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18. 逃げ場所

 花の蕾は開き始め、草木も芽吹き、その優しい香りが漂いはじめる。日差しも段々と暖かくなってきて、王都は春の訪れを感じ始めた。


 貴族のタウンハウスが立ち並ぶ区画に、次々と馬車が向かっていく。どこの家も扉が開いており、使用人たちが忙しそうに荷物を運び入れている。夏の終わりから冬の間は領地にあるカントリーハウスで過ごしていた貴族達が王都に戻って来たのだ。


 王都に華が咲くと、社交シーズン到来である。


 王宮も慌ただしく、シーズン幕開け行事である今年の貴族のデビュタント達の謁見の準備で、誰もが廊下や部屋を走り回っていた。


 ルイス王子は結局あの日から一度も王都の酒場へ行っておらず、アルタンとはあれっきり会えていない。


 国王代理を務める間だけ一時的に侍従となったユルゲンの目が厳しく、王宮を簡単に抜け出せなくなっていた。

 ルイス王子には山積みの書類も、アロイス王太子のようなスピードでは到底片付けられず、思っていた以上に内政も外交も知識が足りず、決断も指示も、質問すらできない。


(兄上はこれをこなす為にどんな努力を幼い時からしてきたのだろう……)

 

 この息苦しい毎日を、兄はあんな小さな体だったにも関わらず見事に遂行していたかと思うと、ルイス王子は相変わらず惨めな気持ちになり、下唇を噛んだ。


 今日はルイス王子は国王代理としてデビュタント達を迎え入れなくてはならず、何人もの女中達に服や髪をいじられながら支度をしていた。鏡に映る着飾った自分の姿は、いつまで経っても兄には到底敵わない、中身の無い滑稽な男にしか見えなかった。


 ルイス王子は謁見の間の玉座に腰を掛け、その横にはルイーザ王女が立つ。

 広間にはすでに大勢の貴族たちが集まり、デビュタント達を待っていた。


 謁見の間の扉の前でデビュタントの名前が一人ずつ読み上げられ、順番にルイス王子の前に進み挨拶をしていく。

 デビュタントの装いである、純白のドレスと羽飾りで着飾った令嬢達は、ルイス王子を見ては頬を赤く染め、恥じらった様子でカーテシーをしていた。デビュタントだけではなく、その場に居た未婚の令嬢達の殆どが同じような表情で玉座に座る王子に熱い視線を向けていた。


 今年の貴族令嬢の伴侶探しの目玉はルイス王子だ。

 アロイス王太子がやっと婚約して、このまま滞りなく結婚してくれれば、弟のルイス王子も結婚が出来るようになる。

 シルビアの生家であるウェリントン家は社交界から疎遠だった為知らなかったが、ほとんどの貴族はアロイス王太子の身体では子供が作れない事を知っていた。


 王太子の妻といえど、子供のいない妃は惨めな生活が待っている。王太子が単純に夜の生活にだけ問題があったなら、こっそり愛人との間に子供を作り、その子を王太子の子とする手段もあったが、王太子が子供の姿では、明らかに王太子の子ではないと周囲にわかってしまう。

 王太子に子供ができなければ、第二王子の息子が後継者になる。後継者の母となる妃の影響力は絶大だ。


 令嬢達の親は、娘がアロイス王太子の婚約者にならないように他の貴族へとなすりつけ合った。

 令嬢達は、権力欲と審美欲を満たすルイス王子に恋をした。


 ルイス王子は気づいていないが、アロイス王太子の容姿が美しいからといって、ルイス王子が醜いわけではない。平凡な容姿かもしれないが、女性がときめくには十分整っているし、彼は王子らしく所作がとても美しい。何よりルイス王子には、彼にしかない出せない独特の儚げで危うい雰囲気が、女性達の心をゾクゾクとさせていた。


 無事謁見の儀は終わり、パーティーが始まるとルイス王子は侍従のユルゲンに見つからないようにこっそりとその場から立ち去った。

 今夜こそ王宮を抜け出して王都に行けるだろうか。そんな事を考えながら歩いていると、ある人物に捕まってしまう。


「ルイス王子殿下にご挨拶申し上げます」


 見るからに腹に一物抱えてそうなマーレーン伯爵と、派手に着飾ったラヴィニア嬢が立っていた。


「これはマーレーン伯爵」

「よろしければ娘を紹介させてください。昨年デビューしました娘のラヴィニアです」


 髪の色と同じ甘いピンク色のドレスに身を包んだラヴィニア嬢が、ルイス王子の前まで出て来てカーテシーをした。


「ルイス王子殿下にご挨拶申し上げます。ラヴィニア・マーレーンにございます」


 ルイス王子も片腕を後ろに回し、胸に手をあてて挨拶をする。


「ラヴィニア嬢、お会い出来て光栄です」

「光栄だなんて……殿下ったら、もぅ」

「はい?」


 ラヴィニアは何を勘違いしたのか、ルイス王子の前でクネクネと身体をくねらせて恥ずかしがっていた。


「おお、ラヴィニアよ、ルイス王子のお誘いを断っては失礼だ。私の事は気にせず二人で行ってきなさい」

「お父様、殿方と二人きりだなんて、誰かに見られでもしたら勘違いされてしまいます」


「はい?」


 ルイス王子は身に覚えのない事で二人の会話が進んでおり困惑していた。

 

「ルイス王子殿下、私は昨年殿下をお見掛けしてからずっと一途にお慕いしておりました」


 そう言いながらラヴィニアはルイス王子の手をそっと掴んだ。


「今もほら、こんなに胸が高鳴ってしまって……」


 ラヴィニアはその掴んだ手に一気に自分の胸を押し当てた。


「レッ、レディ!? 何を!?」


 ルイス王子は咄嗟にラヴィニアを離そうと押してしまった。


「きゃあっ!」

「殿下、私の娘に何を!」


 ルイス王子は突然の思いもしなかった出来事に動揺している。

 

「ルイス王子、責任を取っていただけますか?」

「責任?」


 ルイス王子の心臓はドクドクと波打っており、兄ならどういった態度で接するか、小刻みに呼吸をしながら必死に心に思い浮かべる。


「まずは我が家で開く舞踏会で、ラヴィニアのエスコートとダンスのお相手をお願いします」

「そんな事をしたら婚約するのだと推測する者が出て、ラヴィニア嬢に今期は求婚してくる者がいなくなるぞ」

「それでいいんですよ」


 マーレーン伯爵は不敵な笑みを浮かべた。


 ルイス王子は段々とこれが謀られたものだとわかり始める。


「王子、あなたの行動次第で、我が家はシルビアの持参金は払わない。王太子の元に嫁ぎたがる令嬢はいない。やっと兄上に決まった婚約を白紙にしてもいいんですか?」


 マーレーン伯爵の謀にも盲点はあった。その脅し文句ではルイス王子にはまったく効かない。


「ははっ、シルビアが兄の婚約者でなくなるなら願ってもない」

「は?」


 微妙な空気が流れた時、ユルゲンがやっとルイス王子を見つけて急いで駆け寄って来た。


「殿下、お待たせして大変申し訳ございません」

「いや、ユルゲンの責任ではない。むしろ来てくれてありがとう」

「何かありましたか?」


 ユルゲンはルイス王子に聞きながら、マーレーン伯爵に視線を移す。

 マーレーン伯爵はしれっとした態度で頭を下げた。


「お時間を頂きありがとうございました、殿下」


 その横でラヴィニアも上目遣いでルイス王子を見ながらちょこんとカーテシーをする。

 そしてマーレーン伯爵は去り際にルイス王子の耳元でぽつりと釘をさす。


「私を敵に回さない方がいい。待ってるからな」


 そしてマーレーン伯爵はラヴィニアを連れて去って行った。  


 ルイス王子は一気に肩の力が抜け、大きな溜息をつく。王冠に近づくほど、こんなにも疲れるのか。自室に向かおうとしていたが、今はとても兄の顔が見たい気分だった。


 廊下を引き返し、王太子の部屋へと向かう。


 王太子室をノックすれば、ユルゲンの代わりに一時的に配置された侍従が扉を開けた。

 ユルゲンは外で待機しようとしたが、ルイス王子がついてくるように言い、二人で寝室に入る。


 ベッドで眠るアロイス王太子は、眠っているにも関わらず、堂々としており、威厳があった。

 兄なら牙を向ける貴族を黙らせることも出来るだろう。この姿となれば尚更だ。この国の王となる資質が彼には十分備わっている。


「ユルゲン……兄上は……兄上はなんて完璧なんだろう」


 ユルゲンは黙ってルイス王子を見てから、また王太子に視線を戻した。


「失礼を承知でお伝えします。アロイス王太子殿下は完璧ではございません」


 その言葉にルイス王子は驚いてユルゲンを見た。


「お前、兄上の侍従が何を言ってるんだ?」


 ユルゲンはルイス王子の正面に身体を向き直すと、片膝をついて(ひざまず)く。


「アロイス王太子殿下は幼い頃から王太子としての教育を厳しく受けていました。小さな子供が、重圧で心が折れそうになる時、涙が止まらない時、いつも逃げる場所があったんです」

「兄上が逃げていた?」


 ユルゲンはルイス王子を見て、ふふっと優しい思い出し笑いをする。


「はい。いつも気がつけば、ルイス王子殿下の部屋に逃げていました」


 ルイス王子は言葉に詰まった。兄上は病弱な自分に同情し、気遣い、それで部屋に訪れていたのではなかったのか? あれは、逃亡中だったのか? ルイス王子の頭の中にはかつての光景が巡っている。


「ルイス王子殿下の命が尽きそうになった時に、一番その事実に抵抗したのはアロイス王太子殿下でした。いやだいやだと泣き叫び、それで、殿下自ら異国の怪しい術に縋ったのです」


 ルイス王子にはまったく想像が出来ない話だった。思い返しても、自分に会いに来る兄はいつも笑っていた。


「アロイス王太子殿下がこの王宮で心から笑える場所は、ルイス王子殿下のそばだけだったんです。ルイス王子殿下が生きていてくれたから、頑張れたんです。殿下は決して完璧ではない」


 ルイス王子はベッドで眠るアロイス王太子とシルビアを見た。二人は手を繋ぎ、固く結ばれている。


 兄の寝顔はとても幸せそうだった。自分が閉じてしまった、兄の心から笑える場所が、再び出来たのだろう。

 自分は何を今までしていたんだ……。


 ルイス王子は激しい衝動に駆られた。


「ユルゲン……すまないが、今夜は見逃してくれ。どうしても王都に出掛けたい」

「では、お供いたします」

「いや、一人で行かせてくれ。頼む」


 ユルゲンは返事をしなかったが、黙って一人で先に部屋を出て行った。













 


 

 




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