幕間(6)
「聞いたぞ、ノア。魔獣の討伐にローレンの森に行くんだってな」
僕は不意なことに本棚から取り出した書物を落としそうになった。殿下は執務机でペンを止めて僕を見ている。気高い紫の瞳がアメジストのように輝いていた。
「どこでそれを……ああ、陛下か」
殿下の少し口角を上げた表情で情報源がわかった。存外に殿下と陛下は仲が良い。
1週間程前、僕は父上に魔獣の討伐に行かせてほしいと願った。父上の執務室でディアナと会ったあの日。
理由を問われ、「魔獣が活発化している今、ヴィエルジュ家の者として冒険者ばかりに負担を強いたくはないから」と、もっともらしいことを述べた。ディアナの模擬戦闘を見て内心焦っていることを父上に悟られないように。
底光りした夜明け色の瞳をじっと向けられながら返事を待っている間、僕の心が透けて見えていないだろうかと、両手を後ろで組んで手を固く握っていた。さっきの今だから、もう少し日が経ってからにすれば良かったかもしれない。
しばらくして、「護衛の手配をしておこう」と言われたときは一瞬面食らったけど、すぐに許可をくれたのだと理解して、ようやく手の強張りがほどけた。
許可をしたのは、後に騎士団を率いていく立場として経験を積む必要があるとのことと、魔獣の森の現状を実際に僕自身で把握し対策を講じてみろ、とのことだ。
「騎士団を率いていく立場」と父上に言われて、僕は喉が締め付けられるような感覚がした。父上に期待されているとわかって、心にあったわだかまりが少しずつ溶けていった気がした。難しい課題が出されたけど、期待に応えるためにもディアナに対する邪な感情は捨てようと思った。
殿下は僕が魔獣の討伐に行くことを知っていた。どういう経緯かわからないけど、父上が陛下に話したのだろうか。いやきっとしつこく問い質された方が正しいかもしれない。
「確かにそうだけど、それがどうかした?」
「私も行くから、よろしくな」
「は?」
僕は耳を疑った。
「冗談だよね?」
「私は陛下みたいに冗談を言ったりしない」
心外だとでも言うように殿下は肩を竦める。
ちょうどその時、執務室の扉が開き、用事に出ていたアンリが戻ってきた。難しい顔をした僕と笑みを浮かべる殿下を見て、アンリが首を傾げる。
「どうかしたのか? 何の話をしていたんだ?」
アンリは僕たちの方に歩いて行きながら尋ねた。
「ノアの魔獣の討伐に私も行くんだ。アンリもどうだ?」
アンリが目を見開く。僕と殿下を交互に見る青藤の瞳には戸惑いが見えた。
「いや行くって、勝手は駄目だろう」
「陛下の許可もヴィエルジュ辺境伯の許可ももう取ってある」
「父上が?」
僕は父上が許可を出したことが信じられなかった。
この討伐は、僕の次期当主としての力量が試されるものではないの? まさか殿下のお守りをしながらやれってこと? でももし殿下に何かあったら……
その後に待ち受ける僕の未来を想像して身震いした。だから僕は正直に言った。
「殿下を守りながらなんて僕にはまだ無理だよ。そもそも経験を積むために行くんだから」
「ノアの邪魔にはならない。私の剣の腕を知っているだろう? 魔獣の討伐経験も何度かある。それに私を守るのは近衛騎士団だからノアがやる必要はないし、私に何かあってもヴィエルジュ家の責任にはならないことは陛下と一緒にヴィエルジュ辺境伯と約束しているから、心配しなくて良い」
むしろそれが条件かと、僕は理解した。
「何かあったら困るのは王家だろう? 王女殿下は紫の瞳ではないから、後継ぎはユアンしかいないじゃないか」
アンリが考え直せと言外に言う。
ユアン殿下には2つ年上の姉君が一人いる。確か瞳の色は王妃様に似た濃い緑色だったと思う。この春から王立学院の3年生になるはずだ。
「ノアのところのヴィエルジュ騎士団に加えて、近衛騎士7名、王国騎士10名、上級魔法師6名を連れて行く。各団の副団長もいるから十分すぎる戦力だ。何も高ランク区域に行くわけじゃない。今問題になっている低ランク区域に出没する高ランク魔獣を討伐するんだ。そうだろう?」
「そうだけど……」
もうそこまで準備が進んでいるのか。
「知っていると思うが新たなSランク冒険者が現れたんだ。しかも史上初の魔法使いだ。見目も麗しいらしい。できればこの目で見たい」
それは僕も聞いていたので少し気にはなっていた。
「2週間後のアリエスの月には学院が始まるだろう」
「決行は5日後だ」
どうあっても行くつもりだとわかったアンリはため息をついて、けれど何かを考えるように「……わかった。俺も行くよ」と言った。
殿下は昔から少々強引なところがあるからこちらが折れるしかない。そしてアンリは2年くらい前から「僕」呼びから「俺」に変わった。
「ふ、決まりだな」
「ねぇ、本当に行くつもり?」
って、聞いていない。
リュシアンも誘ってみるかとか、頭脳派のルカは行かないだろうとか、この場にいない二人のことを話しているのを眺めながら僕はもう自分のことに専念しようと思った。




