chase-17:誰も知らない誘拐劇
こっそり更新。パソコン版のレイアウトを標準に戻してみたり。
「きゃうっ!」
「うお、っと――!」
爆発により勢いよくジェスの体は飛ばされ、地面に叩きつけられる。背中を強かに打った時、肺が底から揺さぶられて息が詰まった。近くにいたリザはどうにか引き寄せて守ったが、その横ではアイネが受け身を取りながらも、ジェス同様に体に伝わる衝撃で動けずにいる。
「っ――シグマ!?」
彼だけが、唯一姿が見えない。
土埃が立ち過ぎて何も分からない。武器もない。銃さえあればと悔やんだが、仕方なく袖の下から隠し持っていた軍用ナイフを引き抜いた。
これで本当に丸腰であったなら、何もできずに殺されるところだ。万が一の備えはしておくものだなと思い、冷や汗が流れる。
地面に二人を転がしたまま腰を浮かすと、中腰になったあたりでジェスはナイフを背後へ振り回した。
肉を断つ感触。そのまま伸び上がり、一呼吸で全身でナイフを相手に埋め込むとすぐさま抜いて地面に転がす。
見下ろして確認すると、ティーリス側の兵士だろうと知れた。冷静さを失って何を勘違いしたか知らないが、敵を間違えてジェスに襲いかかった時点で魔術師たちの望む通りになってくれているのだけは確かだ。
「ったく、モグリ風情がやってくれるぜ……!」
歯噛みしてナイフの刃先を乱暴に拭うと、アイネに声をかけた。
「グレイス副官、中佐と一旦本部まで退却しろ。俺はアルスミード少将を探してから戻る」
「しかし准将、それでは司令官が軍からいなくなります!」
「だーから、おまえはシグマの副官だろ、どうにかしてくれ」
「准将!」
「准将……」
リザがグレイスの隣で喘ぐ。
「公私混同も甚だしいのですわよ……! 妹可愛さに逃がすのでしたら、私、《兄》を許しませんわ……!」
非難の声も聞かず、懐からあるだけの転移札を取り出した。将官クラスしか使えない代物だ。当然二人は札を持っていない。
「ちょうど二枚ある、使え」
「お兄様っ!」
ナイフに残っていた血糊でトラクの司令部の座標を書き殴る。転移札が吸い寄せられるようにリザとアイネの体に張り付くのを確認すると、ジェスは彼女らが消える前にその場から走り出していた。
「戻ったらお仕置きですのよ!」
聞こえるはずもないが、間違いなく妹がそう叫んだ気がした。
一分にも満たないやり取りだったはずだが、場が完全に混乱するには十分な時間だったろう。
飛び交うのは怒号と銃弾と、魔術師の魔法による爆音、奇音。最前線に出たような乱戦具合に、嫌な懐かしさを感じる。
素早く辺りを見渡すと、ミゼット側の外交官は自分の手持ちの転移札でさっさと退避してしまったらしい。ティーリス側は物陰に隠れてはいるがなぜか逃げる様子がない。軍の者は突然の襲撃に魔術師らに集中しており、ジェスが一人うろついていても全く誰も気に掛ける余裕すらないようだった。
「くそ! シグマっ、おいシグマ! どこ――」
だ、と言う途中に背後からにゅっと何者かの手が伸びた。口を塞がれて、近くの崩れた建物の影まで引っ張りこまれる。
「ここだ。……さて、面倒なことになった」
耳元でぼやく声を聞いて、ジェスはしかけていた抵抗をやめた。拘束はすぐに外れたので、シグマに向き直る。
「魔術師が魔術師に介入するとろくなことにならん。どさくさに紛れて逃げるにしても……」
「おい、今何つった? 魔術師が魔術師に介入?」
気付かなかったか、とシグマは言う。
「ティーリスの人間は傀儡だ。意思がない上、あちら側の魔術師はトラクのあれらの介入を受けている。動かしようがなかったはずだ」
「いや、いやいやいや。初耳だぞ。何だそれ。魔術師がいたってことか? だからティーリスの外交官が逃げなかったのか? いや、まさか……」
シグマの蒼い目が全て肯定しているのを確認しつつ、ジェスは嫌な予想を口にした。
「まさか、この戦闘に魔連が裏で糸引いてるとか、ねぇよな?」
「当たってほしくなさそうなおまえの予想だが、今の所可能性は高いぞ。出てきたのがエリアス・トライドだからな。あれは数年前にも魔連といざこざを起こしている。――ああ、グレイスとカリス中佐を戻したか?」
頷くと、シグマは手をこまねいた。
「ならこれからどうするかが問題だな。転移札がないから司令部にも戻れない」
「おい、持ってこなかったのか!」
ぎょっとすると、シグマは首を横に振った。
「持ってきてはいたが、外交官を逃がすのに使った」
「……おまえもか」
思わず肩が落ちた。
二人して戦場に取り残されたという構図に、ジェスは頭を抱えたくなる。思えばスヴェナ戦争以来、数えるほどしかなかった本格的な危機の一つではないか。
軍人であるシグマには国から課せられた官や国民を守るという義務はあるが、外交官を身を呈して守る程の義理はない。本来節約すべき転移札を全て渡してしまったというのは、おそらくわざとなのだろう。
(戻る手段を断ってでもラグナを追う、か。何つーか、こいつ本当に……)
抱きかけた感想を頭を振って追い払うと、ジェスは思考を切り替えた。
「とりあえず……」
近くを走り抜けようとしていたティーリスの軍人をジェスは足に引っ掛けた。
「がっ!? 何をす――」
「よっと」
手刀を肩口に叩き落として沈黙させる。目当ては彼の腰にあったサーベルだった。
「ほいシグマ、得物」
「む」
受け取ったシグマの眉が潜められた。
サーベルを軽く振って具合を確かめる腕が、ふとした瞬間に霞む。同時に、澄み切った金属音が二人の間で響いた。
「やはり重心が違うと振りにくいな」
「気になるからって周りの人間で試し切りをするか普通。鬼の子かてめぇは」
シグマは目を細めて笑う。
「だが、死なんだろう?」
「死なねぇけどよ……普通の奴なら慣れない得物でコイツを折ったりなんぞしねぇよ。十分だよ」
苦い顔でジェスは痺れる右腕を擦る。ぼっきりと半ばで折れたナイフを眺めて、溜め息混じりにそれを放り捨てた。代わりに倒れている軍人のホルダーから小銃を取り出すと、銃弾の数を確認する。
そして何気なく顔を上げた時、ジェスの顔は歪んだ。
「……よぉ」
今までそこに居なかったはずの人間が、視線の先で悠然と腕をこまねいて構えている。面白そうに鮮やかな翠の瞳を輝かせる彼の脇には、依然として圧倒的な存在感を有するメイスが挟まっていた。
音も前触れもない、最上級の転移魔法。呼吸をするように扱われる彼のそれは、生半可な魔術師では阻害できないと言われている。
また面倒な時に面倒なものが来たと思った。
「何の用だ」
ジェスにそう問われたエリアス・トライドは、無音で笑みを浮かべた。首を傾げた拍子に、青味を帯びた黒髪がゆるく癖をつけて肩から流れ落ちる。
「……ちょっとしたお節介だ」
答えを聞いた瞬間、ぞっと予感を覚え、ジェスは背筋を凍らせた。
「慣れないと酔うだろうが――転移札をしょっちゅう使ってるなら、大丈夫だろう?」
さりっ――と、男が指先を上げて描いたものは、こちらからでは裏返しになっていたものの、何であるかは確認できた。だが、それだけだった。
座標だ。どこかの、ということしか分からない。
「俺の愛弟子に会ったら教えてやってくれ。共鳴距離に制限がかかってる」
「っ、これは――」
シグマが隣で息を詰まらせた。気付けば、二人の足元に初めて見る複雑な光の紋様がそれぞれ展開されている。
「おい……何で飛ばされるんだ俺ら」
理不尽とはこのことを言うに違いない、とジェスは思う。転移先がどこに繋がっているのか分からないのも厄介だ。
それに対し、突然現れて二人を無理やりどこぞへ飛ばそうとしている張本人はどこかのんびりとしていた。
「気を付けろや、シグマ・アルスミード。何だか知らんが、おまえ――」
頬杖を付きながら、彼は告げた。
「――魔連に狙われているからな。関わりはしてもとっ捕まるなよ」
周りの景色は、それを最後に輪郭を失って、何も目がそれと捉えられるものがなくなった。
「……なぁ、シグマよ」
縫い付けられたかのように紋様の中央から離れない足に、魔法を回避するのを諦めたジェスは、ぽつりと呟いた。
「……何だ」
ジェスの声の響きに含まれるものを感じ取ってか、シグマの返事は嫌々といった様子で返ってきた。光はどんどん強くなる。
「おまえ、俺の見てない所で何人から恨み買ったんだ?」
「…………」
やがて光に目を開けていられなくなった頃、シグマは顔を反らしながら、珍しいことを言った。
「悪い。巻き込んだ」
「いや、今更だけどな」
出会った当時から、既にジェスはシグマの行く道に自ら進んで巻き込まれている。
しかし、今の希望を挙げるなら、とジェスは言う。
「せめて『遅くなる』の一言でもリザに言えたら良かった。……お仕置きがどうなるか全く予想がつかん」
状況証拠も何もない。後に二人の行方を追うためにやってくるだろう調査員たちに、ジェスは心の中で合掌した。
(すまん。鬼畜と言われようが何でも良いから……とにかく頑張って見つけてくれ)
*
「あちゃー、遅れましたか。ラグナちゃんへの伝言頼もうと思ったのに」
「テイワー……おまえ、鬼畜将軍が伝書鳩に変わるようなタマだと思うのか?」
後ろから響いた声に、トライドが振り向くと、ひょろひょろとした男が困ったような顔で、大女と共に歩いてきた。前方では既に、二人の将官を転送し終えた紋章が光を収束させつつあるところだった。
「テイワー、トースキン。おまえら向こうはもう終わったのか」
「いやぁ、ものの見事に逃げられましたよ。藤と炎からトンズラこくなんて、すげぇ逃げ足っすね。むしろ元翠のトライド氏を見ておたこいてましたね」
「おたこくって何だ。おまえの表現は時々分からん、普通に言え、普通にっ」
頭を掻き掻き言ったテイワーの隣で、長身のトースキンは彼の頭を小突いた。
「トースキン、体の具合は大丈夫か」
トライドが聞くと、彼女は数分前とは打って変わってほっそりとした腕と長くなった足を組んだ。
「一応、魔法の使用量は予定の範囲内です。今度魔法を使えるのは頑張って太って明後日といったところですか」
「その後太り過ぎないように常にダイエットのジレンマか……。おまえ、本当に……魔法使うと痩せ細るその体質さえなけりゃもっと自由だろうに……別嬪が勿体ねぇ」
「やかましい、テイワー。万年モヤシのおまえに言われたくないわ」
「俺だってもっと肉と上背が欲しいって思ってるよ」
「……おまえら、足して二で割ったら絶対にちょうどいいよな」
「「ごめんこうむります」」
息もぴったりに言うと、テイワーは「それで、」と続けた。
「アルスミード少将とカリス准将の二人。どこまで飛ばしたんですかね?」
うん、とトライドは頷く。
「実は、かなり大雑把に飛ばしたからな。どっかには居るだろうが、どこまでかは分からん」
「……精度どうしたんですか。やる気出しましょうよトライド氏。ラグナちんに関わることでしょうに」
「野郎二人分飛ばすのに精度を気にしてやる必要がどこにあるんだよ……面倒くせぇ。ちゃんと町周辺には飛ばしたから、行けるだろ」
「魔連の連中が余計なことをしなけりゃいいんですがね」
テイワーが肩をすくめた。
トライドは一つ分息を止めてから、ふぅっと吐き出す。
「……アリドネか」
ミゼット国の軍人二人が飛ばされただろう方角を眺めながら、トライドは愛弟子のことを思う。
「何も起こってなきゃいいんだが……起こらない方が、おかしいよな」
あの事件以来、魔法越しに声しか交わしていない。もう五年会っていないが、どんな娘になったのだろう。
「さて、そろそろミゼットの奴らもここに乗り込んでくるだろうしな。俺らも退散するか」
メイスを持ち上げて転移の陣を描くと、テイワーとトースキンの二人を招き寄せた。
「今度はちゃんと精度は完璧にして下さいよ。俺とトースキンがばらけますからね」
「分かってるさ」
そうして、嵐のように過ぎ去った魔術師たちの襲撃を経て。
ティーリス軍はトラクより撤退。ミゼット軍は二人の将軍の消息不明を、戻って早々に本国に知らせることとなる。
そんな訳で、シグマとジェスはどこぞへ誘拐されました。