八、流れを辿る
凛樹は顎に手を当て、小竹と共に唐家の長い廊下を歩いていた。頭の中には失踪した小葵のことばかりが浮かんでいる。この大きな屋敷で彼女を見つけ出すには少なくとも四日はかかるだろう。だが、ここに彼女がいると確定しているわけでもない。軽率な行動が彼女の行方をさらに遠ざける可能性がある――そんな不安が凛樹の胸に重くのしかかっていた。
「どうしたもんか……」
凛樹は深いため息をつき、改めて状況の悪さを実感する。探すためには追わなければならないが、そのための手がかりがない。猫を頼りにここまで来たものの、これからは自分たちで判断しなければならない。考え込む凛樹の表情には、迷いと焦りがにじみ出ていた。
小竹がその様子をじっと見つめている。何かを言いたげに唇を動かしながら、凛樹が口を開くのを待っていた。しばらくして、ようやく考えをまとめた凛樹が提案する。
「まずはこの家の会計係を探そう」
“人の心を掴む道は胃袋から”という言葉が頭をよぎる。商家において、会計係はまさにその『胃袋』にあたる存在だ。凛樹は脳にある知識を思い出しながら、確信を持って言葉を続けた。
この琰は商売を主として国家を運営しており、法規も他の国と比べて商業がやりやすいよう纏められている。琰刑統と呼ばれる基本的な法典には、商家における会計業務が厳密に定められており、すべての取引が記録される仕組みになっていた。老師の元で厳しく育てられた凛樹はこの法を知っていたからこそ、取引の記録を書く会計係に話を聞く、もとい会計帳 を略奪することが最優先だと考えた。人身売買だとしても、絶対に名称が偽られて記録されているはずだからである。
「探すって言ってもさ、どこにあるんだろ?」
小竹の素朴な質問が耳に入り、凛樹はハッと我に返る。そして、しめたと言わんばかりの表情を浮かべながら口を開いた。
「なぜか商家の会計は二階にあるんだよ。それはな――」
凛樹はこれまでの経験と商家の特徴を元に、二階に会計部屋がある理由をくどくどと説明し始めた。一階を荷物置き場として利用することで労力を節約できること、二階ならば外的要因による書類の紛失を防げることなど、合理的な理由を列挙しながら語り続ける。
「――前に猫がうちの一階で大乱闘を起こしていたろ?あれが書類の上だったらと考えるとゾッとする。仮にあれがほかの生き物、例えば亀とかならもっと――」
「いや、つまりさ、探すべき所は二階なんだね?」
小竹の一言に話を遮られ、凛樹は自分が話の本筋を見失っていたことに気づく。気まずそうに目をそらしながら、しょんぼりと謝った。
「……なんか、ごめん。」
そんな凛樹を見て、じわじわと口角が上がる小竹。そして突然吹き出した。
「亀……亀はないよ!」
小竹は笑いながら手で口元を隠した。その笑顔に、彼女らしい天真爛漫さがあふれている。笑いながらも、凛樹に言葉を投げかけた。
「大丈夫だよ、凛凛のよくわかんない例えはいつもの事だし」
「……いつもじゃないでしょ」
小竹の笑い声が耳に残る。そんな風に思われていたのかと、胸の奥で恥ずかしさが湧き上がるが、その笑顔を見ていると不思議と肩の力が抜けていく気がした。少なくとも、拳は緩んでいた。
そこから少し歩いた先、廊下の奥に階段が見えてきた。凛樹は迷うことなく足を進める。小竹は、慣れない環境に戸惑いを見せながら凛樹の腰に手を添える。突然の接触に一瞬ぎくりとするも、妹のような小竹を気遣い、凛樹はその手を拒むことなく受け入れた。ぎこちない足取りながらも、二人は階段を上がっていく。
階段を登りきると、下男たちが行き交う長い廊下が目に入る。その廊下の両脇には、大量の紙束が無造作に積まれていた。凛樹の目が一際大きな紙の山に留まる。その前には、他の部屋と明らかに異なる雰囲気を放つ襖がある。
(間違いない。あそこだ。私の部屋と同じ様な感じがする――きっと会計部屋だ)
そう確信した凛樹は、周囲の下男たちの視線を確認する。全員が仕事に熱中しており、こちらに目を配る余裕のある者はいない様だった。堂々と一瞬にして廊下二人でを渡り、目的の部屋の襖に手をかる。すると、勢いよく開かれた襖の向こうには、予想通り山積みの紙が散乱していた。大小様々な紙類が部屋中に散らばり、見るからに整理されていない光景だった。
「……ねえ、凛樹。どうしたの?」
小竹が後ろから問いかけるが、凛樹は返答しない。横から見る顔はどこか一点を見つめている様だった。
「ねえってば!どうしたの!」
小竹は凛樹の沈黙に我慢ができなくなり、その腰越しに部屋の中を覗き込む。一見して、ただの荒れた部屋のように思えたが――ふと、茶色い箪笥に目を向けた。箪笥に引き寄せられるように目を凝らすと、抽斗に何かが付着していた。
それは乾いて黒ずんだ、血痕だった。