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第8話 恐怖という名の燃料

雨脚が強まっていた。  

建設中のビルの鉄骨が、濡れて黒く光っている。  

俺は泥水の中に四つん這いになり、肩で息をしていた。  

目の前には、最強の殺人兵器Zゼニス。  

奴は無機質な仮面の下で、俺という「バグ」を解析しようと立ち尽くしている。

「……理解不能」

Zの声に、初めてノイズが混じった。

「回避行動に規則性がない。重心の移動が非効率的だ。なぜ、あそこで転んだ?」

俺は泥だらけの顔を上げた。  

鼻水と雨水が混じって口に入る。

しょっぱい味がした。

「知るかよ……。怖くて腰が抜けただけだ」

「恐怖? 不要な感情だ。それが判断を遅らせる」

Zが再び構える。  

コンバットナイフが雨粒を切り裂き、俺の喉元へ迫る。  

速い。アルファの動体視力でも残像しか見えない速度。  

脳内の死者たちが一斉に悲鳴を上げた。

――バックステップだ! 下がって距離を取れ!  

――上体を逸らせ! 最小限の動きでかわせ!

奴らの指示は「プロの正解」だった。  

だが、俺の体は言うことを聞かなかった。

恐怖で膝が笑い、筋肉が硬直している。  

俺は回避行動をとるどころか、その場でガクンと膝を折り、無様に尻餅をついた。

ヒュンッ!!

頭上で風が鳴った。  

銀色の刃が、俺の頭頂部の髪の毛を数本削ぎ落として通過した。  

もし、脳内の指示通りにバックステップを踏んでいたら?  

俺の喉か心臓は、正確に貫かれていただろう。  

俺が「ただ座り込む」という、戦闘においては自殺行為に等しい動きをしたからこそ、Zの必殺の一撃は空を切ったのだ。

「うわぁぁぁッ!」

俺は悲鳴を上げ、手足をバタつかせて泥の上を後ずさった。  

Zの動きが止まる。  

予測エラー。  

データベースにない、あまりに非合理的で、無様で、無意味な挙動。

「……またエラーか」

Zが首を傾げる。  

その隙に、俺は立ち上がり、建設現場の奥へと走った。  

逃げる。

とにかく逃げる。  

俺の中で、何かが繋がり始めた。  

脳内のノイズが変わる。

混乱が収まり、代わりに奇妙な「納得」の波紋が広がっていく。

――そうか。こいつは「正解」しか知らないんだ。タンゴの声がした。  

――俺たちのデータは、全て「合理的」な動きだ。だからZは、素人の予測不能な動き(ミス)に対応できない。

――Jの「臆病さ」は、計算式にない変数ノイズだ。 ブラボーが笑った気がした。  

――おいJ。俺たちの技を使うな。お前の「ビビリ」に、俺たちの知識を上乗せしろ。

俺は資材置き場の奥へと追い詰められていた。  

そこには、工事用の巨大な発電機が鎮座している。  

まだ稼働していない静かな鉄の塊。

その周りには、太い工業用ケーブルがとぐろを巻く大蛇のように這っていた。

――J、あそこだ。エコーが囁く。  

――地面を見ろ。水浸しだ。ここならいける。

俺は発電機のそばへ走った。  

Zが追ってくる。

速い。

もう小細工は通じない。  

俺は発電機の操作盤の前で足を止めた。  

足元には、振動を抑えるための分厚いゴムマットが敷かれている。  

俺はそのゴムマットの上に飛び乗り、震える手で操作盤のカバーを開けた。

「追い詰めたぞ、J」

Zが水たまりを踏みしめて近づいてくる。  

俺と奴の間には、太い電源ケーブルが横たわっている。  

俺はゴムマットの上で縮こまり、泣きそうな声で叫んだ。

「来るな! 近寄るな!」

 俺は手近にあった鉄パイプを拾い上げ、Zに投げつけるふりをして、足元のケーブルを叩いた。  

カンッ!  

挑発だ。

「無駄な抵抗だ」

Zが無造作に踏み込む。  

その足が、ケーブルのすぐ横の水たまりに着地した瞬間。  

俺は持っていた鉄パイプを、Zではなく、Zの足元のケーブルに向かって全力で振り下ろした。  

狙うのはZじゃない。

ケーブルの被覆だ。

「……?」

Zが反応する。  

奴は俺の攻撃を「ケーブルを切断して鞭のように使うつもり」だと予測したのか、先んじて自らのナイフでケーブルを迎撃した。  

スパッ。  

鋭利な刃が、太いケーブルを一瞬で切断する。  

切れた銅線が、雨水の中に落ちた。

その瞬間を、俺は待っていた。

――今だ! スイッチを入れろ!

俺は発電機のスターターを殴りつけた。    

ドゥルンッ! グォォォォン!!

巨大なディーゼルエンジンが咆哮を上げる。  

発電機が起動し、切断されたケーブルの先から、数千ボルトの電流が泥水へと解き放たれた。

バチバチバチッ!!

青白い電光が水面を走り、Zの足を、体を、そして脳髄を駆け巡る。

「ガッ……アガガガガッ!?」

Zの体が硬直する。  

俺はゴムマットの上にいた。

電気は俺を避けて通り、水たまりの中に立つZだけに襲いかかった。  

俺は耳を塞いでうずくまる。  目の前で、最強の殺人兵器が光に包まれて踊っている。

「システム……エラー……過電圧……強制……」

Zの口から、壊れたレコードのような声が漏れる。  

俺の脳内でも、死者たちが絶叫している。

だが、それは苦痛の声ではない。歓喜の雄叫びだ。  

「安全な場所から一方的に攻撃する」。  

それは卑怯者の戦法だ。

だが、これこそが俺たちの選んだ「最適解」だ。

「恐怖こそが……!」

俺はゴムマットの上で、震えながら叫んだ。

「恐怖こそが、生きるための燃料ガソリンなんだよぉぉぉッ!」

ボンッ!  

Zの首元で小さな爆発音がした。  

埋め込まれていた制御チップが、過電流に耐えきれず破裂したのだ。

Zの体から力が抜け、黒焦げになった人形のように、バシャリと泥水の中へ崩れ落ちた。  

発電機が唸りを上げ続けている。  

俺は震える手で、停止ボタンを押した。

プスン……。  

あたりに静寂が戻った。


 ***


雨音だけが響く世界。  

俺はゴムマットの上から、恐る恐る地面に降りた。  

生きてる。  

俺はまだ、生きている。

横には、Zが動かなくなっていた。  

仮面が外れ、その素顔が見える。  

まだあどけない、十代くらいの少年の顔だった。  

目を見開いたまま、虚空を見つめている。

その瞳には、最期に覚えた「恐怖」の色が焼き付いていた。  

こいつも、俺が逃げなければこうなっていたかもしれない、もう一人の俺だ。

「……可哀想にな」

俺はよろめきながら立ち上がった。  

こいつも被害者だ。組織に感情を奪われ、兵器にされただけの子供。  

俺が殺した。  

吐き気がした。だが、感傷に浸っている時間はない。

キーン……。  

脳内のノイズが、静かになった。  

十九人の死者たちが、敬意を表するように沈黙している。  

俺はもう、ただの「器」じゃない。彼らが認めた「相続人レガシー」だ。

俺は目の前にそびえる本社ビルを見上げた。  

最上階の灯りが、俺を見下ろしている。  

オメガ。ボス。  

あんたが作った最高傑作は、俺という失敗作が壊したぞ。

「……行こうぜ、みんな」

俺は雨に濡れた髪をかき上げた。  

手足の震えは止まらない。

まだ怖い。  

だからこそ、俺は行く。  

この恐怖を終わらせるために。

俺は足を引きずりながら、ビルの正面玄関へと歩き出した。  

もはや隠れる必要はない。  

正面突破だ。

Zを撃破し、ついにボスの待つ最上階へ。

そこで明かされる、Jの脳内チップの真実バグ

そして、オメガが隠し持っていた「最後の切り札」とは……?

死んだはずの“あの男”が、Jの前に立ちはだかる! 涙と鉄拳のラストバトル!

第9話「バグが生んだ怪物」。

この物語の結末を、どうか見届けてください!

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