誠志の章 第一節
皆様、初めまして。
私はハナと同郷の誠志と申します。年齢は三十八歳です。
ハナは、私が小さい頃から私の実家、両親が営んでいる商家で暮らす様になりました。何でもご両親が山の落石事故で亡くなったので、両親が引き取ることになったと聞かされました。
私たちはハナの血縁ではありません。ハナの親戚は皆生活に余裕がなく、一人残されたハナを引き取ることができなかったそうです。
私はその時、家で一人、両親の帰りを待っておりました。母は家を出る前に言っていました。
「ちょっと村の寄り合いに行ってくるよ。帰りは遅くなるかもしれないから先に寝てていいよ」
私は寝ないで両親の帰りを待っていました。当時、まだ小さかった私は、一人で寝るのが怖かったのです。
「……母さんと父さん、遅いな。お酒を飲んでいるのかな。眠くなってきちゃった……」
あくびをしながら待っていると、両親が帰ってきました。一人の女の子と一緒にです。母が私に言いました。
「誠志? この子はハナ。これからこの家で一緒に暮らすことになったんだ。仲良くするんだよ」
ハナは緊張した面持ちで、私にお辞儀をして言いました。
「……ハナです。よろしくお願い致します」
小さな子供にする挨拶ではありません。きっと気持ちに余裕がなくて、少し混乱していたのだろうと思います。余裕がないということでは私も同様で、いきなり増えた家族に戸惑いを感じるばかりで、ハナを前にして、ただお辞儀をすることしかできませんでした。
母がハナを空いている部屋へ案内して言いました。
「この部屋を使っておくれ。今日は疲れたろう? すぐに風呂を沸かすから、呼ぶまでゆっくりしておいで。浴衣を持ってくるから、お風呂に入ったら着替えてゆっくり休むといい」
その時のハナは、ただ母の言うなりにお風呂に入って、浴衣に着替えて、あてがわれた部屋で眠ったようでした。何も考えることができないでいたようです。
私は落ち着いた様子になってから、母に聞きました。
「これからは、あのお姉ちゃんと一緒に住むの?」
母は私に言いました。
「ハナだよ。あの子の名前はハナ。いいかい? あの子は今日、大変な思いをしてここに来たんだ。お前も男の子なら、ハナをいたわってやるんだよ」
ハナは、来たばかりの頃しばらくは、ずっと無表情でした。
「ハナ? そこの棚から飯椀と汁椀を人数分出して、居間のちゃぶ台に並べておいておくれ」
「……はい、奥様」
母は、ハナにもっと笑えとか、愛想をよくしろとは言いませんでした。ハナに笑顔が戻るまでに時間がかかることを知っていたようです。そして時間をかければ、きっと笑顔が戻ってくるだろうということも。
ある時です。山へ山菜を取りに行っていた母が、ハナの心を慰めようと野花を持ち帰ってきたことがありました。
リンドウの花でした。母はハナの部屋においてあった両親の位牌にお供えしてはどうかと、ハナにリンドウの花を渡しました。
ハナはしばらくリンドウの花を見つめていましたが、突然、堰を切ったように泣き出しました。母は、きっと両親のことを思い出したのだろうと思ったそうです。
その日辺りからだったと思います。少しずつハナに笑顔が見られるようになっていったのです。
「ハナ? 居間の他に客間の方も箒をかけておいてくれるかい?」
ハナが笑顔で答えます。
「はい、奥様。お布団部屋とお便所の方は、もうお掃除が済んでいます。皆さんのお部屋の方も、よろしければお掃除しておきます」
母も安心したように笑顔になります。
「ああ、ありがとう。頼むよ」
私はいつの間にか、ハナのことが気になって仕方がないようになっていました。しかし、ハナの関心は商家である私の家の役に立つことだけだったので、私に関心を向けてもらうようにするのは大変でした。
それでもハナと一緒に学校に行っていた頃は、勉強でわからないところがあるふりなどをしてハナに話しかけられましたが、ハナが学校を卒業してしまってからはそれも難しくなりました。
それからの私は、ハナの気を引くために様々ないたずらを仕掛けることが日課になりました。台所に立つハナの背後に忍び寄っていきなり大声を出して驚かせたり、布団部屋の入口にかえるを紐でぶら下げておいて驚かせたりしました。思い返してみれば、恥ずかしくなるくらい幼稚なことをしていたと思います。
そうして数年が経った頃、村長の息子さんが家に来るようになったのです。店の休みの日の度にです。私は面白くありませんでしたが、どうすることもできませんでした。ただただ、自身の無力を感じていただけだったのです。
to be continued...