会議での議論中に“たとえ話”が持ち出されたら、「そのたとえが適切かどうか」という議論が始まってしまい、話がどんどん脱線していく
あるオフィスの小会議室にて、課の営業会議が行われていた。
「いいか、チャンスやニーズがあったらどんどん売り込んでいけ! 営業に必要なのは、図々しいぐらいの強気さなんだよ!」
熱血タイプの営業で出世してきた課長がこう熱弁する。
「しかし今の時代、強引な営業は嫌われますよ。時には引く姿勢も大事なのでは……」
係長がこう反論する。彼は課長とは対照的に、冷静で慎重な営業スタイルに定評があった。
「そうですね。よその会社がテリトリーにしてるところに入り込もうとしたら、業界でこっちが悪者になりますよ」
駆け出しの営業マン、平社員の若林も係長の肩を持つ発言をする。
「だからお前たちはこのところ営業成績が停滞しているんだ! 悪者になることを恐れるな! チャンスがあったらぐいぐい食い込んでいけ!」
口から唾を飛ばす勢いの課長。
「ふむふむ……なるほど」
課で最も若い花田という女子社員はまだ会議には本格的に参加せず、うなずきつつノートに議事録をまとめている。
さて議論が白熱する中、課長はここらで部下たちにビシッと決めてやろうと、一際大きな声でこう言った。
「チャンスがあるのにそこに踏み込まない営業マンなんてのはな……ショートケーキのイチゴだけを食べずに取っておいて、そのまま腐らせてしまうようなものなんだよ!」
食べ物を用いたたとえ話が飛び出す。
課長は内心「決まった……」と思った。
イチゴを食べずに腐らせてしまう。なんて適切なたとえ話なんだろうか。これで係長も若林も納得するしかないだろう、と感じた。
だが、若林は首を傾げる。
「課長……なんか今のたとえ、ピンとこないんですけど」
「えっ、なんでだよ」
課長にとって予想外の事態となった。
「なんで急にケーキやイチゴが出てくるのかなー、と思って」
勘の鈍い部下に苛立ちつつ、課長が説明する。
「ショートケーキの主役といえばイチゴだ。チャンスを逃す営業ってのは、その一番おいしいイチゴを食べないようなものだって意味だよ」
若林はまだ納得してない様子だ。
「んー、俺イチゴってあまり好きじゃないんですよね。むしろ嫌いでして。だから、昔からケーキのイチゴは残してて、残して何が悪いんだろって感じなんですけど」
「お前はイチゴを嫌いだとしても、みんなは好きだろう!」
「そうですか? 俺の周りイチゴ好きじゃない奴、結構いましたよ。ほらイチゴって、当たり外れあるし。酸っぱい時はものすごく酸っぱかったり」
課長は顔をしかめる。
「じゃあ……お前の好きなフルーツはなんだよ」
「バナナですかね」
「だったらケーキにのってるバナナを食べずに腐らせるようなもんだよ! これでいいだろ!」
「上にバナナがのってるケーキってあまり見たことないんですけど」
「ならクレープでいいよ! クレープにはよくバナナ入ってるだろ!」
「バナナだけ避けてクレープ食べるってかなり難易度高くないですか」
「そんなことない! 上手くよければ、バナナだけ残せる!」
議論の脱線を感じた係長が課長をなだめる。
「まあまあ、落ち着いて下さい、課長」
「む……」
「確かに今のたとえは適切でなかったような気がします。世の中イチゴが好きな人ばかりじゃありませんからね」
「そうか? ならお前ならどんなたとえにするっていうんだ」
「こんなのはどうでしょう? チャンスがあるのに踏み込まない営業は、推理小説を犯人が分かるパートだけ読まないようなものだ……というのは」
係長がしたり顔になる。自分のたとえに自信があるらしい。
しかし、課長は――
「イマイチよく分からんな」
「えっ、そうですか?」
「なんで犯人が分かるパートだけを読まないことが、チャンスを逃すことになるんだ?」
「だって……推理小説の醍醐味といえば、やはり犯人は誰か分かる箇所でしょう。そこを読まないなんていうのは、自分からチャンスを逃すようなものですよ」
「しかし、だったら後からでもいいから、他の読者に犯人は誰だったか聞けばそれで解決しないか?」
「いや、それは……」
「今の時代、ネットで検索すれば犯人なんてすぐ分かるでしょうし」若林も追い打ちをかけてくる。
「いやいや、ちょっと待って下さい! 自分で読んで『犯人はお前だったのか!』ってならないと意味がないでしょう」
「そうかな、私としては犯人が誰か分かれば別にかまわないが」と課長。
「俺も同意見です」若林もうなずく。
自分の渾身のたとえが不発に終わったので、係長は歯噛みする。
「二人ともたとえ話が下手すぎます。ここで俺がピッタリのたとえ話をしてあげますよ」
「おう、言ってみろ若林」
「ずいぶん自信たっぷりだな、若林君」
若林は胸をそらし、こう言い放った。
「チャンスに踏み込まない営業というのは……ゲームをラスボス直前まで進めたのに、ラスボスを倒さずエンディングを見ないままゲームをやめてしまうようなものです」
若林はニヤリと笑う。が、課長と係長はきょとんとしている。
「あれ、二人ともピンときてないですか?」
「よく分からん。私はゲームをやらんからな」と課長。
「それにそこまでゲームを進めて、ラスボスを倒さなかったってことは、そのゲームがつまらなかったってことだろ? チャンスを逃す……とは違うんじゃ」係長も指摘する。
「そんなことないですよ! ラスボスなんて一番盛り上がるところですよ? そこまでプレイしたのに最後までやらないなんて……もったいないじゃないですか!」
「だけどラスボスと戦って、その戦いがつまらなくて、なおかつエンディングも大したものじゃなかったら、そっちの方が時間がもったいないんじゃない?」
「いや、そんなことないでしょ! どんなゲームでも自分でプレイしてエンディングを見た時の達成感は格別ですよ!」
「そうかな」と課長。
なぜここで課長が割り込んでくるんだと若林は狼狽する。
「うちの息子はゲームの実況動画やプレイ動画というのをよく見ているんだが、人のプレイを見ているだけで自分もクリアした気になれると言ってたぞ。ゲームなんてのは必ずしも自分でプレイする必要はないんじゃないか?」
「なんて息子さんだ……動画でクリアした気になるなんて、絶対育て方間違えてますよ!」
「なんだとぉ!?」
喧嘩腰になる二人を係長がなだめようとする。
「落ち着いて下さい。やはり一番適切なたとえは僕の推理小説のたとえだったんですよ」
「なにどさくさに紛れて、自説を押し通そうとしてるんだ!」課長が怒る。
「そうですよ。それに俺、小説なんて全然読まないんで、その時点で係長のたとえは話にならないっていうか」
「小説読まないなんて、これだから最近の若者は……!」
「言いましたね、係長! 今だと問題発言ですよ!」
議論は過熱していく。ただし、すでにレールを大きく外れているが。
「話にならん! お前らは腐ったイチゴなんだよ! 食べる価値もない存在だ!」
年甲斐もなく課長がわめく。
「あなたたち二人は、推理小説でいうと的外れな推理をする刑事ですね!」
係長もだいぶ冷静さを失っている。
「課長も係長もクソゲーみたいな存在ですよ! つまらなくて、誰にも相手にされない!」
若林も興奮している。
三人ともたとえ話を用いて、お互いを罵倒し合う。
営業会議をしていたはずが、たとえ話が適切かの議論となり、ついにはただの口喧嘩になってしまった。
もはや軌道修正は不可能と思われたが――
「いい加減にして下さいッ!!!」
机を叩きながら、女子社員の花田が怒鳴った。
三人とも一気に静まり返る。
さらに花田は一喝した。
「今の三人のやり取り……あたしから言わせてもらえれば、バカなヒヨコが三羽、ピーチクパーチク騒いでるようなものでしたよ!」
このたとえ話が適切かどうかは定かではない。
しかし、彼女の迫力に三人はこう答えるしかなかった。
「すみませんでした……ちゃんと会議やります……」
完
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