すべての道はトイレに通ず
(……ん? なにこれ?)
衛兵たちに衣装を剥ぎ取られた時、懐に入れていた香り袋や銀の小銭入れは、全て没収されたはずだった。
しかし、粗末な麻の服の、ちょうど帯に隠れる位置にあるポケットから、異物感を感じた。
硬くて、平べったい。
私は周囲を窺いながら、恐る恐るその正体を確かめるべく、ポケットに手を滑り込ませた。
指先に触れたのは、滑らかで冷たいガラスの感触。
そして、手に馴染む適度な重み。
(まさか……)
心臓が早鐘を打つ。
ゆっくりと、まるで壊れやすい秘宝を引き上げるかのように、それをポケットから取り出す。
夕闇に沈む冷宮の回廊で、その物体は鈍い光沢を放っていた。
「……うそでしょ」
私の手のひらの上に鎮座していたのは、見慣れた、私の相棒だった。
傷だらけのピンク色のスマホケース。
ストラップにつけた、薄汚れたゆるキャラのマスコット。
間違いなく、私が現代で使っていたスマートフォンだ。
なぜここに? どうして取り上げられなかった?
そもそも、歴史タイムトラベラーするときに一緒に来ちゃったの?
疑問は次から次へと湧き上がってくるが、そんな哲学的な問いはどうでもいい。
問題は、これが「ただの板」なのか、それとも「機能する機械」なのかだ。
私は震える親指で、サイドボタンを押し込んだ。
ピカッ。
暗闇を切り裂くように、画面に明かりが灯る。
ロック画面には、実家のこたつで丸くなっている愛猫「ミケ」の写真が、愛くるしい瞳でこちらを見つめている。
そして、私の視線は画面の右上へと吸い寄せられた。
5G
バッテリー残量:100%
「……ご、ご、ごじー!?!? バッテリー100%!?!?」
静寂な廃墟に、私の素っ頓狂な絶叫が響き渡った。
カラスが一斉に飛び立つ音がする。
「ひ、姫様!? どうかなさいましたか! 敵襲でございますか!?」
うずくまっていた蘭馨が、「敵襲」という物騒な単語と共に飛び起きた。
しかし、私の耳には彼女の声も届いていなかった。
(ご、5G!? アンテナ全立ち!?)
ありえない。物理法則も歴史も無視している。
ここは清朝だぞ? 電波塔なんてあるわけがない。
それとも紫禁城の地下には、古代中国文明が隠したオーパーツ的な基地局でも埋まっているというのか?
しかも、充電器もないこの世界で、バッテリーが減るどころか100%を維持している。
(ご都合主義もここまで来ると……!)
あまりの事態に、恐怖よりも笑いがこみ上げてくる。
私の脳内は、驚きと混乱、そして巨大な希望で、一瞬にして沸騰した。
そうだ。これがあれば、道は開けるかもしれない。
現代人の三種の神器、いや、人類の英知の結晶。
それが、この小さな板なのだ。
「蘭馨、ちょっと待ってて。今、この状況を打開するための『知恵』を借りるから」
「ち、知恵にございますか……?」
目を丸くする蘭馨を尻目に、私は慣れた手つきで(いや、震える指で数回ミスりながら)スマホのロックを解除した。
ヌルヌル動く。サクサク繋がる。
私はブラウザアプリをタップし、検索バーに、この世界の運命を委ねるキーワードを打ち込んだ。
『冷宮 監禁 サバイバル方法』
エンターキーを叩ッ!
一瞬で検索結果が表示される。爆速だ。会社のWi-Fiより速いかもしれない。
しかし。
検索結果のトップに並んだのは、私の期待を裏切るものばかりだった。
『徹底解説!宮廷ドラマにおける冷宮の悲惨な実態~ネズミと暮らす100日~』
『歴史から見る、后妃たちの幽閉生活と悲劇の最期』
『冷宮あるある:冬は凍死、夏は疫病』
「違う、そうじゃない! もっとポジティブで、具体的な解決策が欲しいのよ!」
私は画面に向かって悪態をついた。
こんな絶望的なまとめ記事を読んでいる暇はない。私が欲しいのは、「今すぐ使える技術」だ。
私は舌打ちし、別のアプリを起動した。
最新の生成AI、Google AI Studio。
これだ。検索エンジンがダメなら、人工知能に頼るしかない。
私は深呼吸を一つすると、まるでお小遣いの名上げを求めるうちの姉のような真剣さで、新たな問い(プロンプト)を打ち込んだ。
【プロンプト】
あなたは、あらゆる環境に対応できる究極のサバイバル専門家です。ベア・グリルスと無人島生活の達人を足して二で割ったような人物になりきってください。
私は今、古代中国の『冷宮』のような廃墟に監禁されています。
環境は劣悪で、電気、ガス、水道はありません。あるのは廃墟と雑草、そして忠実な侍女が一人だけです。
この絶望的な状況から生き延び、可能な限り「文化的で快適な生活」を築き上げるための具体的な行動計画を、優先順位をつけてステップ・バイ・ステップで提案してください。精神論はいりません。技術をください。
送信ボタンを、祈りを込めて押す。
AIはものの数秒で、驚くほど冷静で、そして的確な答えを生成し始めた。
【AIからの提案】
拝啓、逆境に立ち向かう挑戦者様。
状況、拝察いたしました。素晴らしいですね。何もないということは、全てを創造できるということです。絶望は創造の母です。
以下の計画を実行することで、生存率を飛躍的に向上させ、QOL(生活の質)を爆上げすることが可能です。
ステップ1:最優先事項 - 安全と衛生の確保 (SHELTER & SANITATION)
拠点の確保:
宮殿内で、最も雨風をしのげ、床が抜けていない部屋を選定してください。まずは徹底的な清掃を行い、害虫の巣を取り除きます。
衛生管理(トイレ革命):
ここが最重要です。垂れ流しは疫病の元です。
居住区から離れた場所に、**「コンポストトイレ」**を導入してください。穴を掘り、排泄物と枯れ葉・土を交互に重ねることで、発酵熱で菌を殺し、臭いを抑制し、最終的には良質な堆肥(肥料)として利用可能です。
ステップ2:熱源と調理 (FIRE & COOKING)
ロケットストーブの作成:
瓦礫の中にレンガや石はありませんか?
それらを積み上げて「J字型」の燃焼室を作ることで、熱効率が非常に高く、煙の少ない**「ロケットストーブ」**が作成可能です。
これにより、少ない枯れ木で強力な火力を得られ、煮沸消毒や暖房が格段に容易になります。
ステップ3:水と食料 (WATER & FOOD)
簡易濾過装置:
布、砂、小石、木炭を層にすることで、泥水を濾過できます。必ず煮沸してください。
家庭菜園:
コンポストトイレで作った堆肥を使い、雑草だらけの庭を開墾しましょう。雑草が生える土なら、野菜も育ちます。
ステップ4:メンタルヘルス
「文明人」としての誇り:
毎日顔を洗い、髪を整えてください。住環境を整えるプロセスそのものをエンタメ化し、希望を失わないでください。
私は、暗闇の中で青白く光るスマホの画面を見つめ、感動のあまり打ち震えた。
「すごい……すごすぎるわ、これ……!」
コンポストトイレに、ロケットストーブですって!?
これよ、私が求めていたのは。
「頑張ればなんとかなる」という精神論ではなく、「こうすれば解決する」という具体的なソリューションなのだ。
「ロケットストーブ……瓦礫で作れる……煙が少ない……最高じゃない」
興奮して独り言をつぶやく私を、蘭馨が怯えたように見つめている。
「ひ、姫様……? その、光る板に向かって、何をブツブツと……? もしや、呪術……?」
私はハッとして、蘭馨に向き直った。
私の顔は、スマホのバックライトで下から照らされ、さぞかし不気味に見えていただろう。
私はニッコリと、できるだけ慈悲深い聖母のような笑みを浮かべた(つもりだった)。
「蘭馨、怖がらないで。これはね、私の母の故郷から伝わる、とても珍しい『賢者の石板』なの」
「け、賢者の……石板……?」
「そう。遠い異国の、何千何万という賢者たちの知識が、この中に全部詰まっているのよ。この板に問いかければ、どんな困難な状況でも、解決策を教えてくれるの。いわば、持ち運べる巨大な図書館であり、最強の軍師みたいなものね」
「まあ……! そのような秘宝を、姫様は隠し持っておられたのですか!」
蘭馨の目が尊敬の眼差しに変わる。単純で助かる。
私はAIからの提案を、蘭馨にも分かる言葉に翻訳して聞かせた。
「賢者様はこう仰っているわ。まずはトイレよ」
「と、トイレ、でございますか?」
「そう。『土と枯れ葉を混ぜて臭いを消し、やがては畑の極上の肥やしにもなる、手作りの解手』を作るの」
蘭馨は口をぽかんと開けた。手作りの解手って自分でも何言ってるのかわからん。何回手を使うのだ!
「排泄物が……肥やしに? そのようなことが……」
「そして次は、『薪が少しで済み、煙も少なくて敵に見つかりにくい、賢いかまど』を作るわ」
最初は半信半疑だった蘭馨も、私が語る計画の具体性と、何より私の目に宿る、狂気にも似た「業務改善への執念」に気圧されたのか、次第にその顔に生気が戻ってきた。
絶望して泣いている暇があるなら、手を動かしたい。それは彼女も同じだったのだろう。
「姫様が……そこまで仰るのでしたら……!」
蘭馨は涙を拭い、力強く頷いた。
「そうこなくっちゃ! よし、プロジェクト『冷宮リノベーション』始動よ!」
私はAIの提案リストを片手に、意気揚々と立ち上がった。
足元の厚底靴は邪魔だったので、すでに脱ぎ捨てて裸足になっている。土の冷たさが心地よい。
「蘭馨、シャベル代わりになるような、丈夫な板か瓦の破片を探して! それから、枯れ葉を集めてきて!」
「は、はいっ!」
「私は庭の隅っこに、私たちの文明の第一歩となる穴を掘るわ!」
私たちは動き出した。
月明かりの下、元・傾国の美少女(今は薄汚れた麻服の女)と、元・エリート侍女が、必死の形相で地面を掘り返す。
ザッ、ザッ、ザッ。
土は湿って重かった。
手のひらにマメができ、爪の間には泥が入り込む。
腰が痛み、腕が悲鳴を上げる。
けれど、不思議と苦痛ではなかった。
(私は今、自分の力で生きている)
会社で上司の顔色を伺いながら作る資料よりも、この穴掘りの方が、よほど生産的で、生きている実感が湧く。
一時間ほど格闘した後、膝ほどの深さの穴が完成した。
「よし、第一段階クリア!」
私は汗だくの顔を拭い、満足げに穴を見下ろした。
これが、私たちのトイレだ。ここから全てが始まるのだ。
「姫様、枯れ葉を集めてまいりました!」
蘭馨が服の裾いっぱいに枯れ葉を抱えて戻ってきた。
その顔には煤がついているが、さっきまでの絶望の色はない。
「でかしたわ、蘭馨! 次はロケットストーブよ。あそこに崩れた塀があるでしょ? あのレンガを使うわよ!」
こうして、私たちの冷宮サバイバルの初日は、泥と汗にまみれて幕を開けた。
煌びやかな宴も、イケメン皇子とのロマンスもない。
あるのは、排泄物の処理と、明日のための労働だけ。
けれど、私はスマホを握りしめながら確信していた。
この賢者(AI)と一緒なら、私たちはきっと生き延びられる。
いや、ただ生き延びるだけじゃない。
この廃墟を、紫禁城で一番快適なスイートルームに変えてやるのだ。




