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世界は虹に支配されている  作者: 宇多出 都六里
第一章 赤の戦士
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鬼の集落 終

 足元にしげる草の葉に朝露が光る早朝。集落の入り口で、鬼は自分がまとっている戦装束の袖や裾を見下ろしていた。


 ほつれや破れがあったはずだが、きれいにつくろわれている。血で染まって汚れた白い生地もどうやったのか元通り、真っ白なそれに戻っていた。


「……おろしたて、というわけではないか」


 服に焚き染められた香の香りを吸い込みながら、服の感触を確かめる。

 見た目が同じ別物を用意されたのかと思ったが、不断の努力で整えたらしかった。


「どうせ戦場に出ればすべて血で汚れ、私のように染まるというのにな。お前のように健気でいじらしい。従者は主人に似るというし、良かったではないか」


 背負った大剣の戯言を聞き流し、きれいに仕立て直された死装束を見下ろす。


 右肩と左胸につけた防具も磨き上げられ、籠手と脛当てもところどころ直されているようだった。


「愛されているなぁ、お前はあれらを人ならざるものへ至る道へと突き落とし、この辺鄙な山奥に隔離させたというのに。いや、奴らはもはやお前を愛し、お前に仕える以外に生きるすべを持たぬだけか。哀れなものよ。礼の一つでもくれてやったらどうだ?」


「黙れ」


「できぬだろうよ。お前は奪うことしかできぬ。奪うことでしか生きられぬ。誰かに何かを与えるなど、魔王のすることではなかろう」


「よほどこの集落で過ごした俺の態度が気に入らなかったらしいな、バーウ。だが一時の生き地獄を味わった俺に、八つ当たりはよせ。見苦しいぞ」


 反論は飛んでこなかった。

 図星だったのか、あるいは語ることが面倒になったのか。


 珍しく大剣が押し黙ったことに疑問を抱く様子もなく、鬼はただ二日過ごした集落を見回す。


 まだ起きだして活動する者の少ない時間。

 死んだように静かなこの場所は、戻ってくるたびに変化している。


「子どもの数が増えていたな」


 ぼそり、とこぼれた言葉は風に乗ってどこかへ運ばれていく。


 まだ何も知らない子どもが、親がそうだからと素直に輝く瞳を向けてくる光景は、なかなかにゾッとした。


 ここでの生活は楽で、渇きがいえることはないが心は穏やかになる。

 キムテがここで過ごしてほしいと願っていることも、鬼は知っている。


 それでも、鬼は誰にも別れを告げることなくここをたつ。


「兄上たちも、まだ逃げていない。ならば俺のやることなど一つしかない」


 北の山脈を見やって、その奥にある赤の都『シュキセ』に思いをはせる。

 そしてその手前、ミェコマヤ高原にて最後の戦が幕を開ける。


「ムロク集、キムテに伝えろ。後のことは任せる。どう動き、何をなすか。すべてお前たちの好きにするがいい」


 草葉の影がかすかに揺らぎ、その場にあった気配の数が減った。それを確認した後、鬼は悠然と山の中へ踏み出した。

 その後を追うように残った二つの気配も移動を始める。


 鬼の足元に広がる影は、小さく波打つ湖面のように揺れていた。



 己の足元に広がる影から報告を受けたキムテは閉じていた目を開いて、影の中にいる何かに向かって言葉をかける。


「そうか、行かれたか。報告ご苦労。お前たちにはまだ苦労をかけるが、何があっても若様の影から離れるな。行け!」


 若いムロク集が影に消えていく。


 キムテは主のいなくなった部屋の机を指でなぞった。

 見送りもさせてくれない主人なぞ知らん、と言えてしまえばどれだけいいことか。


「ついていきたい、と。口にすれば叶えてくださることはわかっていたというのに」


 自然と自嘲が漏れる。


 キムテは行儀悪くこの机に腰かけて、日の当たる中庭を見つめる鬼の横顔が好きだった。


 その穏やかな、常に浮かべている張り詰めた鋭さをやわらげた目元が、いつかの幼い時分を思い出させる。

 あの瞬間に一番強く、鬼が何一つ変わっていないことを痛感して、その在り方に胸が苦しくなる。


 だからキムテはあの時間が好きだった。


「私は、私のなすべきことを。私にしかできないことを」


 口の中で小さくつぶやくと、名残惜し気に机から手をはなす。


「翁を呼べ! 我らは我らの意思で、己の責務を果たす! 戦の支度をはじめよ!」


 戸を閉じる前にもう一度だけ、がらんとした寂しい部屋を目に焼き付けてキムテは己の執務室へと戻っていった。

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