116.邂逅
黒竜は、静かに私を見下ろしている。
凍てつく風が頬を撫でた。
うぅ、寒い。変身解いてマントがないからだわ。あれに適温の魔道具をつけているから。
ちょっとこの冬山の寒さに耐えられず、私は収納魔法から水竜のマントを取り出し、ワンピースの上に羽織った。寒さがぐっと和らぐ。
そして「失礼しました」と言って居住まいを正した。
「私はあなたの浄化をルナ様にお願いされました」
〈浄、化……〉
黒竜の深紅の目が見開かれる。
〈お前は浄化ができるのか……?〉
「はい……ようやく、ですが」
まだ目標値まではいってないけど。
〈……ふ〉
上から笑ったような吐息が降ってきたので見上げると、黒竜は目を閉じていた。
〈そうか、とうとう……〉
感慨深い声音で言う様子に、長い間浄化をしてくれる者を待っていたんだなと、浄化魔法ができるようになって改めて良かったと私は嬉しく思った。
〈だが疑問がある。その魔力……今までの者とは性質が違うようだ。桁外れに量が多い上に姉上の神力と同じものを感じる。この明らかな違い、まずはどういうことか説明してもらおう〉
私は静かに唾を飲み込んだ。
竜だけど相手は神様。誤魔化しは効かないと思い、順を追って事の経緯を説明することにした。
「……私は、元はこの世界の人間ではありません」
〈……ほう〉
黒竜が興味深そうに相槌を打つ。
「こことは異なる世界の『日本』という国に住んでいました。魔法も何もない代わりに科学技術が発達した国で、そこでは私は今よりも大人で、仕事と家を行き来するだけの生活を送っていました」
不意にあの頃の、孤独で機械じみた生き方を思い出した。
両親を早くに亡くし、親戚に引き取られても周りに友達がいても自分の居場所はどこにもないと感じ、孤独感が拭えなかったあの頃。星空を見上げて宇宙の広大さに思いを馳せては自分のちっぽけさと、そんなことは些末なことだと認識することでしか自分を慰められなかった。
なのに、不思議と今は本当にあの頃が何でもないことのように思える。この世界に来てそんな風に星空を見上げることもなくなった。この世界で大好きな家族に囲まれて13年過ごしていく内に、それはもう過去のものとして昇華できていることに気づいた。
清々しい気持ちになり、自然と口角が上がる。
「けれどある日、仕事を終えた帰り道で事故に会い命を落としました。でもそれは創造の神であるオルベリアン様の姉である神によって手違いで起きてしまったことらしく、そのお詫びという形で私はオルベリアン様によってこちらの世界で転生させてくれることになりました。その際に、ルナ様から弟を救って欲しいとお願いされ、魂の状態だった私にルナ様の神力を授けてくださったので、私の魔力はルナ様の神力そのものというわけです」
〈……だからここの結界を通れたわけだな……それで、姉上とオルベリアンに会ったということは、お前は天界にいたということか?〉
「はい、ルナ様の月の神殿に。あ、ここから少し下った所に銀月草っていう万能薬の素材になる花が群生しているんですけど、ご存知ですか? あの花が月の神殿の庭に咲いていた金色に光る花とそっくりなんですよ。見つけた時驚いてしまいました」
黒竜の深紅の瞳に郷愁のようなものが滲んだ。
〈月の神殿に咲く花は満月草という。この地に降りる時、姉上がいくつか持たせてくれたのをお前が先程言った場所に植えたんだが、人間界の魔素が天界と異なるためここでは銀色に光るようになった。……毒化した魔素の影響を受けなかったのは幸いだったな〉
「なるほど……」
てか本当に満月草……ふふ、予想が当たったわ。
黒竜が少し憐れむような視線を私に向けた。
〈難儀だな、2柱の神に巻き込まれて……苦労をかける。お前も、これまでの3人も〉
私は思ってもみなかったことを言われ、一瞬ぽかんとしてしまった。そして心外だという風に微笑んで応えた。
「いえ……前の世界にいたときの私は機械的にただ生きていただけだったので、むしろこっちに来れて、家族もいるし、魔法もあるし、刺激的なことばかりだしで毎日が楽しいです。大変なこともありますけど、浄化魔法が使えるようになった時は嬉しさでいっぱいでした」
黒竜って、こんな風に気遣いとかするんだ。そっちに驚くわ。
私のことはあらかた話したので、今度は黒竜のことを聞いてみたいと思い、今まで気になっていたことを尋ねた。
「あの、あなたは月の女神であるルナ様の弟さんなのですよね? 何故この山に、人間界にいらっしゃるのですか?」
〈……〉
黒竜が黙り込む。しばらくそれが続いたので聞いてはいけなかったのかもと内心焦る。
「あの、やっぱりなんでもな——」
〈——罪を犯したからだ〉
「え……?」
罪?
黒竜が息をつく。
〈……せっかくここまで来てもらって悪いが俺の浄化は後で良い。先に森にいる魔の物の浄化をしてくれ〉
「えっ」
先に魔獣を? 私黒竜を浄化する気でいたんだけど。てか罪を犯したってどういうこと?
〈人間界に魔の物が生まれたのは俺のせいだ。先に人間の脅威となる存在を浄化した方がそちらとしても都合が良いだろう?〉
それはそうだけど……魔獣が生まれたのは黒竜のせいって……?
次回は5/14(水)に投稿致します。




