風と共にバズる
冷宮生活、三日目。
朝、目覚めた瞬間に、私の肉体は自身の限界を声高に主張していた。
「いっ……つぅぅ……!」
起き上がろうとした瞬間、背中から腰、そして太ももにかけて、電流が走るような激痛が突き抜けた。
筋肉痛だ。それも、ただの運動不足による可愛いものではない。
コンクリート(のような固い土)を掘り、瓦礫を運び、泥を捏ねるという重労働が引き起こした、全身の筋繊維の断末魔だ。
「うう……あうう……」
隣を見ると、蘭馨が泥だらけの顔で、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えながら起き上がろうとしていた。
彼女の指先は赤く腫れ、爪の間には黒い土が入り込んでいる。忠誠心という精神力だけで動いていた彼女の肉体も、ついにガス欠を起こしたようだ。
「ひ、姫様……申し訳ございませぬ……もう、指が……一本も動きませぬ……」
「無理しないで、蘭馨。……私も、今は屍同然よ」
私たちは這うようにして、昨日完成させたばかりの「ロケットストーブ」の前まで移動した。
レンガと泥で組み上げたJ字型のその装置は、少ない枯れ木で驚くほどの火力を生み出している。
沸かしたお湯を少しずつ飲みながら、私たちは目の前に広がる光景を呆然と見つめた。
そこには、絶望的なまでの「ゴミ屋敷」ならぬ「ゴミ宮殿」が広がっていた。
腐って変色した敷物。
脚の折れた椅子や机の残骸。
得体の知れない液体が干からびた跡のある壺。
そして、天井の四隅を支配する巨大な蜘蛛の巣と、床を覆う分厚い埃のカーペット。
ここ数日、トイレとストーブの作成に全力を注いだが、居住スペースの整備はまだ1%も終わっていない。
この広大な廃墟を人が住めるレベルまで片付けるには、あと一ヶ月、いや半年はかかるだろう。
「だめだ……モチベーションが続かない……」
私は大の字になって、シミだらけの天井を見上げた。
人間、衣食住のためならある程度は頑張れる。「生きるため」という動物的な本能が体を動かすからだ。
でも、この終わりが見えない、しかも汚くて辛いだけの重労働を、ただ「死なないため」だけに続けるのは、精神衛生上あまりにも過酷だ。
もっとこう、短期的な報酬が必要なのだ。
仕事終わりのキンキンに冷えたビールとか。
行列のできる店のパンケーキとか。
あるいは、上司からの「よくやった」という評価とか、ボーナスとか。
(評価……?)
その単語が脳裏をよぎった瞬間、懐のポケットに入っているスマホが、ずしりと重く熱を帯びたように感じられた。
そうだ。私にはこの「最強のデバイス」がある。
バッテリー無限、5G接続。現代の英知の結晶。
そして――謎のアカウント『景』からの「いいね!」。
私の過去の黒歴史写真についた、たった一つのハートマーク。
あれは恐怖だったけれど、同時に証明でもあった。
このスマホは、どこかと繋がっている。
私の行動を、誰かが見てくれる可能性があるということだ。
私の脳内で、シナプスがバチバチと音を立ててスパークした。
承認欲求。
現代社会病とも言われるその渇望こそが、今の私を突き動かす唯一の燃料になるかもしれない。
「蘭馨! 起きて! 素晴らしいことを思いついたわ!」
私は筋肉痛の悲鳴を無視してガバッと起き上がると、死にかけていた蘭馨の肩を掴んで揺さぶった。
「ひ、ひぇっ!? ひ、姫様? まだ何か作るのですか? もう泥を捏ねるのは……ご勘弁を……」
「違うわ。肉体労働の前に、精神のガソリンを入れるのよ」
「ガソリン……?」
「私たちは今から、『記録』を残すのよ」
私はスマホを取り出し、カメラアプリを立ち上げた。
インカメラに切り替えると、泥だらけで髪がボサボサの、しかし目はギラギラと輝いている私の顔が映し出された。
私はニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。
「そう、この過酷な冷宮リノベーションの様子を動画に撮って、世界に配信するの。名付けて、『没落姫のサバイバルDIYチャンネル』よ!」
「いい? 蘭馨。あなたは今から『カメラマン』よ。この重要な役割を任せられるのは、世界であなたしかいないわ」
「か、かめらまん……? それは、どのような職務でございましょうか?」
「この板をこう持って、私が動くのを追いかけて。画面の中の私が、一番可愛く……いや、一番健気に、そして逞しく映るように撮るの。この赤い丸が点灯している間は、絶対に手ブレさせちゃダメよ」
私は蘭馨にスマホを持たせ、アングルの指導をした。
蘭馨はおっかなびっくりスマホを構える。
「わかりませぬが……この板の中に住む小人たちに、姫様の勇姿をお見せするのですね? 後世への記録として」
「解釈がファンタジーだけど、だいたい合ってる! その意気よ!」
私は服の泥をパンパンと払い、手櫛でざっと髪を整えた。
化粧はない。衣装はボロボロの麻服だ。
だが、それがいい。「映え」とは作られた美しさだけではない。リアリティこそが、現代の視聴者の心を打つのだ(たぶん)。
「いざ、本番! テイクワン、スタート!」
「は、はいっ!」
蘭馨が震える指で、画面上の赤い録画ボタンをタップした。
その瞬間、私は「山田花子」でも「杏花姫」でもない、第三の人格を降臨させた。
かつて広報部の手伝いで社内報の動画に出演した時に培った、営業用スマイル全開の「インフルエンサー人格」だ。
「みなさん、こんにちは~! 杏花です! 今日はなんと、このボロボロの『冷宮』からお送りしてまーす!」
静まり返った廃墟に、私のやたらとテンションの高い声が響き渡る。
蘭馨が「ひっ」と小さな悲鳴を上げたが、カメラは止まっていない。優秀だ。
「見てください、この見事な廃墟っぷり! 築年数は不明、セキュリティはガバガバ、おまけに幽霊付きという噂の物件です! いや~、風通しが良すぎて冬は凍死確定ですね~!」
私は自撮り棒代わりの木の枝を受け取り、ぐるりと室内を映した。
「でも、負けませんよ~。今日はこの瓦礫の山から、快適なリビングを作り出していきたいと思います! 題して、『0円リフォーム! 宮殿のゴミを宝に変えてみた』!」
そこからは、一種のトランス状態だった。
ただ黙々と作業するだけなら、それは苦役だ。地獄だ。
しかし、「カメラが回っている」と思うだけで、脳内物質が切り替わる。
辛い作業も「ネタ」になり、汚いものも「コンテンツ」になる。
「うわっ、見てこれ! ネズミの巣発見! ……キャー!(棒読み)……と思ったら、千年前の高級陶器の破れたやつでした~。もったいない! メルカリで売ったら高そう!」
独り言のように喋りながら、私は箒を振り回す。
蘭馨も最初は、「姫様が虚空に向かって話しかけておられる……」と怯えていたが、私が、
「今のいい画だったわ! 蘭馨、アングル最高!」
「今の光の入り方、天才的よ!」
と褒めちぎるうちに、彼女の中の職人命に火がついたらしい。
彼女はただ突っ立って撮るのをやめ、膝をついて低いアングルから私の足元を狙ったり、舞い上がる埃を逆光で捉えてドラマチックに演出したりと、謎のカメラワークセンスを発揮し始めた。
「姫様、こちらからの方が、箒の動きがダイナミックに見えます」
「採用!」
「姫様、今、西日が差し込んでおります。窓際で哀愁漂う表情を」
「了解!」
私たちは、泥と埃にまみれながら、汗だくになって撮影を続けた。
筋肉痛なんて忘れていた。
廃墟の掃除が、まるで映画の撮影セットでのクリエイティブな作業のように感じられた。
そして、夕方。
窓の外が茜色に染まる頃、私たちはクタクタになりながらも、どこか充実した顔で動画を撮り終えた。
「カット! ……お疲れ様、蘭馨! 最高だったわ!」
「はぁ、はぁ……姫様……。最後の『チャンネル登録よろしくね☆』という呪文、あのような手の動きでよろしかったでしょうか……?」
「完璧よ。そのポーズこそが、新たな信者を獲得する印なの」
私たちは、綺麗になった(といっても、ゴミが端に寄せられただけの)床に座り込んだ。
喉はカラカラだが、気分は高揚していた。
「さあ、ここからが私の腕の見せ所ね」
私はすぐさま、スマホにインストールされていた動画編集アプリを立ち上げた。
5G回線と最新チップのおかげで、重たい4K動画データもサクサク動く。
タイムラインに動画を並べる。
不要な「間」をカットし、テンポを上げる(ジャンプカットというやつだ)。
BGMには、フリー素材の中から軽快なラグタイムジャズを選択。冷宮の陰鬱な雰囲気とのギャップを狙う。
テロップには、あえてYouTuberっぽい、縁取りされた極太フォントを入れる。
【悲報】姫、家を追い出される
【DIY】ゴミ屋敷を0円で宮殿リフォームしてみた
【閲覧注意】衝撃の汚部屋公開
効果音も忘れない。私が転ぶシーンには「ズコーッ!」という音を、綺麗な壺の欠片を見つけたシーンには「キラキラ~ン✨」という音を入れる。
「……ふふっ」
暗い画面の中で、編集された私が楽しそうに動いている。
それを見ていると、今のこの悲惨な状況さえも、一編のコメディドラマのように思えてくるから不思議だ。客観視こそが、最大の精神安定剤なのだ。
一時間ほどの集中作業の末、五分程度の動画が完成した。
サムネイル画像は、埃まみれで死んだ目をしている私のアップと、背景の荒れ果てた廃墟のコントラストを強調したものにした。文字は赤と黄色でデカデカと。
タイトルは、検索に引っかかりやすそうな、かつ同情を引くものをチョイス。
『【別世界生活?】謀反の罪で冷宮送りになったので、DIYで快適空間を作ってみた【Vol.1 掃除編】』
「よし……アップロード!」
送信ボタンを押す。
画面上のプログレスバーがぐんぐん進んでいく。
このデータはどこへ飛んでいくのだろう。
現代のYouTubeサーバーか? それとも、アカシックレコードのような宇宙のデータベースか?
『投稿が完了しました』
画面に表示されたその文字を見て、私は大きく息を吐き出した。
「……やったわ」
私は冷たい床に大の字になって寝転がった。
正直、誰が見るかはわからない。
もしかしたら、再生回数ゼロのままかもしれない。
それでもいい。
「発信した」という事実が、私がここでただ腐っていくだけの存在ではないことを証明してくれた気がした。
孤独な監禁生活ではない。私は今、世界と繋がったのだ(一方的にだけど)。
「姫様……その、賢者様たちは、喜んでくれるでしょうか」
蘭馨が心配そうに覗き込んでくる。
私はスマホの画面を消し、彼女に向かってウィンクした。
「ええ、きっとね。少なくとも、私が編集した蘭馨のカメラワークは最高だったわ。あなたは今日から、宮廷一の映像作家よ」
「えいぞう……さっか……」
蘭馨は嬉しそうにその言葉を反芻した。
その夜は、泥のように眠った。
筋肉の痛みも、将来への不安も、すべてが深い眠りの中に溶けていった。
数時間後。
深夜の冷宮に、静寂を破る音が響いたことにも気づかずに。
ピロロン♪
ピロロン♪
ピロロン♪
枕元のスマホの画面が、暗闇の中で次々と明滅する。
通知バナーが、滝のように流れ落ちていた。
『あなたの動画が再生されています』
『コメントがつきました』
『コメントがつきました』
『チャンネル登録者が増えました』
そして、その通知の嵐の中に、一つだけ異質なメッセージが混ざっていた。
景皇子:『……なんだ、この騒がしい動画は。そなた、頭を打ったのか?』
私の知らないところで、冷宮発の動画は、時空(あるいは次元)を超えたバズりを起こそうとしていたのである。




