第7話 虚無のアルゴリズム
雨は止む気配がなかった。
俺は廃デパートを抜け出し、濡れた体を引きずりながら、都市の深部――湾岸エリアにある巨大な倉庫街へと歩いていた。
目指すは『イージス・セキュリティ』本社ビル。
だが、俺の足は鉛のように重かった。
『おいJ、足が止まってるぞ。ビビってんじゃねぇ!』
脳内で怒鳴り声が響く。**T**だ。元格闘家で、一番の喧嘩っ早い男。 『心拍数上昇。アドレナリン分泌過多。……やれやれ、これじゃあ狙撃の照準も定まらないな』
呆れたような声で茶々を入れるのは、A。皮肉屋のスナイパー。
『落ち着きなさい、二人とも。Jの恐怖は正常な反応だ。前方三〇〇メートル、未確認の熱源反応あり。……来るぞ』
冷静に警告するのは、P。
元工作部隊のリーダーで、俺たちの頭脳だ。
いつもの三人が騒いでいる。
俺は深く息を吐き、震える手で顔の雨水を拭った。
「……分かってるよ。来るんだろ、あいつが」
その時だった。
音もなく、俺の目の前の建設資材の上に、黒い影が舞い降りた。
着地音すらしない。雨粒が弾ける音だけが、その異質さを際立たせている。
全身を覆う漆黒のボディスーツ。
白い仮面。
Z。
ミサイラー計画の最終到達点。
「……J。確認した」
Zが口を開いた。スピーカーから流れるような、抑揚のない合成音声。
「処分プロセスを開始する」
言うが早いか、Zが消えた。
速い。
『右だ! ガード!』
Tの叫びに反応し、俺の左腕が勝手に跳ね上がる。
ドゴォッ!!
衝撃。
トラックに撥ねられたような重さが骨を軋ませる。
俺は吹き飛ばされ、泥水の中に転がった。
「ぐ、ぅぅ……!」
「ガード成功率、一二パーセント。非効率だ」
Zがゆっくりと歩み寄ってくる。
その動きには、殺意も憎しみもない。
ただ「作業」をこなす事務機のような冷徹さだけがある。
「おい、ちょっと待てよ」
俺は後ずさりながら、声を絞り出した。
時間を稼ぐんだ。
「お前、自分が何のために戦ってるか分かってんのか? オメガに言われるがままか?」
Zは足を止めず、首をわずかに傾げた。
「質問の意味を検索中……。回答:戦闘に『意味』は不要。私は最適解を出力するシステムであり、個我は実装されていない」
「システムだって? お前の中には、俺たちの仲間のデータが入ってるはずだろ! Aや、Bや……みんなの心が!」
俺が叫ぶと、Zは初めてピタリと足を止めた。
仮面の奥のレンズが、赤く明滅する。
「データは存在する。だが『心』という定義は不明瞭だ」
Zが右手を上げる。そこには鋭利なコンバットナイフが握られていた。
「Aの射撃精度。Tの打撃力。Bの爆破知識。それらは全て『勝利するための係数』に過ぎない。 感情、記憶、未練……それらは演算のノイズだ。私はそれらを削除し、純粋な戦闘能力のみを抽出した」
『……なんだと?』
脳内でAの声が低く響く。いつもの皮肉な調子はない。
『俺たちの人生が、ただの係数だと? 俺が死ぬ間際に想った家族のことも、Tが守ろうとした誇りも、全部ゴミ扱いかよ』
俺の中で、怒りの炎が燃え上がった。
こいつは、俺たちの「成れの果て」じゃない。
ただの抜け殻だ。一番大切な部分を切り捨てた、空っぽの化け物だ。
「……可哀想な奴だな、お前」
俺は震える足で立ち上がった。
「最適解? 効率? そんなもんのために、あいつらは命を懸けたんじゃない」
Zが再び構える。
「理解不能。J、お前の心拍数は上昇し、筋肉は萎縮している。それは『恐怖』だ。 恐怖は判断を鈍らせる最大のバグだ。なぜ、そのバグを抱えたまま立ち上がる?」
「バグじゃねぇよ」
俺は泥だらけの拳を握りしめた。
『そうだJ。教えてやれ』
Tが吼える。
『恐怖があるから、俺たちは足掻くんだ!』
「恐怖こそが、生きるための燃料なんだよ!」
俺は叫び、Zに向かって駆け出した。
勝算なんてない。
だが、この空っぽの人形に、俺たちの「人間臭さ」を叩き込んでやらなきゃ気が済まない。
Zが迎撃の体勢に入る。 その完璧な演算の中に、俺という「ノイズ」がどう映るのか。
論理と感情の戦争が、今始まる。
「恐怖こそが燃料だ!」 Jの魂の叫びは、感情を持たないZに届くのか?
次回、ついにZ戦決着!
最強のAIが計算できなかった、たった一つの誤算。
それはJの「無様な……」だった!?
予測不能のエラーが、最強の兵器を破壊する!
第8話「恐怖という名の燃料」でお会いしましょう。




