chase-11:ナイスショッキング!!
「はぁーい、ちびちゃんたち、おとなぁしくしてるのよー?」
にっこりと顔に貼り付けた笑みに、びくっと二つの黒い毛玉が震えた。
サイズが縮んだ王犬二頭は互いにぴったり身を寄せ合って、シャワーのノズルを握ったディートからにじにじと後ずさる。タイルの上を湯が走るのを見て、一層怯えた様子で、きゃん、と哀れな鳴き声を上げた。
じりっ。
にじっ。
じりっ。
にじっ。
じりじりじりっ。
にじ……。
「ふ、壁に追い詰めたわ。さぁ逃げ場はないわよ。さっさとシャワーの餌食になりなさい! ほほほほほぶっ!」
覆いかぶさるように飛びかかるが、ぱっと散った二頭の前に、しこたまタイルに頭を打ち付け、ぐったりと腰から脱力した。
――良い音が響いたものだ。
めげずにむっくり起き上がると、さらにびくつく王犬らに構わず、あいたたた、と額を擦った。
「――もー、どーしてこんなに水嫌いなのかしら。リディンスの山にだって冬なら雪はどっさりあるでしょうに……」
あれか。
大男なのがいけないのか。
それともターバンよろしくタオルでまとめ上げた髪がお化けなのか?
「……ノーパン半ケツズボンだからではないのでごぜぇますか?」
「あらラグナちゃん。あなたもワタシに洗われに来たワケ?」
浴場の入り口でドア枠にもたれるように立っていたラグナは、ディートの顔を改めて見ると、「額が割れてますよ……」と引きつった顔で呟いた。
額を触っていた手を見ると、水気に混じって確かに赤いものが滲んでいる。
「あらホント。やだわ、こんな割れたコブ作ったらお化粧したって台無しじゃないの」
「むしろタイルで頭打ってぴんぴんしてるディートが恐いんでごぜぇますが。あと洗われるのは結構でごぜぇますよ」
「ふぅん、つれないのねぇ……これでも結構、鑑賞に堪えるカラダ作りはしてるのよー? 伊達にペンネ家のアタマやってないわ。ていうかラグナちゃん、この程度で気絶してちゃ、とっくの昔に拉致監禁拷問暗殺、一通り何でもやられちゃってるわよぉ」
へらへら手を振って笑うと、少女は透き通った緑の髪を揺らして、くすっと肩を震わせた。
「久しぶりに会いましたが、ディートはディート。やっぱりスイートの親でごぜぇますね」
「うふふふふ。ありがとう。人格と身体のミスチョイスで有名な一家だから、そこは誇ってるのよ」
という訳で。
「……申し訳ないんだけど、お手伝いしてくれないかしらん?」
「ええ、多分そうだろうと思いました」
二兎を追う者は一兎も得ず。
しかし、追う方の頭数が増えれば別である。
結局、石鹸片手に二人で王犬を追いかけ回し、数分後には黒い毛玉たちは丸洗いの刑に処される事になった。
*
「ふうん。じゃあラグナちゃんは結局、リディンスに行くことにしたのね?」
「あい。あの鬼畜はトラクの軍事衝突に数日はかかり切りでしょうから、その間にミゼットから出てティーリスを通り抜ける予定でごぜぇます」
しゃくしゃくしゃく、と指先が王犬の毛を揉む度に、黒い身体が白い石鹸の泡に塗れていく。
王犬をまとめて洗っているラグナの横で、ディートは鏡を覗き込み、割れた額に消毒液を塗っていた。
後は厨房から持ってきた氷袋を腫れた部位に当てておけば問題ない。あまり怪我しないで下さいよー、と、苦笑するファミリーの声が耳に痛かったが。
「行方不明だったラグナちゃんが見つかったって嬉しそうにして出て行ったから、特に心配してなかったのにねぇ……スイートもまさか、あなたがあんな厄介な相手に目をつけられたなんて、思いもしなかったでしょーね」
ちら、と横目で見やれば、乾いた笑いが少女から上がる。
「で? あの冷血漢にひどいことはされてないの?」
「ひどいことと言いますか……そうでごぜぇますねぇ」
言いながら、ラグナは「何がひどいことなのやら、あんまり判別つきやせん」と笑ってみせる。
「…………、」
ディートには、その笑顔がひどく痛々しいものに思われた。
幼い頃から知っている少女は、良く笑う。
しかし、その裏には必ず数え切れないほどの涙が潜んでいることを、親友であるスイートや、彼女の成長を見守った大人は誰もが知っている。
そんなラグナは、今回も無意識に悲鳴を上げていることを自覚していなかった。
『あの男』の手中に収められて、その上更に自分にされたことごとのひどさの判別がついていない。
裏を返せば、それだけ多くのことを強いられたのだと暴露しているようなものなのに。
「……ふてぇ野郎だ。今すぐに行ってそのタマとってやろぉか」
「はい?」
「いーえ、何でもないわよ」
問い返した少女に、にっこりと笑みを刻み、ディートは頭を振った。
いかん。地が出た。
「それにしても……うちの人はどーこをほっつき歩いてるのかしらねー……」
浴場の天窓を見上げて、現在家に不在の妻を想う。
ラグナ同様、気付くといつの間にかいない人物の筆頭であり、放っておくと予想外の無謀な行動に出てしまう、じゃじゃ馬を体で表したような人である。
「まぁどうせ、今日もどっかで機関銃ぶっ放してるのよね。あーあ、スマートじゃない。汚いじゃないの」
もっと、こう、弾丸一発で状況を一変させるようなスタイルが良いと思うのだが。
その点ラグナを鬼畜将軍から引き離した時のアレは気持ち良かった、と更に思考が派生し。
「……ディート。ディート?」
「なぁに?」
「手元のソレは一体……」
聞かれて、ディートは手元に目を落とす。
消毒液を染み込ませた綿棒を持っていたはずの手には、黒光りする拳銃が握られ。
もう片方の手には、分解用の自家製万能工具が握られていた。
……どうも妻のことを考えると、気付けば手持ちの銃を弄ってしまうらしい。浴場では湯に浸かったりすると僅かな温度の変化でパーツが歪むかもしれないのだが、それすら忘れていたようだ。
どっから取り出した、と言わんばかりの目で見つめられ、ディートはじっと拳銃を目の前に掲げる。
「……んー、」
拳銃の中の弾数を軽く数えてから、安全装置を外す。
「どー説明しようかしらねー……」
ぼやきながら、
素早く立ち上がる。
身体を捻るように振り向き、
天窓へ銃身を向け、
撃った。
バラバラとガラスの破片がタイルの上に落ちる。
騒々しい音に混ざって、慌てたように屋根の上を走る音がした。
「逃がすかネズミ」
舌打ちしてから、立ち上がって声を張り上げる。
「ファミリー! 追っちゃって!」
ディートの声に、あちこちから応と家族たちの声が上がった。
「全く……油断も隙もありゃしないわね。ティーリスからの諜報かしらん?」
取り逃がしたか、と目を細め、ラグナを振り返る。
そういえば発砲した割には、王犬を含めてやけに静かだったが。
「大丈夫? ラグナちゃ…………」
ん、と言う前に、音が喉の奥へ消えた。
少女はぎょっと目を見開いて、ある一点を凝視している。
洗われている王犬らも、ぱちくりと金色の目を瞬いてこちらを見つめていた。
一人と二頭の視線を辿ると、全て同じ場所に行き着く。
つまり、ディートの腰の辺り。
何かすーすーする
思った瞬間、ディートはひくっ、と頬を引きつらせた。
永遠にも思われた長い数秒の後、ラグナは何事もなかったかのように顔を元に戻し、わっしゃわっしゃと王犬を洗い始める。
二頭の下洗いは済んだので、一頭ずつ念入りに。
「…………ラグナちゃん」
「何も見てません何も見てません」
「………………ラグナちゃん?」
「洗いの基本!」
「!?」
突然少女の口から飛び出た大声に、泣く子も黙るペンネ家の当主はびくっ!? と震えた。
「水はぬるま湯!」
「色物と白物は分けて!」
「無生物は適当に! 生き物はイタキモで! 指の腹と手の平でまんべんなく揉む!」
いっち・にぃ・さん・し、とリズミカルに揉まれ、気持ち良さそうにタイルの上にのびる黒い毛玉。
ぷらす。
ぐがぁああ!と理解不能な雄叫びを上げて現実から洗濯に逃げる緑のチビ魔術師。
ぷらす。
それらを羨ましそうに眺める黒い毛玉もういっちょ。
異様だった。
焦ったのはディートである。慌てて足首のあたりでぐずぐず潰れていたズボンを引き上げると、ラグナを正気に戻しにかかった。
「これぞ洗濯の王道! 師匠のドロッドロ服に鍛え抜かれた洗いの技術舐めんなやぁあああああ!」
「ちょっとラグナちゃん!? 本当にごめん、悪かったからこっちに戻ってきてぇええええええ!?」
数秒経った。
当主の声に何事かと駆けつけてきた家の者たちは、事態を把握しきれずに呆然と突っ立った。
数分経った。
手に負えないからと呼ばれてきたスイートは、「何このナイスシュール?」とコメントを残すが、やはり事態の沈静化には至らず。
十分ほどを過ぎたところで、ラグナが「ん?」と王犬を洗う手を止めたところで、ようやく解決の糸口が見えた。
「何でごぜぇますか、これ?」
「……んん?」
事態を傍観していたスイートが覗き込んで、あれ、と声を漏らした。
「何? 王犬は黒いんじゃないの?」
続いて、ラグナの暴走が収まったことにほっと胸を撫で下ろしつつ、ディートが参加。
「あら、汚かったのかしら?」
何だ何だ、と集まる野次馬が不特定多数。
「おお?」
「黒くないのか?」
「えっちょっ見せて見せて」
「押すな」
「見えねぇよ」
「どうなってるんだ?」
「……あんたら。ちょっと外出てなさい」
堪りかねたディートによって、浴場から野次馬は外に追い出された。
改めてラグナとスイートとディートの三人で、洗っていた王犬二頭を覗き込む。
ちょうどラグナが緩めに放水するシャワーを王犬に当てて、さっと全身の泡を洗い流したところだった。
排水溝へ向かって流れる、大量の真っ黒な泡。
心なしか、王犬の黒い体色が少し薄くなったように見える。
顔を見合わせていると、一人の小間使いが、あのー、と浴場の入り口から声を上げた。
「ここに、ペット用のシャンプー買って来てあるんですけど」
『しつこい汚れに効く! トリマーも愛用』の謳い文句が目につく鮮やかなオレンジのボトルを、ラグナが黙って受け取った。
改めて洗い直した結果。
王犬二頭は体毛が黒色ではなく、見事な銀色であったことが発覚した。
前回の次回予告カンペキ忘れてました(--;)