それは精神的な話し
1章それは精神的な話し
お互い言葉が通じ合う様になったからと言って、気まずい事には何ら変わりなく、俺は話すべき話題も分からずに、ルナインから視線を背ける。彼女も同様に俺から視線を背けてしまう。
静かになると余計な事まで考えてしまう。俺は今朝からの出来事を思い出していた。
「どうしてこんな事に……授業の最中に急に大空に飛ばされる事になって。いきなり命の危険に晒されて」
ルナインが小さなため息と共に俺の事を睨み付けて来る。
「それはこっちのセリフだわ。宇宙空間での飛行試験の最中に体がリンカー方面に引き寄せられて戦闘機から命懸けで脱出して、こんな所に行きつく事になって、不法入星に試験の放棄、全部実刑付きの犯罪行為だわ。勉強中に空に投げ出されただけの人と比べて欲しくないわ」
ルナインが予想以上に厳しい立場に立たされている事を知り、俺はどう声を掛けて良いか分からなくなる。
「それは、本当に大変みたいだな」
振り向いたルナインは金色の瞳を鋭く細めて、俺の事を鋭く睨み付けて来る。
「大変? そんな言葉で片付けて欲しくないわ! 全部失ったのよ! 訳の分からない現象の所為で、何もかも! 厳しい訓練を乗り越えて、合格者が僅かしかいない、人生の掛かった試験で……本当に不幸だわ。その上、こんな、こんな、荷物まで纏わり付いて……人生はメチャメチャ、本当に不幸だわ!」
ルナインは怒りのままに俺の事を両手で突き飛ばして来る。俺はベッドに倒れ込みながら全身の痛みに悶える。しかし、その痛み以上に俺は気になる事があった。
「荷物?」
荷物と言う言葉が何度も頭の中で繰り返される。やがてその言葉は呪いの様に俺を縛り付ける。思い出すのはダンスのパートナーを一方的に解消された時の事。その時にまるでお荷物と繰り返されている様な錯覚に陥り、俺の中で何かが弾ける。
「それこそ、こっちのセリフだ! 少し離れただけで引き寄せられて何回頭ぶつけたと思ってるんだ! 今後どうやって生きて行けば良いんだ!?」
互いにほぼゼロ距離で睨み合う。周囲から見れば本当に不思議な光景だろう。
喧嘩や言い争いは、完全な他人や初対面の人間とする事は保々ないと言っても良い。喧嘩する程仲が良いと言うが、ある程度仲が良いから喧嘩もするのだと考えれば、この言い争いはある意味、ルナインとの距離が近付いたとも言えなくもなかった。
そこからはお互いに言葉を止められなかった。
「助けなければ良かったわ」
「助けられなければ良かった!」
「あの時、せっかく手を掴んだのにわざわざ放して、何がしたいのか分からないわ」
「それは! あんな場所でパラシュートを開いても2人とも助からないと思って」
「こっちはちゃんと生存出来る様に着地場所も含めて計算していたわ! 2人とも手足を複雑骨折して、少し当たり所が悪ければ一生歩けなくなるだけで、命は助かったわ!」
「それ全然良くないだろ! 助かってるって言わないだろ!」
「死ななければ助かってるって言うわよ!」
「言わない!」
「言うわよ!」
「言わない!」
「何よ! 裸見たくせに!」
唐突なルナインの言葉に俺の脳裏にあの時の出来事がよぎってしまう。
「うっ!? ……ヘルメットを触っても動かない様にロックか何か掛けて渡せばそんな事にならなかった!」
「そんな機能ある訳ないわ! わざとじゃないの、この星の人間は変態が多いって聞いたわ。性犯罪者が10倍は居るってニュースになってたわよ!」
「そんな事、俺とは無関係だろ!」
ルナインは頭の翼を逆立てたまま、萎んだヘルメットを膨らませ、勢い良く俺に被せて来る。外からルナインの操作が行われ、VRモニターにリベイス人のコスプレをした女性の出て来るAVの動画が映し出される。
俺は大慌てでヘルメットを脱ぎ、近くに放り投げる。床を転がったヘルメットは少しして空気が抜けて萎んで行く。
「これでも関係ないって言うつもり!」
「いや、これ俺と関係ないだろ!」
「良くそんな事が言えるわ!」
「むしろ何で言えないんだ」
「変態!」
「この、こ……えーっと、この、唐辛子!」
唐辛子って、自分でも情けなくなる罵り方だな。
「唐辛子、香辛料の原料……!? もしかして体を舐めたの! 本当に変態だわ」
「舐めてない!」
「嘘だわ! あー最低だわ。荷物なだけじゃなくて変態だなんて」
ルナインは俺から距離を取り、ベッドを囲むカーテンを引っぺがして部屋の端に移動する。俺も怒りのままにベッドから降りて部屋の隅に向かい、彼女から距離を取る。
数十秒後、互いに引き合う力を感じながら、力に抗う様に俺は窓のカーテンにしがみ付き、ルナインは入口近くの薬の棚に張り付く。
時間経過と共に引き合う力は加速的に強くなって行く。やがて部屋の中に風が巻き起こり、机の上に出しっぱなしにしていた本のページが捲れ上がる。
流石にきつくなって来た、体も痛いし……でも、ここで引いたら負けた気がする。
「降参したらどうだ!」
「死んでもしないわよ!」
更に時間が経過すると俺もルナインも腕の力だけでは、引き合う力に抗えず、足を使って力に抵抗し始める。机の上に置いてあった本が風の影響かは不明だが、机の上から飛んで部屋の中心に着地したのを合図に俺達の争いは更に激しさを増すのだった。
「手が滑ったわ!」
ルナインは自分の背後にある棚から薬のカプセルを取り出し、風に任せる様に宙に投げる。それらの薬のカプセルは何故か真っ直ぐ俺の方向に向かって飛んで来る。両手でカーテンに捕まっていた俺は抵抗も出来ずに、薬のカプセルの雨に身を打たれる事になる。
「いっ! わざとだろ! 絶対わざとだろ!」
だが、その薬のカプセルは俺にぶつかった後、反旗を翻してルナインの元に加速しながら戻って行く。そして彼女のお腹の辺りに直撃する。
「ははっ! 自滅してたら世話ないな!」
「ああもう! 何よ!」
その時、机の上に置かれていた本やノート、シャーペンや丸椅子等もルナイン元に飛んで行く。彼女は更に薬のカプセルを引き出して、飛んで来た本やらに薬のカプセルをぶつけて身を守ろうとするか、棚に詰めていた薬が次の瞬間ダムでも崩壊したかの様に、全て棚から吐き出されて行く。
「ちょ! 瓶のカプセルはヤバいって! 消毒液も!」
俺は飛んで来る大量の薬のカプセルを前に、ベッドの布団を手に取り、薬のカプセルに向かって投げつける。
薬のカプセルと布団がぶつかり合って力が相殺し合い、俺とルナインのちょうど中間点でまるで生きているかの様に荒ぶり続ける、それを起点にする様に部屋の中の物が全て、中間点に集まって行く。
まるで星の誕生を見ている様だった。中間点に集まった本や薬のカプセルが見えない力によって潰れて行き、大きな1つの塊に――。
「って! ヤバいって!?」
パリンって、パリンって瓶が割れる音が聞こえて来るんだけど!? と言うかこのミシミシって音――!?
俺はしがみ付いていたカーテンが今にも千切れそうになっている事に気付き、別のしがみ付ける物を探す。しかし既に時遅く、俺はカーテンレールから千切れたカーテンと共に転がって、中央の塊に突っ込んでしまう。そして塊と共にルナインにダイブしてしまう。
「あ、う、消毒液が目に!? あああ、う、動けないし!? 瓶の破片がお腹に当たってる!? 痛い、痛いって!」
と言うか下敷きになってるルナインは大丈夫なのか?
「ふふ、はは、あはは」
俺のそんな心配も余所に布団の下からくぐもったルナインの笑い声が聞こえて来る。俺は不気味な物を感じて、慌てて周囲の物を掻き分けて彼女の姿を探す。
下敷きになっていたルナインは何が面白いのか、悪戯に成功した子供の様な笑顔で笑い続けていた。彼女のその笑顔に釣られる様に俺も乾いた笑いが溢れて来る。
「ハハハ……」
「何でこんな何のメリットもない事をしてるのか、自分でも分からないわ」
「俺の方が酷い目に……止めよう、お互い酷い目に合ってるんだし」
俺はルナインに手を差し伸べながら、不良が喧嘩の末にお互いを認めて親友になる時と同じ様にお互い和解モードに突入したと信じていた。ルナインが俺の手を取れば、この無意味な争いに終止符を打てるのだと漠然と考えていた。
「そう言う事、メリットならあったわ。春太を困らせると少しだけ胸がスッとするわ」
ルナインは俺が差し出した手を跳ねのけて1人で立ち上がる。そして少しだけ乱れた白く綺麗な髪を整えながら俺の事を睨み付けて来る。
「どれだけ性格悪いんだ!」
これがルナインの本性か。見た目とは裏腹に随分ときつい性格をしているな。
「この星だと他人を困らせる人は性格が悪い事になるの、知らなかったわ」
ルナインの人を馬鹿に仕切った様な口調と態度が鼻につく。
「どの星でも性格悪い事になると思うのは俺だけなのか? そっちの星だとどうだって言うんだ」
「最低な人間よ」
「性格悪いより酷いだろうが!」
「でも、嫌いな相手を困らせるのは法律的にも認められているわ」
「それ無茶苦茶だろ! どんな法律だ!」
「この星の国の間でも他国に嫌がらせや妨害工作しているのに何が無茶苦茶よ? そう言う自分の行いを棚に上げる所が本当に噂で聞いてた通り、最低だわ」
腕を組んだルナインが得物を仕留めた獣の様に目を細め勝ち誇った様な表情をする。言い返す言葉が思い付かなかった俺は、視線を彼女から背けなくするだけで精一杯だった。
「ぐぬぬ」
俺達はお互いを暫く見詰め後、互いにプイと背中を向け合う。お互いに引き合う力を感じていた為、下手に動けず、それがもどかしさと共に苛立ちを募らせて行く。
「離れなさいよ! 鬱陶しいわ!」
「離れたかったら離れてる!」
「触ったらビンタって言ったわよ!」
「聞いた覚えはない! と言うか絶対言ってないだろ!」
「それはあなたの問題だわ!」
お互い体を前のめりに倒して離れ合おうとするが、今度は背中ではなくお尻がぴったりとくっ付き合ってしまう。その瞬間、ルナインが勢い良くお尻を引っ込めた為に後頭部が俺の後頭部と見事に激突してしまった。
「あがっ!? うううっ!?」
俺達は同時に後頭部を押さえながら振り返る。ルナインは後頭部を両手で押さえながら物凄い形相で睨み付けて来た。
「いっ、何するのよ!」
ルナインの全て俺が悪い様な物良いと視線に、俺は我慢出来ずに反論する。
「何もしてないだろ! むしろそのセリフを言いたいのはこっちだ!」
理不尽な引き合う力によって俺達は額を重ね合わせながら互いを睨み合う羽目になる。
「ビンタして良いわよね?」
「良い訳ないだろ!」
「それはあなたの問題だわ!」
「絶対違う!」
俺は両サイドから挟み込む様に飛んで来るルナインの両手を掴む。
「もっと良い方向に考えたらどうだ。例えば、そう、お互い絶対迷子にならないとか」
俺の話しにルナインは感情のないロボットの様な口調で返事を返して来る。
「わー、凄い。どこに行っても迷子にならないなんて素敵だわー。でも人生の迷子にはなるけど」
「じゃあ、お互いの居場所が絶対に分かるって言うのは」
「わー、凄い。常にお互いの居場所が分かるとかとても便利だわー。嫌がらせとしたい時に場所が分かるからとても便利だわー。でも知りたくないのに知らされる事になるけど」
ルナインは俺をビンタしようとする腕の力を全く緩めず死んだ魚の様な目を向けて来た。
「私からも良い方向に考える提案をしてあげるわ。例えば、この腕を大人しく下げて私のビンタを甘んじて受けて、私の気を晴らさせて欲しいわ!」
「それの何処が良い方向なんだ!」
ルナインは理不尽な苛立ちをそのまま俺にぶつけて来る。
「大人しくストレス発散のサンドバックにでもなっていれば良いのよ! 法律で認められた行為だわ!」
「そんな法律、絶対嘘だろ!」
と言うか、力強っ! 本気で俺の事サンドバッグにしようとしてる!
「嫌いな人間ならサンドバックにしても法律上問題ないわよ!」
暫くして引き合う力は完全に消失していたが、俺達は腕を組み合ったまま睨み合っていた。そんな俺達の不毛な睨み合いを終わらせたのは、保険の温厚で優しい事で有名な、メガネを掛けた小柄なポニーテールのポッチャン先生だった。
「あ、2人とも無事に起きて良かった。あなたが倉間くんを抱えて飛んで来た時は本当に驚い――……いやあああああ!?」
ポッチャン先生は保健室の惨状を見て、叫び声を上げながら、まるで生気でも抜かれた下の様にその場に崩れ落ちる。
「抱えて保健室まで?」
それって、心配してって事なのか? 何だかんだ言って、やっぱり優しいのか?
俺はルナインの顔を見つめる。しかしルナインは俺に顔を見られない様ですぐに反らしてしまう。
「ち、違うわよ! 移動したら勝手にズルズルついて来ただけだわ。気絶しててもこの意味の分からない現状は発生するみたいだわ。本当に良い迷惑!」
「俺に嫌がらせをして気分をスッキリさせる奴が、心配なんかする訳ないよな!」
ちょっとでもルナインの事を見直そうと考えた俺が馬鹿だった!
「ちょっと、あなた達……」
ドスの利いた声に俺とルナインは思わずポッチャン先生の方を振り向くのだった。そこには怒りでドス黒いオーラを放った彼女がユラユラと立ち上がっており、今にも俺達の事を絞め殺さんばかりの様子だった。
俺達はお互いに流石にヤバいと感じ取り、掴み合ったまま保健室から廊下に出る。
「あなた達、この部屋で何があったのか説明しなさーい!!!」
その瞬間、俺達は同時に駆け出す。俺は右側に、彼女は左側に向かって全力で走った。
「こらーーーーー!!!」
ポッチャン先生の少しだけ可愛らしい声が廊下に響き渡るのだった。
数分後、お互いの頭に大きなタンコブを作った俺達は、相も変わらず睨み合いながら生徒指導室で冬華さんと話していた。
「後で校長や教頭にも説明する事になってるから、分かる様に話して貰える?」
「全部春太が悪いわ。宇宙の藻屑になっていたら皆幸せになっていたわ」
「俺は世界の悪か何かか!」
冬華さんは人生に疲れたサラリーマンの様な瞳を俺に向けたまま淡々と言葉を紡ぐ。
「春太が世界の悪で、全ての元凶になってるのね」
「冬華さん、全部嘘だから! 原因とか何も分かってないから! お互いに」
面倒だからって適当過ぎだろ、冬華さん。
「2人はどう言った状態なの? 磁石みたいになっているのは分かるけど」
冬華さんの言葉に俺とルナインはお互いの顔に視線を送る。俺達は互いの顔を軽く見た後、すぐに視線を背ける。
「磁石? 絶対違うわ。何処かの誰かが変態なのが原因だわ」
「変な言い掛かりは止めろ! 変態が原因ってどんな原因だ」
「じゃあ何で一々くっ付いて来るのよ!」
「そんなの俺が悪い訳じゃないだろ!」
「お尻は触って来るし……あ、頭まで! 本当に最低!」
ルナインは頭の白い翼を広げながら、怒りのままに俺の事をいきなりビンタして来た。突然の出来事に回避も出来なかった俺は、赤くなった頬を押さえながらルナインに怒りをぶつける。
「はあ! 何でビンタされないとならないんだ!? お尻に触ってないし、頭に触る事がどうしたって言うんだ、触ったと言うよりぶつけたって言った方が正しいだろ!」
「同じ事だわ!」
「全然違うだろ! 触ったとぶつけたじゃ月とスッポン程の差があるだろ!」
「スッポンポンって……本当に最低!」
俺はルナインが放とうとしたビンタを紙一重で避ける。
「そんな事! 言ってない!」
俺達はお互いに傍にいる事が我慢出来ずに、ソファーの端と端により距離を開く。
そんな俺達の様子を冷え切った瞳で見つめていた冬華さんは、相変わらず面倒そうに淡々と今回の出来事をまとめようとする。
「つまり春太が変態なのが原因なのね」
「冬華さんもサラッと納得しないでくれないかな! と言うか原因とかまるで分からないから。離れたら引き合う力が働いてくっ付き合う事になって、俺が空に投げ出されたのもこの意味の分からない現象が原因だから」
冬華さんの魂の無い死んだ眼を見ていると言葉が通じているのか心配になって来る。
「本当に迷惑、人生をこの男に滅茶苦茶にされたわ」
それは俺も同じだからな!
「私、最初に言ったよね。校長とかに説明しないとならないって。それなのに分からないって、そんな報告するくらいなら春太を変態って事にした方が説明し易いわ」
「何でだ! そっちの方が絶対ややこしい事になるだろ」
冬華さんは頭を抱えながら獣の様な唸り声を放つ。
「うー……学校側としては急にリベイス人にウロウロされたら困るのよ。アメリカなら別に良いのよ。移住しているリベイス人も多いからツチノコより珍しくないわ。でも日本だと分かるでしょ? 日本にいるリベイス人は2人しかいないのよ、片方はテレビに露出していないから、実質1人。そんな所にリベイス人が空から降りて来たって、騒ぎにならない方が可笑しいでしょ。何で私がこんな事で頭を悩ませないとならないのよ」
冬華さんは頭を抱えて机に肘をついて更に低い声で唸り始める。ルナインは腕を組んで少しだけ偉そうに話し始める。
「騒ぎになって、もし政府の耳に入ったりしたら捕まるわね。でも、あなたを道連れに出来るから問題はないのだけど」
「あるだろ!」
「私が捕まって困るのはあなたの問題だわ」
「絶対違う!」
理不尽な上、無茶苦茶過ぎる!
「捕まるって? 物騒な事聞こえて来たんだけど」
顔を上げた冬華さんは少し化粧が崩れて、より悲壮感が強くなっていた。俺はそんな彼女を横目にルナインに質問する。
「不法入星とか言ってたけど、事故とか不可抗力とかそう言うの一切考慮されないのか」
「どんな事故が起きたら星同士を行き来する事になるのか知りたいわ。近くに見えてるけど、ここから月までの50倍の距離は離れているわよ。そんな距離、何をどう間違えば事故で移動する事になるのよ」
朝も夜も空に見えるリベイスは月より遥かに大きく、近くにある様に感じるが、実際は月より遥かに遠い位置にある。
「それは……実際にこうして移動してるし」
「事故だって誰が信じるのよ。もし事故だって信じた人がいたら春太と同様にとことん馬鹿にしてやるわ」
「何でだよ。信じてくれる相手くらい優しくもてなせよ」
ルナインは呆れながら首を横に振る。
「はあ、これだから、どう考えても裏があるに決まってるわよ! 理由もなしに相手の事を信じるとか、一部のおめでたい地球人くらいだわ」
「つまり、何か、あなたがここにいるそれなりの理由を作らないと面倒な事になるのね。もう面倒なのに更に面倒に……もみ消すしかないのね」
冬華さんは俯き、深い思考の闇の中へと落ちて行く。俺はリベイスと地球の距離の遠さを聞き、湧き上がった疑問を尋ねずにはいられなかった。
「と言うか、そうなると、ルナインは宇宙を飛んで来たって事か? そんな距離を」
リベイスまでの旅行は移動だけで4、5日は掛かった気がするけど。そんな長い時間宇宙をさ迷っていたのか? それは想像を絶する体験だな。
「元々訓練で宇宙に出ていた所為で、リベイスの重力に引かれてない分、宇宙空間をロケットよりも早く加速する事になったわ。デブリや隕石に接触してたら即死してたわね」
ルナインは皮肉めいた笑みを作る。
「最新鋭の戦闘機より、何十倍も早く生身で移動したってとんだ皮肉だわ。でも……」
ルナインは少しだけ考え込む様な仕草をする。
「それなら勿体無い事をしたわ。もう少し粘っていたらあなたを完全に宇宙まで引っ張り出して始末出来ていたのに」
「……落ちてる時、助けようと手を伸ばした人物とは同一人物に思えない発言」
俺は、ルナインが必死に手を伸ばしながら助けようとしてくれた時の彼女の姿や様子、表情を思い出す。どれも目の前にいる彼女と同一人物には思えなかった。
「あ、あれは……別に、その……知らない人が死にそうになってたら普通助けるわよ。情景反射、無意識、そう無意識でした事で、助けようと思ってたとかそう言う気持ちは一切ないから」
ルナインは視線を泳がせた後、腕を組んでプイとそっぽを向いてしまう。何故か頭の翼がピクピクと動いている。
「普通助けるって言いながら、助ける気持ちが無いって? 流石に支離滅裂――」
「う、うるさいわね! とにかく助けた事は後悔してるわ。それだけは確かだから!」
ルナインは只でさえ赤い頬を更に赤くしてしまうのだった。さっきより激しく頭の翼がピクピクと痙攣でもしている様に動いている。
俺を助けた事をそこまで力一杯否定されると流石に傷付くんだけど、と言うか何処にそんなに恥ずかしがる要素があるんだ?
長時間、僅かとは言え距離を取っていた所為で、俺達の間に引き合う力が働き合う。ここからはもはや只の我慢比べだった。
「触って来たらビンタだから!」
「そっちが触って来るんじゃないのか?」
ズルズルとソファーの上を滑り始めて俺達は互いにソファーのひじ掛けに捕まり、体を動かない様に固定する。
今まで物々と自分の世界にいた冬華さんは考えが纏まったのか、少し明るい表情になる。
「空に飛んで行った、原因は不明、だから……そう監視、これなら納得出来る説明になりそうね。それで――、何しているの?」
冬華さんは必死に引き合う力に抗っている俺達の様子を見て首を大きく傾げる。
風が発生し始め、俺達は足が浮き始める。それでも腕の力のみでソファーにしがみ付き耐え続けるが、すぐに限界を迎えて俺達はほぼ同時に手を放してしまい。まるで強力な電磁石の様に体がぴったりとくっ付き合ってしまう。
「やっぱり触って来たわ! 離れなさいよ!」
ルナインは両手で俺の顔を押して来るが、引き合う力はまだ弱まっておらず、俺の顔が醜く歪むだけでぴったりとくっ付き続けてしまう。
「お互い様だろ! ほらお互いソファーの真ん中に座ってるだろ!」
俺はソファーの中央部分にある割れ目を指さしながら叫ぶが、ルナインは変わらず俺の顔を手で押して来る。
「中心からこっちに少しずれてるわ! そっちが触って来たのよ!」
「言い掛かりにも程があるだろ! と言うか爪を立てるな! 痛いだろ!」
「それはあなたの問題だわ!」
「何で爪を立てられる俺の方の問題なんだ!」
指を噛んでやろうか! 指を舐め回して不愉快な思いさせてやろうか! ……ダメだ、落ち着け、こんな時は良い方向に考えないと。爪を立てられて痛い、痛みを感じられる、つまり生きてるって事だ……だから何だ! ああ、本当にムカつく、何でこんなにムカつくんだ!
ルナインとの争いが少しずつヒートアップし始めた時だった、突然、机を思いっきり叩き付ける音が部屋中に響き渡り、俺とルナインの視線は音の発生源、冬華さんの方に向く。
「ふざけないで! こっちがどれだけ迷惑していると思っているの。担任と親戚だからって理由でこんな厄介事押し付けられて……何かあった時、私が責任取らされるのよ! 只でさえ、毎日やる事が山積みで……あなた、名前は?」
ルナインは冬華さんの勢いに気圧される形で素直に答える。
「ルナインだわ」
「ルナインさんが空を飛んだ春太の原因の調査で学校に暫く滞在したいって事にするから。それで構わないよね!」
ルナインは冬華さんの視線から逃れる様に視線を反らせてボソッと呟く。
「どうでも良いわよ。どうせ、どうしようもないのよ」
「なら、そう説明して来るから。問題が無ければ呼びに来るから」
冬華さんは疲れた様子で生徒指導室を出て行く。部屋に取り残された俺達は、体をピッタリくっ付け合ったまま、針に糸を通す様な時間を暫く過ごす事になるのだった。
「やっと弱まって来た。これ、離れてた分だけ長くくっ付き合ってるとかじゃないよな」
「知らないわよ。そっちが私にくっ付きたいと欲情している間だけくっ付いてるんじゃないの?」
「欲情した覚えは一切ない!」
イラっとしたのかルナインが勢い良く振り返る。
「どう言う意味? 私に魅力がないって言いたい訳!」
「それどう答えても俺が不利になる奴!」
「そもそも磁石なら風が起こるのも常に引き合ってないのも可笑しいわよ。離れたら、まるで――」
「重力でも発生してるみたいか」
俺の答えを聞いた瞬間、ルナインはムッとした表情を作る。
「……じゃあ私は引力にするわ。重力とか未だにメカニズムの解明されていない現象を例にあげるのは相当なバカだわ」
「じゃあって言ったよな、今じゃあって」
「じゃあはリベイスの言葉で春太嫌いって意味だわ!」
「絶対嘘だろ! 何で個人名が含まれてるんだ!」
「リベイスでは個人名を含めた悪口を単語の意味に込めて作って良いと法律で決められているわ。特に嫌いな相手なら合法中の合法よ!」
「絶対嘘だろ。事実ならどんな星なんだ」
「……と、とにかく、私はあなたにビンタをする事だけは変わらないわ」
何で最後の最後にそんな結論が出て来るんだ……。
「頭はぶつけるし、背中も痛いし、足も地面に降りた時の衝撃で少し痛いし、体中ボロボロなんだけど。それにプラスして頬を無意味に叩かれて」
こんな目に遭っているのに、更にビンタしようって言うのか? 血も涙も無さ過ぎだろ。
「意味ならあるわよ。私の気分がスッとするわ」
「そんなの意味って言わない!」
「それはあなたの問題だわ」
「絶対違う!」
俺は今まで自分の身に起こった事を纏めて引き合う力について考える。
「離れてる時間が経つにつれて力が強くなるのは確定として、距離が離れてた方がその時間が短くなるとか?」
「それで体をくっ付け合っている間に力が弱まるって事? それは随分楽しい現象だわ」
ルナインは金色の瞳を少し細めて、俺とその間に発生している力を馬鹿に仕切った視線を向けて来る。
「あんまり離れない方が良いんじゃないか?」
そんな事はお互い早々に気付いていただろう。俺達の争い程、不毛な事は無い。こんな異常事態、多少相手の言動に目をつむってでも協力すべきなんだ。色々と関係が拗れなければ、当たり前の様に協力して乗り越え様としていただろう。
俺は今からでも遅くないと視線に込めてルナインを見つめる。
「嫌だわ!」
「あのな、ここは協力し合う所だろ!」
ルナインがソファーから立ち上がって早速俺から距離を取る。
「何で傍にいないとならないのよ! 絶対嫌だわ!」
「少しくらい歩み寄る姿勢を向けても良いだろ! 譲歩はないのか! 譲歩は!」
ルナインは駄々っ子の様に首を横に振る。
「そっちが譲歩すれば良いわ! 爆散して私に詫びるとか」
「それ死んでるだろ!」
「私はあなたを困らせたいの。それが私の生きる意味だわ!」
「何でそこまで恨まれてるんだ! 俺がそこまでの事、したか?」
ルナインは資産を失った投資家の様な瞳を作って、棒読みで話し始める。
「そうよね、裸を見るくらい大した事無いわよね。それに頭にも、触れて……何1つあなたにとって大した事無いのよね」
……恨まれる事してたな。
「裸を見たのはその、あれで……」
言い訳出来ない。平謝りするしかないのか、何か悔しい気持ちがあるが、堪えよう。
「裸なんてどうでも良いわよ! それより重要な事があるわよ!」
「無いだろ! どう考えても重要な事だろ!」
と言うか、今謝ろうとしたんだけど! 色々我慢して謝ろうとしたんだけど!
「ああもう! やっぱり許せないわ! と言うか嫌いだわ!」
「だから事故だって、それに謝ってるだろ! この通り、許して、本当にごめん」
俺は正面から思いっきり頭を下げるが、ルナインの態度が変わる事は無かった。
「言ったわよ。爆散して私に詫びなさいって! それなら許してあげても良いわ」
「だから死んでるだろ!」
ルナインは指を俺に真っ直ぐ突き付けて来る。
「遠回しに死ねって言ってるのよ! 何で分からないのよ!」
「全く遠回しに言ってないだろ!」
「ああもう! また、来たわ。本当にイライラさせてくれるわね!」
引き合う力を感じ始め、ルナインは頭の白い翼を逆立てながら俺の事を睨み付けて来る。
「離れるからこうなるんだ!」
「うるさいわよ!」
ルナインは机の向こう側に移動して、自分の体が移動しない様に机で体を支える。俺もどうしてか負ける気になれずにソファーにしがみ付く。
「そうやって、苦しめば、良いのよ」
「そっちも、苦しいだろ!」
強くなった引き合う力によって、ソファーや机が床の上を滑り始める。俺達は言葉もなく睨み合い続ける。更に力は強くなり、風と共に生徒指導の中の物が飛び始める。ソファーと机もピッタリくっ付き合い、ガタガタと揺れながら引き合う俺達の距離を保ち続ける。
その時だった、入口のドアに誰かが思いっきり体当たりをして、大きな音を鳴らす。俺達は、その音に驚いた拍子に手や体が滑り、転げ合いながら机とソファーの上で縺れ合ってしまう。
「離れなさいよ!」
「足をバタつかせるな! 顔に膝が! 鼻の骨が折れたらどうするつもりだ!」
「それはあなたの問題だわ! って、何太ももを掴んでるのよ! 私の頭に足が当たってるわよ!」
「今、この手を放したら顔から下半身に突っ込むんだよ! 足は動かしてない!」
生徒指導室のドアが開かれ、肩を軽く痛めた冬華さんが姿を見せて、縺れ合っている俺達に向かって路チューするカップルを見る様な荒んだ視線を向けて来る。
「あーあ、皆死なないかなー」
そして教師が絶対口にすべきでないセリフを吐きながら、近くに転がっていた椅子を手に取り、無表情のまま振り上げ、俺達目掛けて殺意も感じさせずに絶命させようと振り下ろして来る。
この時ばかりは、俺とルナインの行動はピタリと一致し、床に転がり落ちて振り下ろされた椅子から難を逃れるのだった。
「ちょ、ちょっと、こっちの教師は生徒の生死を決める権利を持っているの!」
「そんな物持ってる訳ないだろ!」
「じゃあ、何を考えてるのよ!」
「前から、かなりストレス抱えてたから! お酒の量は日に日に増えてたけど! 同級生の結婚式の招待状が届いてからは特に!」
冬華さんは血の涙でも流しているかの様な表情のまま、壊れた人形の様な笑みを浮かべ、振り下ろした椅子をまた振り上げた。
「婚期は逃すし、浮いた話しもないし、なのに生徒がイチャイチャ? 学校に爆弾仕掛けたくなる気持ち今なら分かるなー」
俺とルナインは何とか体の向きを揃えながら体を起こす。床に座った状態で、俺は冬華さんの勘違いを解こうとする。
「イチャイチャとかしてないから!」
「そ、そうだわ! あり得ないわよ! と言うかさっさと離れなさいよ!」
ルナインは鬱陶しそうに俺の顔を押して来る。
「そっちが――っ! 顔に爪を立てながら押すな!」
「なら私の腕を触らないで欲しいわ!」
「腕が1番、無難な場所だろ! 他に何処触れって言うんだ!」
「最低!」
くっ付き合いながら、手で小さな攻防を行いつつ、言い争いを続ける俺とルナインに冬華さんは自分の大きな影を落とす。
「それがイチャイチャしているのよ!」
冬華さんが涙ながらに片手で振り下ろした学校の椅子は、床にぶつかり、木の部分が割れて完全に壊れてしまうのだった。
俺とルナインは、椅子の残骸を手に見下ろして来る冬華さんに只々恐怖の視線を向ける事しか出来なかった。
「私の言う事、聞けるよね?」
死神の囁きの様な冬華さんのその言葉に俺達は頷く以外の選択肢を持ち合わせていなかった。
数十分後。
クラスメイト達に簡単な事情の説明を行った冬華さんは、一旦教室から出て来て、教室のドアの前で待機していた俺達の様子を真っ直ぐ顔を見ながら確認して来る。
「いい? くれぐれもさっきみたいな喧嘩はなしだから、仲良くよ、仲良く」
「春太が喧嘩を売ったりしなければ大丈夫だわ」
「喧嘩売って来てるのそっちだろ」
ルナインは腕を組んでプイっとそっぽを向く。
「一々突っかかって来ないで欲しいわ」
「そう言うのが喧嘩を売ってるって――」
「仲良くって、言ったわよね」
冬華さんは俺とルナインの手を掴んで、強引に繋ぎ合わせて来る。
「今、イライラすると自分でも押さえが聞かないから、血は見たくないでしょ? 2人の状態の事、隠して貰わないと困るのよね、嘘の辻褄が合わなくなって、それはもう面倒な事になるから」
口調は穏やかだったが、何故か溢れんばかりの殺意を感じ取ってしまい、俺もルナインも繋いだ手を小さく振るわせてしまう。
「な、仲良く出来るわ。簡単よ、簡単だわ」
「も、勿論、手だってずっと繋いでるし」
ルナインが手の平を強く握り、小指の付け根の間接をグリグリして来る。
この女、絶対仲良くする気とか無いだろ!
俺は作り笑顔のまま痛みに耐え、ルナインの手を強く握り込む。ルナインは眉をピクッと動かし、頭の翼を小刻みに震わせる。冬華さんが先に教室に戻って行った瞬間、ルナインは俺の事を『何するのよ!』と視線で睨み付け、頬に思い切りビンタをして来た。
「いっ!?」
質の悪い事にルナインはビンタした直後、俺を教室の中に押し込み反撃出来ない様に手を打って来る。俺はヒリヒリと痛む頬の痛みに耐えながらルナインと手を繋いだまま、教室に踏み込む。
見慣れたはずのいつもの教室のはずだった。しかし、クラスメイト達から向けられる視線の所為か、転校初日の様な、全く別の場所に見えてどうにも緊張を抑えきれなかった。
ヤバい、嘘とか突き通せる自信なくなって来た……。
先に教室に入って来た俺の姿を見て男子達は『死んだと思った』等とからかいの言葉が飛んで来る。普段ならそんなヤジは『うるさい』と一喝出来たが、今の俺には無理だった。
しかし、そんなヤジも俺の様子が少し可笑しい事も、俺に続いて教室に入って来たルナインの姿を見て、誰も気にしなくなった。クラス中の視線が彼女に向けられる。一瞬にして彼女の影となってしまった俺はようやく少し冷静さを取り戻すのだった。
静けさの後にドッと教室が湧き上がる。波紋の様に広がったざわめきは留まる事を知らなかった。
テレビでしか見た事の無いリベイス人が現れたら当然騒ぎになるよな。
「ルナインだわ。調査の為に暫く一緒に過ごす事になったわ」
ルナインは大根役者も裸足で逃げ出す様な棒読みで、冬華さんが考えてくれたセリフを読み上げる。100人に聞けば100人が棒読みだと答えるセリフだったが、クラスメイトはルナインが日本語に慣れていないのだと勝手に解釈し、あっさり受け入れてしまった。
「さっきも言ったけど外部に彼女の事は漏らさない事、呟いたり写真を撮ったら捕まる事になるわ。当然庇えないし、庇う気もないから、くれぐれも、分かってるわね!」
冬華さんが必死に声を張り上げてそう言うが、聞いているクラスメイトはほんのわずかだった。俺はこのまま何事も無く終わるかと祈っていると、後ろの席に座っていた次郎が自分の机を強く叩きながら立ち上がる。
「僕はクラスの代表として数々の命を預かって来ている。だからこそ、声を大にして世界に問わなければならない! どうして2人は手を繋いでいるのかと!」
決めた、次郎を親友と思う事をやめるからな! 話し掛けられても無視してやる!
クラスの男子達から拍手か巻き起こる。答えなければならない雰囲気に、冬華さんに視線を向けるが、彼女は黙ったまま俯き、完全に答えをこっちに丸投げしていた。
手を繋ぐ理由、理由……そう例えば手を繋いでないと死ぬとか……絶対バレるな。
黙っている俺に痺れを切らしたのかルナインが口を開く。
「り、リベイスの習慣だわ。だから気にしないで欲しいわ」
「習慣、なるほど、ならば仕方あるまい」
次郎は腕を組んだままゆっくりと自分の席に座る。
マジで助かった。ルナインは嫌な奴だけど今回だけは感謝しよう。
「2人は1番後ろの席に……はい、授業を始めるから、意識は前に向けて」
俺の席は1番後ろの中央に移動させられており、俺の席のすぐ隣にルナインの椅子が寄り添う様に用意されていた。席に付いた俺は緊張の糸が溶けた様にゆっくりと息を吐く。
「リベイスの習慣か」
「そんな習慣ある訳ないわよ」
ルナインは俺の事をまるで珍獣でも見る様な視線で見て来る。
「だと思った。リベイスの事、全員誤解したよな、間違いなく」
リベイス人の情報があまり浸透していない日本で助かったな。
「ヘルメットでも被って置けば良かったわ」
「そっちの方が注目されると思うけどな」
「ねっとりとした何処かの春太の様な視線を向けられずに済んだわ」
「そんな視線向けてない」
「ええ、そうだわ。もっと酷かったわね。思い出しただけで吐き気がするわ」
これの何処が喧嘩を売ってないって言うんだ。
俺は前を向き授業を聞いている振りをしながら、言い返す。
「どっちにしても次の休みに質問攻めにされるだろうけどな」
「言葉を分からない振りすれば、困る事もないわ。日本語はマイナーだから疑問も持たれないわ。と言うか、手汗が気持ち悪いわ。気分最悪」
ルナインは表情こそ澄ましていたが、頭の翼はピクピクと動きっぱなしになっている。
「そっちが強く握って来るから、握り返して、その所為で手汗が出て来るんだ」
しかし、どんな技術を使えば一瞬で言葉を覚えられるんだ。英語を覚えるのにその技術を使いたい……。
「変な言い掛かりは止めて欲しいわ」
そう言いながらルナインは握る手に力を込めて来る。
「これの何処が言い掛かりなんだ」
時折、振り返って俺達の様子を見て来るクラスメイトの視線を感じながらも無事に授業を乗り切る事が出来た。只、授業内容は全く頭に入って来なかった。
授業が終わると地獄とも言える休憩時間が始まるのだった。
休憩時間は始まると同時にクラスメイトの視線が一気に集まる。クラスの半数が席を立ち、俺達の元に近寄って来た。
ああ、今すぐ気絶出来ないだろうか? それか透明になりたい。
「私、恵麻よろしくね、ルナインさん」
クラスの女子の中心的人物の自己紹介を切っ掛けに他の女子達も次々と自己紹介を行って行く。ふと視界に葉月が入り込むが、彼女は俺がいる所為で気まずいのか、この集まりに参加する素振りも見せずに椅子に座り続けていた。
「その、羽に触って良いかな? テレビで見た時から1度で良いから触ってみたいって」
そう言って伸ばされた手をルナインは勢い良く払いのける。
「ダメよ! あ、いや、その、翼に触るのはリベイス人にとって特別な意味があるから」
「え? 特別な意味って、何々?」
「それより、手を繋ぐのって相手は決まってるの?」
矢継ぎ早に質問が行われる。彼女は都合が悪い質問は、首を傾げながら誤魔化していた。
「あー、今の言葉難しいわ」
「その翼の色って全員青いのかと思っていた」
「青とグレーが多いけど白や黄色もあるわ」
ルナインを取り囲む女子達から排他的な視線を向けられ、俺は今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。只、繋がれた手の所為でそうもいかず、出来たのは無心になる事だけだった。
男子達もルナインに興味を持っていたが、女子の壁に阻まれて彼女に近付く事すら出来ずに最初の休憩時間は終了してしまう。
「相当困ってるわね、良い物見付けたわ」
「な! 困ってない!」
俺の反応を見たルナインはニヤリと悪魔の様な笑みを浮かべた。肌が赤い分、より悪魔の印象が強くなる。
「ふーん、じゃあ、また囲まれて質問攻めにされても困らないのね」
また、この気まずさを味わう事になるのか……。
「俺より、そっちの方が困るんじゃないのか?」
「何処かの誰かさんが困れば気分がスッとするから何も問題ないわ」
本当にムカつく、絶対仲良くとか出来ない、絶対無理だ、
「……それより、翼に触れると特別な意味とか言ってたけどどんな意味があるんだ?」
「あなたに答える訳ないわよ! 最低男!」
何で少し尋ねただけで最低男になるんだ……。
何だかんだ全て順調に思えていた。質問攻めにされてもルナインの言葉が分からない振り作戦が功を奏し、上手く切り抜けていた。何故か別のクラスや学年から見学に来る生徒は全くいなかった。しかし、何もかも順調と言う訳ではない。嘘と言うのは、ほんの小さな綻びから瓦解する物である。事件はお昼休憩に起こった。始まりはクラス1人の女子の興味本位の質問から始まった。
「ぶっちゃけ、仲良いの? あんまりそうは見えないけど?」
そう尋ねた女子はクラスでも空気が読めない事で有名な人物だった。真面に取り合わなければ皆も今の質問をすぐに記憶から抹消したはずだったが、事情を知らないルナインは当然の様に真剣に誤魔化し始める。
「な、仲はとても良いわよ。最高だわ!」
怪しさしか感じさせないルナインの言動に数人の女子達が獲物を見付けた捕食動物の様な視線を俺達に向けて来る、
「なんか嘘くさいのよねー」
中心的人物である恵麻のその言葉に疑いを持った女性達が一斉に頷く。
「う、嘘なんてついてないわよ!」
あからさまに動揺したルナインが俺に耳打ちして来る。
「ちょっと勘の良い地球人に見破られそうだわ! 助けなさいよ!」
適当に『仲良いわよ』とか言って置けば良かったのに動揺するから逆に怪しまれ始めたんだろ! それに何で助けを求めるのに上から目線何だ。と言うか手を強く握って来るな! 本当に痛いだろ!
「仲良いわよね? そう答えなさいよ!」
ルナインは腕に更に力を込めて小指の間接をグリグリしながらそう迫って来る。
「ああ、物凄く仲良いよ。兄妹くらい仲良いよ」
俺は変な汗をかきながら痛みに耐え、ルナインの手を強く握り返す。すると彼女の方も俺と同じ様に変な汗をかきながら頭の白い翼をピクピクさせる。
「ええ、そう、仲が良くて、思わずこんな事をしちゃうくらい仲良いわ!」
そう叫んだルナインは机の下で繋がっていた俺の手を引っ張り上げて、そのまま机の上に思いっきり叩き付ける。
「いっ!? この、そっちが先に始めたんだろ!」
俺とルナインはほぼ同時に立ち上がり睨み合う。
「手の形が変わったらどうしてくれるのよ!」
ルナインは勢い任せに俺の頬をビンタして来る。ペチンと景気の良い音と共に俺達をかっ込んでいたクラスメイト達がざわめき始める。
ルナインは冬華さんの言っていた仲良くと言う言葉を思い出したのか、慌てて言いつくろい始める。
「ほ、ほら、仲が良いわよね。リベイスだと仲が良いとこうして相手の頬をビンタする物なのよ! ね!」
ルナインはもう1度、俺の頬を叩いて来て、勝ち誇った様な笑みを作る。
「勿論、殴られた方か感謝の言葉を述べるわ」
この! 適当な事言いやがって! それにビンタのお返しをする手段も封じやがった! でもこの提案に乗っかるしか出来ない悲しい事実……。
「あ、ありがとう。最高のビンタだよ」
悔しさやら痛みやらで、血の涙を流せそうだった。そんな俺とは打って変わってルナインは何処までも楽し気な笑みを浮かべていた。
「ええ、もっとしてあげるわ! 私達とっても仲が良いからね!」
更にルナインからビンタが飛んで来る。
この、俺がビンタを防ごうとしない事を良い事に好き勝手しやがって! 仕返しの手段はない物だろうか? あくまで中が良いスタンスを崩さずに仕返しする方法はないだろうか? 仲が良いとする事……キス? いやいや……。
「地球だと恥ずかしさを誤魔化す為にこうして頬を抓って引っ張ったりして、からかったり悪戯したりする事もあるんだ」
俺はルナインの頬を空いた手で思いっきり引っ張る。赤く柔らかい頬が伸びてルナインの整った顔が少し面白い顔になる。
「それは面白いわね!」
ルナインは俺にビンタした直後、頬を力の限り、引っぱって来る。痛覚が敏感になった所を抓られ痛みが倍増して行く。
「この、良くも……」
「感謝の言葉は?」
悪魔の言葉が聞こえて来る。俺は喉元まで出かかった怒りを何とか止めながら御礼の言葉を口にする。
「ありがとう、ございました」
「最初からそう言っていれば良いのよ。余計な事をせずに!」
俺は、振り上げられたルナインの腕を掴んでいた。もう我慢の限界だった。尊大で横暴な態度、俺が困ってるのを見て嬉しそうな表情が許せなかった。
次の瞬間、我慢の限界を既に通り越していた俺は、ルナインの頬をひっぱたいていた。女性にビンタする事に普通の男子として少し前まで抵抗を覚えていたが、もうそんな感情など、怒りに呑まれて消え去っていた。
「何するのよ!」
「感謝の言葉は?」
最高の瞬間だった。今ほど気分が良い瞬間はなかった。
ルナインが言っていた、相手を困らせると気分がスッとするって感覚が良く分かった気がする。悔しがりながら感謝の言葉を述べる所を聞いてやろうか。
「そんな物ある訳ないわよ!」
頭の翼を逆立てたルナインは繋いだ手を振り払って俺の事を突き飛ばして来る。俺はよろめきながらも何とか倒れずに持ちこたえる。俺は何が起こったのか分からず、放心状態に陥ってしまった。
「はあ!? いや、はあ!? 何で!」
「女性に手をあげるとか最低中の最低だわ! この星にはDVって言葉があるのよね! それだわ!」
いつものルナイン、クラスメイトにとっては豹変したルナインに驚きつつもクラスの女子達はルナインの言葉に賛同して、俺の事を責める様な視線を向けて来る。
「先にビンタして来たのはそっちだろうが! 見ろよ! 頬赤くなってるだろうが!」
揉め始めた俺達の様子が余程気になったのが、男子達が数名、女子の壁を突き破って俺達の様子を見に来る。
「DVだわDV! 最低よ! あなたに叩かれた所為で頬が真っ赤だわ!」
「元々赤いだろ! それに先に手を出して来ただろ! DVはそっちだ!」
掴み掛って来るルナインに抵抗して彼女の腕を掴んで動きを封じる。
「リベイスではビンタは仲が良い証って言ったわよ!」
「そんなの嘘だろうが!」
と言うかついさっき自分でそんなの無いって言っただろうが!
俺とルナインの喧嘩は、お互いの力が拮抗していた為、激しい掴み合いの喧嘩にはならず停滞の多い、緩やかな争いになってしまう。
俺達の様子を見た次郎は声高らかに他の男子達に質問を投げかける。
「今こそ世界に問おう! ビンタはご褒美か、否か!」
「そんなのご褒美に決まってるぜ!」
「気の強い女性は最高に美しい!」
お調子者の山本や普段は無口のメガネを掛けた飯田に続き、他の男子達もそれぞれ自分の思いの丈を述べ始める。
「ありがとう、男子諸君、特に声を大きくして言ってくれた、山本、飯田。君達の気持ちを僕は受け止め、世界に今1度問うとしよう」
ルナインとの取っ組み合いは拮抗していたが、言い争いは只管ヒートアップして行く。
「そんなのあなたの問題だわ!」
「絶対違う!」
「手汗で本当に気持ち悪いわ。酷い気分」
「だからそっちが握り込んで来るのが悪いんだろ! そっちも手汗かいてただろ!」
「手を強く握る事の何が悪いのよ!」
「痛いだろ!」
「そんなの知らないわよ! 勝手に痛がっていれば良いのよ」
ルナインは、俺の腕を掴んでいた右手で俺の右手を取り、そのまま強く握り込んで来る。俺達は2つの椅子を挟んで手を繋ぎながら睨み合う。
「いたたっ! この!」
ルナインが、手の痛みを誤魔化す様に腕を捻った所為で、俺とルナインの腕は絡まり合い、先程以上に互いに上半身が接近し、額を突き合わせそうな距離で睨み続ける。
「ぜ、全然痛くないわ! さっさと降参したらどう!」
「やせ我慢してるのが――いっあああ」
俺は歯を食いしばって痛みに耐える。
「その、結局、2人って仲良い訳?」
相変らず空気の読めないその女子の質問に俺達はほぼ同時に答える。
「良い訳ないわよ!」
「これの何処を見て仲良く見えるんだ!」
気が付けば、俺の周囲から女子達は消え、怒りの形相を浮かべた男子達に囲まれていた。
「春太、男子達の代表として伝えよう。普通にイチャイチャされるより数倍腹が立つ。それに英語だけが得意な英斗の調べによるとアメリカで暮らしているリベイス人に手を繋ぐような習慣は無いそうだ。むしろ必要のない接触は行わないそうだ」
俺とルナインは強く握り合った手を見て、お互いにほぼ同時に離し、そっぽを向き合う。
「ルナインさん、それって本当なの? ならどうして手なんて繋いでいたの?」
ルナインの周囲に集まっていた女子達がそんな質問を彼女に投げかける。
「繋がなくて良いなら繋ぎたくないに決まってるわよ! 無理矢理だったのよ!」
「誤解を招く様な事言うな!」
「でも無理矢理だったわ!」
「他に良い方法も無かっただろ。と言うか、俺が無理矢理繋いだみたいに聞こえないか?」
と言うか、わざと俺に疑惑が向く様に言ってるのか? 十分あり得る。
「似た様な物だわ」
「全然違うだろ、むしろ俺も被害者だからな!」
俺達は互いの顔も見ずに背中合わせのまま言い争いを続ける。やがて離れてしまっていた所為で引き合う力が発生し始める。お互い支えも持っていなかった為、あっさりと力に屈してしまい。俺とルナインは、自分の席に同時に座り、そのまま背中をピッタリくっ付き合わせて、そのまま後頭部まで勢いでくっ付いてしまう。
その瞬間だった。何故か周囲から血管の切れる様な音が聞こえて来た気がした。
「春太、今、クラスの男達の思いは1つになったのだよ。だからちょっと来て貰おうか?」
「何を、放せって、引っ張るな!」
数名の男子達が俺の事を掴み、席を無理矢理立たせて教室から連れ出そうとする。山本は俺の両肩を掴んで激しく揺らしながら、叫ぶ。
「空を飛んで何して来た、答えろ! 俺も空を飛べばあんな綺麗なリベイス人と仲良くなれるのか! 手を繋げられるのか! ビンタして貰えるのか! それにさっきの何だ! 息ピッタリで背中をくっ付け合わせて……お風呂に一緒に入った時ぐらいだからな、女子と背中をくっ付き合わせるみないなシチュエーション!」
お風呂――っと、一瞬ドキッとしてしまった。
「今のは偶々だ! それに何処を見て仲が良い様に見えるんだ!」
ルナインは俺が連れて行かれ様としているにも関わらず席に座ったまま動く気配すら見せなかった。
「うるさい! 誰でも良いから俺にもビンタしてくれる女子が欲しい!」
「うっす!」
何人かの男子が山本の心の叫びに同意する様に何度も頷き始める。
ビンタの何がそんなに嬉しいんだ。このクラスの男子は変態しかいないのか?
次郎は男子達を先導して俺を羽交い絞めにして引っ張り始める。
「春太には悪いが死んで貰う。それがクラス男子の総意である!」
「どんな総意だ!」
「くっ、次郎、物凄い力で抵抗して来るぞ!」
「止めろ!? 肩!? 肩外れる!?」
少しずつ強くなり始めた引き合う力によって俺の腕や体を掴む男子達と共に俺の体はズルズルと教室の床をルナインの元に向かって滑って行く。
「何だこの力、何処にこれ程の力を――っ」
ルナインは周囲の目の気にせず後ろの壁に固定されたロッカーに捕まり、必死に力に抵抗し続けていた。更に力が強くなり、俺の体が僅かな時間だけ浮き始める。同時に教室内に突風が吹き始める。
「おい! 今、スカートが!」
「な、何処だ!」
山本のその一言で、男子達は俺を取り押さえる事よりも、風によって捲れ上がった女子のスカートに意識を移す。その所為で、俺はあっさり解放されてしまう。肩の痛みも無くなりホッと息を吐くのも束の間、俺
1人で発生した力に抵抗出来る訳もなく、床を転がる様に滑る。ルナインの方もあっさり限界を迎えて俺の方に物凄い勢いで転がって来る。
大勢が見ている前で、俺達は縺れ合いながら転がり、気が付いた時には、俺はルナインに押し倒されており、彼女の唇が完全に俺の口と接触してしまっていた。
こ、ここ、これって、触れてる! 唇触れてるんだけど!?
俺は彼女の頭部の翼に触れていた手で、彼女の頭を急いで押して退かそうとするが、それよりも先に顔を上げたルナインは、只でさえ赤い顔を更に赤くして俺の事を睨み付けて、翼に触れていた俺の手を勢い良く振り払う。
「な、な、何するのよ!」
そして無慈悲とも言えるビンタが飛んで来る。
「今のは事故で! キスとかその、あれで」
言葉に詰まる俺を見て、ルナインの金色の瞳が闇の中に灯された光の様に見開かれる。
「はあ? キス? そんなのどうでも良いわよ! それより離れなさいよ!」
「どうでも良いって何だよ! こっちは初めてで!」
それに離れろって、ルナインが俺の上から退かないとどうし様もないだろ!
ルナインは顔を赤くしたまま両手で作った拳で俺の胸元を叩きつけて来る。本気で叩きつけて来ている為、見かけ以上にダメージが大きかった。
「免疫力を向上させる行為の事なんかどうでも良いわよ! 頭にそれも翼に触るとか……何考えてるのよ!」
い、いたっ! 息、苦しい!?
「何でキスよりそっちを気にしてるんだ! と言うかいい加減上から降りてくれ!」
俺は上に乗りながら暴れているルナインを退かそうとするが、彼女は体重をかけて俺を完全に抑え込んで来る。
「もっとビンタしないと私の気が収まらないわ!」
マウントを取っているルナインは往復ビンタを仕掛けて来る。俺に出来る事は、目を閉じながら腕で両頬を庇う事だけだった。
「いい加減にしろ!」
俺はビンタして来たルナインの手の平を手の平で防ぎながら、必死に押す。
「それはこっちの台詞だわ!」
ルナインは俺の指に自分の指を絡め合う様にして掴み、押し込んで来る、俺は上下を入れ替えようともがくが、まないたの鯉の様にどうする事も出来なかった。
俺は、かなり必死にルナインから逃れようともがいていたのだが、その様子は周囲からは全く違った様に見えたらしく、数名の前屈みになった男子達と怒りと涙で顔を歪ませた男子達に俺の両脇がガッツリ掴まれ、引き起こされる。
ルナインの方は、顔を少し赤くした女子達が黙って俺から引き剥がして行く。
「倉間、俺は……お前を殺す」
山本は唇の噛み締め、口元から血を流しながら俺の襟元を掴んで来る。
「目がマジなんだが……ほら良い方向に考えよう、殺すのは止めて、別の――」
「この世から消滅させる!」
それ同じ意味だから、殺すと大して変わってないから! と言うか何でそこまでキレてるんだ?
「僕も今回ばかりは死の商人に対して覚える怒りと同等の怒りを君に感じている」
次郎も俺の事を見ら見付けて来る。前屈みになっていた英語が得意な英斗も次郎達と同じ様な怒りの眼差しを向けて来る。
「ちっ、海外サイトに乗っていたリベイス人はキスをする事に抵抗が無いって言うのは海外特有の話しじゃ無かったのですか。冗談だと思ってしまった自分が憎いです!」
「ちょっと待て、何で事故のキスにお前達がそこまで怒――」
「黙れ! キスなんてどうでもよくないけど、どうでも良いんだ!」
俺はそんな山本の魂の叫び声に黙る事しか出来なかった。
「英斗、引き続き情報を調べて欲しいぜ。まずはこの最低男の始末からだ。この世で1番バカップルが憎いと思っていたけど、そんな事は無かった。ケンカップルには殺意すら覚える。特に男の方に一方的に!」
山本の掛け声を合図に、男子達は力強く頷き、俺をホールドして引っ張って行く。山本はそれだけでなく男子達を煽り始める。
「特に! 好きじゃないとか、付き合ってないとか、言いやがって、絶対許せないよな! イライラを通り越して怒りしか湧いてこないぜ! それなのに、あんな羨まし――けしからん事まで! それにキスをし放題、ビンタされ放題――っ! ダメだ、怒りで我を忘れそうだぜ」
山本は、クラスの女子からは全く人気は無いが、男子達からは人気の高い人物である。だから彼の言葉に賛同する男子達は多く存在していた。それに上乗せして、大勢の賛同を得て、調子に乗り始めた次郎は更に質が悪かった。
「革命を起こすのだ。個人の感情は捨て、全てのクラスの男子の為に行動すべきだよ。僕達はこれから正義の行いをする」
「何が正義の行いだ! 離せ! 大変な事になるだろ!」
俺の言葉等誰も聞き入れようとはしなかった。
きっとこうして革命やテロが起こるのだろうな。次郎の事、正直馬鹿にしてたけど、本気になればテロとか革命起こせるよ、本当に。
「革命に犠牲は付き物だよ。君には数ヶ月入院して貰うだけだよ。学校の為に」
俺は足を床に擦り付け必死に抵抗を試みるが、その足も別の男子に持ち上げられ、完全に抵抗する術を奪われてしまう。
ルナインは女子達から先程の事に関して色々と宥められつつ注意されていた。当然ながら彼女に俺を助ける意志等、微塵も感じられなかった。
廊下に出た所で授業を始める為に俺達のクラスに向かっていた冬華さんと鉢合わせる。
「助けて! 病院送りにされる! と言うか、このまま連れて行かれたら大変な事に――」
事情を知っていた冬華さんはすぐに先頭を斬って歩く次郎の前に立ちはだかる。
「何しているの! 2人は手を繋いで置かないとダメだとあれだけ言ったよね。リベイス人のあれで、色々問題になるって!」
次郎は目を閉じ静かに首を横に振る。
「僕達は真実を知った。その嘘に意味を見出す事はない。リベイス人に手を繋ぐ習慣がない事は、英語だけが得意な英斗に海外サイトを見て貰い、発覚している。どの様な権力があなたにその様な嘘を言わせたのか、僕は聞かないが、邪魔をすると言うのなら、公表させて貰う!」
英斗、地味にディスられてるぞ。英語だけ点数良いのは事実だけど。
冬華さんは軽く額を押さえて、見ているだけで気がめいりそうな表情を作って俺の拉致を止めようとする。
「ああ、そんなの関係ないから! 2人は手を繋がないとダメなの。良い、2人が手を繋いで置かないと大変な事が起こるの」
俺を捕まえる男子達と冬華さんの間に山本は割り込む。山本は変な薬物でも使用して、気が狂った人間の様に笑い声を上げた後、瞳を見開いたまま、ニンマリと気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「先生……俺達、決めたんだ。これ以上、こいつと彼女のイチャイチャを見てたら頭が可笑しくなりそうだ! 何だあれ、イチャイチャイチャイチャイチャイチャと! 絶対に許せないぜ! 常にベッタリ、なのにずっと喧嘩ばかり、バカップルを見てた方がよっぽどマシだぜ!」
「先生、もう走り出した僕達を止める事は出来ないのだよ」
次郎の合図で、俺を抱える男子達は駆け足で廊下を移動して行く。俺は発し始めた引き合う力を感じながら、冬華さんに助けを求める目を向ける。しかし冬華さんは、困った表情のまま、俺から視線を反らすだけだった。
「今日は自習にして帰る事にするのが1番ね。そう、それが良いよね」
ダメだこの人! 諦めやがった!?
その後、駆け足で俺を抱えた男達は駆け足で階段を下り、強くなった引き合う力を物ともせずにまるで綱引きでもするかの様に呼吸を合わせて引っ張り、俺を何処かの空き教室の中まで無理矢理入れ込む。
「はあ、はあ、どうなってる? 超能力でも使ってるのか? それとも愛の力とか言い出すのか! 絶対に許せないぜ」
山本を始めとする男子達が息を荒くしながら俺を引っぱり続ける。そんな様子を次郎は横から見つつ、周囲に起こっている様々な弊害を大げさに表現していた。
「絶えず吹く向か風、そして尋常なるざる力……神が君の見方をしている様だ。しかし我々はそんな力に屈するつもりはない!」
「……頼むから、離してくれ……骨、折れるって……」
痛みで意識が飛びそうになるのに必死に耐えながら俺はやっとの思いでその言葉を吐く。
と言うか明らかに可笑しいだろ、ヤバい事起きてるだろ! 頼むからすぐにルナインの元に連れ戻してくれ! と言うか誰か! 可笑しい事に気付いて中止しろよ!
空き教室のドアを締め切った所で、俺は男子達の手からやっと解放される。その瞬間、俺の体は斜め上に引っ張られ、いとも簡単に浮き上がり、そのまま勢い良く壁に激突しながら張り付く事になってしまう。
痛みから解放され真面に声を出せる様になった俺は、男子達にまるで幽霊でも見る様な視線を向けられながら叫ぶ。
「何考えてる! さっさと教室に戻らないと大変な事になるだろ! と言うか俺を見ろ! 明らかに異常事態が起きてるだろ! 途中で引き返せよ! ヤバい事ぐらい分かるだろ!」
「君はいつから壁に張り付く事の出来るクモ男になったのかね?」
次郎が呑気にそんな質問をして来る間にも、強くなった引き合う力は周囲に影響を及ぼし始めた。まずは小物類が飛び上がり、俺の方に向かって飛んで来る。その次は椅子や机である。
「あの、先生の言う通り本当に大変な事が起こっている気がします。ハリケーンが発生するのかも知れません! この部屋、窓を閉め切っているはずなのに風が吹き荒れますよ!」
英斗は怯えながら屈み、机の下に隠れる。それを見て山本も腰を引かせてビビり始める。
「こ、こんな事でビビってるんじゃないぜ。きっと、リベイスの最新科学道具で強い風を起こす道具を何処かに隠し持ってるはずだぜ」
「でもリベイスは有機化学の分野、有機物や人体を媒体にするクローン技術や遺伝子工学等の科学が特別発達しているだけで、他の分野は地球と同等か、それ以下だってニュースで言っていました!」
英斗の言葉に山本は机の下にいそいそと隠れながら叫ぶ。
「そんなのリベイスが仕掛けた情報戦、嘘に決まってるぜ!」
山本、自分の言葉、絶対信じてないだろ。
他の男子達も山本に続く様にその場に屈みこんだり机の下に隠れたりし始めた。
少なくともあの宇宙服を見る限り、俺も科学技術は進んでいると思う。それにすぐに言葉を覚えられる技術とか。と言うか呑気にそんな事考えてる場合じゃない……っ。
風はより強く暴風と呼ばれるまでに強くなる。次郎は振り乱れる髪をかき上げながらメガネを外し、机の上に立ち、怯える男子達を見下ろす。
「例え今、この瞬間に世界が滅びようとしてたとしても、我らのすべき事は変わらない。春太への粛清である!」
お前の頭はどうなってるんだ!
「俺がどれだけ恨まれる事をしたんだ! 頼むから考え直せ!」
これ以上ルナインと離れ続けたら本当に取り返しのつかない事になりかねない!
俺は壁を足場にゆっくりと立ち上がる。90度傾いた世界の中、俺はとても重い足を何とか1歩踏み出す。
「何をしている、ターゲットが逃げようとしている。取り押さえなければ今後も我々は今日の様な思いを抱え続ける事になる! 我々が行おうとしてる事は正義である!」
完全に自分に酔いしれて周りが見えなくなってるな! 次郎のこう言う所は、本当に嫌いだ! 何が正義だ!
しかし次郎の人々を煽る熱弁も今は意味をなさなかった。空き教室にいた全ての男子が自分の元に滑って来た机や壁にしがみ付き、見えない力に抵抗していたからだ。
「次郎、これ、マジでヤバいぜ!」
山本がそう叫んだ瞬間、次郎の体に滑って来た机が激突して、次郎は耳障りな呻き声を発しながら机の上から床に倒れ込み、そのまま机と壁に挟まれて気を失う。
俺は周囲に構わずもう1歩踏み出すが、そこで引き合う力の大きさに膝を崩し、立っていられずに座り込んでしまう。息をするのも苦しい程、引き合う力は強くなっていた。
はは……笑うしかないけど、何も笑えない……。
廊下の方で『わー』と叫び声と共に数名の生徒が転がる様に廊下を滑って落ちて行く。周囲の教室からも悲鳴や叫び声が響いて来る。風でガタガタうるさく震えていた窓ガラスが派手な音を立てて割れ、ガラス片は凶器となって壁に突き刺さって行く。
「な、何かね、これは! 結局は僕も世界の意思に逆らう事は許されないらしい」
意識を取り戻した次郎は数十秒で変わり果ててしまった現状に動揺を隠せないでいた。
加速的に強くなった引き合う力はもはや天災と言うのが相応しく、学校自体を揺らし始めた。制御下を離れて肥大化して行く力に、俺は恐怖の様な物を感じながら遂に座っている事も出来ずに背中を壁にして寝転がる。
「はあ、はあ……つ――はあ」
これ、マジ……本気? 死にそう、本当に……。
全身が壁に押し潰されている様な、体の内側を何者から引っ張られている様な感覚に全身から嫌な汗が噴き出して来る。頭の中で危険信号が鳴り響く。睡眠に落ちる瞬間の様な少し気持ちの良い感覚が何度も襲い、俺はその度に意識が飛び掛ける。
遠くの窓ガラスまでも割れ始め、中庭の木が根元から折れて引き倒される。学校内に火災の時にならされるサイレンが響き渡った。
それは不意に訪れる。ある瞬間だった、全てが0になる様な、時間すらも止まった様な一瞬の間と共に、ついに引き合う力は臨界点を超えてしまう。
次の瞬間、俺とルナインを隔てていた壁や床、机等が、全てが崩壊して行き、中央に生まれた黒い歪に呑まれて行く。周囲の全ての物が音もなく崩れ行き、それはまるで目に見えない化け物が食事を行っている様であった。
この黒い点を見たのはこれで2度目だった。初見の時は何か分からず霞んだ目に移ったゴミかと思ったが、今ならはっきりと見え、そしてその正体も確りと分かってしまう。分かってしまった。
壁が消え去り、床に張り付けになっていたルナインの姿が視界に飛び込んで来る、俺達の視線の間には例の黒い点があった。黒い点はありとあらゆる物を削り取る様に崩壊させ、中に吸い込まれ消えて行く。光すらも歪めで奪い取る、その様子は破壊神と言う言葉が相応しい存在だった。
「ブラック、ホール……」
あり得ないけどそうとしか思えない。重力、引き合う力が重力による物なら、臨界点を越えたら……なるのか? ブラックホールに。
「マイクロ、ブラックホールだわ」
ルナインはそう呟きながら恐怖の色に染めた金色の瞳を黒い点に向ける。
マイクロブラックホールは周囲の物だけでなく空間までも歪ませ、常識と理解を超えた結果を周囲にもたらし続けた。そしてその影響は加速的に何処までも広がって行く。
学校が半壊すると同時に俺達の周囲にいた生徒達が宙に投げ出され、衛星の様にマイクロブラックホールの周囲を回転し始める。俺とルナインは抵抗も出来ないまま、ブラックホール目掛けて一直線に飛んで行く。
死を覚悟しながらも俺とルナインは両手を伸ばす。空中で勢い良く、抱き合う様にぶつかった俺達はそのままプロペラの様に宙で激しく回転を続ける。
「まだ、生きてるわね……ブラックホールに突っ込んだと思ったけど、どうせなら、道連れにしてやりたかったわ」
ルナインは皮肉めいた笑みを浮かべながらマイクロブラックホールを探す。しかし黒い点は俺達の周囲の何処にも存在していなかった。
「最初に出会った時も発生してた。その時も、俺達が接触すると同時に消え去ったな」
宙に投げ出された学生達は、無数の衛星の様に俺とルナインを中心にして周回を続けていた。俺とルナインは周囲から向けられる驚きと戸惑いの視線の数々に苦笑いを浮かべる以外の選択肢を持ち合わせていなかった。
「どうするのよ、あんたの所為でこんなに注目されて」
「俺だけの所為じゃないだろ……」
俺達に向けられていた好機の眼差しも一瞬だけ、ひび割れた地面が学校を中心に周囲に広がって行く。地割れによって周囲の建物が崩壊し始めた時だった、建物が地面ごと引き剥がされ、全て宙にゆっくりと浮き始める。学生達の視線は全て周囲に向けられるのだった。その光景は今までの事が記憶の彼方に吹き飛ぶほど強烈な物だった。
周辺から悲鳴や叫び声が聞こえて来る。周囲に広がった歪んだ空間はマイクロブラックホールが消えても元に戻る事は無く、周囲に影響を与え続ける。
「これは……」
「凄いわね」
その様子を一言で例えるなら世界の終末であった。天罰でも受けたかの様だった。人工的な現象とは程遠い、人知を超えた力によって引き起こされた惨劇。
学校やその周辺は重力が完全に消え去ってしまっていた。だから何もかもが浮かび始めてしまう。建物も人も地面すらも多くの人々が何も出来ずに怯えながら浮き続けている。
「こんな所にいつまでもいられないわ。皆の意識が私から反れてる今しかないわね」
「いられないって言っても移動も出来ないだろ、エンジン持ってる訳じゃないんだから」
「そんなの必要ないわよ、宇宙空間である事を意識すれば簡単だわ。ちょうどここに良い足場があるわ」
「はあ? 何処に足場なんか――っ!?」
ルナインは、俺を1度引き寄せた後、俺のお腹に膝を曲げた両足を押し付け、思いっきり蹴り付けて来る。校門の方に真っ直ぐ飛んで行くルナインと正反対に方向に俺は飛んで行ってしまう。
数分後、俺とルナインは先程と同じ場所で体をくっ付け合いながら、自転を繰り返す惑星の様にグルグルと回り続けていた。
「こうなる事分かってたよな! 離れても結局、引き合うんだからな!」
「今度は上手く行くわよ。だからさっさと足場になって」
「嫌に決まってるだろ! 何で何度も蹴られないとならないんだ!」
「そんなのはあなたの問題よ!」
「蹴ってるのはそっちだろうが!」
「じゃあ良いわよ! 殴るから! 成功率は10分の1以下になるけどやるしかないわ!」
「他にも方法あるだろ。この回転の力を利用して遠くに投げるとか」
「こっちの方が確実なのよ!」
問答無用でルナインは俺の体を足場にしてまた移動を行う。しかし今度は近くに浮かんでいる瓦礫を蹴り付け更に飛距離を稼いで行く。何も出来なかった俺は、先を進むルナインに引っ張られる形で学校を後にするのだった。
後日判明した事だが、この件は当然騒ぎになった。レスキュー隊だけでなく、自衛隊まで動き、救助活動が行われる大騒ぎになり、テレビのニュースでも連日報道され続け、扱いは大地震以上とも言えた。
消失した重力は日をまたいでも戻る事は無く、それは今も戻っていなかった。