4. 懐かしの王太子殿下の姿
ルイス王子のアテンドが終わり、彼は私を王太子の御前に立たせると、静かに目の前の高座に向かって歩き出し、王太子の座る椅子の横に立った。その対になる位置には、ゴージャスなブロンドの髪にダークブルーの瞳をした、グラマラスな美しい女性が立っている。
「何をしている。王太子殿下にご挨拶をなさい」
唖然と立ち尽くしていた私に、グラマラスな女性が鋭く言い放った。
私は慌ててカーテシーをし、視線を床に向けて挨拶をする。
「お……お目に掛かれて光栄です、アロイス王太子殿下。シルビア・マーレーンにございます」
「なぜこちらを見ない」
王太子の抑揚のない声に、ゆっくりと視線を王太子に向ける。
彼は紛れもなく第一王子、私の知っている王太子である。なぜなら、彼は十年前のあの姿のままだから、今度は間違えようもない。
輝くような美しいブロンドヘアーと宝石のように透き通った青いコバルトブルーの瞳。だが、かつては大きく頼もしく感じていたその姿は、今はとても幼い。そしてあの日見せてくれた優しい笑顔はどこにもなく、むしろ今は私を見て鼻で笑う。
「フッ」
なんて憎たらしい笑い方をするのだろう。なぜ私はこんな子供にまで見下されているのだろう。
王太子は腕を上げて、その場にいる者達に部屋を出るようにと、払うように二回手を振った。
その合図を見て、ゾロゾロと皆部屋を出て行く。
「ルイスには皆のお相手をお願い出来るか?」
「承知いたしました、殿下」
立派な青年王子は、子供に一礼してから部屋を出て行った。
残されたのは、ジプシーのような私と、幼い王太子と、その横に立つグラマラスな女性である。
「姉上、こちらの令嬢と二人きりでお話してもよろしいでしょうか?」
どうやらこのグラマラスな女性は王太子の姉、国王の第一子であるルイーザ王女であった。社交界に疎い私の耳にまで届くほど有名な“行き遅れの王女”だ。
ルイーザ王女は刺すような視線で私を睨みつけながら、部屋を出て行った。
謁見の間は一瞬にして幼い王太子と二人きりになった。
王太子は二人きりになると、足を組み始め、肘掛けに置かれていた腕は片側で頬杖をつき、太々しくこちらをジッと見つめる。
私も王太子から視線を逸らさないように見つめ返すが、見れば見るほど困惑する。こんな年端も行かない少年と結婚生活なんて想像するのも罪な気がする。何故同じ位の年の頃の少女をお相手に選ばれないのだろう。
「なぜ幼い娘と結婚しないのか? といった顔か?」
幼い少年殿下は私の心を完璧に読み取った。
「言っておくが、私は身体の成長こそ十二で止まったが、歴とした成人男性で、今年二十二歳となる。幼い娘を娶る方が罪だろう」
「さようでございましたか……」
そう、確かに私は十年前に王太子とお会いしている。だから、殿下のおっしゃる話は真実なのだろう。だが頭と心の整理がつかない。政略結婚に愛は求めていないが、これでは王妃の務め、世継を産むことは果たせない……。彼は成長が止まったと言ったのだから、この先も産めるような状況にはならないだろう。
「お前も、逃げるなら今の内だ。婚約誓約書にサインをしたら簡単に破棄など出来ない」
黙りこくる私に、王太子は呆れたように一度大きく溜息をついてから口を開く。
「現国王は病に伏していて、もう長くはないだろう。次の国王は私だが、見ての通り私では後継ぎは望めない。弟がいるから問題はないが、王室のしきたりで弟は兄より先に結婚が出来ない。ルイスにしか世継が望めない状況であれば、私がさっさと結婚してルイスの結婚を少しでも早め、世継を確保しなくてはならない。重要なのはルイスの結婚相手であって、私の相手は、必要最低限の王室基準を満たしており、さっさと結婚出来る相手なら誰でも良いのだ。……まあ、ご覧の通り決まらないのだが」
王太子は立ち上がり、高座を降りて私の元まで歩み寄って来た。私は急いで跪き、王太子に頭を下げた。
「お前がこの部屋に入ってきて私の姿を見た時の表情。ああ、お前もかと思ったよ」
「え……」
王太子の目は諦めなのか、寂しさなのか、どこか虚ろだった。
「わざわざ伯爵家の養女にまでなったのに、相手が私で悪かった。お前の方から辞退を申し出れば、傷も入らず他の相手を探せるだろう」
王太子はそう言うと、最後に優しく私の頭を撫でてくれた。その懐かしい手つきに、一気に幼かったあの日の温もりを思い出す。
彼を見上げれば、十年前のあの姿そのままであり、なのになぜか私の心も十年前のあの時のように熱くなり始めた。
高座の席に戻ろうと背中を向けた王太子の手を、私はおもわず握ってしまった。もちろん王太子は驚いてこちらに振り向く。
「殿下、もし私でよろしければ、どうぞ妃にしてください」
「お前……よく考えろ。世継の産めない王妃は惨めだぞ。それに、ルイスの妃に男児が生まれれば、お前は益々立場を弱くする。どの令嬢もそれをわかってるから辞退して、上手い言い訳を並べてルイスの方との縁談を望んでくる」
「殿下、私は元々貴族から爪弾きにされているウェリントン子爵家の娘。この肌の色もあって、惨めな扱いなど今さらです。殿下との縁談が無くなれば修道院に行くのみ。こんな私でよければ、どうか妃に」
「……私に対する同情から言ってるのか?」
「同情ではございません。私にも殿下との結婚は意味がございます」
王太子は鼻で笑う。
「お前はマーレーン伯爵の思惑で妃候補となった。あいつはお前を私にあてがい、実の娘にルイスと結婚させて継承権のある息子を産ませるつもりだろう。跡継ぎが生まれた時に、どこかの令嬢が私の妃であるよりも、お前が妃であった方が、後々私もろとも引きずり落とすか、傀儡にするのが簡単だと踏んでいる。この結婚でお前は利用される。それでも良いのか?」
私は片手で掴んでいた王太子の手を、もう片方の手も添えてしっかりと両手で握り直した。
「殿下、私はしぶといです。簡単には引きずり落とされませんし、伯爵の傀儡になるのもまっぴらです」
王太子は私を見極めようとしていた。その表情は少年ではなく、達観した人間の表情だった。
王太子の視線は私の手に向けられ、僅かに眉を顰めたように見える。
それからゆっくりと私の手をほどき、何も言わずに背中を向けて高座に戻った。そして壁についたレバーを引いて呼び鈴を鳴らしてから玉座に座る。ほどなくして扉が開き、ルイーザ王女が最初に部屋の中に戻り、続いて他の人々も部屋の中に戻って来た。
「姉上、婚約誓約書の準備をお願いいたします」
「マーレーン伯爵令嬢と婚約されるのですか?」
「そうです。それと、結婚までに彼女に王妃教育を徹底的にしていただきたく、彼女には婚約期間中から王宮で暮らして頂きます」
その場は騒然となり、臣下の中には急いで事を進めようとする王太子を止めようとする声もあったが、ルイス王子派の人間達の声が後押しとなり、すぐに婚約誓約書が準備され、サインをして婚約が成立した。
「これでやっとルイス王子殿下の争奪戦が本格的になる」
「ルイス王子殿下は王太子殿下を気遣って、婚約すら兄君より先にするのも躊躇っておられてたものな」
部屋のどこからかそういった会話も聞こえてきた。
伯爵は想定以上の速さで事が進み、大満足といった様子で私の耳元で囁いた。
「よくやった」
その場はお開きとなり、マーレーン伯爵は私を連れて帰ろうとすると、王太子が玉座から声を掛けてきた。
「シルビア嬢をどこに連れて行く気だ? 婚約成立と共に彼女は王宮で生活する事になっているのだぞ」
マーレーン伯爵も、私すらも驚いて目を丸くする。
「本日からですか?」
マーレーン伯爵の問いに王太子は鼻で笑った。
「当たり前だろ」
王太子殿下の勝ち誇る姿は、見たままの十二歳の少年の姿であった。