表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姫失格 〜恥の多い後宮生活を送って来ました〜  作者: 俊教授 オーバーシー大学
冷宮編
8/21

十分に発達したろ過技術は、魔法と見分けがつかない

「ここだわ! ここを、私たちの『文明』の始発点とする!」

私が指差したのは、居住区と定めた宮殿から五十歩ほど離れた、風通しの良い木陰だった。

スマホの画面には、AIが生成した「コンポストトイレ断面図」が表示されている。

「さあ、蘭馨。掘るわよ!」

「は、はいっ!」

私たちは、硬い地面との格闘を開始した。

道具はない。私が手にしているのは、庭で拾ったY字型の太い木の枝。蘭馨が持っているのは、欠けた瓦の平たい破片だ。

ショベルカーもスコップもない。あるのは、現代社会でなまった私の腕力と、蘭馨の忠誠心だけ。

ガッ、ガッ、ガッ。

乾いた土の表面を削るたびに、手に衝撃が走る。

すぐに手のひらの皮が悲鳴を上げ、マメができ始めた。爪の間には黒い泥が入り込み、麻の服は汗と土埃でみるみる汚れていく。

昨日の今頃は、ネイルサロンに行こうか迷っていたのに。今は泥だらけになって、排泄のための穴を掘っている。

(でも……悪くない)

額から滴る汗を袖で拭いながら、私はふと思った。

会社で、意味のない会議資料のフォントサイズを修正させられている時の、あの虚無感に比べれば、この労働には明確な「意義」がある。

これを掘らなければ、明日から糞尿まみれになる。掘れば、清潔な朝が迎えられる。

シンプルで、切実で、健全な労働だ。

「姫様、大きな石が……!」

「貸して! テコの原理で動かすわ!」

「タコとは??」

「テコよーもーみてて!」

二人で呼吸を合わせて、地中の岩を引き剥がす。

ゴロン、と岩が転がった瞬間、私たちは顔を見合わせて笑った。

太陽が傾き、空が茜色に染まる頃、ようやく膝ほどの深さの穴が完成した。

AIの指示通り、底には乾燥した枯れ葉を敷き詰める。

用を足した後に、掘り出した土と枯れ葉を被せれば、バイオの力で分解され、臭いも抑えられる「ハンドメイド解手かいしゅ」の完成だ。

「やりましたわ、姫様……!」

蘭馨が肩で息をしながら、キラキラした目で私を見た。

彼女の顔はすすと泥で真っ黒だが、その笑顔は宮廷のどの姫君よりも輝いて見えた。

「ええ! やったわね、蘭馨! これはただの小さな穴だけど、私たちにとっては偉大な一歩よ!」

「偉大な……一歩!」

バチンッ!

私たちは泥だらけの手を頭上で叩き合わせた。

ハイタッチ。この世界にはないその仕草に、蘭馨は一瞬きょとんとしたが、すぐに嬉しそうに破顔した。

達成感。

それは、どんな高価な宝石よりも、今の私たちの心を満たしてくれる報酬だった。

「さあ、休憩している暇はないわ。次は賢者の教えその二、『安全な水』よ!」

次に私たちが向かったのは、宮殿の裏手にある古井戸だ。

覗き込むと、遥か底の方に水面が光っているのが見えた。釣瓶つるべを慎重に下ろし、引き上げる。

ギギギ……と錆びた滑車が鳴き、水桶が上がってきた。

「……うーん」

桶の中の水を見て、私は唸った。

飲めなくはなさそうだが、少し茶色く濁っている。藻のような浮遊物も見える。

これをそのまま飲めば、現代人の軟弱なお腹は一発で壊れるだろう。下痢は脱水症状を招き、死に直結する。

「蘭馨、材料集めよ! 布、砂、小石、そして『木炭』!」

「木炭……でございますか? 燃えかすが、水を綺麗にするのですか?」

蘭馨は不思議そうに首を傾げた。

無理もない。汚れた炭で水が綺麗になるなんて、直感に反するだろう。

「ふふふ、見てらっしゃい。これが賢者(科学)の力よ」

私たちは再び、廃墟の中を宝探しのように駆け回った。

割れた壺の破片。私の肌着の裾を裂いた布切れ。庭の砂利。

そして幸運にも、かつて厨房だった場所のかまど跡から、燃え残りの炭をいくつか発見することができた。

「よし、組み立てるわよ」

底に小さな穴を開けた壺に、まずは布を敷く。

その上に、細かく砕いた炭、洗った砂、小石の順に層を作っていく。

即席の濾過ろか装置の完成だ。

「行くわよ……」

私は祈るような気持ちで、濁った井戸水を上からそっと注いだ。

水が砂に吸い込まれていく。

二人して、固唾を飲んで壺の底を見守る。

ポタ……ポタ……。

数秒後、底の穴から水滴が落ち始めた。

それを小さな欠けた茶碗で受ける。

「あっ……!」

茶碗に溜まっていく水は、驚くほど澄んでいた。

夕陽を透かして見ても、浮遊物は見当たらない。

「すごい……! 本当に、水が透き通りましたわ!」

「炭の小さな穴が汚れを吸着して、砂がゴミを濾し取ってくれたのよ」

蘭馨はマジックを見るような目で私(とスマホ)をみている。

「姫様のお母様の故郷の賢者様方は、本当に底の知れぬ力をお持ちなのですね……!」

「まあね!(半分はGoogle先生のおかげだけど)」

私は湧き上がる高揚感を抑えつつ、まずは一口、その水を飲んでみた。

口に含む。

土の匂いはわずかにするが、雑味のない、冷たくて柔らかい味がした。

喉を通った瞬間、乾ききった細胞の一つ一つが歓喜の声を上げるのがわかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ