幕間(4)−3
執務室に入ると、陛下はソファで紅茶を飲んでくつろいでいた。常に一緒の近衛騎士団長であるレーヴェ侯爵は扉の外にいたので、部屋には陛下以外誰もいない。
「お前の分もあるぞ」
陛下の向かいのソファに座り、入れられたばかりの紅茶をひと口飲んだ。
ひと息入れても、陛下は私を呼び出した理由を一向に話さず、テーブルに置かれたティーカップを見つめたままだ。宝石のように鮮やかな紫の瞳は瞼と金色の長い睫毛で隠され、よく見えない。
私はディアナが心配だったから早く屋敷に帰りたかった。ディアナのことだから、黒竜が現れたことでさらに焦りを募らせているかもしれない。そして私に黙って冒険者になりに行くとも限らない。それにこのまま待てば陛下の休憩時間が終わる。
「何か私に用があったのでは?」
ようやく陛下が顔を上げ、紫の視線を一瞬私に向け、また外した。
「んー、特に用という用はない」
「つまり私は陛下の息抜きに付き合わされていると」
「堅苦しいぞ、ジュード。今は2人だ」
視線が絡む。私は小さく息をつき、脚を組んだ。
「まだ帰ってやることがあるんだが」
「ふ、まぁ付き合え。それにしてもヴェルソー公爵の息子への過保護ぶりには毎度呆れるな。ああいうのは家でやってほしいものだ」
「黒竜を神聖視しているからな。同じ漆黒を持つ彼が大事なんだろう」
そのせいで彼は魔塔に引きこもっているから、少し気の毒に思う。
「その息子には反発心があるようだがな。また髪色を変えていたぞ。実は毎回楽しみにしているんだ」
「知っている」
陛下――アルフレートの他にも、魔法師団長の髪色の変化が気になっている者は何人かいる。うちの影もそうだが、あれは面白がっている。
「あとはミハイルだな。あいつは学院の頃から全く変わってないなぁ。誰もジュードには敵わないのだから良い加減諦めて認めれば良いものを。くく、ジュードのハッタリも真に受けているし」
アルフレートは思い出し笑いをしている。先程は堪えていたが。
「……へミニス辺境伯も辺境を守っているというプライドも、それに見合った実力もある。ヘレストリアと長く友好関係でいられるのは彼のおかげだ」
「お前は人の悪意にほんと興味ないな。だから相手がつけ上がり続けるんじゃないか? 先見の明なんてスキル、持っていないんだろう? そんなものなくても、ジュードは昔から先を見据えて行動しているしな」
「……どうしたんだ? 今日はやけに私を褒めるな」
アルフレートは唇の端を上げた。
「なに、お前の娘がアンリ・ベリエとばかり親しくしているから、お前を褒めておけば俺の息子と親しくなるよう計らってくれるかと思ってな。他の候補の令嬢たちは皆息子に気に入られようと頑張っているというのに」
「なんだそれは」
親しくなるも何も、ディアナは殿下の婚約者候補でしかない。しかもディアナはベリエ家の令嬢と親しいだけで、令息とは特別親しいわけでもないのだが。
ユアン殿下の婚約者候補は全部で5人いる。
侵略派からはフィリア・へミニスとレリア・シュツェ、中立派からはディアナとリリア・ベリエ、そして新たに選出された擁護派のセシリア・フィシェの5人だ。
「この部屋の窓から空を飛ぶ黒竜を見た。尋常じゃない大きさに驚いたが、ひと目見て、あれは決して侵してはならない存在だと感じた。ユアンの代ではなく俺の代で起こったことに正直嘆いたな」
アルフレートが苦笑する。
ひと目見て不可侵だと感じたとアルフレートは言った。黒竜が月の女神の弟神だということは、私とディアナと、あの時私の部屋にいた者しか知らない。
「……『女神の化身』の血がそう思わせるのか?」
アルフレートは肩をすくめた。
「わからん。だが黒竜を見て、ユアンの相手は侵略派から選ぶわけにはいかないと確信した。あいつらは黒竜討伐を謳っているからな。侵略派は数が多い。この有事に結束されるとユアンの相手が侵略派からってことになっていてもおかしくはない」
アルフレートが両手を組んで俯き、続けた。
「黒竜は200年に1度しか姿を現さない。200年は人間には長い。黒竜の存在自体夢物語になっていく。俺もこの目で見るまでは半信半疑だった。俺だけじゃない。代々の王家がそうだった。だから王家は何度か侵略派の貴族から妃を娶っても特に問題はなかった。討伐隊を山脈に向かわせても森とは違う結界のせいで中腹より先には進めず徒労に終わるからな。だが実際黒竜が現れたことで擁護派だけでなく侵略派も勢い付いた。俺の懸念はな、ジュード。もしユアンが侵略派の令嬢と婚姻を結び、黒竜討伐なんてことになれば、俺はお前に号令をかけなければならなくなる。山脈の謎の結界なんてあの魔塔主ならどうにかするだろうしな。……ジュードがこの国最強なのは嫌という程知っているが、万が一、万が一お前が……」
アルフレートは珍しく言葉を詰まらせた。常に尊大で人を誂って楽しむ男らしくない。
「……アルフレート」
名前を呼ぶとアルフレートの体が一瞬ぴくりと動き、一拍置いて「なんだ」とばつが悪そうに顔を上げて言った。
「私の心配をしているのか? 昔からいつも私をからかってばかりの君が。心配しなくとも、私は黒竜と戦う気は毛頭ない。もし戦えば、私も周りも無事では済まなくなるし、その機に乗じてこの国を虎視眈々と狙っているエルヴァーナ皇国が攻め入るだろう。皇国の間者も黒竜を見ただろうしな」
しばらくの間紫の瞳が揺らいでいたが、納得したのかいつも通りの少し笑んだ表情に戻った。
「……ならやはり侵略派からは無しだな。波風立てないように、俺としてはユアンの相手は中立派から選びたいんだが」
やはりそう来るか。
「リリア・ベリエがいる。幼い頃から常に一緒なら彼女に決まったようなものだろう。それに王家とうちは血が近い。何故私の娘を候補から外さない?」
「決まっているだろう。お前に瓜二つという娘を候補にしないわけがない。それに娘が生まれた途端、お前んとこの領の屋敷が一切の接触を断ったせいで、『ヴィエルジュ辺境伯、娘溺愛のあまり軟禁説』が貴族の間に流れていたんだぞ。おまけにお前は年に何度か領地に帰っていたしな。『あの絶世の美貌をもつ辺境伯が溺愛する娘』、気になるだろう? なぁ、王家の影を使うのもわかるだろう? 俺は気になって気になってしょうがないんだ」
「……」
昔ディアナに王家の影を差し向けるのをやめろとアルフレートに言った時も、これと同じようなことを言っていたな。
アルフレートは先程とは打って変わって生き生きとしている。だが私には面白がっているようにしか見えない。
「だから何だ。そんなことが理由になるのか?」
アルフレートは片方の手で自身の癖のある長めの金色の髪を撫で付けた。
「俺にとってはなる。まぁ、良いじゃないか。ユアンの成人まであと4年ある。それまでは皆候補のままだ。結界の崩壊が近い以上、何が起こるかわからないからな」
確かに何が起こるかわからない。実を言えば、ディアナが殿下の婚約者候補である内は、シュタインボック家含めどの家からも婚約の打診を断る口実になっているから正直助かっている。その上殿下と婚姻を結ぶ確率も低い。ディアナの浄化が終わった後でも、15歳なら婚約者探しはそう遅くはないだろう。
「立太子はどうするつもりだ?」
殿下の成人のことが出たので尋ねた。アルフレートはソファにもたれ、腕を組む。
「……立太子か。3年後は結界崩壊でそれどころじゃなくなるからな。今年のユアンの誕生日には準備がもう間に合わないから、誕生日から半年後の新年の祝賀の際に行うとしよう。立太子には少し早いが、もしものことを考えて先にさせておく方が良いだろう」
「……君にはどんな攻撃も届かないから安心しろ」
アルフレートは一瞬目を丸くした後、目を細めて微笑んだ。
「あ、誕生日で思い出した。お前の娘は今年で13歳になるだろう? ユアンの誕生パーティーで社交デビューしたらどうだ? 」
その口元が緩んだ顔から考えが透けて見えた。国王失格じゃないのか。
「娘の社交デビューは娘の誕生日にと考えているが」
「お、じゃあそれ俺も行こうかな」
「……」
「ははっ、冗談だ。だがユアンの誕生日パーティーのは冗談ではないからな」
「……わかった。考えておく」
無事に浄化が終わった後のディアナのことを考え、戦闘技術ばかりでなく、本来の令嬢としての社交の技術も磨いていく必要があるため、社交デビューはさせるつもりだった。それならば殿下に関わりたくないディアナには悪いが殿下の誕生パーティーは良い機会かもしれない。だが、アルフレートがディアナに会いたがっていることは、本人に言わない方が良いだろうか。




