三、勘違い&スルー
(誰だこいつ!?)
あまりに突然の来訪に凛樹は驚きを隠せない。
そりゃあ誰だってこうなる。自分たちの首を握っているかもしれない偉い方の可能性だってある。粗相をしたらどんなとばっちりを受けるかなんて想像に難くない。
「そんなに目を丸くしないでくれ」
男はにこやかな口をしながらそう言う。
「も、申し訳ありません。まさかこのような場所に漢服を着た方が来るとは思いませんでしたので、つい、」
しどろもどろだができるだけ角が立たないように返答する。
大丈夫だっただろうか?下手に刺激をしたら私どころか商家ごと吹っ飛ぶ可能性だってある。皇帝に使えているかもしれない方を怒らせるわけには絶対にいかない。それほど役人の力とは怖いのだ。あともう一つ、念には念を入れ本で見たあの礼儀をしておこう。
(確かえーっと…んんん!確かこうすればよかったはず)
ゆっくりと右拳を左手で抑えるように構えた。
「それは拱手かい?」
(……やったか!?)
凛樹の顔は下を向きながら少しドヤりだす。
「だけど…それだと男性だね」
男は少し吹きだし笑いをしながら指摘してくる。
どうやら私は知らない間に盛大に伏線を張って、回収してしまったらしい。
「…すみません。何分身分の高い方とお会いする機会が少なかった故…」
やってしまった。今世紀最大の恥かもしれない。
凛樹の顔は真っ赤に染め上がり、風呂が沸いてしまうほどの熱に覆われた。
(自信満々にドヤ顔で間違った事をしたなんてほかの女中に知られた日にはもう表通りを歩いていけない…)
少々追い詰めすぎな気がするが、普段そこはかとなくすべてのことをやり通せる凛樹にとってそれに値するほど恥ずかしいことであった。
チラッと口までしか見れていなかった相手の顔を見る。
「女は手の交差が逆なんだよ、左拳を右手で抑えるといい」
静かにクスクスとその一重で美形な男に笑わていた。
(いつまで笑ってるんだこいつ)
凛樹は少しムッと表情がこわばっていく。男はそれに気づいたのか、コホンと咳払いをし笑うのを自制した。この男も自分と同じく表情にソレが出やすいのだと凛樹は気づく。
「そういえば自己紹介をしてなかったね。私の名は シュウトク。宮廷に仕えている。これからこの商家と良い取引をしたいと思っている。よろしく」
「ご丁寧にありがとうございます。私の名は 凛樹 と申します。この商家で女中として雇っていただいております。今後ともよろしくお願いします」
(意外と丁寧なやつなんだな)
最初襖から話しかけられてきたときにはあまりにもざっくばらんな話し方に驚いたが、女中の私にもしっかりと挨拶をしてくれた。商家に勤めて出会った客の中には自分の身分を声高らかに自慢して、上から目線でものを話す奴が多い。だがこの方は身分が高いはずだが決して傲慢ではない。今後仕事でかかわるだろうからあとで名前の漢字を書いてもらおう。…仕事とは関係ないが、ちょっといい匂いがする。最近の男の間ではお香を焚くのが流行っているのか?いかんせん疎いからわからないが鼻腔を抜けるいい匂いだ。
凛樹はシュウトクに平均の男より少し色をつけた点数を付ける。彼女にとって地に落ちている男性への好感度があるのにもかかわらず平均よりも色がつくのは異例であった。初めての見る宮廷の男性だからなのかはわからない。
「凛凛!凛凛!!」
いきなりドタドタと大声を出す女が駆け上がる音を出し階段を上ってくる。
彼女は小竹、下女としてこの家に仕えている。話では、貧しい農家の両親を助けるために少しでも給金が良いところを探した結果この家に落ち着いたらしい。私より五つ下のはずだが芯の強さは私以上である。人付き合いも得意なようで、この商家では知る人ぞ知るある種のマスコットになっている。会話が苦手な私にとってこの娘ほど話しやすい相手はこの家にいない。口が堅い私を買ってかこの子はいろいろな相談をしてきてくれるかわいいやつなのだ。まあ話す内容は大抵イケメンが店に来たとか泥まみれのおじさんが来たとかその辺の話だが。
そんな愛らしい彼女が少し嗚咽しながらも何かを必死に伝えようとする。
「〇✕▢△!?・*%・」
「ん?なんて言った?」
あまりに息切れしているので凛樹にもシュウトクにも伝わらない。
小竹は今出せる最大限の息をかき集めもう一度言い放った。
「シャオクイがいなくなっちゃった!」
巻き込まれてしまった。