26.婚約者候補
私はあまりの衝撃に声が出なかった。
「知らなかったみたいね。実はもう一人候補がいて、殿下たちと同い年のシュツェ侯爵令嬢なんだけど、今日は体調不良で残念ながら欠席なの。殿下のことが大好きだから今頃ベッドでくやしい思いをしているでしょうね」
リリアが色々情報を提供してくれるけど、私は全然耳に入って来なかった。
待って、殿下の婚約者候補? いつの間にそんなことに? お父様は知っているのかしら。でも知っていたら私に教えていたはずだし、お父様は殿下との婚姻を反対していたわ。私も王家に嫁ぐのは絶対無理。その覚悟もないし、何より女神様との約束があるから誰かの婚約者になっている場合じゃない。それに全部無事に終わった後はせっかくの異世界ライフをゆっくり満喫する予定だ。
この後お父様に会う約束がある。その時にどういうことか聞いてみなくちゃ。候補ならまだなんとかなるはず。
「ディアナ?」
お兄様が私の肩に触れ、私は思考の渦から抜け出した。
「……お兄様? 何でしょうか?」
「いや、ぼうっとしていたから。ベリエ嬢もディアナが何も反応しないって心配していたよ」
「あ、ごめんね、リリア」
「わたくしこそ。びっくりさせちゃったみたいね」
「何の話をしていたんだ?」
アンリがリリアに尋ねた。
「今日招待された令嬢は殿下の婚約者候補だって言ったら固まっちゃった」
リリアが、てへ、と可愛くおどけた。
「え、初耳ですよ」
なんとお兄様も知らなかったようだ。
「一部の大臣どもが勝手に言っているだけだから気にするな。それにヴィエルジュ家は候補の中で一番王家と血が近いから可能性は低いだろう」
殿下がお兄様に言うのを聞いて、私はほっとした。
「そんなにほっとされると傷つくな」
殿下が面白がるような笑みを私に向けた。本当に傷ついてるのかしら。
「僕もほっとしてますよ。ディアナ嬢を狙っているので」
「ほう」
「アンリ殿」
「はは、そう怖い顔しないで。婚姻なんてどうせ親が勝手に決めるんだから、言うくらい構わないだろ?」
「貴殿の立場を理解してほしいですね」
「もちろん言いふらしたりしないよ。あくまでディアナ嬢の前でだけだ」
それも困るんだけど。まあ、私は領地に帰るし、長いこと会わなければ自然と冷めるわよね。
お兄様はまだアンリに信用していない目を向けている。いつも穏やかなお兄様が珍しい。
「そんなに心配しないでよ。辺境伯様には睨まれたくないんだ」
「……そうですか」
お兄様は言葉では了承しているけど、表情は穏やかとは程遠い。
あれかな、お兄様は私が目をつけられないよう守ろうとしてくれたのかな。こんな見た目だもんね。前世で兄妹がいなかったから、兄に守ってもらうってこんなに嬉しいものだなんて知らなかった。でも守ってもらうばかりだと、ずっとお兄様に甘えてしまうからよくないよね。いつもお兄様が一緒ってわけにもいかないから、私一人でも対応できるようにならないと。
ひとり決意していると、ざわめきが突然しんと静まった。王妃様がここに戻って来たようだ。
そしてお茶会のお開きの挨拶をされると、「この後、各家のご子息の方々は残ってちょうだい」と皆を見渡して言った。
え、お兄様残るってこと? 何があるんだろう。
「ではな。また機会がある時に」
殿下がそう言って席を立つと、私達も立ち上がった。
「じゃあね、ディアナ嬢。今度うちに遊びにおいで」
「え」
「良い案ですわお兄さま! ディアナ、近い内に招待状送るね」
殿下とアンリが丸いテーブル席の方へ行くのを見送った後、私は破顔したリリアに向き直った。
公爵家に遊びに来いと? そんなのひとりじゃ絶対無理!
「お、お兄様も一緒なら……」
私は顔が引きつるのを必死に抑えた。
「もちろんよ! ねえ、ディアナはもう帰るでしょ? 良かったらうちの馬車で送っていくわ」
「あ、ごめんリリア。この後お父様と会う約束があって」
「銀月の君と!? いいなぁ、わたくしもひと目でいいから会ってみたいわ……! でもそういうことなら仕方ないわね。 じゃあまたね、ディアナ。ノア様も」
リリアは手を振り、扉の方へ向かった。
「じゃあ僕も行くよ。すぐ終わるようなら先に帰ってて良いからね」
お兄様にはこの後何があるのかわかってそうな雰囲気だ。
「お兄様の方が早く終わったら?」
「僕も父上と話すことがあるからこれが終わったら執務室に行くよ」
「わかりました」
「ちゃんと護衛と一緒にいてね」
「わかってますよ」
心配性なお兄様と別れ、私は扉の外に向かった。
ベリエ兄妹に構われたり、殿下の婚約者候補だったりと心に疲労を感じるお茶会だったけど、とりあえずは何事もなく終えられて一安心していると、シュタインボック小公爵と目が合った。
その瑠璃色の瞳はわずかに嫉妬のような色を帯びていた。今日初めて会った人に嫉妬される覚えがないので気のせいかもしれないけど、無視するのも失礼かと思い、私は小公爵に目礼をしてサロンから出た。
扉の外では女性騎士のレイと一緒に、レイの黒い騎士服とは違う紺色の騎士服を着た背の高い男性騎士がいた。焦げ茶色の短い髪と鳶色の瞳をしたがたいの良い男前で、騎士服の胸元や腕には紫の糸で刺繍された王家の家紋があった。ちなみに王家の家紋は、ランデル山脈の中腹に群生している銀月草という花だ。エリクサーの材料になる万能薬で超貴重な花らしい。文献では満月の光を浴びることによって銀月草の魔力が変化し治癒力のある薬草になるのだそうだ。絵図から見た目は小ぶりな百合のようで色はその名前の通り銀月色に輝いているらしい。でもこの花、どこかで見たことがある気がするのよね。
「ディアナ様、こちら王国騎士団第一部隊所属で総長の副官をされているジェフリー・ベッセマー様です。総長の執務室までご案内頂けるそうです」
レイが紹介する。二人が並ぶと、鍛えているレイがだいぶ細く見える。
「ジェフリー・ベッセマーです。どうぞお見知りおきを」
お父様の副官なんだ。柔和な目元から人当たり良さそうな雰囲気だけど、騎士服を着ていてもわかる屈強な体躯から強そうな印象を受ける。
「ディアナ・ヴィエルジュです。こちらこそよろしくお願いします」
ベッセマーさんがにこりと微笑む。
「では参りましょうか」
誤字がありましたので、修正致しました!
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