chase-14:八割方がアレのせい
ラグナとスイートをつけていたのは、若い黒髪の男だった。
スイートの強烈な薬品のおかげで涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっているが、顔はまぁ見れる程度といったところだろうか。服装も普通にどこかをぶらぶら歩いていそうな感じの人間で、全く追跡の技術に長けているように見えない。
ラグナが眉を潜めて縄で縛られた男を見下ろしていると、スイートが隣で、荷物から取り出したマッチに火をつけた。途端に、ばっと明るい青色の炎が空中で燃え上がる。
「燃やせばただの煤になって無毒化できるんだよ」
「……なるほど」
何をどうしたらそんな便利な劇物が作れるのか。
知りたいが知りたくない。微妙な心境だったラグナは、スイートの作る薬についてはすっぱりと忘れることに決めた。
さて、問題は男の方だ。
薬品を無毒化した後、スイートは男の傍にしゃがみこんだ。抵抗を防ぐ少し特殊な縛り方をしていたので、そのあたりを緩めたのだろう。
「――ん、よし。これで安全。一丁あがりだよ、ラグナ」
手を叩いて払うスイートは、きっともうそこらの暗殺者などでは敵わないに違いない。ラグナは密かに思った。
「……にしても。この男、結局どこから来たんだろうね? 薬のせいでしばらくはまともに喋れないだろうし……いっそのこと神経焼き切れちゃうくらい強烈なアレとか使おっかな?」
「……スイート」
「ん? なぁに、ラグナ」
「捕縛者と向き合うのは一向に構いませんが……拷問方法なんかは、にこにこと考えるものではねぇと思うのでごぜぇますよ?」
「……ん?」
スイートの笑みが固まる。
そこに、溜息一つを落として、ラグナは止めを刺した。
「それじゃあのアホンダラと同じでごぜぇますからね?」
「………………」
スイートからの答えはない。
しかし、たっぷり数十秒そのまま停止していた友は、静かに荷物から『刺激消し』とラベルの貼られた霧吹きを取り出した。
そして、ぷしゅっとひどく気の抜けた音と共に、無言で中身を男の顔に吹きかけたのだった。
仕切り直して、ようやく尋問が始まった。
男の頭の上から、王犬の片割れが尾を振りながらラグナをじっと見つめてくる。
銀色の小さな額を指先で掻いてやりつつ、ラグナは口を開いた。
「それで、あなた様はいったいどこから来たんでごぜぇますか?」
「……ディーリズ……」
ろくに舌も回らない様子で、男は項垂れながらも、ぽつぽつと尋問に素直に答えていった。
曰く、自分はティーリス出身で、依頼を受けて間者として活動するのを生業にしていること。
曰く、ラグナとスイートを追っていたのは、ティーリスに雇われたからだということ。
しかし、
「……何ですって?」
「反乱軍?」
――男は、ティーリスの反乱軍に属していた。
男の話を聞き終えたスイートは、狐に摘まれたような顔で、「反乱軍……」と繰り返して呟いた。全く訳が分からずに混乱しているようで、こめかみを叩いて考えている。
ラグナはしばらくぼんやりとしていたが、はたと気づいて訊ねた。
「ということは、国に言われて私たちを追っていたのではなかった、ということでごぜぇますか?」
「そうだよ」
ラグナの問いに、男は拗ねたように顔を背けた。
「大体、国に雇われるような間諜が、ここまでぺらぺら吐く訳ないだろ。……故郷の連中に頼まれたんだよ。ある魔術師の女がミゼットにいるから、探して生け捕りにして来いってね」
「ってことは、君はまさに反乱が起きているティーリス北西部から来た、と」
スイートが整理するように言って、ラグナもまたその事実に目を瞠った。
「ティーリスでは内乱がそんなにひどくなっているのでごぜぇますか?」
「少なくとも、反乱を起こした連中は相当頭に来ているね。国への不満が爆発したんだろう」
男はげんなりと言った。
「ここ数年、ティーリスは空の様子が異常だったんだ。例えば、時期的には春なのに、俺たちの住んでいた場所は重く雪が降り積もるぐらい寒かった。かと思えば夏の陽射しは容赦なく照りつけて酷暑で病人が多く出たし、たまの雨はまとまって降りはしても、水害ばかり引き起こして、大地を潤すことはなかった。おかげで農地は壊滅、頼りにしていた山地の湧き水も今年は例年より少ないそうだし、飯の種どころか、今日明日を生きるのでさえ危ないかもしれない、って状況かな」
「国はきちんとそれに対応しなかった?」
「しなかった。というよりできなかったのかもしれない。異常気象が起こったのは北西だけじゃない。全く反対の東南でも起こっているらしい……北西部より影響は大分少ないそうだが。それに、数年前に、おたくとでかいのをやらかしてるしな」
「でかいの……ああ、スヴェナ戦争」
スイートが納得して頷いた。
「確か、当時のシグマ・アルスミード少佐が劣勢に立たされたミゼット軍内で上層部を動かして、大逆転の勝利に導いたんだっけ?」
「ちょうどあのアホンダラが名を流し始めた時期でごぜぇましたが、また悪い時分にウチに喧嘩を売りましたね? 向こう数年立ち直れないだろうってどっかの国で経済論者が苦笑するぐらいの大負けだったんでごぜぇましょう?」
「……うん……分かっちゃいるけどさ……面と向かって言わないでくれないか……」
男は肩を落として意気消沈していた。
「トラクでの軍事衝突の話は聞いてる。だけど、ミゼットの助力なんか、ティーリス帝国は端から当てになんてしてないだろうさ。目的はシグマ・アルスミードただ一人。その為の手はもうすでに打ってあって、あとは必要なものを手に入れるだけなんだから」
「必要なもの?」
「分かるだろ?」
スイートの問いかけに、へら、と男は笑みを浮かべる。その力の無さに、ラグナは薄ら寒いものを覚えた。
しかし、笑みを消した男は、先ほどの気迫の無さが嘘のように、静かにこちらを見つめてきた。
「あんただよ。『翠の魔術師』」
一瞬、激しく全身が震えて、稲妻が身体を通り抜けたかと思った。
「あんたがティーリスの明日を左右する。魔術師連合がそう言ったんだ」
――青天の霹靂のように、ぽたりと、男の言葉はラグナの胸に染み込んだ。そして、染み込んだ言葉は容赦なくその心を打ち据えたのだろう。
急に重くなった鳩尾を押さえ、ラグナは絶句して目を見開いていた。
「……魔連?」
隣で、何か糸が切れたように、スイートが呆然と口にする。
どうして、と唇が動く。
「何で、そこで魔連が出てくるんでごぜぇますか……?」
聞かれて、何がひっかかったのか、男は妙な顔をした。
「ありえねぇでごぜぇます。魔連は普段、特定の国の政情なんかに口出ししません」
ラグナは首を振った。
「そうなのか? だが、反乱軍の奴らが出会ったのは間違いなく魔連の魔術師だったそうだぞ?」
男の言葉に、ラグナは眩暈のする心地を覚えた。
魔連は魔術師の人権を守るためだけに作られた国際組織だったはずだ。魔術師を保護するための活動をするならまだしも、一国の内乱に介入するなど、ありえない。
しかも、自分はその駒になっているという。何が起こっているのか分からなくなってきた。
「ああ……そういうことなんだね」
スイートが顔を歪めて苦々しげに呟いた。
「ラグナ、まずいことになったよ」
呼びかけられて、ラグナは顔を上げる。スイートは眉根を不快そうに寄せて、男を睨んでいた。
「帝国自体からも、ラグナを捕まえる動きはあるはずだね?」
「十中八九、確実に」
男は小さく頷いた。
「スイート、まずいとはどういうことでごぜぇますか」
「どういうことも、まずいことになったからまずいって言ってるんだよ、ラグナ。ティーリスは国が二つに割れかかっていて、しかもボクらはあの少将に加えて、さらにティーリスの反乱軍と政府軍の両方からも狙われる羽目になっちゃったんだから。……ああもう、悪夢だ。何で鬼畜将軍に加えてこんなにしち面倒なのばっかりくっついて来るんだろ!」
「や、この事態は良く考えたらほとんど全部あのアホンダラのせいでごぜぇますからね?」
ラグナはぼそっと呟いた。
天候の悪条件は抜きにしても、この内乱を起こすことになったのは、国側が先のミゼットとの戦争で、シグマの指揮によって大敗し、民衆の生活の保障ができなくなってしまったからだ。
そしてまた、今までの態度を一転してミゼットに助けを求めるほど内乱平定に困ったティーリスは、かつて苦しめられたシグマの手腕に縋る思いでもあるのだろう。腸が煮えくり返るかよじり切れるか、とにかくよほどひどい思いで決断しているのかもしれない。
反乱軍は反乱軍で、なぜかラグナを呼び込もうとしているが、帝国側がラグナがシグマの愛人であったという情報を掴んでいるため、あちらにも情報が渡っている可能性は高い。そこにどうして魔連の魔術師が絡んでいるのかは、ひょっとしたら直接確かめる必要があるが。
だがしかし。
どう考えても八割方、これはシグマが原因で起こった内乱ではなかろうか。
ほぼ暴論に近いと言われそうだが、なまじっか真実であることが一番の迷惑だとラグナは思った。
(てめぇの尻拭いはてめぇでやってほしいものでごぜぇますよ……)
思って、密かに溜息を吐く。
「――別に俺は、あんたを連れて来ることにはこだわっちゃいないよ。どっちでも良かったんだ。内乱なんかで故郷の奴らが不幸になるのは避けたかったが、だからって協力をしたい訳でもなかったから……魔連が絡むのも納得できていない。俺はそれが必要だと判断するなら、あんたたちを反乱軍と政府軍の両方から隠してリディンスに連れて行くつもりだった」
「ふぅん? で、それを信用しろってボクらに言う訳?」
渋い顔でスイートが聞き返したが、男は軽く肩をすくめただけだった。「信用に足ると証明しろ」と言われても、何とも言いようがないのだろう。
しかし、彼がティーリス国内に詳しいとなると、これは……渡りに船、なのかもしれない。
「……連れて行きやしょう」
「ラグナ?」
スイートが驚きと困惑の声を上げたが、構わずに男の前に出ると、ラグナは彼の青い目を見据えた。
「名は、何と呼べばいいのでごぜぇましょうか?」
「……え、と、」
きょとんと目を丸くして、彼はうろたえながら、
「ス、レイ。スレイ・エフシュタン」
「では、スレイ。まず私を、北西部まで連れて行ってくだせぇやせんか」
「ちょ……ラ、ラグナ」
振り返ると、ラグナは微笑む。
「スイート。こればっかりは、実際に行って何が起こっているか、見極める必要がありやせんか? 駄目だと思ったら、私の魔術で逃げればいいのでごぜぇますよ」
「……そうだなぁ」
スイートは落ちてきた前髪を後ろへ撫でつけてから、少し唇を尖らせた。
「確かに、情報は少ないものね……仕方ない。ラグナがそこまで言うなら、しばらくは良いよ。でも、変な真似をしたらすぐにその辺に縛って転がしてうっちゃってくからそのつもりでね」
スレイはほっとした様子で息を吐いた。
「ああ。しばらくよろしく頼むよ」
今回は全てラグナたちティーリス組の回。
次回はちょびっとシグマらトラク組が登場します。