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六畳の楽園

作者: 江藤ぴりか
掲載日:2026/07/27

 肉のかせを外したい。

 いつからそう思うようになったのだろうか。俺は部屋中に膨らませた風船たちを見て、考えた。

 そうだ、あの時からだ。




「いつまでも新人じゃないんだからさ。いい加減、仕事覚えてくれないかな」

「はい……」


 俺は年下の上司の呆れた顔に頭を下げた。


「はい、じゃなくてさ。今回の石田さんのミスで色んな人――社内や取引先に迷惑がかかったの。もちろん、消費者にもね。自主回収によるうちの損失額もわかってる?」

「…………」


 頭を下げたまま、顔から落ちた汗を床に垂らした。


「八千万。ねぇ、うちが中小企業だからこの額で済んだけど、会社には大きな痛手になってるんだよ?」

「わかっています……」


 重いため息の音と、机を指で叩く音。

 後ろの方では「また石田さん?」「中山さんも相当苛立ってるな」というヒソヒソ声が。


 バンッと机が叩かれ、俺の肩が跳ねる。


「わかってたら、何度も繰り返さないよね? 始末書を書いても、日報の提出を義務付けても、一向に改善されない。これは石田さんの能力不足と言っていい」

「……はい」


 俺だって向いてないって思ってる。なのに、ここに配属したのはお前らじゃないか。

 あごに力が入り、目をぎゅっとつぶる。


「もういいよ。言ってもわからない人には響かないだろうから、席に戻りなさい。今回の処分についてはあとで通達する」

「本当に……申し訳ありませんでした……」


 やっと解放された。

 胸をなでおろし、表情に出さないよう気をつけて自席に戻る。しかし、俺の仕事はもうなくなっていた。机に置いていたはずの書類や資料は、誰かに片付けられ、周りを見渡す。社員たちは目をそらし、忙しそうにPCとにらめっこをはじめた。

 せめて書類整理でもと席を立ち、資料棚に手を付けようとしても、女性社員に「石田さんは休憩に行っててください」とあしらわれる。


 ここに居場所はなかった。


 当然だ。

 三十過ぎてミスも多く、話す仲間もいない。おまけに今回は自主回収までいってしまった。

 でも、仕方ないじゃないか。二十八歳の時に、総務から営業部門に異動を命じられて「商品知識がない」「営業能力がない」と言われ続け、自分なりに商品の知識を調べても、営業のノウハウを本で学んでも報われることはなかった。

「それくらい、業界じゃ常識」

「勉強不足。周りに積極的に教えを請う姿勢を見せろ」

「本なんて当てにならない。意味のないことをするな」

 ……そうした言葉に俺は人に声をかけることも怖くなってしまった。

 誰も俺に商品のことも営業のなんたるかも教えてはくれなかった。


 もし、日曜日にやっているヒーローものなら、人望も知恵も勇気も持っていたんだろう。でも、俺にはなにもなかったのだ。

 ポイキュアでもいい。誰か俺を助けてくれないか。


小太郎こたろう、大丈夫だよ! わたしたちがついているんだから、へーきだよ』


 ああ、さやかちゃん。そうだよな。


『明日はもーっといいことがあるさ! アタシが言ってんだから信じろ』


 うん、あかねの言うとおりだよ。


 源太げんた、ジロー、防衛軍のみんなもそう思うよな。


『ったりめーだろ? くよくよすんな、前を見ろ』


 うんうん。俺はまだ大丈夫。大丈夫なんだ。




 ――パチン。

 記憶から意識を引き戻す。そして、部屋を埋め尽くす風船をまち針で割っていく。

 けたたましい破裂音が部屋の四隅を埋めて、ラテックスのにおいで満たされいく。


「ああ、いいな」


 ぷっつりとした面を針で刺すのがたまらない。




 チャイムが鳴る。

 今日は裏紙を切断して、みんなのメモ帳を作ることに専念する一日だった。

 上司の中山は貧乏ゆすりをやめなかった。


 いいんだ。俺には源太もジローもさやかちゃんもあかねちゃんもいる。決して孤独な独り身ではないのだから。

 そうだ、三日もすればみんなに会える。週一なのは悲しいけど、BDもあるから今日はそれを観ながら晩酌にしよう。明日、会社に行くための自宅飲み会だ。


「……っさ、です」


 俺は定時とともに退勤する。できるだけ、目立たないように。小声で挨拶もしたから、面目も立つだろう。


 定時上がりでも電車は混雑している。みんなの顔にはクマができていて、お疲れ顔だ。

 窓に映る俺の顔は頬がけてはいるが、疲れている様子は見えない。


(……ほうれい線が目立つ年頃か)


 ガタゴトという音に合わせて車内が揺れる。でも皆、よろめくことはない。ただ、吊り革だけが振り子のように揺れている。




 俺はまた風船を膨らませていく。

 六畳を埋める数に足るか不安だったが、その心配は杞憂だった。まだ開けていない段ボールもふたつある。


 さすがに息があがっていた。

 小型の空気入れを取り出し、風船の口にはめて、に力を込める。シュッシュッと音を立てるたび、ラテックスが空気を受け入れていく。


「やっぱり、いいな」


 なすがままに、ただ受け入れるしかない。




 スーパーの半額弁当は当たりだった。唐揚げ弁当、中華弁当と選びたい放題だ。しかし、油断はするな。狩人は俺以外にもここを主戦場にしている。

 手早く中華弁当を選び、買い物かごに入れる。落胆の声が右から漏れてきた。悪いな、俺もここの常連だ。

 そして酒のコーナーに立ち寄り、発泡酒とサワーを何本かカゴに放り込む。会計二千円ちょっとをセルフレジで済ませた。


 そして帰宅後。

 俺は風呂を済ませて部屋着に着替える。酔っ払ってもいいように、準備を整えたのだ。

 カラフルな魔法少女のパッケージを手に取り、円盤をプレーヤーに差し込む。プルタブを開けて一口飲むと、今日の嫌なことが頭の中に流れ始めたが、ポップなオープニング曲がそいつを霧散してくれた。

 台所で電子音が鳴っている。温まった弁当を開けると、眼鏡越しのテレビ画面は白く曇った。

 タイトルコール、前回までのあらすじ。

 さぁさぁ、やってきたぞ本編。チャーハン、発泡酒、純粋な少女の笑い声。酒のツマミに少女の弾んだ声を。餃子の旨味に敵の口上、戦闘シーンには肉だんごを添えよう。

 サワーに手をつけ、勝利の美酒に酔っていこう。


「ああ、サイコーだ」


 BDの再生が終わる頃には酔いも回って、そばにあるベッドに寝転がってスマホをいじっていた。


「ポイキュアっと」


 検索窓に入力すると、感想動画やコミュニティ欄にはイラストが並んでいた。ショート動画を見漁ってスクロールする手が止まった。


「なんだ、これ」


 そこには風船のように丸く膨らんださやかちゃんが頬を赤らめ、笑っている。

 正直、なにを見たのかわからなかった。でも俺の手はいつものように画像をダウンロードしている。


『@パチンとぽいきゅあ、@天駆ける剣、@オルフェン、リクありがと』


『かわいい』

『はーい(絵文字)』

『ありまと。ぱちん』


 書いてあることも意味不明すぎた。

 チャットAIに聞けばわかるか? 画像はダウンロードしてある。そうだ、聞いてみよう。




 空気入れで膨らますのも体力を使う。汗で湿った手で風船を触ると、ギュムッとラテックスが軋むのだ。そのままこするとツルツルした感触が指に、手に、肩に、脳に伝わり、俺は呼吸を荒くする。

 ひとつ、またひとつと口を縛っていき、膨らませた風船は部屋にふわりと投げる。


 こうした行動の結果は六畳の部屋を埋める俺の理想郷だった。

 そしてまたまち針で刺して、床にはラテックスの残骸が残っていくのだ。

 ティッシュの中のスペルマのように。快楽の代償は薄汚い肉の枷の証。


 俺もこいつらのように膨らんで、パチンと弾けて無くなってしまえば魂もろとも空に還れるのにな。




『これは風船化と呼ばれる嗜好で、破裂を好む〝ポッパー〟、好まない〝ノンポッパー〟などに分かれます』


 ああ、なるほど。()()()()()


 なんでも教えてくれるチャットAIは本当に優秀だ。俺もこいつくらい優秀だったら、会社でも源太のように活躍できるんだろうな。



 それからは早かった。

 俺はピクセブやSNSでタグを検索し、画像を片っ端からダウンロードした。


 そうだ、そうだ。気づけば毎日タグを追うようになっていったんだ。

 かわいい女の子たちがされるがままに風船にされていく。体が丸く膨らむもんだから手足がおまけに見える。パタパタと抵抗するが、受け入れるしかない。嬉しそうだったり、泣き顔だったり、キャラによって作者によってされるがままなんだ。


 ああ、いいぞいいぞ。

 肉の枷から解き放たれて割れてしまう漫画も、ビルより大きくなってどうにもできなくなって。

 そうだそうだ。肉体なんてクソくらえだ。さぁ、人類は風船になって解き放たれるんだ。

 彼女たちは人類の希望だ。二次元の中だけだけど、彼女たちは自由なんだ。


 そこで俺は会社で風船になって、周りが目の前の出来事にただ見守るしかない。すると、俺は弾けて、ラテックスの残骸になって俺のクソみたいな人生はそこで終わり。騒ぐ社員の声も俺には聞こえない。


 俺は自由になれるんだ。




 風船たちはまた部屋から消えてしまった。正確に言えば、俺が俺の意思で風船を割っただけなんだがな。


「……今日はこのくらいにしておこう」


 部屋のテレビからは、戦う魔法少女のアニメの音声が再生されている。


 ああ、ここでは誰も俺を否定しない。

 ただそれだけでよかった。


 また明日からはコピーの依頼に、メモ帳の作成。シュレッダーの依頼に、部署の温度管理が待っている。


 明日になれば、肉の枷をはめて会社に戻ろう。


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