表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

パートナー

  2章 パートナー


 ルナインと暮らし始めて1週間。俺の生活は元の暮らしを忘れるほど劇的に変化してしまっていた。その中でも大きな変化は俺の部屋に訪れていた。


 ベッドに勉強机、テレビとパソコンと本棚の漫画、自宅の2階にあった一般的な男子高校生の部屋が、今ではベッドが撤去されて、代わりに布団が2人分敷かれ、俺の荷物は部屋の隅に追いやられている。そして出来たスペースに鏡や小物が置かれている。勿論俺の物ではなくそれらは全てルナインの物であった。


 ベッドが撤去された経緯に関しては、大体の人が俺達の現状を知っていれば想像出来るだろう。お互いベッドに一緒に寝る気が無ければ、僅かな高低差は安眠を妨害するのには十分過ぎた為である。


 ベッドが取り払われてからは部屋が変わるのはあっと言う間だった。冬華さんがルナインに生活必需品等を揃え始め、見る見る内に部屋の中はルナインの持ち物で侵食されて行き、快適だった俺の部屋はアトランティスの様に完全に失われてしまった。


 そして1週間も経ち俺とルナインの関係は――。


「私の布団に腕が2回も侵入してるわ! 何考えてるのよ!」

「そのヘルメットで撮影してるなら、そっちが寝返りと共に足を思いっきり振り下ろして来て、俺の睡眠を妨害している所が映ってるはずだろ!」


 寝起きの俺達は布団の上で互いの手を繋ぎ合ったまま睨みながら言い争いを続ける。


「……映ってなかったわ。その時間だけ偶々撮影が止まったみたいね」

 ルナインは確認すらしようとせずにヘルメットを萎ませて回収した。


「そんな都合の良い話しがある訳ないだろ! 大体そっちの方が寝相は悪いんだから、俺の事を責めても自分が不利になるだけだろ」

「それこそ捏造だわ! カメラに映らない様に何か細工しているに違いないわ!」

「そう言うのを言い掛かりって言うんだ!」

 俺とルナインの関係は見ての通り、相変わらずだった。只、お互いに距離を取る理由が無い時は手を繋ぐ様になっていた。引き合う力を発生させない為である。


 因みにマイクロブラックホール生み出して周囲に甚大な被害をもたらした結果、学校やその周辺がどうなったのかと言うと、答えはどうにもならなかった。


 次の日には何事もなく直っている様なギャク漫画の様な展開もなく、当然の様に学校やその周辺は崩壊したまま、今も空間は歪んだまま宙に浮いている。中にはグラビティフライによって空の彼方に飛んで行く物もあり、今もニュースでも連日放送され続けている。警察やテロ対策課等、色々肩書のある組織が乗り出して、周囲は完全封鎖され、調査が行われていた。


 救助が来る前に現場を逃げ出した為、ルナインの存在が世間に知られる事はなかった。学生の数名がリベイス人の仕業だと騒ぐニュースもあったが、こんな異常事態を目の前に気が触れているとしか思われなかった。


 そもそもリベイスにブラックホールを作る技術も無ければ、重力を消す技術もないからな。地球も同じ。

今のところはルナインの事も警察等に見付かってなく、平穏に過ごせていた。警察に関して俺は過剰なくらい心配したが、杞憂に終わってしまった。


 まあ、あんな事、人工的にその上、個人がしでかしたとは誰も思わないか。後は、怪我人は多かったが死者が1人もいなかった事が救いかな。


 小さい問題は、惨劇が起こってから1日置いて、隣街の学校に復旧の目途が立つまで通う事になり、いつもより起きる時間が早まってしまった事だった。


 結局何もないまま1週間と言う時が流れてしまった。只、そろそろ警察が本格的に事件の関係者、主に被害に遭った生徒達から話しを聞くと言う噂が流れているので、どう転ぶかは、今後に掛かっている。

 俺達が原因だって思っているクラスメイトは少ないだろうが、その聞き込み調査でリベイス人の話しを漏らされると流石に調べられると思う。


「ルナインがリベイス人だって知られたら、やっぱり……」

 警察から政府に伝わって、リベイス政府にも伝わって、ルナインが強制送還……ダメだ、良い方向に考えようとするが悲劇的な結末しか思いつかない。


 にしても離れただけで、あんな事態を引き起こすなんて、ちょっとした兵器と同じだ。ちょっとしたと言うか完全な兵器だよな。ルナインもきっとあそこまで酷い結果になるとは思いもしていなかっただろうな。あれからは、俺と離れると積極的に近付いて来てくれる様になったし。


「何物々言ってるのよ! 私は着替えるからさっさと廊下に出て行って!」

「はいはい、もういつ、色々と問題になるかも分からないのに呑気で良いよな」


「もう良いわよ、どうでも」

 全てを諦め、死を待つだけの魚の様な目で投げやりに呟いたルナインの声を背に、俺は学生服を手に部屋を出る。


「もう思いっきり離れて俺を壁に叩き付ける様な真似するなよな」

「今更、そんな意味のない事しないわよ! いつの話しを持ち出して来るのよ!」

「昨日の話しだろ!」


 未来を諦め、大人しくなった様に見えるルナインに油断するとそんな不意打ちを食らう事になる。今やルナインの生き甲斐は俺に地味な嫌がらせをする事と言う、迷惑極まりない物になっていた。


「それにしても良い気味だったわ。あの慌てた声、何度聞いても面白かったわ」

「結局そっちも壁に叩きつけられた上、飛んで来た小物に酷い目にあわされたけどな」

 完全に部屋の中にいたルナインの方が、俺よりも大きな被害に遭っている。


 それなのに止めようとしないとか、この性格の悪さがなければ不満も無かったんだけど。


 俺は廊下に出て、早速パジャマを脱ぎ始める。

 意外かも知れないけど、ルナインはクラスメイトとはそれなりに溶け込んでいた。それと引き換え、あの学校での事件以降、俺は完全に腫れ物扱いされていた。あの次郎から『よ、よう』とか微妙な挨拶をされて、山本からは『あ、ああ』とか、挨拶でもなんでもない相づちを打たれた後、完全に目を反らされる様になってしまった。


 そんな俺の悲惨な状態とは打って変わってルナインには、リベイスに関する質問や地球の文化等で会話は盛り上がり、クラスに完全に溶け込んでいた。


 これだけ性格悪いのにどうしてクラスメイト達に溶け込めるのか、催眠術か何か使ってるんじゃないだろうな……。


「最近クラスメイトからダンスは踊るのかって聞かれて、ダンスについて少し調べてみたわ。まさか春太があんなオシャレな事が出来る何て思いもしなかったわ」


 ダンスと言う単語に俺は思わずパッと明るい表情を作ってしまい、その様子が声に現れてしまう。

「ダンス? ルナインがダンスに興味あるなんて知らなかった」


 ルナインもダンスの楽しさが分かるのか。ダンスの楽しさか、最近忘れてたな。


「ダンスとかどうでも良いわ。それより音楽よ。何でこんな素晴らしい文化を話してくれなかったのよ!」


 ダンスに興味ないのかよ。ルナインに少しでも共感してしまった俺の気持ちを今すぐ返してくれ。そう言えばダンスの大会も開催されるのか。ルナインの所為ですっかり忘れてた。はあ、思い出すと憂鬱な気分になって来るな。


「そんな事言われてもな」

 着替えを終えたルナインが部屋から出て来る。その頃には俺も着替えを済ませていた。


「リベイスにある意識を調整する音やメッセージ性の強い国歌とは大違いだわ。只の娯楽の音楽がある何て初めて知ったわ」


 ルナインは楽しそうに鼻歌を歌いながら、その場で一回転する。

「だから春太の携帯で色々音楽をダウンロードさせて貰ったわ。指紋認証いる所あったけど、指を借りたから」

「はあ? ちょ、それお金かかってるから! 今月お金ないのに、どうしてくれるんだ!」

「それはあなたの問題だわ」

「絶対違うだろ!」


 階段を下りている最中、冬華さんと複数の男性の声が聞こえて来て、俺は思わず立ち止まってしまう。

 普段なら俺の事を完全に気にも止めずに進もうとするルナインだったが、きっと俺と同じく予感めいた物を感じたのだろう。彼女も俺に合わせて階段の途中で立ち止まる。


 顔を見合わせて息を潜め、俺は慎重に1階の様子を覗き込む。


「玄関の入口に如何にも警察って感じのスーツの人物……ついに来たかって感じだな」

「日本ってリベイス人の引き渡し条約あるわよね?」

「多分、あると思うけど。国連とかは全部あったはずだし」


 いつかは来ると思っていた。寧ろ遅過ぎたと言っても良い。俺は今後の展開を考えて憂鬱な気分に陥って来る。問い詰められた時、誤魔化すべきか正直に答えるべきか、それとも予め全てバレているのか。考えれば考えるだけ訳が分からなくなって行く。


 俺はすぐ隣に立つルナインの顔を見る。彼女は全てを諦めた様な魂の抜けた瞳で虚空を見つめていた。

俺は覚悟を決めて1歩踏み出す。

 この先どうなるか、一切見当も付かないが、1つだけ確かな事がある。それは今後、何が起こってもルナインとは離れられないだろうと言う事だった。


 階段を下りる足音を聞きつけたのか玄関からスーツを着た2組の男性が顔を覗かせた後、俺の父が深刻な表情をリビングから出て来る。俺は唐突な父の帰宅に少し驚きながらもいつもと変わらず接する。

「忙しいから数ヶ月は帰って来ないって言ってなかったっけ」


 父は誰の目にも分かる作り笑いを浮かべて、階段を降りている俺と階段の途中で突っ立っているルナインに視線を向ける。

「ああ、研究の方が一段落ついてな。それで……。学校の件で彼らが話したいそうだ。2人とも彼らについて行ってくれるか?」

 喋り終えた父は俯き、俺から顔を反らしてしまう。俺が階段を下るのに合わせてスーツの男性達が近付いて来る。


 男性達はルナインの姿、赤い肌に金色の瞳、頭の白い翼を見ても一切動じる事無く接近して来る。つまりはある程度事情は知っていると言う事なのだろう。同様の理由で俺の父もある程度事象を把握していそうだった。


 リビングにいた冬華さんは、椅子に座ったままジッと俯いて俺達の方を見様ともしなかった。事情を知っていて、尚且つ、あの惨事を俺達が引き起こした事も察している彼女に出来る事は、そうやって黙っている事ぐらいなのだろう。


 冬華さんは俺の階段を下りる足音を聞いて、勢い良く立ち上がる。

「こんなの……酷過ぎる!」

 冬華さんは、そう俺の父に叫んで鞄を片手に玄関から外に飛び出して行く。


 俺とルナインは冬華さんの行動に顔を見合わせて首を傾げた後、1歩、もう1歩、階段を下りようとした瞬間だった。拳を震えるほど強く握っていた父が突然顔を上げて、普段聞いた事の無い声で叫ぶ。


「逃げろ!!!」


 その言葉はまるで銃声の様に耳から足の先まで突き抜ける。衝撃波でも受けたかの様な感覚だった。俺は何が起こっているのかも、自分がどうするべきなのかも分からず、只々戸惑うばかりだった。

「は? な、なに!?」


 そんな俺とは裏腹で、スーツの男性達は父の言葉に反応して銃を取り出し、迫って来る。


 じゅ、銃って!? なっ!? はっあ!? 銃!?


「じゅ、うわあくっ!?」

 驚きで足を滑らせた俺は、そのまま階段を転げ落ちて、スーツの男性達にダイブしてしまう。ルナインは、俺とは違いすぐに階段を駆け上がって俺の部屋に駆け込んだ。俺も起き上がって逃げようとするが、下敷きにしたスーツの男性達に腕を掴まれてしまう。


「う――っ!? あああ!?」

 しかし、発生した引き合う力によって、俺はその男性の手から逃れて階段でガンガン背中を打ち付けながら上がって行く。痛みで思考の中が完全に真っ白になってしまう。


 只、銃を向けて来る男達を見て、逃げなければならない事を理解した俺は、背中の痛みに涙目になりながら引っ張られる力に身を任せつつ、自分でも逃げ始める。

 引っ張られるまま自分の部屋に駆け込むと、宇宙服を鞄に詰め込んだルナインが部屋の窓から身を乗り出している最中だった。


「ま、待て待て待て!」

「待ったりしたら手遅れになるわよ!」

 そう言い残したルナインは何の躊躇もなく2階から飛び降りた。


「ああああ!?」

 ルナインと初めて出会った日に様に俺は抵抗も虚しく、開いた窓に向かって強制的に移動させられて行く。俺に出来た事は、出来た事は部屋の端に畳まれた布団を掴む事ぐらいだった。


 高いって! 2階って高いんだって!


 飛び降りる為の覚悟を決める時間も与えられず、転げ落ちる様に窓から落ちてしまう。

「――は、ははっ。咄嗟に布団を掴めて本当に良かった」

 布団がクッションになったおかげで、僅かな痛みで地面に降りられる。俺はその事を神に感謝したい気持ちになる。


「とにかく逃げるわよ!」

「逃げるって何でいきなり、そんな」

「いきなりも何も逃げろって言われてたら普通、逃げるわよ!」


 道に飛び出した子供に危ないと伝えても、その子供は道から慌てて逃げ出したりしないだろう。その哀れな子供が俺だとしたら、ルナインは何の戸惑いもなく逃げ出す人物だと言う話しだった。


 咄嗟にそう言う行動が出来るのはパイロットとして訓練を受けているからなのだろうな。


 ルナインは俺から数メートル程離れた玄関側に待機しており、引き合う力に身を任せつつ俺の事を通り越して、その勢いに乗ったまま家の塀を駆け登って裏にある家の敷地に入り込む。当然ながら、引き合う力は持続し続け、俺にゆっくりさせる間もなく、地面を引きずり始めた。


 2階の窓からは銃を片手にスーツの男性が慌てた様子で庭を覗き込んで来る。そして躊躇いなく俺に向かって銃を向けて来る。

「ああ、もう! 逃げるしかないのか!」


 考えたり迷ったりしてる間に撃たれたりしたらシャレにならないし。


 迷っている暇もなく、俺もルナインに続いて引き合う力に身を任せつつ家の塀の壁を駆け登り、裏の家に無断でお邪魔する。

「と、取りあえず人通りの多い駅前の近くまで」

「ヘルメットをかぶった方が良さそうだわ」

 男性達の『裏に回れ』と言う叫び声を聞きながら、俺達は先程と同じ様に家の塀を飛び越えた瞬間だった。


 何の因果か運命か、地面が盛り上がったかと思った時、ミシミシと大きな音を立てて、隣の家が地面から引き抜かれてゆっくりと上昇して行く。住人はパジャマのまま玄関から飛び出して来る。その人は浮き上がって行く自分の家を見て叫び声を上げながらスーツの男性達を引き留めて家を指さしていた。


「今の内に逃げるわよ!」

「あ、ああ!」

 先程のハプニングと隣人のおかげで、俺達はスーツの男性達から無事に逃げ出せた。逃げ出した俺達は、最短距離で駅前の人通りの多い通りに移動する。時間も時間なので制服を着た学生や会社に向かうサラリーマンで道は混んでいた。


 ルナインのヘルメットは確かに目立ったが、それでも立ち止まって気に掛ける様な人は誰もいなかった。

「何でこんな事に」


 軽く頭を抱える俺をルナインはヘルメット越しに睨み付けて来る。

「急に逃げろとか言うからだわ! 体が勝手に反応してしまったわよ」

「別に責めてないから」

「でもあなたのお父さん? 急に逃げろって、気でも触れてるとしか思えないわ」


 人の父に対してその発言は失礼だろ。とは言え、ルナインの言葉は考える余地があった。

「研究漬けだから、もしかしたら妄想に取り付かれてる可能性はあるかも知れないけど、普通の警察が銃を携帯して話しを聞きに来たりしない。日本だし。それに明らかに撃つ様子だったし」

 発砲はして来なかったけど、今にも撃って来そうだった事は間違いなかった。警察の規則とか詳しくは知らないけど凶器を向けたりしない限り、発砲とかしないんじゃなかったっけ?


「これからどうするのよ! あなたが悪いんだから何とかしなさいよ!」

 ヘルメット越しでもルナインの怒りの表情が透けて見える様だった。

「何で俺が悪いんだよ。大体これからの事なんて分かる訳ないだろ!」


 俺は近くにあったベンチに座り込み、頭を抱える。頭の中に激流でも走っているかの様に思考がグチャグチャで真面に物を考えられなくなっている。

「いきなり銃って……そこまで危険だって思われたのか? テロの仲間とか? じゃあ公安とか?」


 公安とか全く分からないし知識もないけど、銃とか持って、問答無用で危険だと判断した相手を打って来そう。完全に偏見だけど。


「学校や街をあんなふうに壊せるほどの力だって思いもしなかったのに」

「この私をテロ扱い? あり得ないわね」

 腕を組んで首を横に振るルナインに俺は冷たい視線を向ける。

「十分あり得ると思うけど」

 入国記録の無いリベイス人が街を破壊、むしろそう誤解しない方が可笑しいくらいだ。


「そもそも証拠もないのに犯人扱いされるのが、間違ってるわ」

「でも犯人だけどな」

「そんな事、あなたも同じだわ。もっと言えば春太が私から離れたのが全ての原因だわ! 犯人はあなた1人だわ!」


 それ暴論にもほどがあるだろ! その内、俺が息をしてるから戦争が起こってるとか言い出しかねないな。


「完全に捉えられて身動きが取れなかったって言ってるだろ! 連行されてるのについて来てくれない方が問題だろ!」

「うるさいわよ! そっちが悪いのよ!」

 ルナインは苛立ちを俺にぶつける様に肩を思いっきり押して来る。それに抵抗して俺もルナインの肩を押し返す。


「勝手過ぎるだろ!」


 誰かの所為にするなら、俺を連れ去った次郎達こそ責められるべきだ。俺達が爆弾だとするとそれを起動させたのは次郎達だ。と言うか自分達の事を爆弾と思ってる地点で撃たれる理由として十分な気がして来た……。


「折角、音楽とかゲームとか、リベイスにない文化で、こっちの星も気に入って来たのに全部台無しだわ! 最後には、行く当てのない逃亡生活だわ! 全部春太が悪いのよ!」

「何でもかんでも俺所為にするな! 俺だってどれだけ困ってるか」

「何が困ってるよ。『逃亡生活ぐへへ』って思ってるって事は分かってるわよ!」

「俺をどんな人間だと思ってるんだ!」


 肩を押し合う争いは次第にヒートアップして行き、今にも掴み合いの喧嘩に発展しそうになる。俺も彼女も周囲が完全に見えなくなっていた。

「ヘルメットをかぶってる時の気持ち悪い顔をしてる地球人だわ! あの気持ちの悪い顔ネットに上げてやるわ!」

「な! あの時、やっぱり撮影してたのか!」

「自動的に録画する機能があるのよ! 相当間抜けな顔してるわ、ああ、本当に最低」


「ネットに上げ様とする方が最低だろ!」

「どっちが最低かビンタすれば分かるわ! もう久しぶりのビンタで気晴らしするくらいしか解決策はないわ!」

 ルナインが腕を振り上げるのに合わせて俺は叩かれそうな頬を空いてる腕でガードする。

「ビンタで何も解決しないだろ!」

「だからビンタすれば分かるって言ってるわよ! 大人しくされれば良いのよ!」


 俺はルナインのビンタを防ぎながら、出会った時から何の進歩もない、彼女とのやり取りに思わず吹き出しそうになってしまう。笑いを我慢した俺とは違い、ルナインは耐え切れないと言った様子で吹き出してしまうのだった。

「ぷっ……ふふ、本当に、毎回毎回私達、本当に無駄な事してるわね」

「癖になってるとか、かもな」


 俺達は手を繋いだまま軽く空を見上げる。そこにはルナインの住んでいたリベイスが今日も変わらず浮かんでおり、空の景色の半分を占めている。


 空を見上げていたルナインは、体の力を抜いて脱力しながらボソッと呟く。

「行くあてならあったわ……あの世よ。最後にはそこに辿り着いて何もかも終わりだわ」

「冗談に聞こえないんだけど」

「冗談を言ったつもりはないわ」


 俺は明確な目的をもって俺達の傍を通り過ぎて行く人々を見つめる。身を持って目的がある事の大切さを感じる。俺は、その場に取り残されている様な感覚に陥り、複雑な感情に支配されて行くのだった。


「リベイス……何処かでリベイスと連絡を取って保護して貰うくらいしか道は無いかも知れないわね。もっともその後、一生牢屋暮らしになっても可笑しくないけど」


 もっと良い方向に考えられないのか……例えば全てがこの引き合う力が原因だと理解して貰って、力の解明の為に研究されて解剖……あああああ! 良い方向に考えられない!


「取りあえずお腹空いたから何か買わないか? お金は……ポケットに……うん2000円入ってる」

「それなら飛び切り美味しい物が良いわ。最後の食事になりそうだし」

「一々ネガティブな一言を付け加えるの止めてくれないかな?」

「……分かったわ。最高に美味しい物を食べたいわ。それで明日も今日も皆ハッピー」

 ルナインの言葉は明るかったが、口調に一切の楽しみが籠っていなく、それがより虚しさを強調させていた。


「……何か、ごめん。悲しくなって来る」

 2000円で食べられる美味しい物と言えば限られて来る。それも朝からやってるお店となると更に絞り込まれる。要するにファーストフードくらいしか思いつかなかった。

「地球で1番美味しいピザを用意して欲しいわ」

「ピザって……地味に2000円超えてたりするからな」

「ビザがダメなら――っ」


 その時だった、目の前に意外な人物が現れる。その人物はショートカットの黒髪美人、白髪ロングのルナインとは正反対ともいえる見た目の人物。


「……こんな所で……余裕そうですね、ダンス大会当日にも関わらず、昨日の受付にも来なかったみたいですし」

 その言葉には皮肉が端々に散りばめられている様に感じてしまう。顔を上げると葉月が冷たい目で俺達の事を見下ろしていた。ダンスの元パートナーで、パートナーを解消されてから、御互いに話すのを避けていた人物でもあった。ルナインと出会った事で俺の中であれだけ大きかった彼女の存在がすっかり消え去ってしまっていた。


 そう言えばルナインと出会ってからは悪夢もすっかり見なくなったな。まあ、現実が悪夢みたいになってるけど。


 俺はこれまで微妙な距離を保ち、疎遠になっていた葉月が突然目の前に現れた事で、思考が完全に停止して口が回らなくなってしまう。

「そう言えばダンスしてるって聞いたわね。何? 大会何かあるの?」

「まあ、その、大きな大会が今日、あるみたい」


 本来なら俺も朝から学校を休んで大会に参加するはずだったのか。

「あなたは良いですよね。ダンスに本気になったりしないのですから、楽しめたらそれで良いって……その言葉を聞いて虫唾が走りました。私はプロになる為に、その為にダンスをしていた事を知っていましたよね! いつまでも遊び気分でダンスをして欲しくないって!」

 葉月のきつい言葉に俺の頭の中には葉月からダンスのパートナーを解消された時に苦い記憶が何度もフラッシュバックする。


 俺もダンスとは本気で向き合っていた。上手くなる為に家で何時間も練習したりもした。様々な記憶が混じり合い、俺は胃の中の物がせり上がって来る様な感覚に苦しめられる。


「ダンスなんて楽しむ以外の目的でする方が可笑しいわね」

 ルナインのその言葉は、深淵に沈んで行こうとしていた俺の意識に光を当ててくれる。


「私はプロを目指して――っ」

「プロ? ダンスなんて何の生産性のない行為に本気で取り組んで何になるって言うのよ」


 ルナインの身も蓋もない発言に葉月の表情が歪む。俺も正直複雑な心境だったが、何処かで、ダンスは楽しむ物だと割り切っているルナインの言葉に同意してしまっていた。

「こっちはプロになるしかダンスを――っ。もう良いです。大会にも参加出来ない人とは話しをしても無駄です。結局あなたは簡単にダンスを止められる人だったと言う事です」

 葉月は綺麗なターンを決めて、俺達の前から去って行く。


「何、あの女、ムカつくわ。ダンスや音楽何て地球人が楽しむ為に作った物でしょ、それを楽しむ事の何が悪いのよ。何かムカつくわ。どっかで困らせてやりたくなって来たわ」

「……ルナインといると葉月の方が性格良さそうに思えて来る」


 少なくとも彼女は嫌がらせをして来る様な人じゃない。プロになる為に足手まといの俺を切り捨てただけの事だ。葉月は最後まで俺と大会に出るつもりだったのだろう、だから俺への要求がドンドン厳しい物になっていった。そんな中、俺は『ダンスは楽しまないと』みたいな事を言ってしまい、彼女を怒らせてしまった。


「――春太。あいつらだわ」

 ルナインのその言葉と視線に俺も慌てて周囲を見渡す。いそいそと歩くサラリーマンに紛れて、スーツの男性達が、じわじわと俺達を包囲し始めていた。通行人のサラリーマンを装っていたが、獲物を追い詰める為に洗練された動きは、追われている身からすれば逆に目立っていた。


「あー、えー、こっち!」

俺はルナインの腕を引いて、建物の隙間の裏路地とも呼べない狭い路地に逃げ込む。無事に逃走で来たと思えたのも束の間、路地の入口から素早くスーツの男性が入って来る。


「何考えてるのよ! 見なさい、入口を塞がれたわ。どう考えても誘い込まれたわよ!」

「そ、そんな事言われても逃亡経験とかないんだから仕方ないだろ!」


 つまり、先程、追ってる事を分かり易く俺達に見せたのは、こう言う場所に誘い込む為で、俺は意気揚々と罠に掛かったって事か? プロ相手に簡単に逃げられると思っていた方が可笑しかったらしい。


「離れて」

「はあ? 言い争ってる場合じゃ――」

「違うわよ! このビルの壁の鉄パイプを登るくらいしか逃げ道はないわよ。ゲームと違って腕の力で登れないわよね。壁の出っ張りを利用して道にする真似も出来ないでしょ」

 ルナインの視線の先にはビルの壁に向き出して取り付けられたガス管か何かの少し太めの鉄パイプが映っていた。


「鍛えてても無理だと思うけど」

 前方に駆け足で進んで行くルナインを見送りながら、俺は後ろから迫って来るスーツの男性の様子を伺いながら少しだけ後退する。


 距離が離れた事で引き合う力が発生して、加速的に膨れ上がって行く。俺達は、風が発生し始める直前に距離を詰め、剥き出しの鉄パイプに体が真横になる様に足を掛ける。


「行くわよ」

 ルナインの言葉に合わせて俺達は鉄パイプ越しに鏡映りになる様に立ちあがる。俺達のしようとしている事に気付いたスーツの男性達は駆け足で追って来るが、俺達も駆け足で鉄パイプを登り始めるのだった。


 数発の銃声が聞こえて来たが、その時には、俺達はビルの屋上に避難していた。お互い体をべったり張り付かしている事も気にせずその場に座り込む。


「想像以上に怖かったんだけど!」

 断崖絶壁にある少し太めの鉄パイプを命綱なしで走った様な物だからな!

「出会った時にもっとヤバい体験したわよね」

「確実に死ぬなって時とそうじゃない時の恐怖の感じ方は色々と別物なんだよ」

 絶対的な死を与えるより、生き残れる可能性を提示した方が、恐怖と言う物は強く感じるらしい。身をもって体験した事だから断言出来る。


「それは良かったわ。次はビルからビルに飛び移るから」

 そう言うなり、ルナインは俺から距離を取って行く。


「マジで言ってるのか?」

「こんな逃げ道の無い場所からどうやって逃げるつもりなのか、良い案を聞かせてくれるなら、良いわよ」

「えっと、お互いがビルの反対側に移動して、壁を伝って下まで降りた後、合流――」

 ルナインは俺の話しも途中で引き合う力を少しだけ利用し、加速して隣のビルへと飛び移る。


「って! 最後まで話しを聞けよ!」


 俺は、ビルの向こうへと誘う引き合う力に絶望しか感じなくなってしまう。迷いや戸惑い恐怖の全てを無視して、力は無情にも俺にビルから飛ぶ様に要求して来る。迷ってる暇も与えられず、俺は引き合う力に抵抗して引き絞られた弓矢の様に後ろに下がり、何も考えずに飛び出す。


 絶対飛べないと思われた距離も、いざ飛び出してみると、飛距離はドンドン伸びて、気付けは、俺は向かいのビルの中腹辺りまで飛んでしまっていた。勢いのあまり屋上の床を転がってしまう。


「次行くわよ!」

「はあ――っ、死ぬって!」


 休みなく何度か屋上から屋上への大ジャンプを繰り返す。

「はあ、はあ、少し休ませて、くれ……」

 ジャンプや体力にはダンスをしていた時に鍛えたので多少自信があったが、屋上から屋上へのジャンプは肉体だけでなく精神的にもきつい物があり、想像以上に疲れてしまう。ジャンプに関しては順調だったが、問題は着地の方だった。勢いが強過ぎる分、着地の度に床を転がったりして、体がボロボロになって行く。

「情けないわね」

「最近は運動とかしてなかったけど、それでも身体能力は高い方だからな。そっちは何でそんなに余裕なんだ」


 リベイス人は全員、身体能力がお化けとかか?


「軍のパイロット候補生よ。このくらいの運動すまし顔で出来ないとやっていけないわ」

「そう、パイロットだけにはならない事にする」

「あそこに飛んで一旦休憩にするわよ」

 ルナインは正面に見える大きなデパートの屋上を指さす、


「あそこって……このビルよりかなり高いんだけど!?」

「問題ないわ」

「あるだろ! どう見ても飛べる距離じゃないだろ!」

 ルナインは俺の言葉を完全に無視して後ろに下がりながら引き合う力を強めて行く。俺は急いで彼女に近付こうとするが、キッと睨み付けられ、蛇に睨まれたカエルの様に動きを止めてしまった。


 引き合う力で加速しながらルナインはデパートの屋上にジャンプして移動する。俺は引きつった笑みを浮かべながら、2階ほど高い、向かいにあるデパートの屋上で待機しているルナインを見つめた。

 引き合う力は無情にも俺に飛ぶ事を強制して来る。もうここまで来るとヤケクソだった。めいっぱい距離を取って走りながら俺は飛び上がる。


「やばっ」

 飛び出した瞬間、俺はデパートの屋上に辿り着けない事を悟ってしまう。只、距離的には問題なく、その所為でデパートの壁が急接近して来る。


 屋上の縁に手を伸ばして何とか捕まるとか? いや、ゲームとかならまだしも俺がすれば爪が割れた上、肋骨を骨折して、とにかく惨劇になる事は違いなかった。でも背中からぶつかるのは全部諦めてるとか思えないし……どうすれば!?


 完全に混乱していた俺は、何を思ったのか足から壁にぶつかるのだった。感覚的には高い場所から飛び降りた様な感覚だった。本来なら重力により落下する所だが、強力な引き合う力が働いていた為、俺は落下せず、振り子の様にビルの壁に向かって行き、そのまま壁に足から着地してしまう。

 と言っても肩を誰かに掴まれている様な感覚に襲われ、立ち上がる事は出来なかった。四つん這いになりながら壁に張り付く。


「早く!」


 ルナインのその叫び声で、俺は我に返って慌てて壁を虫の様に駆け上がる。ルナインは屋上の奥に移動して必死に引き合う力に抵抗していた様だった。俺はそんなルナインの元まで力に流されるまま駆けて、いつもの様に激突し、もつれ合ってしまうのだった。


「ふふ、ははっ……ここまで逃げれば大丈夫なはずだわ」

 ルナインは俺を下敷きにしたままヘルメットを脱いで笑顔を見せる。その笑顔に釣られる様に俺も笑みを零してしまう。


「逃亡犯になるなんて1週間前は思いもしなかった」

「こっちも同じだわ」


 目があった俺達はお互いに金縛りにでもあったかの様に動けなくなってしまう。

「「……」」


 赤い肌に汗の雫、白く美しい髪に光が反射してプリズム色に輝く頭の翼、金色の瞳にぷっくらと膨らんだ唇……。ルナインは相変わらず綺麗だった。リベイスではどうなんだろう? 綺麗な容姿に分類されるのだろうか?


 微妙な空気が流れているのが分かっていたが、それでもどうする事も出来ずにこの気まずい空気を甘受するしかなかった。

「こんな事、今まで微生物の大きさも考えもしなかったけど、私達って案外良いパートナーなのかも知れないわね」

「……そうなのかもな。あーあ、出会った時にそう思えていたらな」

 そしたらもっと別の未来が待っていたと思う。こんな逃亡生活は送る事もなく、学校を壊す事もきっとなかっただろう。


「何よ、この引き合う力が無ければ絶対宿敵になってたわ」

「宿敵って……いい加減上から退いてくれないか」


 体を起こそうとした瞬間、ルナインが何を考えているのか、いきなり俺の唇を奪う。接触時間は1秒にも満たない一瞬だったが、俺の思考を真っ白にさせるのには十分だった。


 ルナインは、戸惑いに感情を満たされた俺を真っ直ぐ見つめて、俺の頭に思いっきり頭突きを行って来る。頭をくっ付け合ったまま数秒、ルナインは俺の頭に頭の翼を細やかに動かして擦り付けて来る。その後、頭を放したルナインは、すぐに背中を向けながらヘルメットをかぶる。


「――いっ。何を――」


 照れ隠しなのか? それにしても頭突きの勢い強過ぎだろ、こぶ出来たかも。


「何って定期的な免疫力向上に協力して貰っただけだわ。地球人と違って、ふ、深い意味とかないわよ。あー、誰かの所為で頭は痛いし」

「誰かの所為って頭突きしてきたの――」

 立ち上がったルナインは俺の言葉を遮る様に不自然に大きな声を出す。

「でもビルを飛ぶのって癖になりそうだわ!」


 定期的な免疫力向上って、リベイスだと普通の事だったよな。本当にそれだけの為に……十分あり得る。でも深く聞いたらまた変な空気になりそうだし、話題を反らしたルナインに付き合うのが1番良さそうか。


「確かにあれだけ飛べたら楽いかもな」

 引き合う力を利用すると自分が想像している5倍近く飛べるのだから、それが楽しくない訳がなかった。新しい力に喜ぶ子供の様な気持ちだった。只欠点が1つある。1度飛ぶ度、勢いが強過ぎて屋上の床に激突して、体がボロボロになって行く事だ。


「ダンスも踊ってみたら楽しいのかも知れないわね」

 ルナインはまだ床に座り込んでいた俺をダンスに誘う様に手を指し伸ばして来る。


 俺はダンスを習い始めた時の事を思い出していた。俺は元々、社交ダンスに興味があった訳じゃなかった。音楽番組で歌手が歌っている後ろで踊っているバックダンサーに興味が湧いて、近くのダンス教室を探し、両親に頼み込んで通った結果、授業を初めて受けた時に社交ダンスだと知る事になった。両親に必死に頼み込んだ分、違うとも言い出せずに2回、3回と通う度に少しずつ楽しく感じ始めて、本格的に習い始めた。


 俺は、そのダンスを楽しいと感じていた時の気持ちを思い出しながらルナインの手を取る。ルナインは俺の手を強く引き、俺の体を起こして――。


 ――それだけだった。


「……何よ」

「いや、その、何でもない」

 てっきりダンスを踊る流れなのかと思った分、急に気恥ずかしくなって来る。何処かのミュージカル映画やインド映画の様に急にダンスが始まったりする訳ないよな。

 只、ルナインと踊る自分の姿はいつも手を繋いでいる分、簡単に想像出来てしまえたのだった。

 

休憩を置いて、俺達はデパートの中に入り、これからどうするか頭の片隅で考える。

「こんな時間に制服でウロウロしてたら目立つよな」

 ルナインのヘルメットの方が目立っている気もするけど。

「ここはお店なのね。ゆっくり出来る時にじっくり見たかったわ。でもネットより品揃えは悪いわね」

「ネットと比べたらどのお店も同じだ」


 周囲の状況が良く見えるエスカレーターを使って移動を続ける。


「地球はネットがここまで普及していて羨ましいわね」

「リベイスの方が凄そうだけど、そのヘルメットとか」

 どう見てもハイテク機器の塊だからな。

「ああ、これ? 地球と交流してから作られた物で、殆んど地球の技術で出来て――」

 言葉を中断させたルナインの視線は下に向いていた。俺もそちらを見ると、まるで餌に群がるカラスの様にデパートに似つかわしくないスーツの男性達が集まって周囲の捜索を行っていた。


 俺達は黙って途中の階でエスカレーターを降りて、取りあえず歩き始める。

「何で居場所がバレるのよ! 春太が何かヘマしてるに決まってるわ」

「携帯は……持って来てないし、監視カメラに移ったとか?」

 もう完全にスパイ映画の世界だった。


「携帯って……これを持ってるからって何になるのよ」

 ルナインは背負った鞄の中から俺の携帯を取り出す。

「何で持ってるんだ!」

「何よ! これさえあれば大体の事は何とか出来るって言ったわ! だから気を利かせて」


 俺は素早く自分の携帯を奪い取って、涙を堪えて自分で携帯を破壊する。

「はあ、色々データ詰ってたのに……半身を失った気分」

 そんな俺達の一連の様子を見ていた従業員が、俺の視線に驚き、慌てた様子でお店の奥へと引っ込んで行く。そんな分かり易い行動に、俺は頭を抱えたくなるのだった。


「これは、ヤバそう」

「今更だわ」

 俺は逃げ道になりそうな非常口に向かってルナインを引っ張って移動を始める。見えない何かに追い立てられているかの様に、歩く足は次第に速くなって行く。非常口のドアが見えた時だった。ドアから黒服の男が出て来てその場で待機する。


 終わった、何もかも……ビルの間を飛んでまで逃げたのに、あっさりと……。


「何とか隣のビルに飛び移るわよ」

「移るって――屋上は――もう、先回りされてるだろ、上の階に黒服みえるだろ」

「知ってるわよ。でも幸い、ここの階の高さは十分だわ。窓から行くわよ」

「……それ、確実に怪我するけど、窓ガラス割るって危険だから、下の通行人とか――」

「通行人は通行人の問題だわ」

「その考え方は本当に――」

 ルナインは俺から距離を取って行く。如何やら本気の様だった。止めるにしてもどうすれば良いか分からず、結局協力する事に決める。最大限の協力をして、良い結果を得るのが結果として1番良いと考えたからだ。


 ルナインは躊躇いもなくガラス窓に突っ込み派手な音を鳴らしなら外へと飛び出して行ってしまう。俺は背後から迫って来る黒服の存在を確認しながら、正面に引かれる力に導かれるまま走り出す。


 一体どれだけ逃げれば良いのだろうか、何処まで逃げれば良いのだろうか、何処に逃げれば良いのだろうか。虚しさの様な感情が俺の心を包み込んで行く。


「何処に行けば良いのよ。何処まで逃げれば良いのよ」

 それはルナインも同じだった様でポツリと言葉を漏らす。俺達はもうビルの屋上を飛んで渡る事はせずに人通りの多い道を人に紛れる様に歩いていた。学生服にヘルメット、明らかに目立っていたが、態々注目したり呼び止める人が居ない事に気付き、俺達も気にしない事に決めた。俺は沈みそうになる気分を変える為に、話題を変える。


「ルナインはリベイスではどんな暮らしをしてたんだ?」

「いきなり気持ち悪い質問しないで欲しいわ」

「気持ち悪いって、今夜は野宿かも知れないから心配してだな」

「まあ良いわ。向こうだと寮暮らしだからベッドとトイレしかなかったわ」

「それ刑務所じゃ」

「ふざけないで、全く違うわよ!」


 リベイスの刑務所ってどれだけ酷いんだ……。


「刑務所には勉強机とキッチンが備わってるわ!」

「刑務所の方がマシじゃないか!」


 ルナインは金色の右目を片手で押さえながら大きなため息を吐く。

「何言ってるのよ、キッチンがあるって事は自分で料理しないと真面な物が食べられないって事なのよ。それにどれだけ受刑者達が苦しんでいるか、受刑者達を見た事ないからそんな事言えるんだわ。中には耐え切れずに調理道具で自分を調理する人達が大勢出てるわ」

「……どれだけ料理したくないんだ」

 そう言えばルナインが料理をしている所もしようとしている所も見た事が無かったな。


 ルナインはまるで恐ろしい恐怖体験を語って聞かせる様に言葉を続ける。

「刑務所では調理しないと食べられない物を沢山出してるらしいわ。だから受刑者達の定番料理は火を通した後、ミキサーにかけるミックス調理が基本らしいわ」

「想像しただけで気持ち悪くなって来た」


 話題を反らしても結局、自分達の置かれている状況が変わる事は無く、まるで俺達の間に発生する重力の様に会話はそこに引き込まれてしまう。


「結局何で追われてるのよ。本当に私がテロ組織か何かだと思われてる訳?」

「どうだろうな、思い返せば俺にまで銃向けて来たからな。ルナインだけを悪者だって考えてたら俺を助けようとするんじゃないのか?」

「春太だけがテロ組織だと思われていれば良かったわ」

「どんな理由で学生の俺がテロ組織に思われるんだ」

「そんなの知る訳ないわよ」


 他に考えられる事は……リベイス人の誘拐目的? いや、そんな組織が居たとしても日本なんてリベイス人が居ない場所より、アメリカで活動するだろ。


 俺は人通りの多い交差点に差し掛かった時だった。ビルの壁に取り付けられた電光掲示板でニュースキャスターが深刻な表情で、慎重に言葉を発していた。


『今朝方、グラビティフライの影響で1つの山が上昇し、地上から消え去りました。その影響により、周囲の住人は――。今、世界の各政府から、次々と重大な事実の発表が行われており、ニュースの途中ですが、こちらの映像をご覧下さい』


 電光掲示板にグラビティフライ研究主任の肩書を持つ60前後の少し剥げた小太りの人物が映り、後ろのモニターに地球とリベイスが表示された宇宙の画像が映し出される。英語で話している言葉をリアルタイムでキャスターが通訳して行く。


『まずこちらを、現在地球とリベイスは互いに接近し合っている状態にあります。このままではいずれ2つの星は接触して、我々は母星を失う事は確実でした。ですが、この2つの星の接近を止める手段、見つけ出しました』


「それって凄く良いニュースじゃないか」

 100年後も世界は滅びずにあり続けるって事だろ。実感はあまりないけど奇跡が起きったって事じゃないのか?


 俺達と同じ様に立ち止まって電光掲示板や自分のスマホを見つめている人達が、良いニュースに弾む様な明るい声を出して喜ぶ。そんな中、明るい話題に心を躍らせる俺達とは裏腹にルナインは相変わらず死人の様な瞳をしていた。


「そうね、でも良いニュースだけなら国のトップが発表すると思うわよ。それに、そんなの解決した所で私達の抱えてる問題は何も解決しないけど」

「ネガティブ発言止めてくれ、今は本気で気が滅入る」

 まるで良い方向に考えようとして失敗した時の気分だ。


 電光掲示板に映った主任がハンカチで額の汗を拭いながら話しを続ける。


『その過程で1つ判明した事実があります。地球とリベイスの接近スピードは想像を遥かに超える速さで接近を続けており、その接近スピードは加速の一途を辿っています。2つの星が接近し、互いに致命的な影響を与え合うまでの年数は……約5年となっています』


 それは全世界を凍り付かせる程の衝撃的な情報だった。通訳していたキャスターも口をあんぐりと開けて言葉を失ってしまっていた。


 接近まで100年、そんな嘘のベールが剥がれて行く。俺やルナインを含めて世界中の人達は、剥き出しになった危機にどう対処したら良いか見当も付かずに戸惑う。


「……ハハ、5年後に滅びるのなら、もう何もかもどうでも良くなるわね」

 俺は5年と言う時間を良く考える。日数にすると約1800日……長い様でとても短い5年後の自分を想像する。


「5年って大学に行って、で終わり? いやいや、そんなのって……宇宙ステーション計画は、あれまだそこまで進んでなかったはず。100年の計画を前倒しにしても5年で……絶対無理だろ」

 だから……だからか、金持ちはそんな情報を予め知っていたから、いそいその一足先に宇宙に脱出していたのか。100年後って言葉に踊らされて、現実が見えてなかったのは俺達の方だったのか。


 普通に考えれば100年後なんて都合が良過ぎる話しだった。誰もその情報に疑いを抱かなかったのは例え嘘でも信じたいと言う気持ちがあったからだろう。最初から5年後に滅びるなんて言われたら……どうなっていたか自分でも分からない。

「あ、でも……星を止める方法が見つかったって」

 まるで俺の心の流れを理解しているかの様な完璧なタイミングで研究主任は解決策について語り始める。俺は周囲の色すら分からなくなる程、その言葉に聞き入っていた。


『地球とリベイスはお互いの重力によって接近を続けていたと考えられていましたが、実際は距離的に互いの重力が影響し合う事はありません。只、2つの星が重力によって引き寄せられている事は確実な事実でした。何がその様な重力を発しているのか、その正体が判明しました』


 俺は自分の中で湧き上がる胸騒ぎを押さえ切れなくなり始めていた。これ以上電光掲示板の情報を聞きたくないと思ってしまう。耳を塞ぎたいと思ってしまう。


『グラビティフライ、天災の中で最も厄介な現象です。これはリベイスでも起こっており、互いの星が出会った時から発せし始めた現象です。このグラビティフライですが、重力に反して空に飛んで行くと言う単純な物ではなく、地球の物質と殆ど同等の物がリベイスと何らかの形で繋がりを得て、その繋がりを得た2つの物質は互いの間に強力な重力を生み出し、引き合う性質があります。その結果、グラビティフライと言う現象を引き起こしている事が分かりました。地球やリベイスにある繋がりを得た複数の岩等が引き合う事によって、この2つの星の距離を縮めています。これらを速やかに破壊する事で、2つの星の接近は確実に止まる事でしょう』


 何を言っているのか分からなかった、いや、分かりたくなかった。まさしく電光掲示板では自分達の事が話されていた。


『同時に引き合った地球とリベイスの物質によって生まれつつある小さな衛星、リンカーはその衛星の質量からは考えられない程の重力を発生させており、繋がりを持った2つの物質は何処にあったとしても全て等しく危険と考え、破壊する用意も進められており……』


 それからも研究主任は説明を続けていたが、頭にはそれ以上の情報は入って来なかった。自分達がどうして追われたのか、一方的に殺されそうになったのか、良く分かってしまった。ルナインの不法入星ましてやテロ等全く関係なかった。それ以上に悪くて最悪な理由によって俺達は追われていた。


 俺もルナインも力が抜けた様にユラユラと近くにあったベンチに辿り着き、座り込む。

「……なんだよ、それ、そんなの――っ」

「最初から私達を捕まえる気なんてなかったって事ね。希望なんて最初から何処にもなかったわね」


 これからどうすれば良いのか何をすれば良いのか俺は必死に考えるか、暗い結末以外の答えは何も見えてこなかった。視界は暗黒に染まり、何も見えなくなってしまう、周囲の音も消え始めた時だった。ルナインの言葉が俺の脳に光りとなって響き渡る。

「もう逃げるのは止めるわ」


 ルナインは地面に落ちていた1枚のチラシを拾い上げる。それは俺が数ヶ月机の中で温め続けていたダンス大会のチラシだった。

「これダンス大会のチラシ……」

「もうこうなったらヤケクソだわ! 最後の瞬間までしたい事をし続けてやるわ! 手始めがこれよ!」


 ダンス大会に参加するとか言い出すつもりなのか? 練習も何もしてないのに?


 ルナインは口元をニヤリと歪ませる。その後、ルナインの口から出た言葉は俺が想像した事の数倍も酷い物だった。

「まずは、こんな大会、ぶち壊してやるわ。あの女も参加してるんでしょ、だったら憂さ晴らしに嫌がらせしてやるわよ!」

「いやぶち壊すって、ダメだろ。憂さ晴らしの嫌がらせって」

「何がダメなのよ! 今から、こそこそ隠れながら逃げて、何になるのよ? 結局死ぬなら、したい事全部してから死ぬわ。もう命を含めて失う物なんて何もないわ。何で私だけこんな目に合わないとならないのよ! 考えたら腹立って来たわ!」

「俺もだけど」

「だったら、私の言いたい事分かるわよね! 春太も周囲に当たり散らしたいわよね! 会場の場所はすぐそこにあるわ」


 俺は足取り軽く進むルナインに引っ張られる形でダンス大会の会場に向かわされる。その僅かな時間でルナインの考えを変えようと必死に説得を試みる。

「だからって、参加者に迷惑かけるのは良くないだろ、真面目にダンスして来て、情熱や他にも色々掛けたダンス大会を壊されたら、どう思うんだ?」

「それは参加者の問題だわ」

「違うから! 俺達の所為になるから!」


「あそこ、今朝の女がいるわ。いい気な物だわ、こっちは殺されそうになってるのに」

 正面を向くと真っ黒な高級そうな車に向かって不満そうな顔をしている黒いドレスに身を包んだ葉月が立っていた。彼女は声を荒げながら黒い車に向かって叫んでいた。

「分かっています! 優勝出来なければダンスは辞めます。お父様。約束は守ります、だから、そちらも約束は守って貰います」


 彼女は苛立ちを隠そうともせずに、駆け足で正面の大きな建物、ダンス大会の会場に入って行く。

「ダンスを踊るだけなのに無駄に大きな建物を立てたのね」

「ダンスの大会だけに使う訳じゃないけどな」


 と言うか葉月……家族にダンスをする事反対されてるって言ってたけど、優勝しないとダンスを止めるなんて約束してたのか……そうなら、そうと言ってくれたら……いや、俺の実力だと優勝は――。


「今朝の女も見付けたし、ぶち壊し甲斐があるわね!」

「いや、さっきの彼女の事情聞いたよな! 優勝出来ないとダンスを止めさせられるって話し、それで良く邪魔しようとか思えるな! ちょっとは躊躇うだろ!」

「そんなの彼女の問題だわ」

 何の躊躇いもなくそう言ってのけるルナインに情はないのかと問い詰めたくなる。只、俺は何処かでルナインのそんな考えが羨ましいとすら思い始めていた。理不尽に命を狙われている事を知り、それが避けられない事も知り、何もかもぶち壊して暴れ倒したいと言う感情は俺の中にもあった。そんな負の感情を隠そうともせずに表に出せるルナインの事が、俺は羨ましかった。


「そもそも、ダンスを止めるとか止めないとか、くだらないわね。体が動けばダンスなんて何処でも踊れるわよ。それを止めるとか止めないとか理解出来ないわ」

 そう言う話しじゃない事をルナインにどう説明しようかと頭を悩ませている間に、彼女はダンス大会の会場に躊躇いもなく入って行く。


 俺達は人の流れに導かれるまま、観客席に進む。周りに合わせる様に席に座るルナインの姿を見て、俺は少しだけホッとする。


 会場は体育館を数倍広くして、中央のホールを囲う様に2階の高さの場所に観客席が置かれている。大会は途中まで進んでいる様で、ダンサー達が中央に集まり、それぞれパートナーと手を取り合い、音楽が響くのを今か今かと待ち望んでいた。その中には葉月とパートナーの姿もあった。


 あんなニュースの後もあり、会場はざわついていた。観客はダンス大会よりも世界の危機に関してのニュースに注目してダンサーを見ている人の方が少ないくらいだった、


 タンゴの軽快な音楽が流れると共に、全てのダンサー達が一斉に踊り始める。音楽が流れ、踊りが始まった、たったそれだけの事なのに会場の空気は大きく変わるのだった。誰もがニュースを忘れて会場のダンスに引き込まれて行く。大きな大会だけあり、どの選手も目を見張る程、上手だった。その中でも葉月達の踊りには花があり、多くのダンサーの中にいるにも関わらず人の目を引き付けていた。本気で優勝する、そんな気持ちがダンスからも溢れていた。

「こんなダンスに皆随分と必死なのね。世界が滅びるかも知れないのに」


 冷静になったらこんな状況でダンスを見に来てる俺達もどうかと思うけど。


 ルナインは俺から手を放して立ち上がる。

「ぶち壊す前にダンスを踊ってみるのも悪くないかも知れないわね」

「踊るって練習も何もしてないだろ。ステップとか色々――」

「そんなのどうでも良いわよ。私が楽しければそれで良いのよ」


 ルナインのその真っ直ぐとした言葉に、俺は最初の最初、ダンスを習い始めるその前、ダンスに興味を持った時の事を思い出していた。


 ステップとかテクニックとか、そんな細かい事を考えだしたのはいつからだろうな。


「要するにこうして手を繋いで回れば良いんでしょ」

 ルナインに腕を引かれ、俺は席を立たされる。彼女は俺の手を握りながらダンスの姿勢を作る。たったそれだけの事だったが俺は気付いてしまう。

「あれ、もしかして、練習、してた?」

 そう社交ダンスの姿勢なんて素人が見様見真似で出来る物じゃない。それが出来るのはちゃんと練習して社交ダンスを知ってる以外に理由はなかった。


「ね、ネットでダンスについて調べたついでに少し覚えただけよ。断然、ストリートダンスの方が楽しそうだったわね」

 ルナインはその場でクルリと回転を始める。俺は急いで彼女に合わせるが、そもそも観客席は踊る為の場所じゃない為、必要なスペースもなく、出来る事は回るルナインの姿勢を真っ直ぐ保つくらいだった。誰が見ても退屈としか言えないダンス、当然ルナインも退屈だったのだろう。

「全然違うわ。やっぱりダンスはもっと派手で動き回る方が良いわ!」


「ちょっ!?」

 ルナインは俺を押し退けて駆け出す。押された所為で椅子に座ってしまい、出遅れた俺は彼女を追い掛け様とするが、その距離は既に致命的なまでに離れてしまっていた。

 ルナインは、観客席を半周した向かい側で立ち止まり俺の方を見てニヤリと笑みを作る。俺はもう、彼女が何をするのか、恐ろしくて考える事も止めてしまう。


 加速的に膨れ上がって行く引き合う力に耐えると、風が会場に吹き荒れ始める。そんな中、ルナインは正面の手すりから身を乗り出す。

 

 ――派手に行くわよ――


 そんな彼女の声が聞こえて来た様な気がした。俺はもう、考える事を止め、ルナインに合わせる様に手すりから飛び出しダンス会場に向かって飛ぶのだった。


 ルナインはヘルメットを脱ぎ捨てる、俺とルナインはまるで2箇所から発射された銃弾の様に真っ直ぐと進み、空中で手を取り合い、そのまま空中でスプリンクラーの様に回転を続ける。会場から悲鳴の様な声が聞こえて来るが、それすらも心地良く思えてしまう。


 ゆっくり回転しながら会場の中央に降り立った俺達は他のダンサーを無視して回転しながら離れ合う、引き合う力を感じながら、音楽に合わせて、それぞれ思い思いに体を適当に動かす。


 会場が静まり返っている。今の俺達は周囲からどう見えているのだろう? あ、今のステップ間違え――って、もうステップなんてどうでも良いか。


 ルナインは本当に楽しそうにバク転をしたり、宙返りを決めたり、スケート選手の様に空中で回転したり、長く真っ白な髪を振り乱しながら一心不乱に踊り続けている。

 俺が今までずっと忘れていた事だった。いつしか上手く踊りたい、完璧な踊りをしたい。そんな事を思い始めて忘れてしまっていた。只、音に合わせて体を動かす、ダンスなんてそれだけで良かったのだと、ルナインに思い知らされる。


 俺も適当なステップを踏みながら、引かれ合う力に導かれるまま近付いて来るルナインを受け止め、少しの間だけ彼女の手や足を俺が望む通りの導こうとする。きっと彼女は俺に操られている様な感覚になるだろう。それが社交ダンスで相手をリードすると言う事。


 しかし暴れ馬の様な彼女は俺が望む通りの動きをする訳がなく、混ざり合った2種類の色が混ざらず弾け合う様な、自分でも予想しない方向に体を動かしてしまう。もう考えが追い付かず、こう踊りたいと言う考えは粉々に破壊され、その場の勢いだけで踊らされる。

 そんな状態にも関わらず、俺達の息はピッタリ合っており、今まで踊ったどのダンスよりも楽しく、心地よかった。

 

 ダンスはコミュニケーション、そんな事が、良く言われているが、今の今まで納得は出来ても理解出来なかった。でもやっとその事の真の意味を理解出来た気がする。言葉を交わす以上に彼女の考えや行動が知れて行く。


 俺はいつまでも彼女を独占し続けたい欲求が湧き上がるが、その気持ちを押し殺し、爆発したいと望んでいる彼女を解き放つ。すると彼女はまるで鳥籠から飛び出した小鳥の様に、自由にそして、派手な踊りを始めてしまう。そんなルナインを見ていると自然と笑顔がこぼれて来る。


 どれだけお互いが無茶苦茶に動こうともどんな踊りをしようとも、俺達は引かれ合い、そして繋がり合う。その瞬間だけは完璧に息はピッタリだった。


 またルナインをリードしようとした時だった、彼女は力任せに俺を振り回して、会場の端まで吹き飛ばして来る。


 まるでルナインからの挑戦状だった『こんなのはどう? ついて来れる?』そんな挑発的な意思を感じる。俺は負けずと態勢を綺麗に保ちながら、反動で反対側に飛んでいたルナインに視線を向ける。


 引き合う力が強まるのを感じながら俺達は真っ直ぐ互いに向かって駆け出し、思いっきりジャンプする。そして空中で手を取り合いながら派手に回転しながらぶつかり合う力を遠心力に変えて行く。


 もはや普通の人間には到底出来ない曲芸を超えたダンスだった。自分達にしか、自分達だから出来るダンスに優越感の様な物を感じながら、空中でクルクルと回りながら音の終わりを聞き届ける。会場から溢れる驚きと拍手を聞きながら俺達はゆっくりと会場の中央に降り立ち、背中をくっ付け合いながら周囲に視線を向ける。


「ダンス、思った以上に楽しいわね」

「ああ、本当に思った以上に楽しい物だったんだな」

 会場は無茶苦茶だった。呆気に取られるダンサー達、引き合う力の影響で会場の方に滑って来た椅子や荷物。自分達が楽しむ為だけに周囲を無茶苦茶してしまったが、俺は後悔もなにもなかった。それどころか気分は晴れやかだった。


 葉月も呆気に取られた様子で俺達の事をボゲッと見詰めていた。ルナインはそんな彼女に向かって軽く舌を出して勝ち誇った様な表情を作っていた。


 自分がルナインに影響を受けて酷い人間になっている事を感じながらも、何もかもがどうでも良かった。きっとルナインも同じ様な気持ちなのだろう。


 もう俺達2人の間に音楽は要らなかった。向かい合い手を取り合うと会場の音も何もかもが聞こえなくなって行く。続きを踊りたい、俺達はそんな衝動だけに付き動かされる。


 今にも踊り始めようとしたその時だった、入口が騒がしくなったかと思うと突然、俺達がいるダンスフロアに白い煙を出すカプセルの様な物が投げ込まれる。その白い煙が顔に当たった瞬間、目に痛みが走り、涙が溢れ出して行く。催涙ガスだと気付いた時には、涙で視界は見えなくなって行く。そんな中、複数の赤いパイロットスーツの様な宇宙服を着た人達が、ルナインと俺を引き剥がし彼女の体を担ぎ上げる。


 俺はルナインを連れて行かれまいとその手を確り握り込む。


「リルド、マラ、ルナイン」

「ゲホッ、何、する、のよ!」

 ルナインが激しく抵抗している事が繋がれた手から伝わって来る。


「ラクット、ルナイン!」

「兄さん――!? どうしてここに、ルガ、マイマイ、オート」

 相手の男性の言葉を聞いた瞬間、ルナインが抵抗を止めてしまう、同時に彼女と繋がれていた俺の手がするりと離れて、そのまま離れ離れになって行く。俺が追い掛け様とした時、別の入り口から、大勢の人影が雪崩れ込んで来る。


「これは……全員マスクを着用せよ。発砲は控えろ! 相手はリベイス人だ! 民間人も多い。今揉め事を起こせば非常に面倒になる。ターゲットの確保を優先せよ」

 そんな声が聞こえて来たかと思うと、俺は何者かに両脇を抱えられ、抵抗も虚しく引きずられて行く。唯一出来た事は大きな声を出す事だけだった。


「ルナイン! ルナイ――っ」

 しかし、それも口をタオルか何かで塞がれ出来なくなってしまう。


「春太! はる――」

 ルナインの方の声も離れた位置から聞こえて来たが、彼女の口も塞がれたのかそれ以上声は聞こえて来なかった。


 周囲も見えず、只、連れ去られる。暗闇の中、俺に感じられたのは不安感と強い恐怖だけだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ