04
残されたエコー。
夫が私が彼を疑っていることに気づいているのではないかという不安感に、首に石をぶら下げたような息苦しさが息を詰まらせる。
今すぐ夫に電話して彼の反応を確かめたいが、そうはいかない。
怖いからだ。
怒っているのだろうか?
もしそうなら、どうすればいい?
「こっそり正体を探ろうとして、本当にごめんなさい!」と謝るべきなのだろうか?
いや、違う。
今私がすべきことは、逃げることだ!
間違いなく、私が間違いを認めた瞬間、首か額に穴を開けてくれるだろうから!
「そう!今すぐ逃げなきゃ!」
逃げることを決意して席を立った瞬間、何かパズルのピースが合わないような気がした。
エコーを置いて行ったということは、夫はエコーが何であるかを知っていて、追跡を避けるために置いて行ったということ。
つまり、夫は私が自分を疑っていることに気づいたということだ。
では、なぜ彼はすぐに私を始末しなかったのだろう?
妻に情があるからだろうか?
違う。
殺し屋の血はペンギンが泳ぐ南極の海水...!
彼らの心には温もりなど存在しない。
俺が彼の正体を探ろうとしていることに気づいたら、すぐに俺を排除するだろう!
これは彼が政府のために働くスーパーシークレットエージェントであっても変わらない。
秘密を守るためには、私を排除するのが一番だろうから!
「それならどうして私を生かしておいたの···? えっ···! まさか夫は優しい殺し屋なの!?」
そんな話ならまだ勝算がある。
うっかりエコーがバッグに入ったように見せかけたら、一度は許してくれると思う。
だって
私の夫は優しいから!
時間は午後5時。
夕飯のメニューを聞きたいという口実で電話してみることにした。
怖くて電話をかけたくなかったが、いつものように振る舞えば疑われないだろう。
夫の番号を押す指が重い。
まるで今日食べたお菓子が全部指に収まったような気分だ。
鳴り響く着信音は、まるで私のために演奏されるレクイエム。
着信音が長くなるにつれて、私の心はよりいっそう激しく踊る。
「今、相手が電話に出られません...。」
「えっ!?」
夫が電話に出ない。
不安が津波のように押し寄せ、思考を麻痺させた。
「え...どうして!?一度もこんなことなかったのに...。」
もう一度電話をかけてみたが、夫はまだ電話に出なかった。
3回目の電話をかけた瞬間、不吉な考えが私の指を止めた。
「まさか...私を捨てて逃げたの?」
もし、夫の優しさが演技ではなく、本当の性格だとしたら
そして、そんな人が殺し屋なら、自分の正体が妻にバレたときにやるべき行動はただ一つ。
妻を助けるためという口実を背負って逃げること。
エコーを発見した瞬間、おそらく夫は決断を下したのだろう。
もしそうなら、私は安心できる。
彼が私を生かしておくことにしたということだから!
「なんだ... よかったじゃん!?」
安堵できるはずなのに、なぜか心が重くなった。
なぜだろう。
しかし、この疑問の答えは意外にも簡単で、幼稚だった。
幼稚だった。
「じゃあ、私はこの家でずっと......。」
目が重くなるのと同時に、喉が詰まって言葉が続かない。
ぼんやりとした視界。
机の上に飾られている夫と一緒に撮った写真を眺めている私の目からは涙が溢れてきた。
「......本当に私を捨てたの......?」
あの日、私が会話を盗み聞きさえしなければ...と思った。
知らぬが仏というのは、この時のための言葉だろう。
プロの殺し屋を相手に下手に正体を探ろうとしたこと自体が問題だった。
たかがエコー一つで追跡される相手だったら、とっくに命を落としていたはずだ。
しかし、過去の後悔よりも私を苦しめるのは...。
これから進む私の未来に、彼が一緒にはならないという事実だ。
そんな時、突然横から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「え...ヒマリ...?」
振り向いた先には、逃げたはずの夫が立っていた。
極度のストレスによる幻覚かと思いきや、夫は明らかに今、私の前に立っている。
「えっ...!?ヒマリ、泣いてるの!?う、どうしたの!?!?!?」
我に返った時、私はすでにキラーかもしれない人の腕の中に飛び込んでいた。
バカだ。
愚かで、また愚かだ。
でもこの瞬間、私は気づいた。
私がどれだけこの人を愛しているのか。
夫は何の質問もせず、私を抱きしめたまま頭を撫でてくれた。
まるで子供を慰めるように。
「もしかして説明しにくいことなの?」
思いやりに満ちた夫の問いかけ。
私は夫の胸に顔を埋めたままうなずいた。
「では… 心の準備ができたら言ってね。」
「...られたのかと思った。」
「え?」
「捨てられたと思ったよ!」
「誰に?」
「あなたに....」
「ああ、そうか、そんなことが...... え?」
夫は私を引き離し、私の表情を見た。
きっとひどい顔をしているはずなので、私は首をそらした。
どうしても夫の顔を見ることができなかったので、彼の表情を見ることはできなかったが、きっと心配に満ちた顔だろうと思う。
「どうして私があなたを捨てたの? もしかして...電話に出ないから?」
「......。」
「......ごめん、今日予定されていた夕方の日程が全部キャンセルになって早く退勤したの··· それでサプライズしてあげようと、わざと電話に出ずにまっすぐ家に帰ってきたんだけど… そんなふうに考えるとは思わなかった。」
今思い出したんだけど、確かに夫は今朝家を出る前に夜勤するかもしれないと言ってたのでアリバイは成立する。
しかもこの声のトーン
これは彼が正直になるときの声だ。
2年間の付き合いで、私は夫について多くのことを学んだ。
その一つが、声のトーンで誠実さを見極めることだ。
「......驚かせてごめんね...。」
「いや、ひまり。 私も電話を無視してごめんね。 それより··· お詫びの意味としてはもう買ってきたので、ちょっと変に見えるかもしれないけど...。」
恥ずかしそうに聞こえてくるがやがやという音。
夫の手には円形の木製の容器が入ったビニール袋が握られていた。
私はビニール袋に書かれた伝統的な文様の入ったオリジナル商標を確認した。
「それは待ち行列がすごく長くて、食べるのを諦めたあの寿司じゃないか!? 包装も予約制で受けて手に入れるのが大変だと思うけど!!!」
「ふっ、サプライズって言ったよね? でも…··· 食べられる? そんなに泣いては···。」
「もちろんだよ!!!」
夫に抱きかかえられながら台所に向かう中、私はもう夫の正体などどうでもいいと思っていた。
彼の職業が何であろうと関係ない。
大事なのは、彼が私を愛してくれていること。
そして何より私が彼を愛していること。
もう夫の職業を調べるのはやめることにした。
その夜、寝起きの私が話を聞き間違えたのだろう。
こんなに優しくて家庭的な夫がプロの殺し屋だったなんて...。
私に向けるこの温かい手が、今私の皿の上にあるマグロの刺身のように、他人を傷つけることはないだろう?
今日の出来事で、私がいかに夫を愛していたかを改めて知ることができました。
これからは一生、このように仲睦まじく
夫と好きな食べ物を食べて
好きな場所に旅行に行き
好きな音楽を聴きながら老いていくだろう。
だから、もう...。
夫に対する悪い想像はこれで幕を閉じる。
全ては愚かな演出家によって台無しにされた芝居だった。
と思っていた。
私は今、丹精込めて用意したデザートとお茶が乗ったトレイを持ったまま、夫の部屋の前で固まっている。
震える手でトレイをかろうじて落とさずに、ドアの向こうの夫の声に耳を傾ける私。
心も今だけは少しだけ静かにしてほしい。
私が今、夫の部屋に入らずにこうして固まっているのは、またもや夫の会話を聞いてしまったからだ。
*
夕飯を食べ、少し残業を済ませるために少し部屋に入った夫。
食事を済ませ、残った席を簡単に片付けた私は、夫のためにウサギの形に整えたフルーツとお茶を用意し、夫の部屋へ向かった。
ところが、夫の部屋に着いてノックしようとした瞬間、ドアの向こうから彼の会話が聞こえてきた。
「拷問なしに精神を破壊しろというのはとんでもない頼みじゃないか!」
「……え?」
あまりにも鮮明に聞こえた夫の言葉。
今回は確実に精神が覚醒している状態ではっきりと聞こえた。
(拷問...? 精神を破壊...? これは...どうやって...されたんだ!!?)
実は私はあまりにも平和に生きていたのだろうか?
元々世界はこんなに怖いのに、保護された生活を送ってきたのだろうか私は?
違う。
確かに夫の会話は普通というカテゴリーに属する会話ではない!
私の人生は誤答だらけの人生だった。
でも...。
今回ばかりは、私が全面的に正しいと確信している!
私が書いている小説に登場する悪役オークにこの話を聞かせても、簡単に納得できないと断言できる!
彼らもエルフを相手にするときは、苦痛のない結末を用意してくれるから!
(フィクションではあるが...。)
私は再びドアの向こうの会話に集中した。
「うーん...じゃあ、ここでは薬を使うしかないね。」
(薬物まで出てくるの!?)
「うん··· まあ、そういうのはよくあることだから。 薬物を原液のまま注入すると、普通は正気に戻らないんだ。」
(いったい何を企んでいるの!?)
「ああ、それなら確かに拷問は越せるわね。どうせ拷問するのも面倒だし...。それに、そんなの書くのは私の好みじゃないしね。」
(こっちの仕事に好みも反映されるの!?)
「あ、そいつのことか? 私も心配なことがあるんだけど...。」
(心配だって? 費用の問題? それとも倒さなければならないターゲットが多いのかな?)
「うん...どうやら怪しまれてるみたいでね、ずっと隠してたからさ。 そろそろ話す時期が来たような気がするんだけどね。今朝も実は...ちょっとびっくりしたんだ。まさかそんなバカなことをするとは思わなかったからさ。」
(え?)
その瞬間、心臓が落ちそうだった。
くだらないこととは、きっと私がエコーをバッグに仕込んでいたことを言っているのだろう。
あれは間違いなく私の話だ。
足に力が抜けそうになるが、ドキドキする心臓を必死に押さえながら、夫の話を聞き続けた。
「うん、すぐに言わないとね。 でも...受け入れられないなら......。」
'(ごっくん....)'
「それで終わりかも。」
(ふぇえええ~~!!!!?)
夫の怖い言葉を聞いて、本能的にドアから落ちようと後ずさりした瞬間、床の弱った部分を踏んでしまったせいで、木がギシギシと音を立てた。
(しまった!!!!)
「あ、ちょっと待ってね...。」
夫がドアに向かって歩いてくる音がした。
一瞬の出来事。
私は夫が合理的に受け入れられそうな数十のアリバイを思いついた。
これは小説を書く私にとって非常に基本的な能力である。
(ふふふ...! 小説家としてこれくらいは基本だよ···! ……と思っている暇はない!! しっかりしろって!!!)
私はすぐに脳を酷使し始めた。
(今逃げてしまうのは地獄行き確定エクスプレスチケットだよ···!!
夫の部屋の大きさを考えると、夫とドアの間の距離は約3メートル。
そしてドアまでたどり着くのにかかる時間は約2秒。
したがって、トレイを持って足音を消したまま夫がドアを開ける前に遠くに逃げることは不可能....。
それに床がきしむ音を聞いてドアから歩いてくる夫は今ドアの外に私がいることに気づいた状態だから...。
つまり、私がここから逃げても何の意味もない愚かなこと...! だからこういう時は...!!)
私はすぐにドアをノックした。
今のような状況では、今ちょうど部屋の前に着いたように見えるのが一番説得力があるからだ。
「あなた?デザート持ってきたよ!」
私はいつものように振る舞い、デザートの入った棚を渡した。
「あ、ごめんね...もしかして邪魔したの?」
「あ、いいえ!気を遣ってくれてありがとう。すぐ出るから、ちょっと待っててね。」
「うん!居間で待ってるよ。」
デザートを受け取った夫は一度だけ微笑んで、再びドアを閉めて入っていきました。
そして、それ以上の会話の音は聞こえなかった。
リビングに向かった私は、ソファに身を投げるように倒れた。
まだ私の心臓はまるでホリー・スティーブンスのモーターのようにドキドキしている。
私はクッションを抱きしめ、アンモナイトのように体を丸めた。
「うぅ...どうすればいいんだろう....」
どうやら夫の調査は今後も続くようだ。