幕間(4)−1
「黒竜が現れたな」
陛下の声が、大きな円卓が置かれた会議室に響き渡った。その声はこの場にいる貴族たちのようにこの世を嘆くような声ではなく、淡々と事実を言うような声音だ。
陛下は円卓の上に両肘を付き、組んだ両手に顎を乗せ、この部屋にいる者全員を、王の証である鮮やかな紫の瞳で見渡した。
緊迫した空気の中、しばらく無言が続く。
ここにいるのは皆要職を任された重鎮であり、領主貴族だ。黒竜が現れたことで全員召集された。
「やはり文献にあったことは事実だったようですね。黒竜様をこの目で見られて擁護派として感激の極みですが、現在この国にはまだ大満月すら来ておらず『女神の化身』もいません。せっかくの警告ももはや無意味なように思います」
無言を破ったのはフィシェ侯爵だ。神聖視している黒竜を見ることができた喜びと「女神の化身」がいないことで起こる最悪の事態に悲観し、複雑な表情をしている。
「諦めるのはまだ早いぞ。もし結界が破れスタンピードが起きても、我々には王国軍の総長と魔法師団長がいるではないか」
シュタインボック公が私とヴェルソー魔法師団長を見ながら落ち着き払った口調で述べた。
「大事な跡継ぎを危険に晒したくないんだがな」
ヴェルソー公が青紫色の瞳でシュタインボック公を睨みつける。
「何を言っている。国を守るのが魔法師団の務めではないか。しかも貴殿はまだ彼が子どもだった頃に彼の才能を知ったからこそヴェルソー家に迎え入れたのだろう? ならば国の危機にその才能を使うべきではないのか」
正論を言われヴェルソー公は何も言い返すことができず、怒りと羞恥で顔を赤く染めた。彼は黒竜と同じ色を持つ魔法師団長をただ失いたくないだけだ。私は隣に座る魔法師団長を横目で窺ったが、稀有な漆黒の瞳には何も変化はなかった。髪色は変えたようだが。
「黒竜は魔獣をけしかける脅威です。見ましたか皆さん、あの巨大で獰猛な姿を! まさに『魔獣の王』ですよ! あぁ、恐ろしい。今すぐ討伐するべきです!」
シュティア侯爵の言葉に他の侵略派の貴族も同調し頷く。
「ふん、その巨大で獰猛な黒竜を誰がどうやって討伐すると言うんです? 文献通り黒竜が攻撃してこなかった以上今はまだ静観するべきで、他にやるべきことがあるでしょう」
義兄であるヴァーゲ侯爵が侵略派を諌めた。
その後も次々と意見が飛び交う。
私はしばらくそれを静観していると、ベリエ公が朗々とした声で喧騒を破った。
「黒竜のことは一旦置いて、 結界の崩壊に備えてまずは3つの森周辺にいる住民たちを避難させるのが先じゃないのか」
「それはそうだが、だがこうなった場合の指南書や手引書のようなものはあるのか」
「そんなものはない。今までは『女神の化身』がいたから『魔獣の王』が現れても結界修復の準備だけで済んでいたのだ。だが今回は『女神の化身』がいない。イレギュラーなことだ、我々で考えるしかない」
シュタインボック公の剣呑な返しに、ヴェルソー公が深いため息をついた。
「その通りですな。では海側であるベリエ領、フィシェ領、シュタインボック領の南、へミニス領の南を避難先とするのはいかがですか? 魔獣の森がない領の方が民も安心するでしょう」
宰相であるエスコルピオ侯爵の考えに意義を唱える者はいなかった。4家に確認をすると、皆それぞれ了承の意を唱えた。
「ではそれぞれの避難場所についてと避難民の区分け、物資についても検討するため、この会議後に休憩を挟んだ後、また4家の皆様は集まってください」
その後も会議は続き、内容は魔塔が研究している結界魔法の件に移った。
「進捗はいかがですか?」
宰相がヴェルソー魔法師団長に問う。
「何度か魔獣の森に行って結界を解析していますが、『女神の化身』による結界は複雑すぎてまだ3分の1しか解析できていません」
高くもなく低くもない、耳障りの良い声で状況を伝える。
「3分の1か。あと3年で結界が崩壊するならぎりぎり間に合うかもしれませんな」
「そんなわけないだろう。結界魔法の研究は彼が魔塔主になった10年前から行っている。10年でまだ3分の1だ」
フィシェ侯爵に対しシュタインボック公が呆れたように言う。財務大臣であるため、研究費を把握しているのだ。
「申し訳ありません。優先的に急ぎ結界の解析をしていきます」
「あまり無理をしないようにな」
青紫の瞳に心配が滲んだ父であるヴェルソー公爵に、「わかっています」と彼は頷いた。
次は高ランク魔獣の件についてだ。
「シュツェ侯爵、その後の状況の説明をお願いします」
「はい。騎士団の対応が早かったため、死者は2人と最初の報告と変わりありません。CDEランクの冒険者パーティーには必ず2人の騎士が護衛として加わっているので、安全面が上がりました。ギルド側としては、Aランク冒険者たちに報酬を上乗せして対応をあたらせておりますが、Aランク冒険者の負傷者が増えつつあります」
ギルド統括大臣であるシュツェ侯爵が応えた。領主貴族の中では唯一の女性当主だ。
「わかりました。ポーションは足りてますか?」
「今のところはまだ大丈夫かと。ですがエリクサーが各神殿の救護院に2本在庫があるかないかまで急速に減っています」
宰相がシュツェ侯爵の言葉を受けて、魔法師団長を見た。再び彼に視線が集まる。
「……近いうちに採りに行く予定です。私の研究室にまだ10本程ストックがございますので、後ほどシュツェ侯爵にお渡しします」
彼が言うと、シュツェ侯爵が礼を告げた。だがそこでヴェルソー公がうろたえた。
「こんな時にランデル山脈まで行くのか? 危険だろう!」
「心配無用です。もう何度か行っておりますし、あそこは魔獣が寄って来ませんから」
エリクサーの素材である銀月草を私も採りに行ったことがあるが、ランデル山脈の中腹に咲くあの周辺には確かに魔獣は一体も出なかった。あの場所は遮る木々などが何もなく、夜になれば月の光を存分に浴びることができるため銀月草が群生する。……もしや魔獣は月光を避けているのだろうか。
「だからそこに行くまでが――」
「公爵」
魔法師団長が公爵の言葉を遮り強めに声を出す。
「何も1人で行くわけではありませんから。心配無用です」
にこりと、だが2度目は強調するように言って、公爵は渋々だがようやく引いた。
結界の研究に銀月草の採取。結界の方を優先するなら、銀月草は私が採りに行ったほうが良いだろう。後ほど魔法師団長に伝えておくか。




