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158.モヤモヤします

うーん、どっちにしよう……


私は目の前の棚に並べられた数ある万年筆の中で2種類のものとにらめっこをしていた。


胴軸がお兄様の瞳の色と同じ翡翠色のものにしようか、それとも万年筆全体が翡翠色のものにしようか……どっちにも胴軸部分に小さな丸い緑色の宝石が付いていて、どっちも捨てがたい。


顎に手を添えて迷っていると、背後にいたハインがニヤついた声でそっと話しかけてきた。


「あの人と一緒にいなくて良いんすか? せっかくのデートなのに」


「ちょっ……」


私は慌てて周りを見た。ノヴァ様は店の隅の壁に掛けられた絵画をじっと見つめていた。ここからじゃ何の絵かは見えない。


私は声のトーンを落とした。


「デートじゃないわ。一緒にお兄様たちへの贈り物を選んでいるだけよ」


「ふーん。そんな悠長にしていて良いんですか?」


「どういう意味?」


ハインが私の斜め向かいの5,6m先にいる若い女性2人に一瞬だけ目を向けた。


その視線を追って私もさりげなくその2人を見る。数m先で未だに絵画を見ているノヴァ様に秋波を送っていた。


「……」


胸の中に重たい靄が広がる。


「……知ってます? あの人が総長に連れられて領内の街の視察をする度に街の有力貴族に縁談を持ちかけられたりしているらしいですよ」


喉が詰まる。


「そうなの?」


「ええ、護衛で一緒にいた騎士に聞いたんで。でも全部断っているみたいですよ」


「……」


ノヴァ様がモテるのはわかっていたことじゃない。「結婚しない」ことを条件にリュトヴィッツ家の中継ぎ当主になったから女性たちからのアプローチがあっても何も心配ないと思っていたけど……そんなことなかったわね。


動揺からか、遮断していた魔力が漏れ出ていた。無意識だったので、私はしばらくそれに気づかなかった。


お兄様の婚約パーティーにノヴァ様は出るのよね。常にああいう視線を浴びるのを私はずっと見ていなくちゃいけないのかしら。


「ディアナ様」


ハインが屈んで私の耳元で囁いた。囁き声なのに力強く耳に届いた。


私ははっとして急いで何でもないような顔を作った。ここが外だということを忘れていた。しかも魔力が出ていたためそれも慌てて遮断し直した。


いけない、ダークな気分になっていたわ。魔力が出ていたことにも気づかないなんて。結構危ないじゃない、しっかりしなきゃ。


すると、ハインが突然スッと後ろに下がった。同時に影が落ちる。


「どうした?」


聞き心地の良い声にはっと顔を上げると、ノヴァ様が私を見下ろしていた。ただ瑠璃紺の瞳には不満のような心配のような色が滲んでいた。


「……あ、いえ……えっと、どれにしようか迷ってしまって」


たぶん私の魔力を感知して何があったのかと来てくれたんだと思う。試しにダンジョンを出した時もそうだったし。魔力が出てしまったのはダークな気分になっていたからだけど、その気持ちをノヴァ様に悟られたくなかったので、無理やり平静を装った笑みで誤魔化した。


「……」


ノヴァ様がハインに一瞬だけ瞳を動かした。その鋭い視線にハインは少しも動じておらず、むしろ鳩が豆鉄砲を食らったような顔でノヴァ様を凝視した後、肩をすくめた。


私は一連のことがよくわからなかったので、さっきの会話の続きをした。


「ノヴァ様はもう何にするか決めましたか?」


「……いやまだ何も」


「先程まで熱心に絵画をご覧になっていましたけど、あれにはしないのですか?」


「ああ……あれにはしない」


わずかに口角を上げてそう言った。


どうしよう……あまり長居すると周りの女性たちがノヴァ様に話しかける勇気を溜め終わって実行してしまうかもしれないから早く決めたいのに。


ちょっと焦っていると、ふと万年筆の棚に一緒に置いてあるインク瓶が目に入った。万年筆と同じくらいこちらも種類が豊富に揃っていた。


……いっそセットにしてしまおうかしら。


「私はお2人に万年筆にしようと思っているのですが、ノヴァ様はインクになさいますか?」


ノヴァ様はインク瓶を眺め見ると、「そうしよう」と頷いてくれた。


ノヴァ様にインクを2つ選んでもらっている間に、私もどっちの万年筆にしようか決める。でもやっぱり決まらない。


気分を変えようとセシリア嬢のを選ぼうと目線を変えた。ちょうどその時端っこに薄い水色の万年筆が存在に気づいてほしいみたいに輝きを放った。翡翠色を主に見ていたので今までこんな綺麗な色があったことに気づいていなかった。


胴軸についた宝石はアクアマリンで、万年筆全体のグレーみがかった水色はセシリア嬢の瞳の色に似ているような気がした。しかもフィシェ侯爵家の「フィシェ」は魚座のことだしちょうど良い。


お揃いにするのもアリね。クリップ部分に名前を彫ってもらうのも良いかも。


私はお兄様の方を全体が翡翠色の万年筆に決めた。セシリア嬢にと決めた万年筆と同シリーズのものだったから。


「これとこれにします。インクは何色にしますか?」


「魔石がついたこれにしようと思う」


ダークブラウンの小さな瓶をノヴァ様がひっくり返した。蓋をしてあるので中身が零れることはない。


見ると瓶の底にパールよりも大きな透明な魔石が埋め込まれていた。


「一日ごとに色が変わるインクだそうだ。少し値が張るが」


これもハルトさんの作ったものかしら。7色変わるって、1週間分てことか。でもあまりこういう遊び心のあるものを作らないイメージだわ。ハルトさんの作る魔道具は便利さを追求したものが多いから意外ね。


「面白そうですね。良いと思います。ではこのインク2つと万年筆2つでそれぞれ包装してもらいますね」


カウンターに持っていくと、そこには若い男性店員と老女の店主らしき人がいた。祖母と孫だと理解できる程容貌が似ている。


私が万年筆とインクをカウンターに持ってくると、若い男性店員さんが見るからにガチガチに緊張していて、口調もしどろもどろだ。見かねた老店主が対応してくれて、それぞれ贈り物用に包装してもらうことと万年筆のクリップ部分に「ノア」と「セシリア」と彫ることを承ってくれた。


15分程でできるとのことだ。あまりお店に長居したくない私は女性たちがノヴァ様に話しかけないようにノヴァ様と一緒にいとこうと踵を返した時、さっきまでノヴァ様がじっと見ていた絵画が目に入った。

次回は10/1(水)に投稿致します。

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