つぐ)んだ。

 この男が動くなと言うなら、動いてはならない。ジェス共々、危機管理能力が並外れているからこそ、二人して戦場で死地を潜り抜けてこられたのだから。

「……ここは」

「分からん。どこぞの川の上流ではあるようだが」

 ああそれで水が。納得したジェスは、やっとそこで自分の今の状態を把握した。水の中に倒れて気絶していたのだ。よくぞ今まで溺れ死ななかったものだと、自らの悪運に薄っすらと苦く微笑する。

 その笑いをどうとったのか、ちら、とジェスの顔をシグマが一瞥した。

「言っておくが。深みから頭を私が引き上げなければ、おまえは当の昔に水死体だったぞ」

「御尽力ニ感謝シマス……」

 それでも中途半端に頭が水の中にあったのは嫌がらせなのだろうか。いや、そんな事は無自覚にやったに違いない。こいつは人を虐げる事にかけては天性の資質を持っている。自分の扱いなど犬畜生以下だと当の昔に諦めていた。

 じっとしたまま、自分の内側に意識を向けて感覚を研ぎ澄ます。水は冷たい事は冷たくとも、この季節にしては痛みを覚えるような冷たさであるのが気になる。飛ばされたのは、かなり北の方になるのだろうか。

「周りは、どうなってる?」

「山だな。ミゼット内ではありえん。近くに人の通った痕跡も見当たらなかった」

 となると、人里はこの近隣にはない。下手をすると何も情報がない中、野宿になるのだろう。

 まだある。

 中途半端な方法で行われた転移には事故がつきものだ。途中で体が『ばらけなかった』のは、(ひとえ)に魔術師エリアス・トライドの腕が確かだったからだ。

 だが、ばらけなかっただけだ。ジェスは既に、シグマの体のあちこちに血が滲んでいるのを見てしまった。つまり、それと同程度、自分も負傷している事は確実である訳だ。

「それに」

 シグマがぽつりと零した最後の一言が、ジェスの気力を削ぐ決定打となった。

「木の高さが低い」

 ジェスは溜息を吐いた。


 ――その事実は、山が少なくとも標高二千M(マート)を越えている事を示していた。





「――っとにあの魔術師、今度会ったら殺す」

 怨みを込めて呟きながら、がちがちと合わない歯の根を噛み合わせて止めた。

 ジェスとシグマが飛ばされた場所では、日中の気温は下界よりも十二、三度セルジオは低い。これは晩秋から初冬の気候に匹敵する。夜になれば一桁台まで下がる事も珍しくはないはずだ。二人共に負った傷はいずれも浅かったものの、少なくとも日が暮れるまでにはどこぞの谷間にでも降りていなければ、下手をすると凍死の危険があった。

「乾燥札が残っていて良かった」

 使い捨ての焼け焦げた札の切れ端を摘まみ上げて睨む。ジェスが腰のポーチに忍ばせていたもので、濡れてはいたが、ありがたい事に自らと二人分の服を乾かす程度の役には立ってくれた。これで水に体温を奪われる心配はなくなったと言える。

「あーくそ、補充しねぇとな……金貨何枚飛ぶんだか」

「後で装備費として国には請求しておこう」

「生き延びる事が出来たらの話だけどな!」

 ナイフで蔓を断ち切りながら、ジェスは舌打ちした。

 川に沿って下る事数時間。回り道ではあったかもしれないが、確実に体感温度は上がってきている。

「シグマ。日没まであとどれぐらいある?」

 ジェスの声に、シグマは首を反らして空を睨む。

「体感で二、三時間といった具合か。……この程度なら、どうにか夜は越せるか」

「ぎりぎりな」

 後は獣が二人の血の匂いを嗅ぎつけない事を祈るばかりだ。思った途端、再び魔術師への殺意が沸いた。

「エリアス・トライド。人様をこんな山中に飛ばしておいて、奴の目的は何だ?」

「少なくとも、あの場から私とおまえを退けるという行為には意味があったはずだ。今やミゼットもティーリスも、下手をすれば魔連ですら、我々の居場所は掴めなくなっている」

「俺らも分からねぇと意味ねぇだろうが」とジェスは小さく毒づいた。

「だが、ラグナに会える場所の近くではあるよな? あの野郎、『愛弟子に会ったら』って言ってたんだ、飛ばされたのがあいつらの進行ルート上である可能性は十分にあるはずだ」

「――しかし、目的地のリディンス山脈ではありえない」

「あの天険に飛ばされたら俺らはとっくの昔に氷漬けだよ」

 会話の中で情報を整理しつつ、考える。

 しばらく無言で山を下り続けた所で、シグマは再び問いを発した。

「共鳴距離とは何だ?」

「俺が知るかよ。愛しのラグナに聞け」

「――あれは魔法生物の専門家ではない。……おそらく、魔術師ならばほとんどの人間が知っているのだろう。共鳴、という言葉からして、王犬とラグナの間に起こった共鳴現象に関わるものとは予想がつきそうだが」

「距離に制限かかってるとか何とか、オッサンはほざいてたんだ。つー事はよ、ラグナの奴は共鳴に関わる何かで、王犬とそれ以上に離れてはならない一定距離があるって事になる」

「……しかし、あれは常に王犬と共にある」

「そこだ。何でべったり王犬に付きっぱなしのラグナにそれを伝える必要がある?」

「失念していた……というだけでは済みそうにはない、か」

 ふむ、と後ろで考え込む気配がする。

「……つか、嫌な予感がするんだけどよ」

「何だ」

「おまえ、さっきからやけに饒舌だよな」

「……、」

 黙り込む気配に、やはりと感じた時。


 がささっ! と、異様な音がした。


「!」

 振り向くと、シグマの姿がない。

「……おい?」

 一歩戻ると、かさりと、下生えに足が擦れて音がした。先ほどと同じ種類の音を、少し小さくしたような音。

 まさかと思い視線を下にやると、薄暗がりの中、草と地面の上に散らばる銀髪が見える。

 咄嗟に駆け寄ってしゃがみこむと、倒れた男の首筋に手をやった。熱い。白い顔に浮かぶ汗は玉のよう。

 顔が強張るのを感じた。

「おい……!」

 激しく揺さぶるが、返事はない。


 ――意識がない?


 脳裏をそんな考えが過ぎるが早いか。

 シグマの体を抱え起こすと、その右手首を掴み、脇の下にジェスは頭を突っ込んだ。逆の脇に背中から腕を回して、彼の胴体を抱え込んで引っ張り上げると、そのまま回した腕を引っ込めて胸の前に付きだし、自分の背中に彼の体が被さるようにと肘で押しやる。

「――言わんこっちゃねぇ!」

 小さく罵り、ジェスは体をくの字に折った。てこの要領で持ちあがった体。右手を離すと、だらりと顔の両側からシグマの腕が垂れ下がる。

 歯を食いしばって腕を後ろに伸ばし、膝を抱え込む。どうにかシグマを背負いこむ事に成功したジェスは、山の斜面を駆け降りた。

(何でだ……! さっきまで、こいつは普通にぴんしゃんと歩いていたはずだ!)

 何が起こったというのだ。

 たかが負傷による発熱程度で、この男が倒れるはずがない。

(やわな男や子供ならともかく、泣く子も黙るミゼット第八師団を鍛え上げた生粋の――最強の、軍人だぞ!?)

 心中で絶叫する。

「あの野郎……ハァっ……何を、しやがった!」

 にや、と悪戯小僧のように笑うあの魔術師の何もかもが今は憎い。

「死ぬなよ……!」

 少なくとも、今、この状況下で意識を失う事態は不味い以外の何物でもない。

 誰か。

 神でも魔術師でも、いっそ敵でも何でもいい。

 人が、町が、近くにあれば。これほど焦る事などなかったというのに。


 どれほど走ったか。


 ふと、ジェスは顔を上げて立ち止まった。


 今はまだ遠いが、遥か前方に、何か。

 薄明るい――橙色の光が、木立の向こうにあった。

 無心に走った。乱れた息が耳障りにひゅうひゅうと鳴る。

 木々が途切れ、下生えももはやジェスに追いつけなくなった。


 ――そして。


「何者だ」


 喉元に付きつけられたのは、木を粗く削って整えただけの槍だった。

 息を整えてから、ジェスは目を瞬いた。

 山の木々は急に途絶えていた。山の麓からそう離れていない所には、なぜか白い天幕が張ってあるのが見えた。幾つもテントが張られて、大きな村のようにも見える。

 ここは一体どこの野営の陣なのか。

 視線を素早く巡らせるも、自分に武器を突きつけた若い男は、軍人にも見えない。服装は只人のそれと何も変わらない。やや違うのは、山族と見紛う程度には汚れていてぼろぼろである事だ。

「軍人か? どこの人間だ」

「何だ、どうした」

 人が集まってくる。全て、平民たちだ。烏合の衆か何かなのか。


 ――ここは、一体どこだ。


 乾いた喉を唾を飲んで潤すと、一気に名乗る。

「っ、……ミゼット王国軍、第九師団長、ジェス・カリス。位は准将」

 思いもしない名乗りに息を呑む面々を見回して、ジェスは続けた。

「捕虜でも間借りでも奴隷でも何でもいい。保護を求める」

 眉をひそめる男に対し、更に喘ぐように畳みかけた。

「連れの意識が無い。――早く!」

 弾かれたように野次馬の中から、一人が天幕に向かって走る。続いて、二人、三人。

 俯いてしばらく息を整えていると、戸惑うように喉元から木の槍を退けて、男が、やや背をかがめてジェスを覗きこんだ。

「……何があった? その軍服を見ても、嘘言ってるたぁ思えねぇが。あんたみたいな雲の上の御仁が、どうしてここにいる?」

「こっちが聞きたいぐらいだ、馬鹿野郎」

 吐き捨てると、ジェスは男の瞳を見据えた。軍人にほとんど睨まれるように見られた男は、ひっとジェスの凄みのある目に小さく喉を鳴らした。

「ここはどこだ」

 男は困惑するように仲間の幾人かと目線を合わせたが、すぐに反らされてしまった。観念するかのように肩をすくめると、こちらに向き直って、告げる。

 返ってきた答えに、愕然とした。


「――ここは、ティーリス帝国北部、スラフスキー州。そんでもって、俺らティーリス反乱軍の野営地でさぁ」


「……何だと?」

 ぽつりと零した困惑の声に、答えられる者は誰もいない。

 ちょうどその時に天幕から戻ってきた人間は、何かを喉にでも詰まらせたような表情で、ジェスを陣営へと誘った。

「間借り、という形になりやすが。構いませんで? あと、こりゃ大将からですが、医療の心得がある人間を一人、寄越してくれるってぇ話です」

「助かる。空いたテントがあるのか」

「すまんのですが、相部屋でありやすよ。俺のです」

 ジェスはしばらくその男を見つめた。痩せた小男だった。ぱっとしない、情けない表情のように見える風貌で眉尻を下げられると、本当に困っているように見える。

「悪いな。見ず知らずの人間だろうに」

「敵の敵は、味方、だそうでありやすから」

 小男は肩をすくめた。

 やや薄汚れた感のあるテントに案内されると、男がめくって開けてくれた入口を身をかがめて潜る。一言断ってから、敷いてあった(むしろ)の上にシグマを横たえた。

 それから半刻程経ってやってきた医者が、シグマを診たが。

「……こりゃ、新手の病気ですかいねぇ」

「分からないか」

「んむ……難しいですよ」

 既にかなりの年になると見える老医者は、腕をこまねいて考え込んだ。

「軍人様ともなれば、体力はありましょう。傷はいずれも浅いし、二週間もあれば跡もなくなりましょうや。この程度で意識を失われるような外的な要因は、何も見当たりませんよ」

「俺たちは魔術師に転移で飛ばされてここまでやってきた。転移に関して、そういう症例を見た事はないか」

「ありぁあせんよ。しかし……ふむ」

 顎を撫でて、医者は空を見つめる。

「子供の頃、こういう風に眠る魔術師を一人、見た事はございましてな。その時は父が診ておりましたが、はて、その時は結局、魔術師が目覚めるまでは、どういう理由で眠っていたのかは分かりませんでした。が、……」

 難しい顔でしばらく記憶を手繰っていたのか。ややあって、その時に関する状況をつぶさに思いだしていた医者は、一言、呟いた。

「やはり、使い魔でございましょうかの」

「使い魔?」

「その魔術師が目覚めた後で聞いた話です。おるというのですよ、時折。町ひとつほど離れると、お互いに生気を失くしたように倒れてしまうという、魔術師と使い魔が」

「だが、こいつは軍人だ」

「そこです。この方は魔術師ではありえませんですので……そこが奇妙でしたが」

「……なぜ倒れるのか、何か、話は聞かなかったか」

「んん……いくつか理由があると、その魔術師は言っておりましたの。自分の場合は、魔力の不足だと……それか、使い魔の力が大きすぎた場合に、起こる事だと」

「……『共鳴距離に制限がかかっている』」

 ぽつりとジェスは呟いた。

「は?」

 老医者の反応には答えずに、昏々と眠り続けるシグマを見下ろした。


『何でべったり王犬に付きっぱなしのラグナにそれを伝える必要がある?』

『ふむ。失念していた……というだけでは済みそうにはない、か』


 老医者の答えと、エリアス・トライドの愛弟子への伝言から導き出される答えは一つ。

 シグマと彼が伴っていた王犬の間には、ジェスのあずかり知らぬところで、何か、使い魔とその主になるような異常な出来事が起きていた。

 シグマは軍人だ。魔法など使えるはずもない。ましてや魔力など。

 そしておそらく、不完全な主と使い魔が引き離された場合に何が起こるかを、ラグナは失念していたのだ。


 事はひょっとすると、この男の命に係わりかねない。

 ジェスは額に手を当てて唸った。

 その時頭に浮かんだ感想は、まさかこうなるとは、ではなく。

 どうしてこうなるのだ、であった。


「恨むぜ、エリアス・トライド……」


 ラグナとスイッティシャの二人を大きく追い越してしまうくらいなら。

 まだ、少なくともあの時点では、ミゼットとティーリスの国境にいた方が良かったのだ。

 しかしすぐに、いや、違うか、と思い直す。

 よしんばあそこでエリアスに遭遇しなかったとしても、シグマが遅かれ早かれこうなるのは時間の問題だったのだ。こことあちらとで何が違うと言われれば、魔連にその情報を握らせるまでの時間が圧倒的に違う。

 上手くこの帝国の辺境に潜伏していれば。

「ここにいる方がよっぽど安全だ……」

 まさかとは思うが、ここまで見越していてやったのか。あの男。

「……後でここの大将に礼を言いに行かせてくれ。それと、しばらく厄介になるとも。ここの手伝いはできるだけやらせてもらう」

「はぁ……」

 テントの主である小男の生返事を聞きながら、ジェスは深く嘆息した。

~度セルジオ:~℃に同じ。昔の偉い人の名前が由来。


さて、いきなりのヒーローピンチ。

どうするジェス。

どうなるシグマ。

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