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幕間(18)ー1

ディアナが「影」という者に抱えられて去っていく。


……? 


胸の辺りに手を当てる。内側が膨らみ、震え、そして刺すような痛みが走った気がした。


俺は覚えのない感覚に疑問に思ったが、人間の居住区に降りたのは数百年ぶりのためこんな不思議な感覚に陥ったのだと思い直した。


目の前の男に顔を戻す。ディアナに似た、天界の神々にも引けを取らない程の容貌。ディアナ程魔力は多くはないが、俺を前にしてもこの落ち着きぶり。放出された神力の圧に顔色ひとつ変えないとは、只者ではないな。後ろにいる老人もだが。


「父親」という者がどういう存在かはわからぬが、俺にとっての姉上のような者なのだろう。見えない護衛を付ける程ディアナを大切にしている……


俺は目線を外し、瞼を伏せた。


「無事送り届けた」


「……感謝します。この礼は必ず」


「礼には及ばない」


俺は近づいて来る複数の足音の中、闇と共に再びランデル山脈に戻った。



戻って来ると、灰色の雲が流れ橙に染まる空が覗いていた。陽が西の海に沈んでいく様子が見える。


俺の浄化の影響を受け、正常に戻った木々や芝の地面を眺めた。


そして己の掌を見る。


黒い神力が漏れ出ているのは相変わらずだが、何百年と続いていた息苦しさも、毒に蝕まれる痛みもなくなった。


全てあの娘のおかげだ。もちろん、今まで俺に結界をかけてくれたあの3人にも感謝をしている。


また俺に結界を張ってもらう必要があるが、ディアナが浄化の後倒れてしまったためできなかった。


俺は先程見送ったばかりのディアナの姿を思い浮かべた。


白銀の髪、満月を映したような金色の瞳、月の神力……それらを持っていることから禁を破って姉上が姿を変えて降りてきたのかと思ったが、全くの別人だった。そして……


――綺麗な瞳。


あの一言で、長い年月胸の辺りにあった重い何かが少しだけ取り払われたような気がした。そしてまた、あの不思議な感覚が芽生えてくる。人間の居住区から離れたはずなのに。


岩に腰掛ける。橙の光を追いやるように空が藍色に変わる。雲は完全に流れ、澄んだ空に星が一つ、また一つと現れ始めた。


そして陽が沈み、完全な夜になった。星が満天の夜空に散りばめられ、それはいつになく輝いて見えた。


「ふ、お前達、祝福してくれるのか」


眷属である12柱の星の神々の顔が浮かぶ。


そして東の空に満月が現れた。


これまでここから眺めてきたどの満月よりも煌々と光り輝き、地上を明るく照らしている。


「……ありがとう、姉上」


人間界に追放されても俺のために諦めなかった姉上に感謝した。そして今までとは景色が違って見えることにも。


ふ、後悔はしていないと思っていたんだがな……


俺は夜空を眺めながら、あの日のことを想起した。



およそ800年前――


この世界は天界・人間界・冥界と、3つの界に分かれている。


天界と冥界には神が数多(あまた)いるが、その中には柱神という13柱の神がいる。


最高神である創造の神オルベリアン、太陽の神イユレ、海の神ラメル、天空の神ロカス、時間の神ライカス、大地の女神テーレ、冥界の神ヘレト、知恵の神ソピア、愛の女神ヴィーテ、調和の女神イリニ、混沌の神ゲラ、満月の女神ルナ、そして新月の神ノヴァ。


俺と姉であるルナは表裏一体、同じ月の神だ。ルナは満月を司り、俺は新月を司る。


光と闇。その特性の対比は見た目にも性格にもよく現れていた。


満月の女神ルナは天界一の美貌を誇る女神だ。満月の光のように金色に輝く瞳と慈愛に満ちた目元、足元まで伸びた長く艷やかな白銀色の髪、透き通るような白い肌。


そして満月の特性は「吸収」。その力で結界や治癒、浄化に長けている。さらに月光のように他者を優しく照らす性格ゆえに姉上を慕う神は多い。


対して新月の特性は「放出」。その特性上俺の神力は常に体の外に放出されているため、俺の体からは闇色の神力が漏れ、オーラのように全身を覆っていた。それを不気味に思う神は少なくない。


加えてこの赤い目。


以前は言われていなかったが、ここ200年程前から俺のこの赤い目が不吉だと神々の間で広まっていた。どの神が吹聴したのか不明だが、人間界で言われている「赤い月が出る日は不幸が訪れる」という迷信を利用したらしい。俺と目を合わせると不幸になる、と。月が赤く見えるのは、太陽が放つ赤い光が届くただの現象に過ぎず不吉でも何でもない。俺には誰かを不幸にする力はない。


俺を忌み嫌う神は多い。赤い目と常に放出される闇色の神力の不気味さに加え、俺は女神ルナの弟でもあった。姉上を慕う神にとって俺は邪魔な存在だった。


天界では宴がよく開催されるが、俺の目を見て逸らす神が増え始めてからは出席することがなくなった。最高神であるオルベリアンの催す宴には少し顔を出す程度で済ませるが、それ以外は出なかった。


元々ひとりで過ごすことが多かったが、これによりさらにひとりでいることが多くなった。特にどうということもない。幾星霜存在する神にとってそんなことは些末なことだと俺は既に慣れていた。強がっているわけでもなく、神々に疎まれようと忌み嫌われようと心底どうでも良いと思っている。


だが姉上だけは、そんな俺をいつも気にかけていた。


ひとりでいる俺に度々話しかけ、温かな笑顔でとりとめのない話をする。星の眷属たちを交えればその空間は騒がしさと温かさと柔らかさに満ちていた。俺がひとりでいられるのは姉上と眷属たちがいるからかもしれない。


そして()()日――星の眷属神の1柱であるウィルゴが天宮に入る満月の日。


毎回この日の夜には宴が月の神殿で開かれ、9柱の柱神とその神に属する神々を招いて行われる。この日は人間界でも収穫祭が催され、1年の中で大切な行事になっていた。


招かれるのが9柱なのは、冥界の神ヘレトは冥界から出ることはないため数には入らず、混沌の神ゲラは500年程放浪して行方が知れない状態なため今回も出ないだろう。


宴が始まる前、俺はいつものように神殿裏に樹海のように広がる月桂樹(ローリエ)の森の中にひとりでいた。


葉と葉の隙間から漏れる陽の光を浴びながら、片膝を立てて木にもたれかかる。


目を閉じてさらさらと吹く涼やかな風の音と揺れる葉音を聞いていると、草を踏みしめる微かな音も聞こえてきた。


「こんな所にいたのね」


聞き慣れた、この風のように澄んだ声が耳に入る。


俺はゆっくりと目を開けた。


「今夜は月の宴があるのは知っているでしょう? 天界を留守にしていたオルベリアンが100年ぶりに戻って来て宴に出席してくださるようだから、今回は少しだけでも顔を出して」


俺は伏し目がちに言った。


「……気が向いたらな」


姉上は小さくため息をついた。


「どういう時に気が向くのかしら……無理にとは言わないけど、オルベリアンもあなたのことを気にかけている神のひとりだということを忘れないで」


「……」


「あ、そうそう。レオたちがあなたのことを探していたわ。もうすぐここに来ると思うからそこを離れないであげてね」


俺がため息をついたのを見て姉上はクスクスと笑い、「それじゃ、私は宴の準備があるから」と言って立ち去った。


俺は伏せていた目を上げ、姉上の背中を見送った。

次回は5/26(月)に投稿致します。


今後しばらくノヴァの回想が続きます。

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