ひかれ合う2人
終章 ひかれ合う2人
連れ去られた俺は顔を水に浸けられ、息が出来ない苦しみから必死に抵抗する。
拷問? これって拷問!?
パニックを引き起こしそうになった時、顔を水の中から引き上げられ、柔らかいタオルを手渡される。訳が分からないまま薄目を開けてタオルがごく普通の白無地のタオルである事を確認し、俺は顔を拭く。
顔を拭き終わると、ゆっくり息を吐きながら顔を上げて、自分の置かれている状況を確かめる。
如何やら俺は銀色の機械的な箱の中に座らされており、その中は取調室の様に椅子とテーブルだけが置かれており、他には数名の黒い戦闘服の様な物を着込んだ大柄の男性達と白衣を着た俺の父の姿があった。
「な、ここは!? なんで!」
俺が何より最初に疑問に感じた事は今いる場所や相手の目的ではなく、近くにルナインがいないにも関わらず体に引き合う力を感じない事だった。
「この中ではある程度の重力を無効に出来る。しかし限度もある、あまり時間は無いと考えて貰いたい、質問は最小限にして、話しを聞いて貰いたい」
俺の父は、俺が質問を行う間を与えずに色々説明を始める。それは先程電光掲示板で研究主任が言っていた事と殆ど同じ内容だった。父親が行っていた政府の研究と言うのは、正にグラビティフライとそれを無効にする方法であった。
質問や疑問は溢れるほどあった。でも、今言うべきなのは1つだけだった。
「だとしても2人とも地球にいて傍にいれば重力も発生しないのに何で! 地球とリベイスが引き合うのに関係ないはず」
もし俺が地球に留まり続け、ルナインがリベイスに留まり続けたなら2つの星の接近の原因の1つになっただろうが、2人とも地球にいて、傍にいれば重力も発生させていない。だから追われる理由も危険視される理由もないはず。
「政府が何も知らないとでも? 分からないとでも? 学校とその周辺は今も重力異常を引き起こし、空間が歪んで今も重力が消失している」
俺は父の言葉に何も言えなくなってしまう。
「ブラックホール、広い宇宙空間で発生する分には影響は少ない。でも地上でそんな物が発生したらどうなるか、言わなくても分かっているはずだ。その影響力はすさまじい物だ。例え地球とリベイスの接近の原因に関与してなくても危険なのは明白だ」
理論や答弁、知識、その全てで父に勝てる要素を俺は持ち合わせていなかった。口で勝てない場合、人間が取る手段は1つだった。
俺は自分の父親に掴み掛る。父は無抵抗で襟を掴まれたまま、俺の事を悲しそうな瞳で見つめて来る。俺は溢れて来る怒りを抑えられなくなってしまう。
「人に逃げろと言って置いて……どう言うつもりなんだ!」
「何故、地球とリベイス物質が繋がりを持つのかも、その間に重力が発生するのかも分かっていない。私に出来る事はこれだけだった」
父親は傍に置いていたジュラルミンケースを膝の上に乗せて、ケースを開き中から真っ黒な小さな銃を取り出す。
「政府は2人とも抹殺するつもりだった。でも片方で良いんだ。片方を完全に量子分解すればその重力の呪いからは解放される」
銃!? ここで!? まさか――っ!
咄嗟に身構える俺を横目に父はカートリッジをセットして銃をスライドさせて使える様にする準備を整えた後、俺に向かってその銃を差し出して来る。
「この抓みを触ってセーフティを解除する。そうすればいつでも撃つ事が出来る。私が政府と交渉して何とか掴み取った、唯一の生き残る為の手段だ」
「まさか俺にこれを使えって――」
父は声色を一切変えずに淡々と話しを続ける。
「彼女を狙撃ポイントに誘い出してくれても構わない。始末は我々が行う。只、我々とリベイスお互いの政府がお互いの行動を監視している。我々が動けない場合がある事も考えて欲しい。リベイス政府も政府とは何も関係のない君の行動までは制限出来ない。確実なのは春太、お前が実行する事だ」
「そんな事――っ!」
父親は俺に冷え切った様な魂のない瞳を向けて来る。
「もしリベイス人に愛情の様な物を抱いている様ならそれは気の迷いだ」
愛情? リベイス人に愛情……ルナインに愛情? 俺がルナインの事を好き?
自分のその言葉に自分の中に渦巻いていた感情の嵐に杭でも打ち付けられた様な気分に陥る。否定も肯定も出来ずに言葉が水の様に体の中に染みわたる。
「――それは」
あり得ないと当然の様に否定しようと口を開いた所で、ルナインの顔が何度もフラッシュバックする。今までルナインが俺に見せてくれた表情、その中にはダンス大会での楽しそうに踊る彼女や今朝のデパートの屋上での件もあり、ルナインからのキスを思い出してしまう。その所為か言葉に完全に詰まってしまった。
「例え彼女達リベイス人にキスをされたとしても、その行為にはウイルスや細菌交換以外の目的も意味もな
い。彼らが免疫システム向上の為に定期的に行っているだけだ。彼らにとっての愛情表現は頭の翼を触れ合わせる事なのだから。だから、全て忘れて自分が生き残る事を考えて欲しい」
その瞬間、複雑に絡み合っていた紐が一気に解けていく様な関学だった。ルナインの行動原理、どうして俺に理不尽に当たっていたのか、その理由が溶けて行く。
初めて出会った時、俺達は頭をぶつけ合ってしまった。だからルナインは俺に対してあれだけ怒りを覚えていたのだろう。教室での事故でキスしてしまった時も、キスより俺が頭の翼を掴んだ事に対して怒っていたのも、全てそう言った理由から――っ。
俺の脳裏に唐突にデパートの屋上での一連のシーンが頭の中を駆け巡る。
照れ隠しか何かとしか思っていた頭突きが。まさか……何だよ、それ、愛情表現って……あの頭突きは……俺に痛みを与える為じゃなかったのか?
俺達はずっと言い争って来た。周りからはケンカップルや仲が良いとからかわれ続けたが、恋愛対象として考えた事は無かった。
確かにルナインは綺麗だけど別の星の人間で、身体的な差異は少ないと言っても別の姿をしていて……。俺の気持ちは……。
いつまでも銃を受け取らない俺を見かねて父は俺の制服の裏ポケットに銃を無理矢理入れて、自分の傍で待機していた男性達に視線を向ける。すると連れて来られた時と同様に、俺はその男性達に無理矢理移動させられる。
「連絡はこの携帯で、失敗すれば日本の政府は軍を動かしてお前を優先して始末するつもりだ、その時、近くにいる彼女も巻き込むつもりだろう。生き残る手段は1つだけだ。それしかないんだ!」
今までいた無機質な部屋を出た瞬間、眩しい太陽の光と共に体中に引く力を感じ始めそれは加速的に強くなって行く。もう男達に無理矢理移動させられるまでもなく、俺はその力に逆らえずに、外に飛び出して真っ直ぐとルナインの元まで駆け足で向かって行くのだった。振り返ると今まで自分がいたと思われる大型のトラックが見えた。
「これ、ヤバいって!」
俺は加速し続けるウォーキングマシンに乗せられている様な感覚に陥りながら道を真っ直ぐと走り続ける。
銃なんか無くても事故で死ぬって! 前に壁があったら終わりだろ!
「何が守る手段がなかっただ!」
いっそこのまま事故で死んだ方が楽なのかも知れないな。ルナインと再会を果たしてどうなる? 待ってるのは惨劇だけじゃないのか? 銃なんか渡されて、この先、ハッピーエンドが待っているとも思えない。
「壁!? ああもう!」
俺は正面に迫って来る家にどうすれば良いか分からなくなって来る。考える時間も与えられずに壁まで一直線に進まされる。
気付いた時には、俺は地面を思いっきり蹴り上げ、そのまま家の壁を駆けあがっていた。そこまでは良かったが、地面から離れたのが運の付き、俺はそのまま真横に落下して行く。周りから見れば宙を浮いて優雅に道路に沿って飛んでいる様に見えるだろうが、俺の中には恐怖の2文字しかなかった。
いつしか周囲の景色は見慣れた物に変わっていたが、それに気を配っている余裕もなく、なんとか落下速度を落そうともがいていると、正面から前のめりになって駆けて来るルナインの姿があった。彼女は長い髪を片手で押さえながら走っている。
「なっ!? 何してるのよ!」
正面、斜め上からライダーキックの格好で飛んで来る俺を見て、ルナインは慌てた様子で電柱の後ろに隠れる。それによって俺の目的地が電柱にロックされてしまう。
「ちょ! それダメだって! ま、ああああ!?」
電柱に足からぶつかり地面に降り立った時の様に踏ん張るが、滑って背中を強打しながら、そのままルナインを通り過ぎて落ちて行く。しかしすぐに引き合う力によって引き戻される。失速した際に俺は地面に落ちて、そのまま引きずられそうになった。しかし間一髪の所で体を起こし、その惨劇を回避する。
「あ、あぶ、起き上がれなかったら、顔とかズル向けになってたかも」
結局俺達は、縺れ合った後、いつもの様にくっ付き合う事になる。只、2人とも互いの顔を見るのが気まずく背中合わせになったままその場に座り込む。
「お互い、生きて解放されたみたいね……」
ルナインの声にはあまり元気はなく、そこに喜びや嬉しさと言った感情は一切籠っていなかった。俺もその言葉に対して頷く事しか出来なかった。
「ああ」
実際は何からも解放されてない。無事かどうかも怪しい。少なくとも銃をポケットに入れてる事がここまで後ろめたく感じるとは思わなかった。
周囲の景色に意識を向ける余裕が出来て、ふと気付くと何の因果か、そこはいつも通っていた学校のすぐ傍だった。そしてルナインと出会った場所と言っても良かった。引き合う力も弱まった事で、体がいつもより軽い事に気付く。少し足に力を入れるとそのまま浮き上がってしまいそうだった。
周囲の光景はあまりにも現実離れした物だった。剥がれた地面と浮き上がった建物の数々、学校も歪んだ状態で宙をフワフワと漂っている。人の気配はなく、この場所だけまるで時間が止まっている様だった。
これを俺達が引き起こしたんだよな。
「学校だわ。最後にここって、何の因果よ」
お互い浮き上がらない様にゆっくり立ち上がる。完璧なタイミングに、俺はルナインとダンスのパートナーなったならと言う妄想を膨らませてしまう。無茶苦茶に踊ったダンス大会の続き、お互い手を取り合い、息を合わせた本物の社交ダンス。
「学校か……何かあったりするのかもな」
ルナインが背中から離れて行く。彼女も俺も無重力空間での動作は手慣れた物だった。彼女の温もりが消えると胸の中に強い喪失感の様な物が湧き上がる。彼女が口を滑らせた『最後』と言う言葉で、俺は何となく事情を察してしまう。
「あーあ、本当に私達出会わなければ良かったわ」
「本当に」
そしたらこんな事態にならなかったのかも知れない。こんな気持ちを抱かなかったのかも知れない。地球とリベイスが衝突しない事を祈るだけの第3者になれたのかも知れない。
「こんなのばっかりだわ……いつも損をするのは私だわ」
「俺だって……」
どうしてルナインが無事に解放されたのか? 少し考えれば察しがつく。それはルナインも同じだろう。どうして俺が無事にここに居て、彼女と再会を果たせているのか。
自分の中で虚しさの様な物が広がって行く。運命の残酷さを呪わずにはいられなかった。どうしてこうなってしまうのか、こうなってしまったのか。俺は葉月からパートナーを解消しようと告げられた時の事を思い出していた。
「俺がパートナーに選んだ相手とはロクな結果にならないな」
ルナインとは最後まで別れないか……どんな皮肉なんだ……。
だから――俺は内ポケットに無理矢理入れられた銃に手を伸ばす。そのままセーフティを解除しながらポケットから取り出す。
俺達は西部劇の決闘シーンの様にお互いに背を向け合いながら距離を取って行く。距離を離すと俺達の間に、現状を引き起こしている全ての元凶とも言える引き合う力が発生し始める。周囲が無重力の分、その力はダイレクトに体に働く。だから飛び跳ねる様に進行方向に力を加えて引き寄せられない様にする。
「春太、恨まないで欲しいわ。こうするしかないのよ」
俺とルナインは同時に振り返る。彼女は虫の甲殻から作られ様な少し不気味な武器を俺に構え、俺は取り出した銃を――。
「お互い様だから」
――自分のこめかみに当てていた。
最初から自分の中で結論は出ていた。誰かを殺してまで生き残るよりこうして意味のある死を選ぶ方が、心に掛かる負担がよっぽど少なかった。初めて出会った時と同様で、俺は自分の命を捨てる事を選んだのだ。
「最初の時と同じ、どちらかしか生き残れないのなら、俺はこっちを選ぶよ」
「――っ!」
ルナインが金色の瞳を見開いて俺の事を真っ直ぐ見つめて来る。引き合う力が強くなり、お互いの間に風が吹き始めた。お互いに遠ざかっていた距離は引き合う力によって縮まって行く。荒野なら丸まった枯葉が転がっていただろうが、ここでは只、ルナインの綺麗な白い髪が風と戯れるだけだった。
病気で死ぬ所なら、看取られても良かったけど、自殺する所を誰かに看取られるのはな。それにいざ引き金に力を込めると、想像以上に重い。恐怖で指先に力が入らなくなっているのか? 何もしなくても死んでしまう飛び降りとは違うんだよな……。
俺は目を力強く閉じると同時に全ての思考を取っ払って只、指先に力を入れる事だけに意識を向ける。
「――っ!」
ルナインの叫び声を消し去るかの様に銃声が街の中に響き渡る。聞き慣れない発砲音がエコーでも掛かったかの様に何度も反響して遠くまで響いて行く。
俺はその場で銃の反動によって斜め後ろに吹き飛び地面に叩き付けられる。地面と接触した事による背中の痛みが脳に届いて悶えそうになる。同時に胸元に柔らかい感触が伝わって来て、何かが自分の体にぶつかった事を理解する。
訳も分からないまま目を開くとタックルでもするかの様に飛び込んで来たルナインが俺の銃を持つ右手を地面に押さえつけていた。
お互いに言葉もなく只、見詰め合う。ルナインの潤んだ金色の瞳には、同じ様に瞳を潤ませた自分の姿が映り込んでいた。現状の把握、何が起こったのか、どうなったのか、そんな事を考えるよりも先に俺とルナインの顔が不思議な力によって引き合い、そのまま唇が触れ合う。
学校で起きた事故の時とも違い、デパートの屋上で行われた免疫力向上の為でもない、本気の、お互いを求めあうだけの激しいキス。舌が絡み合い、獣の様に相手に噛みつく様な激しいキスが繰り返される。どれだけそんなキスを繰り返しても満足出来ずに更に深くキスを繰り返す。お互いに口の周りが唾液で汚れるのもお構いなしに永遠とも思える長く、そして一瞬とも思える程短い時間の中、ブレーキの壊れた列車の様にキスを続ける。
「何で、そう、簡単に命を捨てようとするのよ」
ルナインはキスをしながら息づきの合間にそんな文句を言って来る。
「格好良く死にたいから」
「本当に下らないわ……銃を向けて来てくれたら、こんな馬鹿な事せずにあなたを殺せたのに」
お互いに息づきをして、またキスを繰り返す。もう話しているのかキスしているのかも分からなくなって来る。
「嫌いなのに、嫌いなはずなのにどうして」
「それは、俺だって」
「キスの意味とか調べなければ良かったわ。只、ムカつく最低な地球人だと思って置けば良かったわ。そしたらこんな事――絶対しなかったわ」
「出会った時から事あるごとにビンタして来て、頭に触る事の意味とかも知らないのに、只管ビンタに文句に嫌がらせ……なのに何で」
何でルナインを求めてキスを交わしてしまうのだろうか? 今だって沢山文句を言いたくて、腹立つ事が幾つもあるのに、どうして――。
「頭に翼もなくて肌も赤くなくて、私の好みには成り得ないし、デリカシーの1つもなくて、トイレにまで付いて来て、1日中まとわりついて来て、本当に鬱陶しいのに」
「俺に嫌がらせしようとして、その度に自分の方が酷い目に合ってる癖に、困った俺の姿を見て喜ぶ様な酷い奴なのに」
キスの後お互いの言葉が完全にハモる。
「「どうして――」」
――好きになってしまったのだろう――
高ぶった気持ちが落ち着いて来て、自分体が路上で地面に寝転がりながら海外ドラマのラブシーンの様なキスを繰り返している事に気付き、お互いに突き飛ばす様に離れ合う。
「何で突き飛ばすのよ!」
「そっちも突き飛ばして来ただろ!」
「飛んだのは私だけだわ」
ルナインは空中に浮かぶ少し大きめの瓦礫を蹴って地面に降り立つ。
「俺は背中を地面に付けてるから肩を押されても飛ぶ訳ないだろ!」
「それはあなたの問題だわ!」
お互い睨み合う、俺達の間に信じられない程の静寂が広がる。ルナインの少し怒った顔を見ていると我慢出来ずに俺は吹き出してしまう。それはルナインも同様だった様で同じ様に吹き出すのだった。
「ぷっ、ふふふっ」
「はははっ」
どうして今更言い争うっているのか、自分達の理解不能な行動にお互いに笑いを堪えられなくなってしまう。
「やっぱり、私、春太の事が嫌いだわ」
「俺も理不尽な事しか言わないルナインの事は嫌いだ」
でも同時にそれを塗り潰す程の好きと言う感情が胸に溢れていた。どれだけ相手の嫌な所を見ても、思い出しても、水に垂らした墨汁の様に嫌いと言う感情を全て好きと言う色に染めてしまう。
「それでどうするのよ?」
「そんなの分かる訳ないだろ……でも……」
俺は持っていた銃を誰もいない学校の敷地に投げ入れる。そして連絡用に渡された携帯も同じ様に学校に投げ捨てる。
「まさか、このヘルメットや宇宙服から居場所を特定出来る様になってるなんて思いもしなかったわ。だからリベイス政府がこんな島に軍を派遣したのよね」
ルナインはヘルメットと鞄に入っていた宇宙服、そして少し気持ち悪い武器を俺と同じ様に学校の中に投げ入れる。
「そう言えば、あの時、ルナイン、兄さんとか言ってなかった?」
「ええ、兄さんの計らいで私に春太を殺害して生き残る機会を与えてくれたみたいだわ。兄さん軍の中でもかなり上の立場だから」
「俺は父親から、グラビティフライの研究者で……立場はどの程度か分からないけど」
「お互い身内には恵まれたみたいだわ。まあ裏切った訳だけど」
そうルナインは笑い話の様に話すが、俺は笑える様な気分にはならなかった。
「それは……確かに」
「何で暗いのよ」
「暗くなる様な事言うからだろ! 信用を裏切ったんだからな!」
「私の所為にしないで欲しいわね」
いつもと全く変わらない性格の悪いルナインの様子に、俺は改めでどうして彼女の事が好きなのか自分に問い掛けざるを得なかった。しかし答えなんか出る訳もなかった。結局好きな物は好きなのだ。
「あのな……。で、これから正直どうするよ?」
答えはあまり期待していなかった。これからどうするかなんて決まってる訳がなかった。
「そんなの知らないわよ。そうね、嫌がらせの対象を世界に変えるのが良いと思うわ」
「もうちょっと良い事言えないのか。映画とかなら色々印象に残る感動的な事言ったりする物だけど」
例えば『2人で世界を救おう』とか『これから僕達は永遠に離れない』とか、考えただけでも寒気のするセリフだ……口に出したら酷い事になってたな。
「そんな娯楽、リベイスにないわ」
俺達は足の向くまま、歩き始める。何処に向かえば良いか、何処に行けば良いか何も考えずに夕暮れに沈んで行く太陽を見ながら、不安を覆い隠す様にルナインと本当につまらない言い争いを続けた。
いつお互いの政府機関が居場所を付き止めて来て抹殺しようして来るか分からない状況だった。だからと言って、対処の手段も持ち合わせて無く出来る事は何もない。
俺達に出来る事なんて本当に些細な事、スーパーで総菜を買い、それなりに広い自然公園の湖の近くのベンチに2人で座って夕食を取る事ぐらいであった。
「本当に味気ない食事だわ」
「しょうがないだろ、手持ちは2000円しかないんだから」
「あのヘルメットとか武器とか、売ればお金になったのかも知れないわね」
「質屋に武器とか持って行ったら絶対通報されるだろ。大体、あんな気持ち悪い武器売れる訳ないだろ」
「リベイスの最新の生体武器を気持ち悪いって何よ。リベイスの道具は殆ど生体ベースだからあんな感じだわ」
「俺の中でリベイスのイメージが一気に変わったんだけど、気持ち悪い芋虫みたいな道具や血管みたいなチューブにパソコンのCPUは誰かの脳ミソとか使ってる世界になったんだけど」
俺は生物をそのまま道具として使っている様な気持ちの悪い世界を想像する。
「大体合ってるわね」
「合ってるのかよ!」
ルナインはムッとした表情を作って俺の事を睨んで来る。
「何よ! 私から言わせたら無機物的過ぎてこっちの世界の方が気持ち悪いわよ。やたら四角とか三角とか多くて、頭が可笑しくなりそうだわ」
絶対内蔵みたいな気持ち悪い道具がそこら辺にある世界よりマシだろ。
「あーあ、こんな味気のない食事をするくらいなら、私の名案を採用すべきだったわね」
「重力を発生させて食べ物を引き寄せるって、只の盗みだろ」
「今更法律何でどうでも良いわよ」
「だから、もう少し良い事を言ってくれ」
「神は私達の罪を全て許すわ」
「神にも限度があると思うけどな」
気付けは、すっかり夜も更け、人の気配が消え始めた公園に、取り残された俺達は黙って湖に移る満月を眺める。ルナインは俺の肩に軽く頭を乗せて来る。彼女の翼が頬を撫でて少しこそばゆかった。
こう言う状況って駆け落ちみたいだよな。駆け落ちしてる人達ってどうやって生き延びてるんだろ……明日のお昼頃には泥棒になってるかも。ヒロインが積極的に法に触れようとして来るからな。俺もそれを止める程強い良心があるとも言えないし。
駆け落ちと違う所は、希望に満ちた未来はなく、終わりがはっきりと見えていると言う事だろうか。
もう良い方向に考えようとする気力も湧いてこなかった、例え良い方向に考えても最後には死ぬって結論になりそうだった。
「それにしても翌々考えたら酷いわ。当人に殺させるとか。まだ暗殺され方がマシだと思わない? こんな奴でも殺したら罪悪感で一杯になるわ」
「こんな奴は余計だろ」
でも息子に銃を渡して『殺せ』なんて言う父がこの世の何処にいると言うのだろうか、どこのマフィアの世界だ。
「考えたらムカついて来たわ。明日、ムカつくからビルの2、3でも破壊しない? やろうと思えば私達なら出来るわよ。それを動画に乗せて、飯を寄越さないともっと壊すわよって声明を出すのよ。誰だっけ、春太の友達の……そう、次郎みたいに」
「あいつは革命家気取りなだけで、そんな事1度もしてない」
結局次郎との関係も微妙に壊れたまま修復出来てなかったな……別に良いって言えば良いけど。今でも怒ってるからな、許してないし。
「そんなの知らないわよ。もっと美味しい物を食べたいだけだわ。生きてる内に」
「回ってない高級寿司とか食べてみたいかも。値段は時価って奴」
普段なら眠っている時間になるが、興奮からか全く眠気が襲って来なかった。外で眠る事に対する恐怖もあるのかも知れない。する事もなく眠る事もなく、時間が過ぎるのを待つのは退屈の極みだった。
「そうだわ、ダンス、教えてくれない?」
立ち上がったルナインは可愛らしい笑顔を作って俺に手を指し伸ばして来る。俺はそんな彼女の不意打の様な笑顔に思わずドキッとしてしまう。
「――俺が教えるまでもなく上手に踊ってたと思うけど」
「そうじゃなくて……あの時少しの間だったけど、春太に体を操られるのは物凄くムカついたけど、悪く無かったわ。大会の続き……途中で辞めさせられて、なんか物足りないわ。それに他にする事もないわ」
ルナインは照れくさそうに斜め下を向きながらチラリと俺の様子を伺って来る。俺の答えは決まっていた。立ち上がりルナインに向かって手を差し伸べる。
「興味本位で社交ダンスし始めたら後悔するけど、ま、良いか。言って置くけど大会で踊った様なダンスと社交ダンスは別物だからな」
「退屈だったらすぐに止めるから」
俺はルナインの手を取って久しぶりに背筋を伸ばして社交ダンスを踊る格好をする。
只の遊び、何も綺麗に踊る必要も難しい踊りをする必要もない、気軽で簡単な誰でも踊れるので良い、娯楽の為、楽しむ為だけのダンス。
フラフラとダンスを習い始めた頃の様な、つたないステップを取りながらルナインとその場で踊り始める。湖に住み着いたアヒル達も俺達の踊りに合わせる様に水面を音もなく滑りながらクルクルと回り始めた。
「どんな手を使ってるのよ、体が勝手に動いてるわ」
「ルナインが上手なんだよ。それか、俺達の相性が良いか」
「なら私に才能があるのね」
「1、2、3、さっきの所ステップ少しズレてる」
「うるさいわね。ワザとよワザと」
「何でワザとずらすんだよ。ほらまたズレた」
「……こうした方が刺激的で楽しいわ!」
こうして穏やかに始まったダンスだったが、穏やかさはルナインの言動によって煙や幻の様に一瞬で消え去ってしまう。
「ちょ! 足を踏みに来るな!」
「こっちの方が私達らしくて楽しく踊れるわ!」
獲物を狙う蛇の様にルナインが俺の足を踏みつけようとして来る。
「楽しみ方間違ってる!」
ステップも無茶苦茶、ダンスの形も何もかもが無茶苦茶、互いを振り回すだけの美しさの欠片もなく、目的すら間違っていたのに、ルナインとのダンスは何故か楽しかった。足をわざと数回踏まれてもそれでも踊っていたいと思えるほどに楽しかった。
ダンス大会の続きでもするかの様に俺達は無心になって踊り続ける。もっと別の出会い方をしていれば、俺達はあのダンス大会で堂々と選手として参加出来ていたのかもな。でも――、きっと競技として参加すれば、こんなに純粋にダンスを楽しめなかったと思う。きっと俺の求めていたダンスは周囲の評価を気にしない、只、楽しむだけのダンスだったんだな。
大会とか上手に踊るとか綺麗なダンスとか、本当はどうでも良かったのか。重要な事は1つだけ、踊り続けたいと思える事――。
「この時間が永遠に続けば良いとか、思う時が来るなんてな」
「時間は止まらないわ。それに永遠にこんな事続けたくないわ」
俺の発言をルナインは真顔でバッサリと切り捨ててしまう。
「あのな、人が感傷的になってるって言うのに」
「事実だから仕方ないわよ」
思えば出会ってからは激流の様な毎日だった。出会ったその日に学校や街を破壊して、それから1週間ずっと毎日の様に言い争いを続けて、引き合う力でトラブルに巻き込まれ、共同作業を強要されて、また言い争って。
「いつの間にかルナインがいるのが当たり前になって」
「鬱陶しかったけど、今は、やっぱり鬱陶しいわね」
互いの手を取り、同じ様に体重を後ろに掛けながら回転を続ける。
「お互い世界にとって危険な存在になって」
「追い掛け回される事になったわ」
「殺し合う様に強要されて」
「何処かの誰かは自殺しようとしたけどね」
「そして今は――」
俺とルナインはダンスを止めて見詰め合う。月夜に照らされたルナインはとても綺麗だった。俺は彼女の儚く銀色に輝く白い髪の毛に触れる。綿の様な柔らかい感触が手の平を包み込む。
お互いの顔が自然と引かれ合い、唇を合わせる。その後は、お互いの頭を重ね合わせた。ルナインが頭の翼を擦り付けて来た時、自分にも翼があればと思ってしまう。
好きと嫌い、相反する2つの感情が混ざり合った様な不思議な感覚に最初は戸惑っていたが、今は心地良さすら感じていた。
人の嫌な部分が見えて気持ちが冷める。そんな話しを良く聞くが、嫌な部分しか見ていなかったのに、好きになってしまった俺達には、そんな話しは絶対当てはまらないだろう。この気持ちが冷める時は来ないだろう。永遠に。
「でもこれから先、寝ても覚めても一緒に居ないとならないって考えると……ため息が出て来るわ」
「……それは俺も同感かも」
さっきの永遠って考えは取り消そう。でも喧嘩別れだけは絶対しないか。と言うか出来ないが正しいか。
「じゃあ今度は好き勝手踊るわよ。付いて来られるわよね?」
挑戦的なルナインの瞳に、俺はニヤリと笑みを作る。
「勿論――」
決められた型のないダンス、アドリブに次ぐアドリブ、ダンスによる純粋なコミュニケーション。この世で最も楽しく美しいダンス。穏やかだった俺の心は何処へやら、一気に感情が高ぶって行くのが分かってしまう。
俺達が手を握り直した時、突然湖のアヒル達が飛び立つ。俺は何が起こったのかと視線を湖の方に向けようとした時だった、湖の端の森の中に人影と大きな双眼鏡の様な物が見えて、咄嗟にベンチの背後にルナインを引っ張り込む。
「な、何よ!」
「いや、ゲームとか映画で見た暗視スコープ的な奴が、気の所為なら――」
次の瞬間だった、複数の銃声と共にベンチから木片が飛び散り始める。
「――良かったんだけど……見つかったらしい」
「何でなのよ! 携帯もヘルメットも何も持ってないわよ!」
街の監視カメラも避けたつもりだったんだけどな。やっぱりヘルメットも付けてないルナインは目立つからな。しかもお互い制服だし、夜の闇に紛れてたとは言え、見付けて下さいと言ってる様な物か。
「帽子ぐらい買えばよかったな、結果は一緒だったかもしてないけど」
相手はすぐにベンチの背後に移動して丸腰の俺達を仕留めようとして来る。抵抗も出来ない俺達は、相手が止めを刺しに来るのを只待つだけだった。
最期かと諦めかけた瞬間だった、上空から強力なライトによって俺達の姿が照らし出される、それだけでなく周囲も強烈な白い光で照らし出す。
眩しいライトで照らし出され、周囲を完全に囲まれ、逃げ場も盾もない状況。絶対絶命に思われたその瞬間だった、上空からライトで照らし出した姿の見えない何かからの砲撃が始まり、俺達を攻撃していた存在を攻撃し始める。
俺達に向けられていた銃口は上空から注がれる真っ白な光に向けられ、唐突に潰し合いが始まるのだった。
「助けられた?」
「違うわ! 兄さんだわ。私達を殺そうとしているそっちの政府の人間を片付けてから、春太を殺すつもりよ!」
ルナインは金色の瞳を見開きながら、慌てた様子で状況を見つめる。俺は夜空に視線を凝らすが空中に突然光が生まれている様にしか見えなかった。
「でも何も見えないけど」
「リベイスの最新戦闘機、エレメルットには光学迷彩を積んでるって聞いたわ」
「光学迷彩ってどれだけハイテクなんだ」
「地球の技術を流用してるって聞いたわよ、そもそも地球は持ってる技術の実践投入までが遅過ぎるわ」
と言うか地球に光学迷彩の技術あるとか初めて知ったんだけど。
姿の見えない何かは、地上からの銃撃を浴びて光学迷彩による透明化が解除され、巨大な虫の様な形をした気持ちの悪い戦闘機が姿を現せる。
本当にリベイスって虫とかをベースにした気持ちの悪い道具しかないのな!
「でも地球の政府は俺とルナインを殺そうとして、リベイスの政府は俺だけ殺そうとしてるって、俺だけハードモードだろ」
どれだけ訓練を積んだ兵士でも戦闘機による圧倒的な火力の前には無力に等しく、次々と倒れて行く。ルナインは冷たい視線で倒れて行く兵士の様子を見ながら、俺の手を握り込む。
「走るわよ」
「だと思った」
タイミングを計る事もなく俺達はベンチの影から飛び出す。俺達に合わせる様にライトが確りと追って来て俺達を照らし続ける。
一旦俺達から離れていた銃撃もまた俺達に向かって放たれ始める。
「あああ! 撃って来てるって!?」
プロのアサルトライフルによる連射、正直生きた心地がしなかった。
「立ち止まらずに走り続けるのよ!」
言われるまでもなく足を止める気など一切なかった。俺達へと危害を加えようとする対象は、上空からエレメルットによる無音の砲撃によって沈黙させられて行く。頼もしい反面、いずれその脅威が自分に向けられると思うと楽しくはなかった。
激しい風切り音が地鳴りの様に響き渡って来る。その直後、ガトリング砲の連射音が鳴り響き、堅い物に弾丸が弾かれる金属音が公園内に響き渡る。
数機のヘリコプターがガトリングの火花を散らせながらエレメルットに攻撃を続ける。その傍で別の輸送用のヘリが高度を落して速やかに地面に降り立ち、公園内の負傷した兵士などを回収して上昇して行く。
兵士の回収が済んでも他のヘリはエレメルットに対しての攻撃を止めずに弾丸を打ち込み続けた。
ああもう! 無茶苦茶じゃないか! 戦場かよ!
この状況に対処する為に俺達に向けられていた光は一旦消えて、仲間の応戦に向かう。
「完全に俺の常識を超えてる」
「出会った時から常識なんて何の意味も持ってないわよ」
「そう言われればそうだけど」
公園の出入口まで辿り着くが、出入口は警官によってバリケードが作られ、確りと固められており簡単に脱出出来そうになかった。
「このまま突っ込むわよ」
バリケード等関係なしに突っ込もうとするルナインを慌てて止める。
「突っ込んでどうにかなる相手じゃないだろ!」
立ち止まったルナインはキッと鋭い金色の視線で俺の事を睨み付けて来る。
「だったらどうするって言うのよ!」
俺は周囲に視線を巡らせてこの場を切り抜けられる方法が無いか探る。
公園を囲む柵を登るとか、いや、時間が掛かるし警察に見つかる可能性もあるし。なら、被害者の振りをするとか、巻き込まれただけお一般人……ダメだ、ルナインがリベイス人の地点でそんな作戦通用する訳がない。他には――。
「きっと警官には事情を知らされてないはず……秘密主義だろうし」
首を絞められている様な息苦しさを感じ始める。ルナインの言う通り、このまま正面突破で上手く行くんじゃないだろうか? そんな事を考え始めた時だった、背後で爆発音が響き渡る。小さな爆風が俺達の背中を押して来る。ヘリかエレメルットのどちらか、あるいは両方が爆発したのだろう。
俺はその爆風を感じながらある閃きが生まれる。ある意味正面突破に近い方法だが、もう他の方法は思いつかなかった。そして実行するのなら今すぐ行うべきだ。
「ルナイン、俺に合わせて叫んでくれ」
「叫ぶって何を――」
俺はルナインの疑問に答えを返す前に叫ぶ。
「爆弾だ! まだ爆発する! この辺りは吹き飛ぶ!!!」
ルナインは帽子を深く被り込んで俺に合わせて叫ぶ。
「早く逃げないと全員巻き込まれて死ぬわよ!」
俺達の姿を見て警戒を強めた警官達に一気に動揺が走る。
「何してる! 早く逃げないと全員死ぬぞ!」
そう叫んだ直後、小さな爆発が公園内で起こる。先程の爆発と比べると規模は小さく、おそらく先程墜落して爆発したヘリかエレメルットが追加で爆発を引き起こしたのだろう。只、その爆発はダメ押しとしては 完璧だった。動揺だけで行動まで移さなかった警官達が慌てた様子で持ち場を離れて行く。
俺とルナインは出来た隙間を通って公園の外に脱出して、警官達に呼び止められる前に走り抜け街の中に逃げ込むのだった。
真夜中の街、人の姿は少ないが、それでも結構な人が道を歩いており、その中の多くがお酒に酔った、歩くのもおぼつかないサラリーマンだった。特に今日は酔っ払いが多い様に感じた。
そう言えば人類が地球で過ごせる時間が5年しかないってニュースで言われた直後か。
「無事に逃げ延びたって言いたい所だけど、あれ」
俺はルナインの指先にそって電光掲示板に表示されたニュースに視線を向ける。
『現在逃走中の容疑者、倉間 春太はテロ容疑に関与しているとみられ、リベイス人の女性と共に現在も逃走を続けており……』
アナウンサーに淡々と俺の名前が読み上げられ、顔写真がデカデカと表示される。未成年を本名公開で指名手配を掛けられるなんて前代未聞も良い所だった。
テロって、ついに本物のテロリストとして追われるのかよ。
電光掲示板を見ていたおっさんの1人が俺の存在に気付いてスマホで写真を撮って来る。俺はルナインを連れて慌ててその場を離れる。それからは全てが怪しく見えてしまう。周囲でスマホを取り出し、電話したり操作している姿を見るだけで、俺の事を報告されているのではと勘繰ってしまう。
もはや、人を隠すなら人の中と言う作戦も取れず、俺はルナインを連れて走る事しか出来なかった。
夜の道、人気のない場所を選びながら逃げ続ける。しかし、それは当然逃げ道を自分から狭めている事に等しく、俺達に逃げる事を強いている連中からすればクモの巣に絡まった蝶の様な状態でしかなかった。
2時間ほど逃げ惑った所で、周囲をスーツの男性達で固められており、逃げ道らしい逃げ道は全てなくなってしまっていた。何処に移動してもピッタリと後をついて来てジワジワと距離を詰められ続けて行く。上空は数機のヘリが巡回しており、ビルの屋上を飛んで移動する方法は完全にふさがれてしまっていた。
何処かの建物に逃げ込む事も考えたが、外からハチの巣にされそうで、その選択肢は考えない様にしていた。
「ここまで、らしいわね」
駅のホームの前でルナインは静かに呟く、今も人は多少いるが、着実に一般人は、俺達からあらゆる形で遠ざけられて行く。先回りされているのか、駅も入口に鍵が掛けられ完全に封鎖されてしまっている。
俺は傍にいた女子大生と思われるグループの1人が電話に出て、血相を変えながら俺達からグループを引き連れて離れて行く姿を見ながら、胸に悲しみを溢れさせる。
「……テロを企てた極悪人として死ぬ事になるのか、ヒーロー的な死に方が良かったんだけどな」
俺は茶化す様に首を傾げながらそう言うが、瞳から溢れる涙に戸惑いを隠せなかった。
「あれ、止まらない……今更になって、死にたくなくなったらしい」
「そんな情けない顔、最後の最後に見たく、無かったわ」
ルナインは俺に背を向け、俺から顔を隠してしまう。そう言う彼女の声も震えていた。
3台のごつい黒塗りのバンがバラバラの道に止まり、真っ黒な戦闘服を着た、如何にもと言うべき人間達が飛び出して来る。
「これだと兄さんの働きも期待出来そうにないわね」
俺達は最後にお互いの瞳を見詰め合う。もう言葉は無かった。時を待つだけ。死神が鎌を研ぎ終わり、その鎌を振り下ろすその時を只、待つだけ。
「酷い顔」
「そっちだって酷いわよ」
お互い涙で濡れた表情のまま、無理な笑顔を作ったその時だった、駅の窓ガラスが派手に割れる。俺は銃撃が始まったのだと思い目を閉じた。世界から音か消えて行き、静寂の中、ルナインの息遣いだけがはっきりと聞こえて来る。
「……?」
静けさがいつまでも続く、時間でも止まったのかと勘違いしそうになる。
「僕は今こそ、全世界に伝えるべきだと思っている。ここにいる平凡な学生を見て貰いたい。彼は僕の友人で只の高校生だった。しかし今はどうした事か、何故かテロ容疑が掛けられ、無慈悲にも殺戮され様としている! 今こそ世界に問いたい、これは何だ! 一体何なのだと!」
そんな声に驚きながら、目を開けると次郎の背中が視界に入る。それだけでなくクラスメイトの山本や他の男子生徒、女子生徒も俺達の前に体を張って立っていた。
「隣にいる彼女はルナイン、事故でリベイスから地球に来てしまったみたい、嘘の様だけど本当の話し。しばらく彼女と過ごしたけど、こんな形で殺される様な事はしていない!」
「高校生の普通の生徒にテロ容疑なんて、馬鹿らしいにも程があります。武器も何も持っていません。なのに一方的に殺そうと、こんなのは不当です!」
その中には葉月も混じっており、数名がスマホで動画を撮影しながら、それぞれ俺達や周囲の様子を移しながら訴えかけている。
「先生としても見過ごせません。普通の考えを持つだけの高校生です!」
「冬華さん」
冬華さんは振り返って、儚い笑顔を作って小さな言葉で呟く。
「世界とかいっそ滅びてくれた方が……何でもありません」
ここにいる全ての生徒がどうして俺達がこんな目に遭っているのか知っているだろう。俺達が危険視される理由を十分知っているだろう。その上で庇っていてくれているのだ。
「次郎、どうして」
「まあ、あれだ。僕の所為でもあるからね。ここまで酷い状態になる原因を作ったのは。全員責任を感じているのだよ。このまま2人が死んだりしたら。悪ふざけがシャレにならなくなって、その時の罪悪感は想像を絶するものだと分かっている。同じ世界に革命を起こす同士としてテロリストでない事は僕が1番知っている。だから僕はこうして皆を呼び集めたのだよ」
世界に革命を起こすのが既にテロリストの気がするのは気のせいだろうか?
クラスのお調子者の山本も次郎の方から顔を覗かせる。
「悪かったぜ。このままだと後味悪いから、でも助けるのは1回切り、貸し借り0だぜ」
他の男子生徒達もバツが悪そうな表情のまま次郎や山本の言葉に同意する様に頷く。
「あのルナインさん……キスして下さい! リベイス人はすぐにキスをする物だってネットに書いていました!」
英語だけが得意な英斗はそう高らかに叫ぶ。周囲から山本が言いそうな事だと呆れられる中、ルナインは無言と無表情のまま英斗に思いっきりビンタを行うのだった。
何故かビンタされたにも関わらず英斗は恍惚の表情を浮かべていた。
「な、本命はそっちか! お、俺もキスして欲しいぜ」
暴走を始めそうになった山本を他のクラスの生徒達が引き留める。
「駅の中に、そこから逃げたまえ」
「次郎、ありがとう」
いつか、友達とは思わないと思った事あったけど……撤回する。お前は俺の友達だ。
「ルナイン! またリベイスの話し聞かせてね」
女子の中心的人物の恵麻に空気を読めない事で有名な女子もルナインに声を掛ける。
「明日雨降るから傘買った方が良いよ」
ルナインは2人に屈託のない笑みを向ける。
「ええ、生きて会えたら考えてあげるわ。それとあなたは相変わらず空気読めないわね」
「2人にはダンスだけだと完全に負けました。ステップも無茶苦茶、曲芸みないなダンス。下手と言うのも恥ずかしい程下手でしたけど、あんなに楽しいそうに踊られたら、どんな綺麗な踊りも美しいステップも意味が無くなってしまいます。ダンスって楽しいからする物だって……どうして忘れていたのでしょう」
葉月は付き物でも取れた様な表情でルナインの事を見つめた後、大会でルナインがした様に舌を出して勝ち誇った様な表情で、金色に輝くトロフィーをルナインに見せつけた。
「でも、優勝したのは私達ですけど」
「なっ――。何で、ダンスなんて只の遊びなのにこんなに悔しいの……ちゃんと選手として参加してたら私達が間違いなく優勝してたわ! そうよね!」
「それは、ちょっと」
ルナインの言葉に俺は困った様な表情を作るしか出来なかった。
「何がちょっとよ! そこは間違い無く優勝してたとか、適当な事言って置けば良いのよ! 言って置くけど、練習も何もしてない状態であそこまで踊れたんだから、実質私達の勝ちだわ」
葉月は余裕の表情でトロフィーを胸に抱える。2人とも相当負けず嫌いな様だ。
俺達は次郎達が飛び出して来たと思われる駅の割れたガラス窓を通って中を駆け抜ける。入り口では次郎達が特殊部隊の人間達に取り押さえながらも必死に抵抗を続けていた。
駅の中は、殆ど人気はなく電車も走っている様子は無かった。俺達はホームまで直行して、そのまま線路を伝い、踏切から追手のいない道に出てそのまま駆け足で先に進む。
「こんな事なら、もっと皆と仲良くして置けば良かったわ」
「俺からみたら十分中良さそうだったけどな」
「春太はクラスで浮いてたからそう見えるのよ」
「う、痛い所を……でも誰の所為で浮いたか分かってるんだろうな?」
「それはあなたの問題だわ」
「ふふっ」
「ははっ」
ルナインと2人、何処までも走っていたいと思えて仕方なかった。終わりが来る事を分かっていても、いつまでも走っていられる様な気がしてならなかった。
「春太、私、地球に来た事――」
不意にルナインの体が浮き上がったかと思うと、彼女は凄い勢いで前進して行き、繋いでいた手が離れてしまう。
「――春太っ!」
「ルナイン!!!」
ルナインとの距離が決定的に離れた瞬間、まるで俺の事を挑発でもするかの様に、見えなかったエレメルットが光学迷彩を解除して姿を現す。エレメルットから伸びたアームの様な物が確りとルナインを掴んで離さなかった。
空中でホバリングしながらエレメルットのコックピットのハッチが開いて赤いパイロットスーツを着たリベイス人が姿を見せる。
「妹は返して貰う。地球人、妹はどんな手を使っても生かして連れ帰る、死なせるつもりはない」
機械的な心の籠っていない声だった。如何やら翻訳機か何かを使っている様だった。
「兄さん! 放して! こんな事をしても私は――」
「妹の目の前で直接手を下す様な真似は控えるとしよう。但し、妹にはリベイスに帰って貰うその為の準備も済ませて置いた。このまま地球に置いておくのは地球人達が何をして来るか分かった物ではないからな。妹がリベイスに帰った結果グラビティフライにより、貴様は宇宙に飛んで行く事になるだろう。それが最後だ、宇宙の藻屑となり消えろ」
ルナインの兄はコックピットのハッチを閉じながら最後の一言を漏らす。
「最もその前に地球人達が貴様を始末してくれるだろうがな」
エレメルットは物凄い勢いで俺から離れて行く。途中で光学迷彩によって見えなくなってしまい、宙に浮くルナインの姿だけとなってしまう。
俺は引き合う力を感じながらルナインを追い掛ける。見失わない様に必死に上空を見ながら進める道を走り続ける。しかし戦闘機と人が走るスピード、引き合う力で加速していたとしても差が縮まる事は無かった。
「――っ攻撃」
銃撃に俺は思わず建物の中に隠れる。咄嗟に入った建物は家具店の様でソファーや机が無数に立ち並んでいた。只、店内はお客もいなければ店主もいなかった。
運が良いのか悪いのか……。激しい銃声を聞いて店の奥に隠れてる可能性もあるのか。
だとしても今の俺にそんな事を気にしている余裕は一切なかった。店内から外の様子を見ると、まるでゴキブリの様に武器を持った戦闘員達が道を埋め尽くしていた。
加速的に強くなって行く引き合う力を感じながら、ルナインの兄がどれだけ無謀な事をしようとしているのか文句を言いたくなって来る。
只、同時に地球から速やかにルナインを連れ出したいと考える気持ちも良く分かってしまう。こんなそこら中、敵だらけの場所に置いておく方が遥かに危険だ。
「ルナインをすぐに追い掛けないと……」
引き合う力がこれ以上強くなる前に――。
とは言っても加速的に強くなって行く引き合う力は、俺の意志など関係なしに、俺を壁に引き寄せて張り付かせる。同時に家具店の家具が自分の方に引き寄せられて行く。
焦燥感に胸を焦がすが、外に出るとハチの巣にされそうな恐怖に負け、飛び出せずに無為な時間を過ごしてしまう。それが更に俺を焦らせて行く。
アサルトライフルを容赦なく構える特殊部隊の人間達を見て、家具店に人がいない事を後悔しそうになる。建物の外から建物ごとハチの巣にするのは明白だった。俺が今後の方針を固めるよりも先に凄まじい銃撃が始まってしまう。
ガラスが割れ、壁がボロボロになり穴が開き崩れ、中の家具が木屑となり飛び散って行く。俺は壁側に引き寄せられた家具の盾によって辛うじて一命をとりとめていた。
「こんなのどうしたら――!?」
激しい弾丸の雨に体を丸める。もう冷静に思考する事も出来なかった。あるのはそこにある死と言う恐怖だけだった。生き延びる手段を考える思考すらも湧き上がって来ない。
良い方向に考えたら……楽な死に方なのかもな、はは。と言うか……動けない――っ。
気付いた時には引き合う力は更に強くなっており、俺はそのまま壁に張り付いて動けなくなってしまっていた。
更に状況は最悪な方向へと転がって行く。銃撃だけで埒が明かないと判断した相手が手榴弾を店の中に投げ込む。その手榴弾を見ても俺に出来る事は一切なく、只、祈りながら目を閉じた。
「ルナイン」
ルナインの顔を思い浮かべる。赤い肌、白く長い髪、頭には白い翼。地球人に遠い様で近い容姿。この先、最後まで一緒だと思っていたのに、最期の最期でバラバラに……。
「ルナインが助かるのなら」
そう言葉にするが、実際の感情はルナインと会いたくて仕方が無かった。例え巻き込んで共に死ぬ事になったとしても、ルナインの傍にいたいと思ってしまう。
人間って本当に自分勝手だよな。あれだけどっちかが死ぬなら自分がって思ってたのに、どうして、共に死にたいなんて……好きだからこそ自分が犠牲にって心から思う物じゃなかったのか?
引き合う力は俺の気持ちを反映するかの様に更に強力になって行く。そして、手榴弾の爆発と殆ど同タイミングで店の壁が崩壊して行く。
俺は爆風と共に外に投げ出されてしまう。そのまま勢いを落さす宙を飛び続ける。
「木の破片……」
俺は自分の腕に刺さった木の破片を引き抜く。傷はそこまで深く無かった。只、満身創痍であまり思考が働かなかった。
「生きてるのか」
分かるのはそれくらい。手足もちゃんとついている。無事と言う訳ではないが深刻なダメージは受けてないらしい。
空を凄い勢いで斜め上に上昇しながら地上の様子を見る。多くの特殊部隊の人間達が戸惑っている様子が伺える。それだけじゃなく壊れた家具の破片等も俺の後を追い掛けて来ている。
手榴弾まで飛んで追い掛けて来てたら……笑えないけど笑えるな。
そんな事を考えていると、ガラスの割れる音と爆発音が響き渡って来る。凄まじい音と衝撃に、俺は視線を進行方向に向ける。そこには完全に制御を失ったヘリが数機あり、その内の1機がビルに突っ込み火の海を作っていた。
それより俺の視線を引いたのは正面に見える真っ黒な塊、いつか見たマイクロブラックホールだった。それは都会の中央に出現してその場を動かず、周囲の物に次々に影響を及ぼし始める。
歪む空間に比例する様に周囲の建物や地面が地表から離れ、マイクロブラックホールに引き寄せられて行く。地上にあるありとあらゆる物を呑みこもうとしている、その黒い塊を見ながら俺は笑わずにいられなかった。
「はははは……結局……最悪の結果に……」
地上からは無数の悲鳴や崩壊の音が聞こえて来る。空間の歪みは加速的に広がって行き、学校での一件とは比べ物にならない事態に陥っていた。歪みと重力異常は瞬く間に街を呑みこみ、周囲の建物や物は地上を離れて宙に浮き始める。
俺はマイクロブラックホールによって上半分を削り取られたビルや呑み込まれて行く車や家の屋根を見ながら、我慢出来ずに手を伸ばす。
「どうなるんだ……」
ルナインがいなければ、俺もあのマイクロブラックホールに呑み込まれて消え去ってしまうのだろうか。俺が消えたら少なくとも街にこれ以上被害が広がらずに済むのか?
世界の終焉を彷彿とさせる光景に俺の思考は細かい事を考えない様になって行く。どうして俺達が危険視されていたか、一方的に殺され様とされていたか、この状況を引き起こしたのが俺達だと知れば、きっと誰も反対しなくなるだろう。
核兵器よりもある意味危険かもしれない、簡単に引き起こせて、そして被害も俺達が離れている限り膨らみ続ける。その後の影響も酷い。質の悪い冗談かとも思うが、実際に引き起こしてしまっている只の事実である。
空間の歪みから距離感すらも良く分からない黒い塊に突っ込んで行く。何かにぶつかると言うよりは落ちて行く様な感覚、ブラックホールとは良く言った物だと思わず感心してしまう。
視界に移る光が消えて行く、全てが闇に呑まれて終わりの時を迎えようとした瞬間だった、頭頂部に激しい衝撃と共に視界が白い光に包まれる。
「いっ!?」
「うううっ! 何するのよ!」
頭頂部を押さえながら視線をあげると頬に懐かしい衝撃が走る。
俺は頬に走る懐かしい痛みより喜びの方が遥かに勝り、目の前の人物を抱きしめようとする。俺の意思とは関係なく引き合う力によって俺の体は彼女の体に引き寄せられ、ぴったりとくっ付く。
「ルナイン! どうして!」
「そんな事より、首の骨折れる程の衝撃だったわよ」
涙目のルナインを見て、俺も涙が溢れて来る。この涙は頭の痛みと言うよりルナインと再会出来た喜びだろう。
「話せてるって事は折れてないって事だろ」
赤い肌に金色の大きな瞳、白い長い髪の毛に強い光でプリズム色に輝く白い翼、そして可愛さの欠片もない悪態……出会った頃から何も変わっていないルナインがそこにいた。
「兄さんも想定外だったらしいわ。出来たマイクロブラックホールが移動しない事、私達の距離の中心部分にそってマイクロブラックホールが生まれる場所も変わって行くと思ってたみたいだけど」
「実際はその場から動かず、留まり続けたって事か」
でもそれって最初に出会った時、もし宇宙にブラックホールが出来てたら確実に大惨事になってた気がするんだけど。
「そんな訳で、私を乗せた宇宙船はあっさり崩壊、こうして地上に向かって落下させられた時は、流石に死んだと思ったわ。それにしても痛過ぎるわ」
ルナインは頭頂部を押さえて、真っ白な翼をピクピクと動かす。
「俺達が接触するだけで消えるブラックホールか」
「原理とか全く分からないわね。物理学に正面から喧嘩売ってるわ」
「はは……でも流石にここまで被害が大きいと、責任感じるな」
俺は地上の破壊神が降り立った様な惨事を見つめてため息を吐く。
「それもあるけど、再会を喜んでいられる時間もなさそうだわ」
ルナインは俺の手を取り、フワフワと浮かんでいた瓦礫を蹴って飛び上がる。次の瞬間ロケットランチャーが俺達のいた場所を掠めてそのまま近くの半壊したビルに直撃して爆発を引き起こす。
「こんな状況でも私達を排除するらしいわね。地球人の執着は恐ろしいわ」
ロケットランチャーを放った人物は反動で宙を激しく回転し続けている。
「ルナインの兄も執着している様に見えたけど」
「全然、私を連れ帰るのが無理だと思った様で、さっさとリベイスに逃げ帰ったわ。あっさりした物だわ」
俺は、ルナインの兄が彼女を捕まえた時、俺に向かって言った言葉を思い出していた。
「どんな手を使っても生かして連れ帰るって言ってたのに」
「リベイス人なんてそんな物だわ」
ルナインからは冷め切った夕食の様な冷たい返事が返って来るのだった。
俺達は近くにある瓦礫を蹴って別の瓦礫に目掛けて移動する。重力の崩壊、地上にいるのに宇宙空間をさ迷っている様な不思議な感覚。重力に引かれて落下する事のない世界、何度も地面に叩きつけられて死にそうになった俺達からすれば天国の様な場所だが、移動だけは不便極まりなかった。
アサルトライフルを構えた兵士がライフルの発砲時の衝撃でクルクル回転し続けるのを横目に俺達は目的もなく、瓦礫から瓦礫へと宙を滑る様に移動して行く。
「結局ここに居場所は無いのよね」
「誰もいない場所か、無人島とか、それとも海の上とか」
「辿り着ける場所にあるの?」
ルナインは、空中で必死に俺達を狙って来る背後の特殊部隊の人間達に視線を向けながら首を傾げる。彼らは無重力に翻弄され、真面に機能していると言い難い状況だった。
「いや……」
重力が崩壊したのはこの街とその周辺だけ、それに今度は逃げ切れるとは思えない、と言うか今ですら逃げ切れていない。
ルナインは視線を1つのビルに向ける。そのビルからは多くの人達が飛び出して来て、フワフワと宙に浮かんでいた。その様子はまるでカマキリの巣から孵化した子供達の様だった。どうしてそのビルから人が溢れ出しているか、その理由は単純である。ビルがグラビティフライによって上昇を始めていたからだった。
「私達の目的地、1つ見つけたわ」
ルナインはそのビルを見ながら無表情でボソッと呟く。俺もグラビティフライによって空へとゆっくり上昇して行くビルを見つめながら、ルナインの考えが分かってしまう。
「まさか」
「もう、そこくらいしかないわよ。グラビティフライの辿り着く場所、リンカー」
ルナインは瓦礫を蹴り付けて上昇しながらビルを追い掛けて行く。引き合う力によって俺も半ば強制的にビルに向かわされる。
ルナインも知っているはずだった。リンカーがどう言う場所か、何もない、瓦礫が積み重なった荒れた地である。
「と言うか真面に空気があるかも分からないのに」
「そんなの気にしても仕方ないわよ」
俺達は開け放たれたビルのドアから中に入り込む。ビルの中から下の様子を見ると、俺達を追い掛けて来ていた特殊部隊の人間も流石に諦めた様で、追い掛けて来る様な事はなかった。ロケットランチャーでも飛んで来ないかと思いも杞憂で終わり、上昇を続けるビルはそのまま雲の層を通り抜けて、宇宙へと向かって行く。
「このまま宇宙を移動するって空気は? 考え出したら一気に無謀な気がして来た!?」
「ビルの中心で引き合う力でも出していればきっと大丈夫だわ」
「考えなしにも程があるだろ」
「結局、辿り着く場所は同じなんだから、考える意味なんてないわよ」
俺はルナインの死んだ魚の様な黄色い眼を見て、色々と諦めるのだった。
結局死ぬなら……ルナインのこの考えに対抗出来る案なんて存在しないからな。
「……はあ、なんにしても今更か」
俺とルナインはビルの中心部分と思われる階まで階段を使って移動する。重力異常は空まで影響を及ぼしてない様で、俺達は斜めに傾いていた階段を四つ這いになりながら登って行く。
「それでこの反り返った階段はどうするんだ?」
ビルが傾いた事により、折り返し先の階段はとても登れる様な物ではなかった。
「登るなら壁だわ。壁を登るくらい今の私達には御手の物よ」
そう言ったルナインは階段を数段降りて、引き合う力が強くなるのを待ち、そのまま正面の壁を駆け上がって行く。俺は小さくため息を吐いてルナインを追い掛けるのだった。
15階建てのビル、7階の中央部分で、俺達は壁を挟んで背中合わせに座る。何処かの会社のビルらしく、周囲の机にはパソコンに無数の資料が色々散らばっている。
「でもこっちの学校って効率悪いわよね、個別指導じゃないって、賑やかではあるけどね」
「リベイスだと完全に個別指導なのか。それって教師の数は大丈夫なのか?」
「リベイスだと脳に情報を直接インストールするから、後は正確に理解出来てる事を確かめるだけだわ」
「それ、羨まし過ぎるんだけど」
「でもインストールの時に偶に自分の名前とか昔の記憶の部分に上書きされて忘れる時もあるから、成長してから新しくインストールするは慎重的にするべきだわ」
「それでもインストールするのは楽そう」
「まあ、インストールに失敗したら大体死ぬけどね」
「……やっぱりインストールするのは慎重にすべきだな……と言うかそんなリスクあるのに、良く日本語インストールしたな」
「生体実験の危険性なんてリベイス人なら全員承知した上で行ってるわ」
当たり前の事の様に言ってのけるルナインを見て、俺は思わず呟いてしまう。
「俺より、自分の命にドライな気がするんだけど」
「それとこれは話しが別だわ。自分の為に自分の命を懸けるのは当たり前よ。でも他人の為に命を捨てようとするのはとんでもない愚か者だわ」
「愚か者で悪かったな」
俺達はこれまでの思い出話を語り合う。クラスメイトの事や幼い頃の取り留めのない話し、時折、引き合う力が強くなり過ぎない様に手を触れ合わせながら。
もう周囲は暗く、景色も殆どが黒に染まってしまっている。宇宙空間、もはやここまで追って来る者は何もなかった。体は軽く、全ての時間が止まった様な穏やかな時。最初で最後の宇宙の旅はとても穏やかな物だった。
「宇宙に出たの初めてなのか」
「私も生身は初めてだわ」
「放射線被爆とか大丈夫かな?」
「そんなの簡単に治療出来るわよ。健康な細胞と置き換えるだけの簡単な治療よ」
「リベイスだと治療出来るのか」
「でも、もう治療とかする意味、無いでしょうけど」
「今、ネガティブな事言うのだけは絶対にやめてくれよな」
「分かってるわよ」
……分かってたら言うなよな。
「……あのさ、到着までどのくらい掛かると思う?」
「さあ、この早さなら1週間前後じゃない」
「は、はは……給湯室から食べ物、自販機から飲み物確保しないと」
はは、この旅、文字通りの墓場行きだな……。
長くも短い最後の旅が始まるのだった。
4日後、ルナインの想像よりも遥かに早くリンカーに近付く事になった。宇宙の旅は些細な喧嘩半分、いちゃつき半分と言った簡単に言えばいつもと何も変わらなかった。宇宙空間では色々苦労した事もあった。
トイレとかトイレとかトイレとか、ちょっと頭が痒くなって来たとか、それに触れると汚い話しになるので脇に置いておくとする。
ルナインは窓から地球とリベイスの間に浮かぶリンカーの様子を見てポツリと呟く。
「近くで見ると思った以上に綺麗な場所に見えるわ」
リンカーは確かにビルの破片や家の残骸が目立つが、それだけでなく水に草木と言った植物が生い茂っている個所が幾つかあった。
「山とか飛んで行ったってニュースになってたし、前より緑増えてるかもな」
周囲には俺達のビルと同じ様にリンカーに向かって飛んで行く建物や剥がれた地表、それに水の塊まで存在していた。
「水か、ここまでずっと温かったし、やっぱり星の熱とかも吸い上げてるのか?」
宇宙に水が出れば当然一瞬にして凍り付く。俺達が無事にビルとか言う宇宙空間に出る事を全く想定していない建物で移動して来られたのは温かかった事が全てと言っても良い。
「空気や熱の道が出来てても可笑しくないかも知れないわよ。5年もあればね」
俺は立ち上がって体を動かし始めたルナインを見て首を傾げる。
「何してるんだ?」
「そんなの決まってるわよ。こうするのよ!」
ルナインはそのまま勢い良く走り出してビルのガラス窓を蹴り破って宇宙に飛び出して行く。
「は、はあああ!?」
「このビルの速度で突っ込んだら間違いなく死ぬわよ!」
常にギリギリまで引き合う力を高めていた為、俺は考えるよりも先に宇宙に飛び出す事になってしまう。
宇宙、足場も何もない不安定な場所で、俺達はお互いの両手を掴み、見詰め合いながら輪を描く様に回転して、リンカーの重力に引かれてゆっくりと降下して行く。俺達が乗っていたビルは一足先にリンカーに向かってそのまま突っ込み、瓦礫となってしまう。
「ついたら何する?」
「何って」
勢いで出て来ただけで目的とかある訳でもないし、全く何も思いつかない。本能的な事を言えば水を飲みたいし体も洗いたい……でも、それよりも――。
「ダンスとか?」
結局出て来たのは馬鹿らしいそんな答えだった。でもルナインは俺の答えが痛く気に入ったらしく飛び切りの笑顔を見せて来る。
「良いわね。今まで散々邪魔されて来たけど、ここなら、最高の舞台じゃない。何も縛られず何にも邪魔されず踊り続けられるわ。それでどんな踊るのは社交ダンス? それても好き勝手踊る?」
ルナインは空中で繋いでいた俺の手をグッと引き寄せて自然公園の時と同様のダンスの姿勢を作る。
「今度は好き勝手踊るんだろ、公園の続きをしよう」
まるで俺達のダンスでも歓迎するかの様に足場となりそうな道路の破片が、下方で俺達より遅い速さで落下しているのが見えて来る。その上に俺達はハンカチが舞い降りる様に降り立ち、ゆっくりとステップを踏み始める。
やがてステップは激しくなって行き、ルナインは足場を全て使って自由に踊り始める。俺も考える事を止めて好きに踊りを続ける。そして引き合う力が強くなると、俺達は互いに手を取り合い、社交ダンスへと移行する。ゆったりとしたそのダンスは先程までの激しい踊りとは違い、今にもラブロマンスの音楽が聞こえて来るようだった。
「居場所も人生も何もかも失ったと思ってたけど……良い方向に考えたら、春太が残ってたわね」
「俺には良い方向に考えるとルナインが残ってた」
「後、ダンスも――」
俺はルナインの唇を自分の唇で塞ぐ。その後はルナインから頭を俺の頭に擦り付けて来る。お互い無言になり、只、ダンスを続ける。最高の時間だった。2人だけの為のダンス、周囲の評価も型も正解も何もない、2人の為だけの、楽しむ為だけのダンス。おそらくこの世に存在するどんなダンスよりも素晴らしいダンスだろう。そんな確信があった。
ダンスを踊りながらルナインは足元に広がる衛星リンカーを暫く見つめてポツリと呟く。
「思わない? このリンカーって新しく出来てる衛星だけど、まるで子供みたいって」
「急に何? 下を向いてたからてっきりまた足を狙ってるのかと」
「足を狙ってたら視界に入って来てふと思ったのよ」
狙ってたのかよ。
ルナインの言葉を聞き、俺は自分の中に妙な考えが生まれるのを感じてしまう。
「子供か……地球とリベイス……突然リベイスが何処かの空間から現れた事も、このお互いを引き合うグラビティフライもこの衛星を生む為だったりしてな。星同士にとっては普通のラブコメなのかも」
「星にとって普通のラブコメでも私達からすればとんでもない迷惑。でもそうだとすると案外星同士がぶつかり合う事は無いのかも知れないわね。もしぶつかったりしたら折角生まれた子供も巻き込んで心中になるわ」
「だと良いな」
ルナインの金色の瞳の合図で俺達は足場にしていた道路から飛び上がって、リンカーに降り立つ。
俺達はリンカーの草木の生えた地面を踏みしめ、左右の宇宙にある2つの青い星に見守られながら好き勝手に踊り狂う。
今も2人で生きて踊れている。それだけで十分だった。