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姫失格 〜恥の多い後宮生活を送って来ました〜  作者: 俊教授 オーバーシー大学
冷宮編
17/22

虎穴に入らずんば、映えを得ず

夜の景陽宮

「き、きいいいいっ! なぜ! なぜこの鏡はうんともすんとも言わないの!?」

景陽宮の豪奢な寝台の上で、華妃かひが私のスマホを、まるで反応しないリモコンを叩くおばあちゃんのように、バンバンと叩いていた。

画面は真っ暗なままだ。

「ええい! あの娘を呼んでこい! 今すぐよ!」

ということで、私と蘭馨らんけいは、冷宮から景陽宮に緊急招集(呼び出し)されることになった。

時刻は夜の10時。

現代ならまだ宵の口だが、照明のないこの時代では真夜中も同然だ。

もう寝る支度を始めていたのに……っていうか、こんな夜更けまでスマホを使っていたとは、華妃様はすでに立派なスマホ中毒デジタル・ジャンキーだ!

寝間着の上に慌てて衣を羽織り、衛兵に連れられて景陽宮の寝所に通されると、そこには髪を振り乱し、鬼の形相でスマホと格闘する華妃の姿があった。

「杏花! さっき化粧を直しに行き、帰ってきたらこのざまだ! 鏡が丸い9つのものが映るだけで、私の顔を映そうとしない! 壊れたのか!?」

「華妃様、その鏡は繊細なガラスでできております! 乱暴に扱われますと、鏡の機嫌を損ねて二度と映らなくなります!」

私は慌てて止めに入った。

ここで物理的に破壊されたら、私の命綱も、現代の英知(AI)も、景皇子との連絡手段も、全てジ・エンドだ。

華妃の手からスマホを救出し、画面を確認する。

表示されていたのは、9つの丸が並ぶ、パスコードの入力画面。

無理もない。一定時間が経過してスリープモードに入り、自動的にロックがかかったのだ。

「ええい、じれったい! さっきまでは私の真実の美(※加工済み)を映していたではないか! どうすれば動くのだ? 叩けばいいのか? それとも水に浸すか?」

「おやめください! ……これは、鏡が眠りにつき、『封印パスコード』がかかってしまったのです。持ち主である私にしか、解くことはできません」

私は恭しくスマホを受け取ると、華妃に見えない角度で背を向け、ササッと指を動かしてロックを解除した。

パッ、と画面が明るくなり、待ち受け画面に設定していた華妃の「奇跡の一枚」が表示される。

「おお……! 映った! 私の美しい顔が!」

華妃はスマホを奪い返すように手に取り、うっとりと画面を撫でた。

その表情は、麻薬常習者が禁断症状から解放された時のそれに似ていて、少し背筋が寒くなる。

だが、すぐに彼女は眉を吊り上げ、私を睨みつけた。

「杏花。この鏡、"封印"とやらを私に教えなさい。いちいちお前を呼ぶのは面倒だわ」

ここで「はい、107875(イーオンナハナコ)です」と教えてしまえば、私は用済みだ。

スマホを没収され、再び冷宮に逆戻り――あるいは口封じに消されるのがオチだろう。

私は営業用スマイルを崩さず、静かに首を振った。

「いえ、それはできません。この封印は私の心の波長と連動しており(大嘘)、他の方が唱えても無効なのです。それに……」

私は言葉を溜め、勿体ぶるように続けた。

「光の加減や角度の調整、そして何より、華妃様のその日のご気分や衣装に合わせた『輝きの微調整(フィルター選びと加工修正)』には、高度な修練と専門知識が必要です。素人の方が不用意に触れば、鏡が歪み、逆に『呪われた姿』を映してしまうかもしれません」

「呪われた姿……」

華妃の顔が強張った。彼女にとって、加工の剥がれた自分の顔(現実)こそが、最も恐ろしい邪教なのだ。

「ですので、華妃様。ご提案がございます」

私は一歩前に出た。ここが勝負どころだ。

私はただの捕虜ではない。替えの利かない技術者エンジニアとして、自分を売り込むのだ。

「私が今後も、華妃様の専属『写しカメラマン』として、その美貌を永遠に記録し続けましょう。朝の目覚めから、夜のお休みまで。最も美しく見える光を探し、最高の一枚を献上いたします。……その代わり」

「代わり、なんだ?」

「私と侍女の蘭馨を、冷宮から出してください。そして、華妃様の直属のお付きとして、この景陽宮に置いていただけませんか?」

華妃は少し考え込んだ。

謀反人の娘を側近にするリスク。皇太后や周囲の目。

しかし、彼女の手元にある「盛れた自分」の画像が、最後の一押しとなった。

この「ドラッグ」なしの生活には、もう戻れないのだ。

「……よかろう」

彼女は尊大に頷いた。

「あんな薄暗い廃墟にいては、この鏡も曇るというもの。お前を私の直属の女官として取り立ててやるわ。……ちょうど、無能な姚明がいなくなって、席が空いたところだしね」

(よっしゃあああ! 社畜スキル『上司へのゴマすり&依存ビジネス』成功!!)

私は心の中で盛大にガッツポーズをした。

こうして、私は「邪教の道具を持つ魔女」から「華妃お気に入りの専属カメラマン」へと、劇的なジョブチェンジを果たしたのである。

しかし、物事はそう簡単には進まない。

翌日、後宮の頂点に君臨する場所、慈寧宮じねいきゅうにて。

「……ならぬ」

重厚な御簾みすの向こうから、短くも重い言葉が響いた。

皇太后だ。

華妃は美しい眉をひそめ、不満げに孔雀の扇子を揺らした。

「皇太后様。なぜでございましょう? 杏花は改心し、今や私に忠誠を誓っております。私の身の回りの世話をさせるために、冷宮から引き上げたいと申しておりますのに」

皇太后は、老眼鏡の奥から鋭い視線を向けた。手元には、書き写し途中の仏教の経典が置かれている。彼女は信心深いことで知られているが、その目は仏の慈悲とは程遠い、猛禽類のような鋭さを秘めていた。

「まだ時期尚早じゃ。父親の罪は重い。謀反の企て、国家への反逆。たかだか数ヶ月で許されるものではない。それに……」

皇太后の声が低くなる。

「最近あの娘は、冷宮で奇妙な動きをしていると聞くではないか。姚明が報告していた『秘術』の件も、完全に晴れたわけではないぞ。妙な光を放つ板を使い、人心を惑わす……そのような不穏分子を、陛下の近くに置くわけにはいかぬ」

皇太后のガードは堅い。

やはり、ラスボスとしての威厳と慎重さは伊達ではない。

通常なら、ここで「ははーっ」と引き下がるのが礼儀だ。

だが、今の華妃は無敵モード(自撮りにより自己肯定感が成層圏まで上昇中)である。

「あら、秘術などと。あれはただの『科技の鏡』。西域の珍しい玩具ですわ。姚明が大袈裟に騒ぎ立てただけのこと。……それに、皇太后様」

華妃は扇子で口元を隠し、声を潜めた。

その瞳の奥に、獲物を追い詰める毒蛇のような、狡猾な光が宿る。

「私のささやかな願いを聞き入れていただけないのであれば……わたくし、やむを得ず『あの一件』を、陛下にお話しせねばなりませんわね」

皇太后の筆を持つ指が、ピクリと止まった。

「……何のことだ?」

「とぼけないでくださいませ。昨年の冬……皇太后様が『持病の療養』と称して、都外れの離宮にひと月ほど滞在された時のことです」

華妃はゆっくりと立ち上がり、御簾みすに近づいた。

そして、皇太后だけに聞こえる音量で囁いた。

「離宮近くの芝居小屋にいた、あの若く美しい京劇役者……『らん』とか申しましたか。彼への『莫大なご支援』の出処が、もし国庫の金だと知れたら……親孝行な陛下はどう思われるでしょうか?」

皇太后の顔から、さぁっと血の気が引いた。

経典を持つ手が震え、墨が紙に黒いシミを作る。

「そ、それをどこで……!?」

「壁に耳あり、障子に目あり、でございます。あの役者、最近はずいぶんと良い衣装を着ているそうですね? 皇太后様が夜な夜な通って貢いだ金で」

これは、後宮でもごく一部の人間しか知らない、皇太后の最大のスキャンダルだった。

表向きは厳格で、質素倹約と仏への帰依を説く国母。

その裏の顔は、孫ほども歳の離れた若い男に入れあげ、公金を横領して貢いでいる色惚け婆。

これが露見すれば、彼女の権威は地に落ち、後宮での発言力を失うだろう。

華妃は、以前からこの情報を握り、切るタイミングを虎視眈々と狙っていたのだ。

政敵を失脚させるために使うつもりだった切り札を、まさか「専属カメラマン(兼・加工職人)の確保」という、極めて私的な欲望のために切ることになるとは、誰も予想しなかっただろうが。

それほどまでに、華妃にとって「盛れた自分」の維持は、国家予算と同等の価値を持っていたのだ。

皇太后はわなわなと震え、経典を握りしめた。

額に脂汗が滲む。弱みを握られた権力者は、脆い。

「……わ、わかった」

皇太后は、苦虫を噛み潰したような顔で、絞り出すように言った。

「杏花姫の冷宮からの追放を解く。……ただし、あくまでお前の管理下においてのことだ。何かあれば、連帯して責任を問うぞ」

「ふふ、感謝いたしますわ、皇太后様。ああ、ご安心を。あのお話は、私の胸の中に……いえ、この美しい胸の中に、しまっておきますから」

華妃は勝ち誇ったように微笑み、優雅に一礼した。

その顔は、スマホの加工アプリがなくとも、悪魔的に美しく、そして恐ろしかった。

その日の午後。

「姫様! 信じられません! 本当に……本当に冷宮を出られるなんて!」

私の新しい部屋(になる予定の、景陽宮の片隅にある使用人部屋)で、蘭馨が涙を流して喜んでいた。

荷物は少ない。

命綱のスマホと、手作りのロケットストーブ(愛着が湧いて捨てられなかった)、そして景皇子からもらった食材の残りだけだ。

部屋は狭いが、畳があり、壁があり、天井がある。

雨漏りもしないし、ネズミもいない。

「ええ、やったわよ蘭馨。これからは、とりあえず凍死する心配はないわ」

私はスマホを握りしめた。

これで第一段階クリアだ。サバイバル生活からは脱出した。

しかし、ここは「景陽宮」。

華妃という、気分屋でヒステリックな「ブラック上司」が支配する場所だ。

ここからは、物理的なサバイバルではなく、精神を削り合う、さらにドロドロとした社内政治(後宮バトル)が始まる。

私の仕事は、華妃の機嫌を取りながら、彼女を美しく撮影し、加工し続け、中毒症状を維持させること。

そして、その合間を縫って、景皇子との「コネクション」を強化し、いつか本当の自由を手に入れること。

ピロン♪

その時、スマホが軽快な通知音を鳴らした。

『景』からのLIMEメッセージだ。

『景:冷宮を出たそうだな。……華妃の元へ行くとは、自ら虎の穴に入るようなものだ。正気を疑うが、そなたなら上手くやるだろう。困ったことがあれば、いつでも「発信」せよ。……追伸:新しい部屋の窓からは、月がよく見えるはずだ』

私は窓の外を見た。

そこには、きれいな半月が浮かんでいた。

彼もどこかで、この月を見ているのだろうか。

私は画面を見て、ふっと笑った。

「虎の穴? 望むところよ」

こっちには、虎も手懐ける『最強のフィルター』と、百戦錬磨の『社畜処世術』があるんだから。

「さあ蘭馨、行くわよ。まずは華妃様の『おやすみ前のすっぴん風メイク(※ガッツリ加工)』の撮影よ!」


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