23. どうしたら目覚めるのか
今日は兄ジルベールにサプライズで王宮の菜園を案内してあげようと思っていた。兄は私が王宮でも野菜や草花を育てている事を知ったらどんな反応をするだろう。兄の驚いた顔を想像して笑いを堪えた。
二人で朝食をとり終えると、そのまま菜園に向かう。
菜園は可能な限り自分で育てているが、今はアロイスを目覚めさせることを優先したく、菜園は王宮の庭師に頼むことが多くなった。
菜園に着くと、そこは庭師の丁寧な管理と春の陽気で見事な彩りを見せていた。
チラッと兄を見れば、兄は予想外の事を口にした。
「我が家の菜園を参考にしているとはいえ、やはりプロの庭師の手に掛かると一段と華やかだな」
驚かせようとした私が驚かされた。
「我が家を参考に?」
「何だ、知らないのか? 婚約してすぐに王宮から使者がいらして、シルビアが慣れない王宮での生活でも安心出来るようなものを譲って欲しいと言われたんだ」
私の胸にじわじわと温かいものが広がり始める。
「我が家に物なんてたいしてないから最初は皆困って、で、冗談半分でシルビアが菜園を大切に育てていた話をしたら、今度は庭師や設計士がやって来たんだよ」
「そうなの……?」
「こんなにそっくりな庭を見ても気が付かなかったのなら、王太子殿下も気の毒だな」
兄は呆れた様子で私を見て苦笑した。
「なあ、シルビアが王太子殿下から贈られた花印はアイリスだったろ? 花言葉は希望だ。お前は殿下の希望だったんじゃないか?」
「そんな……私が希望なわけ——」
不意に背後に人の気配がした。
「確かにシルビアは兄上の希望だけど、兄上が贈った言葉はそれじゃないよ」
声のした方へ二人で振り返ると、そこにはルイスが立っていた。
「ルイス! 驚いたわ」
ルイスは以前にも見せてくれたような大人びた表情で微笑み、私を見ている。
「兄上がシルビアに贈ったのは白いアイリスだ。花言葉は『君を大切にする』だよ」
温められていた身体が一瞬で全身に熱を帯びた。
「お兄様……自然発火って、人間も出来るのね……」
「大丈夫か?」
爪先から頭のてっぺんまで熱く、真っ赤になった顔を隠すように両手で覆う。目を閉じたまぶたの裏では出会った時のアロイスの姿と、私の隣で眠り続けるアロイスの姿がチラついてしかたない。
「ああ、どうしたらアロイスは目覚めるの……」
情緒不安定なのか、涙まで溢れてきた。その様子を見て兄もルイスも慌てて私の肩に触れる。
「困難がわかっている結婚にも関わらず、ウェリントン家と子供の姿の兄上を想って結婚を決意した君に対しての、兄上の返事だよ。兄上は婚約をしてくれた君に、今まで苦労をしてきた君に、そしてこれから苦労をさせてしまうかもしれない君に、大切にすると誓ったんだ。以前君に希望だなんて言ってすまなかった。あの時は、私はとても幼かったんだ……」
「いいのよ、ルイス。むしろ、私が見落としていた事を教えてくれてありがとう」
ルイスは私の肩から手を離した。
「きっとすぐに目覚める。大丈夫だよ」
「ありがとう」
「じゃあ、私はこれからラヴィニア嬢と約束があるから」
「ここ最近毎日のようにラヴィニアと一緒だけど……本当にいいの?」
「いいんだ。王族貴族の結婚はこういうものなのだから」
ルイスは爽やかに笑ってみせると、私達に手を振って、待たせている馬車に向かって行った。
彼も、私の知らない間に羽化をしていた。
「なあ、シルビア」
「なに?」
「小さい頃に読んだ絵本で、王子様が眠ったお姫様にキスをしたら目覚めた話あっただろ?」
「なに、お兄様、それってつまり私に……」
「いや、どうしたら目覚めるんだろうってシルビアが言うから。それに二人は既に婚約しているから、別にキスしたところで社交界の醜聞にはならないし……」
「おっ、お兄様!!」
「まあ、そういう反応になるよな。私ももうアウルム国へ行かなくてはいけないから、殿下が目覚めてから行きたかったという焦りがあった。すまなかった」
「いえ、いいんです。その気持ちはわかりますので……」
変な空気が流れたまま、会話もそぞろに私達は王宮に戻って行った。
♢
……そして……。
私は……今……。
眠るアロイスを見つめて悩み続けている。
するべきか、やめておくべきか。
寝室と繋がる隣の執務室の方を気にして見るが、今は侍従は廊下に待機しており、使用人も誰もいない。
もう一度アロイスに視線を戻す。艶のあるブロンドヘアー、長いまつ毛、鼻筋の通った端正な顔立ち、そして……適度な厚みと弾力のありそうな唇……。
ごくりと喉を鳴らしてしまった。
おそるおそるベッドに上がり、アロイスに覆い被さるようにして両手をベッドに置き、彼を見下ろした。
「ルルディヤレル……マナ——」
アロイスの唇に軽く触れた。私の胸は激しい鼓動を打ち鳴らしている。
「……そりゃ……目覚めないわよね……」
アロイスは美しい寝顔をみせたままである。
がっがりする反面、もう一度キスしてみてもいいんじゃないかと悪魔が囁く。
次は、アロイスの唇の感触がわかるようにしっかりと……。
——急にドシリッと腰に重みを感じた。
そしてその重みは、まるで重力かのようにググッと私の身体をアロイスの身体まで引き寄せる。
「ねえ……もっと……」
大きな手の平が私の頭を支え、優しく、でも強く、私の唇をアロイスの唇に引き寄せた。
今度はしっかりと彼の唇の感触がわかった。彼の息づかいも、どんなに優しくて情熱的なキスをするのかも、すべてわかった。
抱き寄せるその手つきが、私の身体を火照らせる。止まないキスの嵐に、必死に私もキスで返して、息をするのも忘れそうになる。
「シルビア……もっと、キスしよう」
長い睫毛は動き出し、宝石の様に煌めくコバルトブルーの瞳が熱を帯びてこちらを見ている。
アロイスが目覚めた。