パワハラとはなんなのか。
「おいおい、こいつフリーズしちゃったよ。
馬鹿なんじゃないの?」
比較的優しい性格でもある竹園瑛太は
そんな屈辱的な言葉を浴びせられても何も言い返す
ことが出来なかった。
パワハラまがいの言動を繰り返すのが
支店長の春日部恭一だ。
一見真面目そうな装いだが、社内では知る人ぞ知る
パワハラ支店長である。
「こいつが乗っている高級車に尖った石で思いっきり傷を付けてやりたい。」
竹園は心の中でいつもそう思っていた。
最初の始まりはこうだ。
中堅住宅メーカー「スマイルホーム」に
営業として中途入社をしたのが28才の竹園だった。
入社直後からこの会社には怪しい兆候があった。
所長と呼ばれる営業所のリーダーが退社するまでは
誰も帰ろうとしない。
新卒入社の女性がキャリア入社の年上社員に対して
入社歴を盾とした圧力的な指導を行う。
竹園は、この板野という新卒女性社員にことごとく
いじめられていた。
休日の日に街をぶらぶらしていると
突然、板野から電話が入る。
「倉庫の鍵、竹園さん持ってますよね?
無いと困るんですけど。」
「持ってますよ。でもあれは所長が昨日は
返さなくても良いって言ってくれて
そのまま持って帰ったんですけど、、」
「いやいや、所長が言っていたとしても
私は今日鍵が必要なんですよ。無いと困るんですよね。」
相手が休日だろうがお構いなしに
自分の要求を突き付けてくる人間だった。
「じゃあ行きますよ。外出中なので一旦家に戻ってから向かうので1時間半くらいはかかると思いますが。」
「早めにお願いします。急いでるんで。」
一瞬、殺意が芽生える竹園。
「こういう人間を許しておいてはいけない。」
学生時代、体育会系で育った竹園は
年上に対して礼儀のない人間に対して大きく嫌悪感を
覚えるたちだった。
ある日、仕事のイベントで2人だけになった時に
竹園は言った。
「板野さん。あなたは年上に対しての、ものの言い方がおかしいですよ。もう少し気を使ったらどうですか?あなたは完璧な人間ですか?
私も仕事でミスはします。あなたは絶対にしない自信があるんですか?あなたの考え方は人として明らかに間違っていますよ。」
それなりに大きな声を出したので
周りにいたイベント関係者も
ただならぬ雰囲気であると感じた様子だった。
場が凍りつく。
表情を変えず無言でその言葉を聞きながら
ただ一点を見つめている板野の目には
涙が浮かんでいた。
プライドと良心の呵責。
それぞれを同時にえぐられたようで
どういう反応をするのが正解なのか
どういう返答をすれば良いのか
本人も分からなかったんだと思う。
ただ、それからも板野の態度に大きな変化はなく
相変わらず気に障ることは多かった。
ただ、何かあったらまた言ってやろうと思っていたので、そういう意味ではこの一件で少し楽になったのは
確かだった。
それから数ヶ月。地方から支店長としてやってきたのが春日部だった。
支店長として年間売上トップ賞を獲得したり
社内での評判はとても高い人間だった。
見た目も優しそうな雰囲気なので
新しく迎える現場としても快いムードであった。
その優しいイメージが一変することになる。
「毎日、建築中現場の写真を送って下さい」
そんな指示が春日部から各営業所に出された。
現場の清潔感を重視する方針で
建築中であっても、清掃や整理整頓を怠っていないかどうかの管理目的であったんだろう。
毎日現場に出向き、清掃後にメールで写真を送信していたが、ある日ひどい大雨で現場に行けず
清掃が出来ない日があった。
何人かの営業所メンバーと、今日は難しいねと
いうことになりその日のメール送信はしなかった。
21時前には全員退社し
竹園も帰宅後は食事をし
ビールを飲み、さあ寝ようかという段階で
営業所長の町田から電話が入った。
「こんな時間に申し訳ない。今から営業所に来てほしい。来てくれないと困るんだ。」
何事かと事情を聞くと
春日部が現場の写真を送ってこなかったことに
激怒しているようだった。
営業所メンバー全員を今から集合させて
謝罪文をFAXさせてこいということだった。
その際に、全員の署名と拇印もそこに残せ
ということだ。
虚偽を防ぐために拇印をさせるような人間。
腐ってるなと竹園は感じた。
時計を見ると12時の針が回っていた。
深夜だ。
もうバスも電車も出ていない。
お酒も飲んでいるので
車で迎うことも出来ない。
可能なのはタクシーのみだ。
着替えをしてタクシーに乗り込み
営業所に全員が到着したのは
深夜2時頃だった。
全員が署名と拇印をして
営業所長がFAXを送り、その日は解散した。
もちろん帰りもタクシーだ。
春日部のパワハラはこれでは収まらず
どんどん続いていった。
ある日、展示場で接客待ちをしていた時に
お客様専用駐車場に高級車を乗り付け
ズカズカと事務所に入ってきた時があった。
なんとなく気弱そうで真面目そうな
竹園は春日部にとって良いターゲットだったんだろう。
竹園の隣に座り、偉そうな口調で話しかけてきた。
「住宅の営業をしてるけど、家が好きなの?」
「はい。好きです。」
「なんで?」
「・・・なんで、、ですか?」
「うん。何で家が好きなの?普通に
疑問でさ。だって、あんまり興味ないでしょ?
興味あるなら、いろいろ知識もあるはずだよね。
例えばこの展示場にさ、雨どいってどこにあるか言える?言ってみて。」
「えっ?いや、雨どい、、ですか?えっと・・・」
黙り込んでいると春日部は言った。
「おいおい、こいつフリーズしちゃったよ。
馬鹿じゃないの?そんなことも知らずに家が好きなんだってさ。絶対興味ないじゃん。どう思う?板野さん」
ことごとく性格の悪い人間というのはいるものだ。
天敵の板野に話をふりやがった。
「私も普段の竹園さんを見ているとあまり家に興味があるように見えません。たぶんそういうことを知らなくても売れると思ってるんじゃないですかね、、何度か私もそれについては指摘をしたことがありました。」
ここぞとばかりに追い込んでくる板野。
こういう機会を待ち望んでいたんだろう。
竹園はそこから何も言えなくなってしまい
約2時間に渡る春日部の公開説教に耐え続けた。
本来なら2人まとめて裏に呼び出して
殴る蹴るの暴行を与えてやりたい。
竹園は心底そう思った。
でもそんなことは社会人として
出来ないことは分かっている。
戦うならば、言葉で。という手段を
取るべきなのであろうが
頭の回転も速くなく
即座に正しい言葉のチョイスをするのが
苦手というのもあり
その場はじっと我慢してやり過ごすという
ことしか出来なかった。
そんな中、同僚であり年下社員の所田が
遠慮しつつも優しく話し掛けてくれた。
「竹園さんって、見た目からして優しそうだから
たぶん春日部も、言い返してこないだろうと踏んで
竹園さんを攻撃して来てるんですよ。
なんか言われたら、ブチギレるとか
そういうのやるとたぶん言ってこなくなりますよ。」
「そうか。おれって優しそうに見えるんだ。確かにそういう態度を見せるというのも大事かもしれないよね。」
スマイルホームには
毎月、業績報告会という名の全体会議がある。
その会議の中に
「成績低迷者の決意表明」という
儀式のようなものがある。
3ヶ月間連続して契約を挙げられなかった社員が
全員の前で、謝罪と決意表明をするというものだった。
今の時代にそぐわない、こんなのパワハラ会議だと
以前からずっと感じていた竹園は
もし自分が発表することになったら
絶対に欠席してやろうと思っていて
今回それが来たので予定通り欠席することにした。
翌日に出社すると
営業所には春日部の姿があった。
「会議を休んで逃げたのはお前か?
大の大人が恥ずかしくないのか?
仕事も出来ない。嫌なことがあったら
逃げる。そうやってお前はこれまで生きてきたっていうのがよく分かる。」
竹園は黙って春日部のほうを見つめた。
板野も自席に座りその様子をじっと
静観していた。
「ところで支店長はご家族っているんですか?」
竹園は冷静な顔で質問した。
「あん?お前に関係ないだろ。」
「お子さんはいるんですか?」
「そんなこと今答える必要はない。」
「ふーん。娘がいるんだ?
きもいなー、ほんときもいなー。」
そのくらいの情報は掴んでいる。
竹園はただ淡々と言葉を並べた。
明らかに春日部の表情は怖ばり
冷静さを失っているのが分かった。
竹園は畳み掛けた。
「こんな時代錯誤のパワハラおやじの下に
生まれてきた娘は、ほんときしょいなー。
おれが引き取って真っ当に育ててやりたい。
人としての教育をおれが1から教えてやんないと
娘もくそ人間になるだろうからなー。」
ここで来る。必ず春日部は手を出してくる。
ガタンっ!!!!
ブチ切れた春日部はその瞬間
竹園につかみ掛かった。
「おい、やめろ、暴力はやめろよ!!」
想定通りの展開となり
竹園は少し大袈裟な反応で対応した。
自分でワイシャツも破き、ポケットに
仕込んでおいたケチャップを自分の口元に付けた。
春日部は殴りはしないものの
竹園の胸ぐらを掴み
興奮状態で叫んだ。
「お前、もういっぺん言ってみろ。
もういっぺん言ってみろよ。
おれを誰だと思ってんだ、おい。
お前みたいなカスはなー、いつでも
地方に飛ばすことは出来るんだよ、おれの力が
あればなー。おい、分かってんだろうなー!!」
竹園は板野を見た。
板野はスマホのカメラでじっとこの争いを
撮影していた。
「よくやった。」
竹園は心の中で呟いた。
そう。全ては竹園の想定通りにことが
運んでくれた。
数日前・・
「板野さん、ちょっとお願いがあるんだけど。」
「なんですか?」
素っ気ない反応の板野。
「いやー、実はおれ春日部を豚小屋にぶち込むっていう計画を考えててさ。あいつの悪行をみんなに晒すっていう計画を企んでだ。
でさ、板野さんに協力してほしくて。。
チャンスがあれば板野さんが近くにいる時を狙ってあいつにケンカ吹っかけるからさ、その時の一部始終を撮影してほしいんだ。。もちろん、ただじゃないよ。リスクもあるからね。5万出す。いま5万出すからその時が来たらちゃんと撮影しておいてほしい。」
一瞬、動揺した表情を見せた板野も5万という高額な取り引きに魅力を感じたのか、分かったとすぐに承諾してくれた。
板野は国立大学を卒業しておりとても頭が良い。
板野さえこの話を呑んでくれれば
必ず良い仕事をしてくれると竹園は
踏んでいた。
その期待に板野は見事に応えてくれた。
襲いかかった春日部を
他の営業所メンバーが止めに入り
それ以上の殴り合いに発展することはなかったが
竹園としては今回の目的である
暴力行為の一部始終を撮影してもらう
という重大コミットは成功に終わった。
ことの目撃者も複数人作れた。
何よりも春日部が暴力をふるう映像を
確実に掴んだことが大きい。
竹園は春日部との戦いの終焉を噛み締めた。
1ヶ月後。
春日部の名前は会社から消えた。
〜完〜