閑話「セレアのお料理教室」後編
数週間後、セレアの父のハースト公爵が所用で王都を訪れ、別邸に滞在した。
久々の当主の来訪に、別邸では庭で屋敷の人間が全員集まって無礼講のバーベキュー大会が行われることになった。
巨大な火皿に木炭を燃やし、鉄板を上に乗せ、料理長が次々に肉やソーセージ、野菜を焼いていく。串焼きにして食べるのは庶民の食べ方で下品であると貴族では考えられているので、こんな場合でも皿にナイフとフォークを使うのが貴族流。それを使用人一同、メイドさんたちも大喜びして飲めや騒げやの大宴会である。
「いや……私も年かね。ステーキなど、もう胃もたれして後が大変だ。みんなで食べなさい」とハーストが血の滴るステーキ肉を遠慮する。
「お父様、食べていただきたいものがあるんですけど」
「セレアが? セレアが何か作ったのかい!?」
これにはハースト公爵も驚きだ。
「最近料理を習っておりまして、いつかシン様になにかお出しできるぐらいになればいいなと思っていまして」
「それはいいな。私も亡き妻によく菓子など作ってもらったものだ。私はそれにすっかりまいってしまって、すぐに求婚してしまったぐらいだよ。セレアも頑張りなさい。きっとシン様も喜んでくださるよ」
そして、セレアが出してきたのは植木鉢だった。
「う、植木鉢?」
「植木鉢を庭師のエドワードに作り替えてもらって、バーベキューの床にしてもらったんです。七輪っていうんです」
「しちりん?」
セレアは料理長が仕切るバーベキュー台からトングで火のついた炭を次々と底に金網が敷かれた改造植木鉢の中に入れて、その上に金網を敷いた。庭師のエドワードと仲良くなって、二人で一生懸命改良したものである。
「これに、市場で買ってきたバーベキューソースに漬け込んだ牛肉を載せて焼くんです」
「ほうほう」
低いテーブルの上に乗せた七輪を囲んで、椅子に座った父のハーストと兄のセルヴィスとセレアの輪ができる。
さっさと菜箸で肉を漬けたボウルから薄切り肉を金網の上に乗せ、焼き色ついたところで裏返し、それをレタスの葉に乗せる。
「セレア? その長い棒は?」
「菜箸です。東洋の食器だそうで」
「……いや、単純だが、よくそれを使いこなしておるな。初めて見るぞ……」
セレアが器用に使う菜箸に会場のみんなも驚きである。
「さあ、このまま食べてみてください!」
まだ十一歳の娘が手ずから目の前で作ってくれた焼き肉のレタス巻きを、目を細めてハーストが食べてみた。
「……美味い」
「えっほんとに?」
「うまいぞこれは! セルヴィス、食べてみろ!」
どんどん焼いて、兄に、そして父に手渡していくセレア。
「いや……私はもう肉などごめんと思っていたが、これはいくらでも食べられるな!」
「ちゃんと味もついていますし、こうして炭であぶることで脂が溶け落ちて肉の美味いところだけが残るんですね!」
「肉汁が落ちて炭火に焙られ、煙の香りがまた食欲を誘うというもの……。こんな食べ方があったとは。料理長、お前が教えたのか?」
呼ばれた料理長も七輪と薄切り肉の焼き肉を見て驚愕である。
「とんでもない! 立派な最高級の肉を、わざわざこんな細切れにして焼いてしまうなんてそんなもったいない使い方ができますか! 断じて私が教えたものではありませんぞ!」
「ではセレアが考えたのか?」
「考えたっていうか、東洋の物語に出てきたのを真似してみたと言いますか……」
それを聞いて料理長が憤慨する。
「そんな野蛮人の肉の焼き方など邪道です! ステーキこそ最高の肉の料理法であり、最高の素材をもっともおいしく楽しめる唯一の料理なのです!」
頑固なところはさすが一流のプライドを持った料理人というところか。
「しかし、美味いことは美味い。邪道扱いする前にお前も食べてみろ」
雇い主の公爵とその長男が勧め、公爵令嬢が手ずから手渡してくれる焼き肉に、これは断れず料理長がそれを口にする。
「うむむむむむむ……」
うなるしかない料理長。
「こ、これは邪道だ。肉をこんな風に焼いてしまっては、一番肝心なレアな部分が残らないではないか……」
「そうかな? レアステーキをありがたがるなどそもそも間違っているのではないかな。表面だけ焼けて中は冷たいまま。火が通っておらぬ生肉がそんなに旨いか? その晩胃もたれでベッドの上で七転八倒するのが良い料理と言えるのか?」
「それは旦那様がお年を召したから」
「言うな料理長」
「はっ。申し訳ありません!」
思わず出てしまった不敬発言に料理長が慌てて頭を下げる。
「こんにちは。お久しぶりです。ご招待ありがとうございますお義父様」
突然現れたシン王子をハースト公爵がにこやかに迎える。いや、一番驚いたのはセレアだ。シンの後ろには怖い顔の護衛の近衛騎士、シュリーガンが控えている。屋敷一同、王子がこうして公爵別邸を訪ねてくるのはもう普通なので誰も驚かないが、どうやら公爵はセレアに秘密で招待して、セレアの反応を見たかったらしい。
「し、シン様! わざわざご足労ありがとうございます!」
あわててセレアが礼を取る。
「へえ、セレアが肉を焼いてるの? 僕にも食べさせてよ」
椅子を引っ張ってきて屈託なく、シンも七輪を取り囲んだ。
「お粗末なものですけど……」
「セレアがずっと研究していたのがこれか。楽しみだね!」
セレアが焼いた肉をレタスで包んで、ちょっとだけかじってから、シンに渡す。
「うん、うまいよ! こういう焼き方もいいね! ステーキって、途中でもういいやってなるけど、これはどんどん食べられるよ!」
まだ十一歳ながら、仲のよさそうな二人にハースト公爵も嬉しそうだ。
「シン様、いったい王宮でどんなステーキ食べてるんです……」
「どれどれ」
シンがバーベキュー台に近づいて、鉄板の上の料理長が焼いているステーキを見て首を横に振る。ナイフとフォークを受け取って、まだ鉄板の上のステーキを切って、切り口を見て、それに指を触れてみる。
「……これはレアじゃないよ」
シンのダメ出しに料理長も、メイドたちも一同がく然とする。
「赤みが生のままですよね。レアってのは血も滴る生だと思ってるなら大間違い。ちゃんと火が通って脂が溶けていないとレアじゃない。冷たいままのレアなんて言語道断。いい?」
シンが焼かれているステーキをへらで鉄板の炭火が弱い所に移動して、手近のスープ鍋の蓋を取って、上にかぶせる。
「こうやって、少し蒸すんだ。うちのコックはそうしている。表面だけさっと焼いてレアでございなんてことはやらないよ」
蓋の隙間から焼けた脂が少しだけ流れてゆく。しばらくそのままにしてからシンはかぶせていた鍋の蓋を取って、切り分けた。
「さ、食べてみて」
切り口はまだ七~八割がた赤い。見た目はレアと言えなくもない。だがそれにフォークを刺して食べてみたハーストが驚く。
「……美味い。なにより赤みが残っているのに肉が熱い。ちゃんと焼いた肉の味がする。生臭さも消えている……。これが本当のレア……」
「美味いです、殿下。いや……。今まで私たちが食べていたステーキとはいったい……」
「ね、このほうがおいしいでしょ?」
そう言って笑うまだ十一歳のシン。料理長も、実際に食べてみて自分が焼いていたステーキが間違っていることを認めざるを得なかった。
メイドさんたちも、怖い顔のシュリーガンも、みんなでバーベキュー台を取り囲んでワイワイガヤガヤ、
「シン様、なんでそんなこと知ってるんです? 王宮で食べるステーキはいつもウェルだったんじゃないんですか?」
セレアがそう言ってにらむと、シンは「ごめんごめん」と頭を掻く。
「自分で食べるのと、お客様に出すのはまた別でね。これはうちのコックの見よう見まねさ」
「シン様って料理、できるんですね……」
「小さい時から、厨房が僕の遊び場でね。野菜の皮むきとか、これでもけっこう上手だよ」
うわあああああああああ!
セレアにしてみれば、シンに出す料理のハードルが激上がりである!
とんでもなく遠くなったゴールに、セレアはがっくりと頭を垂れた。
――閑話「セレアのお料理教室」END――