幕間(18)ー5
月の精の演奏が変わった。それまで奏でていた優しげな音色から厳格さを帯びた音色へと。
そして目の前の円形の舞台上に、ウィルゴが音もなく現れた。
神々は歓談を止め、辺りに静けさが満ちる中、ウィルゴが身につけている鈴の音が演奏に合わせてリズム良く鳴り響いた。
新緑色の衣と銀色の羽衣が舞に合わせてふわりとなびく。月の精の放つ無数の金色の光がウィルゴの周囲に浮かび、幻想的な光景を演出していた。
ウィルゴが頭につけている星の冠が月光に照らされ青白く輝き、1年で最も美しい満月を背に祈りを込めて舞う。その姿に誰もが釘付けになっていた。
俺も久方ぶりにウィルゴの舞を見て、確かに200年前と比べれば大分上達したと感じた。ふと振り返って対岸にいる姉上を見ると、誇らしげな笑みを浮かべていた。
たまには宴に出るのも悪くはないと思った。
だが舞が終われば俺は神殿に戻るつもりでいる。男神たちの忌む視線は受け流せるが、俺の周りにいる女神たちへのあしらいには慣れていなかった。
そして舞がいよいよ終盤に差し掛かろうとした時――
「きゃあっ!」
後方から短い悲鳴が聞こえた。
……っ、姉上?
声に聞き覚えがあり、俺は舞台に向けていた体を後ろに向け、騒ぎの方向――対岸に目をやった。
「ルナ様!!」
「何をしている!!」
向こうの方で武闘派の星の眷属神たちの怒号が聞こえる。厳粛で清浄だった空間が突如として喧騒に満ちた。
異変を感じたウィルゴは舞を止め、月の精たちの演奏も止まった。
俺は顔色を変え、未だ俺に寄りかかっていた女神を押しのけると、レオ、リブラ、アリエスと共に姉上の元に急いで駆けつけた。
「姉上!!」
「ルナ様!!」
その光景に血の気が引く。あの男神ダリオが、姉上を羽交い締めにしていた。華奢な姉上の体をダリオの逞しい腕が締め付けている。
2柱の周囲を武闘派の星の眷属神6柱が一定の距離を保って囲んでいる。皆歯を食いしばり、怒りと焦りが顔に滲み出ていた。
その様子を数多の神が蒼白な顔で見ている。
俺はそこに割って入った。
「お前達、何をしている。早くそいつを取り押さえろ!」
「で、ですが……」
武闘派の6柱はそれぞれに近接武器を持っているが、近づくとダリオの腕に力が入るため中々近づけないでいた。
神力でダリオを攻撃することもできない。何故なら、神力での攻撃は人間界にも力の影響を及ぼしてしまうため、天界では攻撃に神力を使うのは禁じられていた。武闘派6柱の眷属が武器を持っているのはそのためだ。
サジテールは弓をつがえてダリオに狙いを定めているが、ダリオが姉上を盾にしているため姉上に当たってしまう可能性を恐れて矢を放てない。
俺は歯噛みした。
「お前らそこを一歩でも動いたらこの満月の女神の美しい顔が無惨なことになるぞ!」
怒りが込み上げる。
「貴様、どういうつもりだ」
俺の怒りに反応して俺の闇色の神力が勢いついて溢れ出した。星の眷属神以外の神が俺から離れようと後ずさる。
「少し抑えよ、ノヴァ」
オルベリアンが俺の肩を叩く。いつの間にか隣に来ていた。
「先程まで私と同じ席にいたダリオだな。確かロカスの眷属だったか。争いはご法度だと知らないのか? しかも柱神に手を出すとは。処罰は免れぬぞ」
「ダリオ、お前は何をしているのかわかっているのか」
ロカスが静かに凄む。物静かな印象のロカスが怒りを顕にしていた。
「そんなのは承知の上です! だが俺はもう我慢ならない!」
ダリオの、射殺さんばかりの怒りに満ちた目が俺に向く。
「新月の神! 俺の愛するアティラを奪ったお前に絶望を味わわせてやる!」
動揺が瞬く間に広がる。先程まで俺がいた場所から女神たちのざわめきが聞こえてきた。周りからの視線が刺さる中、レオやリブラ、他の眷属神から驚愕の目を向けられる。
俺は身に覚えの無い話に眉根を寄せた。
「アティラ? 誰だそれは」
「っ、さっきまでお前の隣にいた女神のことだ!」
俺の隣……ああ、俺に触れてきたあの女神か。
俺は苦虫を噛み潰した。
「俺はアティラを愛しているのにアティラはお前が好きだと言った! だから俺は気味が悪いお前をさらに貶めるためにその目の不吉さを広めて孤立させたのに、それでもアティラはお前を……! くそっ、ふざけんじゃねぇ!!」
ダリオの体に力が入る。鼻息が荒い。目も血走っている。
姉上は頭上で叫ぶダリオに震えながら固く目を閉じていた。
あの姉上が怯えている。慈悲深く、笑顔の絶えない姉上が……初めて見る姉上のその姿に俺は焦燥を抱き苛立ちを覚え、息苦しさを感じた。
レオやリブラたち星の眷属神は皆一様に意味がわからないといった表情と呆れを含んだ声で口々に罵る。
「そんなことで?」
「頭がおかしいですね」
「嫉妬ってそっちかよ」
「お前、柱神にこんなことしたらタダじゃすまねぇぞ」
「ふざけるのも大概にしろ」
「うるさい! 新月の神、お前の目の前でお前が最も大切にしている満月の女神を傷つければ俺の憎しみが少しは晴れるだろうよ。だから俺はこの日を待っていた。100年ぶりにオルベリアン様が宴に現れるなら必ずお前は出ると踏んでな」
握った両手の拳が震える。
「俺が憎いなら直接俺に向かえ。お前の身勝手さで姉上を傷つけることは到底許されることではない。だいたい俺はアティラという女神とは今夜初めて会った。奪ったなどと、勘違いも甚だしい。わかったら姉上をさっさと放せ!」
ダリオの顔がみるみる赤く染まっていく。そして体を激しく震わせた。
「そうかよ……この女神がどうなっても良いんだな!!」
瞳孔を開き、雷鳴のような声で叫ぶ。
姉上を締め付けている腕に力が入った。
「うっ……」
姉上の顔が苦痛に歪む。
刹那、殺意が芽生えた。
闇色の神力が辺りに勢いよく放出される。
巨大な満月が闇に隠れた。
次回は6/5(木)に投稿致します。




