冥界魔眼
槍の切っ先が、あと数センチで喉に届く。
だが《冥界魔眼》が見せる“世界の線”は、もう決まっていた。
(槍の軌道は直線。避けるなら――右、半歩)
俺は処刑台の上で体をひねり、槍先を紙一重で躱した。
風圧が首の皮膚を撫でる。
「な――っ!?」
兵士が目を見開いた。
そりゃそうだ、縛られてる囚人が避けるわけがない。
俺は即座に視線を鎖へ落とす。
《連結金具:腐食 37%》
《弱点:側面衝撃》
(殴る、っていうか……蹴るか!)
俺は足を振り上げ、金具の側面を全力で蹴り抜いた。
ガンッ!!
金属が嫌な音を立てて歪み、鎖が床に落ちる。
首輪だけが冷たく残ったが、手足は自由になった。
「逃がすな! 異端者を取り押さえろ!!」
四方から足音が迫る。
囲まれる――いや、もう囲まれている。
焦りで胃がひっくり返りそうになる。
(落ち着け。魔眼。見るんだ。生きるルートを)
俺は右目を見開き、兵士たちを“読む”。
《兵士:レベル3》
《技能:槍術(初級)》
《恐怖:強》
《殺意:低》
(こいつら、そこまで俺を殺したいわけじゃない……!)
「おい! やめろ! 俺は敵じゃない!」
叫んだ瞬間、空中にまた字幕が出る。
【現在の発言:ただの命乞い/効果なし】
「黙れよ!!」
自分の能力、世界にツッコまれてんじゃねえか。
恥ずかしさで死にたい。いや、死んだら元も子もない。
俺は歯を食いしばり、再び詠唱を――
「我が眼は、万象の綻びを暴く……!」
【詠唱不完全:効果低下】
「うるせえ!! 黙って発動しろ!!」
【発言:命令/効果なし】
(くそっ、詠唱ってマジで必要なんだな!!)
槍が迫る。剣が振り上げられる。
背中が冷える。
そのとき、魔眼が“別のもの”を見つけた。
広場の端――石壁の上。
影の中に潜む、細い人影。
《個体:不明》
《殺意:中》
《対象:兵士》
次の瞬間。
「――ッ」
風を切る音すら遅れて聞こえた。
兵士の首元が、赤い線で裂ける。
血が噴き、槍が落ちる。
「なっ……敵襲!?」
「誰だ!!」
広場が一気に混乱した。
(……誰だ今の)
俺は反射的に右目で追う。
影の人影は、ひらりと別の屋根へ移った。
速い。
人間の動きじゃない。
《技能:隠密(上級)》
《技能:暗殺術(上級)》
《危険度:S》
(味方……じゃない。けど今は、チャンスだ!)
俺は処刑台から飛び降りた。
着地の瞬間、膝に激痛が走る。
身体能力は一般人のままだ。ここ、異世界の重力が妙に重い気がする。
でも――止まったら死ぬ。
俺は広場を走った。
「止まれ!!」
「逃がすな!」
追ってくる兵士の数は十を超えている。
逃げ切れるわけがない。
(なら、追えない状況にする)
俺は走りながら、視線を地面へ落とす。
石畳の“壊れやすい箇所”が光って見える。
《構造:空洞》
《加重で陥没》
(……ここだ)
俺はわざとその上を踏み、次の瞬間に横へ跳んだ。
ドガァン!!
石畳が崩れ、追ってきた兵士の足が沈む。
数人が転び、隊列が乱れた。
「ぐわっ!?」
「何だ、この床は!」
「俺のせいじゃねえ!」と叫びたいが、言ってる余裕がない。
俺は狭い路地に飛び込んだ。
石造りの街は迷路みたいに入り組んでいる。
(道……! 正解の道を!)
魔眼が視界の端に“ルート”を描く。
数秒先の未来が、ちらつく。
右へ曲がれば槍が飛ぶ。
左へ行けば行き止まり。
直進――そこだけが生存ルート。
(見えた!)
俺は直進し、次の角で急停止した。
目の前に、落とし穴。
《深度:6m》
《致死:中》
(これ、さっきのやつと同じ構造……! 誰かが仕掛けた罠か!?)
後ろから足音。追手が迫る。
詠唱するなら今だ。
俺は息を吸い込んで、腹の底から叫んだ。
「我が冥界魔眼よ――
“死の未来”を拒絶し、生存の可能性のみを照らせ!!」
右目が熱く輝き、落とし穴の“縁”に薄い線が走った。
《足場:可能》
《着地点:安全》
(跳べる!!)
俺は落とし穴に向かって跳んだ。
普通なら自殺行為だ。
だが俺の右眼は、空中の“踏める点”を示している。
足が、一瞬だけ何かを踏んだ。
見えない足場――魔力の流れか、構造の歪みか。
俺は向こう側に転がり落ちた。
「な……!?」
「落ちたぞ!」
追手が穴の手前で止まる。
「飛び越えた……? ありえん……!」
「戻って応援を呼べ!!」
足音が遠ざかり、静寂が戻った。
俺はその場に倒れ込み、息を吐いた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
生きてる。
生きてるけど。
空中に、これでもかってくらい目立つ字幕が出ていた。
【冥界魔眼:起動中】
【使用者:終焉の観測者(仮)】
【二つ名:黒歴史の魔眼王】
「やめろおおおおおおお!!!!!」
俺の絶叫が、路地裏に虚しく響いた。
そのとき。
背後から、冷たい声がした。
「……動くな。次に叫んだら殺す」
いつの間にか、俺の喉元に刃が当てられていた。
振り向くと――
黒い外套。
フードの奥から流れる髪は黒。
光を弾かない、墨を溶かしたみたいな色で、肩のあたりで静かに揺れている。
そして顔には仮面。
白い陶器みたいな無表情の仮面が、鼻先から頬を覆っている。口元だけがわずかに開いている。
目の部分には細い切れ込みが入っていて、その奥に覗く瞳は黒かった。
黒いのに、暗いわけじゃない。
ただ感情がない。人を人として見ていない目だ。
細い体。女、たぶん。
そして、彼女の頭上に魔眼が容赦なく表示する。
《種族:人間》
《所属:不明》
《技能:暗殺術(上級)》
《危険度:S》
《目的:ターゲット回収》
(回収……? 俺を?)
俺は唾を飲み込んだ。
「……お前、さっきの――」
「喋るな」
刃が、ほんの少しだけ食い込む。
痛い。
でも、今の俺には――もう手段が一つしかない。
(詠唱……するしかない)
俺は涙目になりながら、心の中で泣いた。
頼む、発動してくれ。
黒歴史でもなんでもいい。生きたい。
俺は震える声で、宣言した。
「我が冥界魔眼よ……
この刃の“真意”を暴け――!」
右目が光り、彼女の情報が“さらに深く”開かれた。
《本名:???》
《恐怖:強》
《迷い:あり》
《殺意:低》
《命令:ターゲットを“殺さずに”確保》
(……殺す気は、ない?)
俺は息を吸って、ゆっくり言った。
「……お前、俺を殺したくないんだな」
「黙れ」
「でも命令で動いてる」
彼女の手が、わずかに震えた。
その揺れが答えだった。
(よし――交渉できる)
俺は、人生で一番の覚悟を決めた。
「俺を捕まえるなら捕まえろ。だけど――」
「……」
「このままだと、追手が来たら俺もお前も危ない」
彼女の瞳が、わずかに細くなる。
「……何が言いたい」
「手を組め。逃げるぞ」
一瞬の沈黙。
刃が、スッと離れた。
「……名前」
「え?」
「お前の名前を言え。ターゲットの識別が必要だ」
――来た。
俺の黒歴史が勝手に二つ名を付けてるせいで、今や「俺が俺だと証明」しないといけない。
俺は遠い目をした。
「……俺の名前は――」
言いたくない。
でも言う。
「……俺は、《終焉の観測者》……」
空中字幕が即座に追撃してきた。
【正式登録:終焉の観測者(確定)】
「確定すんな!!!!!!」
彼女は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……面白い。ついてこい、観測者」
「やめろその呼び方!!」
こうして俺は、異世界初日から。
黒歴史を晒しながら、暗殺者と逃亡生活を始めた。




