chase-16:トラクの獣(後編)
ドアを開け、立てこもっていた建物の外に出る。相変わらずそこは銃弾も砲弾も飛びまくる、いつ流れ弾に当たって死ぬかも分からない――読んで字の如く、生き馬の目を抜く戦場だった。
「……んふー……」
何とも言えない呻きを上げて、ぼりぼり、と頭の横を引っ掻く。寝起きだ。というより仮眠から覚めたばかりだった。最も、銃声やら砲声やらで煩くて、堪りかねた周りは耳栓を自作していた。
ここ数日、ろくに寝る間もなく、水も湯も浴びず、さらには、そういえば一食か二食ほど昨日から飛ばしている。
どうりでかゆい訳だ、と納得して、針山のような頭から指を引っこ抜いた時。
ひゅんっと肩口を何かが通り抜けた。
突っ立っていた後ろで、ついさっき出て来たばかりの鉄のドアがひどい音と共にひん曲がった。昨日も半分寝ながら直した気がするが、またやるのか。数秒で終わるとはいえ面倒なものだ。
げんなりと振り向いてドアの惨状を目にした時、何とまぁ、と思わず声に出して呆れた。
ただの鉄の砲弾かと思ったら、れっきとした火薬入り、爆発する弾だった。不発か、と思って、自分の運の良さに腕をこまねき、じっくり感心する。
「……あっぶね」
「感想が遅すぎますって、トライド氏」
独白に突っこむ声がしたと思うと、すぐ前方、急ごしらえの塹壕から、見張りをしていた若い男の頭がひょっこりと生えた。テイワーだった。
「爆発していたら『あ』の音を言う暇なく死んでるところですよ」
「いやぁ。そこは、俺の人徳ってヤツ」
「普段から出不精してる人が何言ってるんですか」
「ちゃんと外出て働いてんじゃねぇかよー」
「はいはい、今だけですがね。それよりもトライド氏、動きがあったようですよ」
「……知ってる」
そうでなければ出て来ない。出て来た時自体がまずかったが。
腰に差した“杖”を引き抜くと、トライドは宙に軽く掲げてから、少し首を傾げた。ややあって金の鈍い光を放つ獅子頭でさらっと図案を描き、ドアの方に投げる。大砲が当たった時と同じぐらいのけたたましい音を立てて、たわんだドアは元に戻った。
めり込んでいた不発弾も同時に処理されている事実に、ほー、とテイワーは感心する。
「さっすが。やっぱベテランは違いますね」
「見惚れている暇があったら、奥で寝こけてる間抜けの豚野郎を起こして来い……昨夜の打ち合わせ通りにやるには時間が鍵だ。遅刻なんてことになったら笑うしかねぇぞ」
「御自分で起こさなかったんですか」
「ケツを蹴り飛ばしたがだめだった」
テイワーは渋い顔をしながら、直ったばかりのドアを開けて建物の中へ入って行く。
「氏が起こせなかったら俺が起こせる訳がないんすけど」
「大丈夫。魔法の言葉がある」
「勘弁してください。氏でなかったら俺、あの豚に殺されます」
「いーからやれ。もう時間はそんなにねぇぞ」
盛大に溜息を吐くのが後ろから聞こえた。
「後でしっかり守って下さいね」
「ああ」
すぅう、と目一杯テイワーが息を吸うのに合わせて、トライドはぼそっと付け加えた。
「――保証はしねぇけどな」
「おい、豚! トースキン! ラグナちゃんがおまえにスリスリしに帰って来たぞ!」
重いものが落ちる音がした。その後でずいぶんと鈍い音がして、誰かが激しく罵り声を上げた。それが豚女トースキンのものか、テイワーのものかはくぐもっていて判然としないが、これだけは聞こえた。
「テイワー! この大嘘つき! ラグナちんの姿なんかどこにもないだろ! ――ころす」
「ちょっ、最後の言葉だけマジ怖いっ! 助けてトライド氏! 俺この豚女に殺されますってば!」
「さっきから豚豚と人のことを呼びやがって! これでも痩せたわぁっ!」
生贄の絞め殺される悲鳴を背にしながら、トライドは深呼吸をする。
「…………変わらんなぁ」
しみじみと呟いた。
彼らの口論は、空から槍が降ろうが何が降ろうが、ひょっとするとこの世が終わるまで何も変わらず続くのではなかろうか。
最も今は、硝煙や煤の匂いと共に、町中を鉄の弾が飛び交っているのだが。
*
会談の場へと向かっていたシグマを出迎えたのは、ティーリスの兵たちから向けられる畏怖の籠もった視線だった。
司令部を出て、戦闘によってあらかた崩れた市街地を抜ければ、そこは前線の向こう側――敵陣の領域となる。ティーリスの敵陣の真っ只中に、シグマは遠慮躊躇もなくずかずかと足を進めていた。
会談が敵中で行われるという状況に、副官のアイネはもちろん、ジェスやリザも罠ではないのかと警戒している。実際、武器を携帯していても、今攻撃が始まれば一たまりもないだろうが、所詮は仮定の話だ。「起こりもしない危機を憂うのは無駄というものだろう」と言い捨てると、付き添う全員が呆れたような納得したような顔になった。
「おまえの豪胆さを俺は尊敬するよ……」
ジェスが小さくシグマの後ろで呟くのが聞こえたが、反応を返すことはしない。
先導をしていたティーリスの者が足を止めると、向き直ってシグマに軽く目礼をした。
「こちらです」
「御苦労」
一言述べて、シグマはざっと全体を見渡した。他の者の目を遮る意味でだろう、場を四角く区切る形で幕が渡されていた。中の様子は見えないが、おそらく既に向こう側の人間は席についているはずだ。
(そして――)
ふと、シグマは思い当たって眉を潜めた。
確か、ミゼットからも急遽、交渉役として外務から人材が派遣されていた。
「あくまで軍事だけにとどめておかなけりゃ、軍上層部に国を喰われかねんからだろうな」とは、ジェスの言だが、本当に上は自分を危険視しているのだろうか。
思い出して、淡く冷笑を口元に浮かべた。
(――それほど私が怖いか?)
頭の端で薄くそんな思考を巡らせつつも、足を踏み出した。幕の中に入り、ティーリス側の人間を視界に入れた瞬間、シグマは違和感を覚えた。
「……やはりか」
「?」
相手が居る手前、好き勝手に発言はできない。ジェスが『どういう意味だ』と目で問うてくるが、シグマはそれに『気にするな』と返した。それからさらに少し考えると、付け加えるように唇だけを動かした。
『直に分かる。会談が終了したら、私以外は全員で急いで外に出ろ。いいな?』
『……了解。よく分からんが、とりあえず危険の気配はびんっびんにするな』
ジェスが無表情のまま、目をくるりと回した。目は口ほどにと俗に言うが、まさに今の彼ほどその言葉を体で表した男も居るまい。
シグマとジェスがそれぞれアイネとリザを伴って席に着くと、会談は始まった。
交渉役とは事前に何の打診もされていない。つまり、おまえは何も喋るなと言われているということに等しいはずだ。現に、シグマは紹介の際に軽く目線で会釈をしたのみで、一言も発する機会も必要もなかった。
静かに、しかし確かに空気を震わして、相手に威圧を与えようと重い声が飛び交う。発言権が与えられていないのを幸いと、その傍らで、シグマはひっそりと改めて現状の認識を行っていた。
そもそも、事の発端からして通常とはかなり様相を異にしているのが今回の会談だ。
ティーリス帝国が内乱を収めようとするなら、なぜ素直にミゼット国に遣いを出さず、敢えて軍事衝突という形で戦闘を引き起こしたのか。
相手がただの民衆ならばいざ知らず、彼らは立派に国家としての体裁を成している。その行動は正当な手段を踏まなかったどころか、さらに回り道をしてきたようなものだ。国家の損失を最小限にとどめる努力をするならば、全く見当違いも甚だしい手段である。
戦闘で兵を消耗し、さらに利益を差し出す事でミゼットの協力を得ても、そこから彼らは強引にティーリスの脇腹に喰いついていくのは間違いない。
するとこれは完全にティーリスの損にしかならない、得に繋がるとも考えにくい。
だとすると。そこでシグマはティーリスとミゼットの相関図を頭の中に描き出し、二つの国から離れた空白部分に、もう一つの要素を置いた。大抵、第三者の視点といくつかの材料を加えれば、面白いように絵柄は様変わりする。
さぁ、損な役回りでこれほど下手な芝居をティーリスに打たせ、得をしたのは果たして誰か。
ジェスに話したのはその一端だ。彼も現在、シグマから得た一端を元に、目まぐるしい速度で事の全貌を描き出している事だろう。
自分に内乱の平定がある程度任されるとしたら、乱を収めるのは不可能ではないだろう。ティーリスも会談でシグマをミゼットに派遣して欲しいと要求している。
しかし、敢えて自分である必要がどこにあるだろうか、と思うのだ。
だから、そこから思考を進め、シグマはこの内乱の原因に踏み込んだ。
天候不順。しかも、ティーリスの国土の大部分で同時に発生した異常気象。それがどれほどの範囲に及ぶのか、彼の国で内乱の勃発以前にその気配を察知した時、調べた甲斐があったというものだった。
明らかに自然が引き起こしたものではない。断じてない。
これは確実に何者かによって引き起こされた内乱なのだと、シグマは信じて疑わなかった。
その根拠こそ、この土地で起こった大地の奇妙な差分だったのだ。
(「なんだありゃ……国境付近で地面の様子が手前と向こうでずいぶん違うぞ」)
(「干からびているだろう。ティーリス側が」)
(「いや、分かるが変だろう。こっちとあっちでそう日の照り方や土の質が違う訳がねぇ。雨だって降ったはずだ」)
世界の理に干渉する者。異常気象が引き起こされたのを感じて、それをティーリスの国境まで押し戻したのは、ティーリスを窮地に陥れた彼らと同じ法を扱う者たちだ。
真に己の領分を越え、不可侵を犯したのは、果たしてどちらか――おそらく聞くまでもない。シグマは確信を持って答えに辿り着いていた。
(あれらもずいぶんと堕ちたな)
呟き、口元を覆った手に隠れて、クッと唇を歪めた。
会談も終盤に差し掛かったかと思われた時、にわかに外が騒がしくなった。
「? 何だ?」
後方でジェスがぼそりと零す。ティーリス側も異変を感じたのか、立ち上がろうとしている。
同じく腰を浮かせかけた周りの三人を制すと、シグマは横目で彼らを見やり、獰猛な気配を交えて微笑した。
「伏せておけ。――来る」
言い終わるが早かったか。
外の喧騒が一瞬、不自然に途切れた。
奇妙な静寂に一同が首を傾げるより先に、シグマは副官アイネの襟を掴み、自分諸共地面に引き倒す。
「ぁっ――」
彼女が上げたはずの声は、爆風によってかき消された。
申し訳程度に視界を遮っていた天幕は呆気なく宙を舞い、舞い上がった土煙の中を陽光が微かに照らして、独特の世界を描く。
口元を服を引き上げて隠すと、シグマは隣を窺った。ジェスも無事に妹を庇って伏せたようだ。まともに爆発を喰らったのは、ミゼットの外交官とティーリス側の全員といったところだろう。
こほっ、と僅かに気管に入った塵に噎せてから顔を上げると、シグマは改めて荒々しく笑う。
「出て来たな、路地裏鼠」
「そりゃ、モグリの俺様のことを言ってんのか? 鼻垂れ小僧。面倒な場面にせっかく登場したのに、そりゃあんまりだなぁ」
笑いを含み、滑らかに男の声がする。渋みを含んだそれからは、一つの道を究めた者にしか許されぬ響きが感じられた。
ざりっ、と砂利を蹴散らし、未だに立ち込める煙を吹き払って現れたのは、派手な衣装を纏った男だった。
「闖入者が――何者だ!」
近くから、苦しげながらも苛立った声が上がった。
こちら側の外交官だろうか。余計な口を挟んでくれる、とシグマは眉を潜めたが、男はにやりと凄絶に笑って、小さく口笛まで吹いてみせた。
「エリアス・トライド――しがねぇ翠の魔術師さ」
翠、と口にした男に、シグマは目を小さく瞠る。
――翠?
こちらの疑念を察した様子もなく、ふんぞり返る男の後ろに、大小二つの影が煙の中から現れた。
「“元”でしょう、“元”。トライド氏、過去にこだわるのは止しましょうよ」
現れたのは、ひょろりと細身でどこか飄々とした雰囲気の若い男と、
「そーそー、今となっちゃただのモグリもいいとこっすから」
規格外に膨れ上がった体を、折れそうなほど短く小さい足――まさしく“豚足”――で支える肥満体型の、やはり女。
「黙れよテイワー、トースキン。俺はまだまだ――」
言いながら、男は悪戯好きな少年のように、きゅぴん、と目を光らせる。同時に、轟、と手に持った獲物を振り回した。
凶悪な大きさの、獅子頭の“メイス”を。
「――現役だぜ?」
「「知ってる」」
凸凹コンビは男の後ろで、それぞれ太い鉄棒と白い陶器でできた魔術師の杖を前方に突き出し。
奇天烈な魔術師三人組の、強烈に過ぎる魔法が炸裂した。
三人組登場!
しかし……ここで、一旦半年以上の更新ストップになります。
詳しくは活動報告にて……orz