閑話「笑わない女」
お待たせしました!
前作「顔が怖い男」の続編となる、シュリーガンとベルさんとのストーリーです!
その日、シュリーガンは、怖い顔でぼーっとしていた。
シュリーガンの顔に見慣れた近衛騎士隊の連中も、その初めて見る表情に不気味がって、「どうしたシュリーガン」と声をかけずにいられなかったが、ゆっくりと正面を向いたシュリーガンは、深刻な顔でつぶやいた。
「……俺のことを怖がらない女がいた」
その一言に近衛隊詰め所がどよめいたのは仕方がなかったかもしれない。
「本当か!? 本当なのかそれ!」
「見間違いじゃないのか?」
「ほら、リリアン嬢みたいに、また立ったまま気絶してたんじゃないのか?」
「違う」
さんざんな仲間の真剣な問いかけにシュリーガンは否定する。
「目が合った。俺の顔を見てスカートをつまんで挨拶した」
『本日は失礼をして申し訳ありません。セレア様付きメイド、ベルと申します。よろしくお願いします』
自分を見ても全く動ぜず上品な挨拶を披露したベル。そんな女性はシュリーガンにとって初めてだった。
「……ウソだろ」
「どんな女だ!?」
「お前より顔が怖いのか?」
「いや、美人だった。間違いなく」
そうだ。ベルさんは美人だったと思う。
シュリーガンの美人の基準はたぶんおかしい。この近衛隊のどんな男よりもストライクゾーンは広いはずだ。だが、そんなシュリーガンから見てもベルは間違いなく普通に美人であるはずだ。
シュリーガンの肩が同僚たちからガシッとつかまれる。
「お前にとって人生最初で最後のチャンスかもしれねーぞそれ……」
「絶対にモノにしろ。あきらめるな。いいな」
「いいか、彼女にどんな過去があっても、すべて許してやれ。ありのままに受け止めろ!」
「いや、聞くな。むしろ聞くな。その娘がどんな人生を送ってきたかなんて絶対に聞いちゃいかん。わかったな!」
俺の顔に耐えられる人生経験ってなに? ひどい言われようである……。
ただ、あらゆる武術を父に叩きこまれてきたシュリーガンはベルの目配りを見ただけで只者ではないことはすでに感じていた。
ベルは真顔で、礼をしている間も目は伏せず上目遣いで視線は自分たちから動かなかった。視線は中央にあり目玉は動かさず全体を均一に見ていて、複数の人間のわずかな手足の動きさえ見逃さない、一点注視ではなく動体に反応するプロのボディガードの目配りだった。
「(アレは俺をいつでも殺せる女かもしれないな……。俺を怖がらないのは、きっとその自信があるからだ……)」
なぜかシュリーガンは、そのことがひどく気に入ってしまっていた。
ベルに再会する機会は意外に早く訪れた。殿下が見舞い名目で婚約者候補のお嬢様の館を再訪したのだ。もしこの話がまとまれば、今後もベルと顔を合わせる機会が増えるであろう。殿下にはぜひこの話をうまくまとめてほしかったが、それは口に出さない。
おとなしくサロンで待っていたシュリーガンのもとに、ベルがお茶とお菓子を運んできた。その態度は相変わらずで、無表情の真顔そのものという感じできわめて事務的にシュリーガンのカップに茶を注ぐ。その手つきに一切の乱れはない。
大抵のメイドは、ここでガタガタと手が震え、ポットとカップがぶつかり合ってカチカチと音がするのが普通だったが、ベルにはそれがなかった。
「ありがとうございます。いやーどうっすか殿下と嬢ちゃんの様子は?」
「お二人だけで話したいとのことでしたので私にはわかりかねます」
「この話まとまると思います?」
「まとまっていただくのがコレット家の総意です」
そっけない塩対応だが、ちゃんとシュリーガンの顔を見て返事をくれた。短いやり取りではあったが、本当に自分のことを怖がっていないことをシュリーガンは確信することができた。
俺より強いんじゃねーの? そう思ったことは口に出さない。
その後、殿下がセレア嬢に婚約を申し入れたことを聞かされた。ベルとの縁がこれっきりにならずにシュリーガンは本当に嬉しかったし、素直に殿下を祝福できた。次の訪問が楽しみになってきた。
「女にモテるにはどうすりゃいいのかね」
シュリーガンのこの発言には近衛隊全員吹き出さざるを得なかった。しかし誰もがこの男のために何とかしてやらねばと思ったのは言うまでもない。
「女には優しくだ。優しく。それがベストだ」
「『かわいい』とか、『君は美しい』とか、ホメてホメてホメまくれ」
「プレゼントだ。金目の物をじゃんじゃんプレゼントしろ」
「自分がどんなに凄いヤツか自慢しまくれ。強盗団を全員一人でひっとらえたとか武勇伝だったらいくらでもあるだろお前」
「強いところを見せてやれ。彼女がナンパされそうになってたらすかさず助けろ」
……どれもベルには全く通用しそうにない。こいつらも多分全くモテたことがないんだろうなと、シュリーガンは落胆を隠せなかった。
となると情けない話だが自分の周りで一番モテるのは殿下である。それは多くのお茶会やパーティーでいつも中心になっている殿下を見ればわかる。十歳の子供にそれを相談するのはどうかと思ったが、聞いて損になるわけでもない。シュリーガンは正直にシンにモテるコツを聞いてみた。
「僕はモテたいなんて思ったことは一度もないよ」
そりゃあアンタは王子でイケメンだからでしょ!
聞いた自分がバカだった。素でモテまくりなお人に聞くことじゃなかった。殿下が言うことやること、全部、自分がやったらアウトである。「ただしイケメンに限る」という制約は非情にも厳然と存在するのだ。
「でもね、僕は『格好つける』のが一番ダメだと思ってるね。威張るのも、自慢するのも、僕がやれば全部イヤミになるよ。カッコいい僕なんか好きになってもらっても全然嬉しくないとも思ってるし」
……十歳にしてコレである。さすが王族。俗物を極める貴族たちを右に左に受け流してきた老成っぷりが凄いと思う。
確かに、ベルのような女性には飾った自分など見向きもされないに決まっていた。王子の言うとおりにしてみよう。どうせ自分はカッコよくなんかなれないんだから、本当の自分だけでベルに向き合おう。シュリーガンはそう決心した。
ベルと顔を合わせるようになってしばらく、屋敷も訪問して、何度か殿下とご令嬢のデートの付き添いもしてきたが、ベルが全く笑わないことにシュリーガンはめげそうになっていた。
ベルの笑顔が見たい。
彼女を笑わせたい。微笑んでもらえるだけでもいい。それさえあれば、これからもなにがあっても彼女をあきらめたりしないでいられる。
しかし、どんな冗談を飛ばしても、殿下たちと一緒に観劇しても、このかわいい二人の幼い恋にほっこりするような場面を見ても、ベルの表情は変わらなかった。
「脈、ねえのかなあ……」
そんな時、事件は起こった。
城下でのデート中、ご令嬢が倒れたのだ。
フライドチキンの店に行った後だった。何があったのかはわからない。殿下の様子もおかしかった。食いもんに当たったか? いや、自分たちも同じものを食べたがなんともなかった。何が何だかさっぱりわからなかった。
その日は国王陛下は多忙なため報告は後回しで、夜になってからもシュリーガンは今日のことをどう報告すべきか、ランプの灯りを前にメモを手にしてうんうんとうなっていた。
ガタゴトッ。
そんな時、二階の物音にシュリーガンは顔を上げた。
シュリーガンの宿直室は、実は殿下の部屋の真下である。部屋の主の足音などが聞こえやすいように特別に部屋の天井が薄く響きやすいように作られていた。王族の護衛のための仕掛けである。これは殿下にも秘密であった。
すでに就寝時間を過ぎているその時間に、殿下がどこかへ出かけようとしているのは明らかだった。
二階へ駆けあがり、暗い月明かりの回廊の様子を探る。
殿下が平民の服を着て、カバンを肩から掛け、忍び足でサロンに入るのが見えた。
サロンには隠し通路の入り口がある。そのことは近衛隊のシュリーガンといえども知らされてはいないが、有事の際の王宮の最終防衛線がこの王室の階であり、最後に王家を案内し守りを固めるべき場所がサロンとされていることからシュリーガンはそう察していた。
どこに出る気だ?
隠し通路の出口は複数あるに違いない。殿下がどれを使うかはわからない。かといって隠し通路は王宮のトップシークレット。シュリーガンと言えども通路を使って殿下の後を追うことはできない。
「そんなの決まってるじゃないか」
殿下は婚約者のご令嬢のもとへ行こうとしている。だとしたらコレット家別邸方面の通路を使うに決まっているのだ。通路を潜り抜けるには時間がかかるはず。まだ間に合う。
シュリーガンは大急ぎで短剣と十手を仕込んだ上着を羽織り、火のついていないランプを持ってダッシュで正門まで駆け抜けた。
「シュリーガン、どうした?」
正門を警護していた同僚たちに声をかけられる。
「緊急だ! 通してくれ!」
もちろん顔パスで通してくれる同僚たちに軽く手を振り、シュリーガンは王宮をぐるりと回ってコレット家方面の方角に走り出す。
暗闇に目を慣らして通りを見張っていると、殿下が走ってきた。
素早く隠れてやり過ごす。
こんな深夜に子供がフラフラするのは危険に決まっている。だが、殿下は上手に身を隠しながら目立たぬように、用心しながら夜の街を人を避けながら進んでいく。さすがは殿下、やることにそつがないと感心しながら尾行する。
思った通り、殿下はコレット邸に到着した。ご令嬢の様子が明らかに変だったので心配になったのであろう。その心情はシュリーガンも理解できた。
ぐるぐるとコレット邸の周りをうかがって、生け垣の隙間を見つけて忍び込んでゆく殿下。
シュリーガンは殿下のように生け垣をくぐれない。周りを見回して侵入経路を探す。街路樹からなら登れば入れそうだ。
木を登って太い枝を伝わって生け垣を超え、コレット家別邸庭に着地する。
そのとたん、シュリーガンの目の前に投げナイフがずぶずぶと突き刺さり、シュリーガンはとっさに後ろにジャンプした!
「動かないでください」
ひどく冷たい声が闇夜から聞こえてきた。
「まってまってまって、ベルさん! これには事情があって!」
「(大声出さないで)」
「(すんません……)」
暗闇の中から両手にナイフを持ち、メイド服を着たベルが月明かりの下に歩いてきた。
「お座り」
言われた通りシュリーガンは正座をして芝生に座った。逆らったら躊躇なくナイフが突き立てられるだろうという確信があった。思った通りの女だったとシュリーガンは内心舌を巻いていた。
「コレット家に深夜、不法侵入するからには覚悟はあるとお見受けしますが?」
「ない、ないですそんなの」
「邪魔はさせませんよ」
「しない! しないから!」
「シン様を連れ戻しに来たのではないのですか?」
全く警戒を解かずにベルが問う。
「連れ戻すつもりがあるんなら途中でふん捕まえてますって」
「……それをするのがあなたの仕事では?」
「今夜はそれをする気がどうしても起きなくてね……」
「シン様のために?」
「二人のために」
ベルは真顔で、座っているシュリーガンを見下ろして頷いた。
「……いいでしょう。立ちなさい」
いつもと違うベルの命令口調にゾクゾクするのはなぜだろう。コレット邸の暗い庭をベルの後について歩く。
「ベルさんいったいいつ寝てるの?」
「私は寝ません」
そりゃ大変だとシュリーガンは思った。それがホントならベルと結婚しても、初夜が迎えられないとちらと思った。
見ると、お嬢様の部屋のベランダにロープをかけて、殿下が登っていくところだった。
「ベルさんは殿下の不法侵入は咎めないのですかい」
「そんな無粋な真似はしませんわ」
ベルは平然とそう言う。相変わらずの肝の座りっぷりである。
「……嬢ちゃんを心配して来たに決まってますからねえ」
「……」
ベルは無言でベランダの周りを離れて警戒する。十歳の殿下がご令嬢に夜這いを掛けに来たとはさすがに二人とも思うわけがなかった。
二人がベランダからロープ伝いに降りてきたのを見たときはさすがに驚いた。
ベルの顔を見ると、これも目を見開いて少しは驚いているようである。
「こんな夜中に、これからどこへ行こうってんですかね!」
「わかりません」
ベルはそのまま正門に移動する。
「え、べ、べ、ベルさん、見逃すんすかあ!」
「お嬢様が外出なさるのですから、随行いたしますわ」
「とっ捕まえなくていいんですかい?!」
「今夜は、そんな気分になれませんので」
ベルが正門のカギを開け、そのまま出て例の生け垣の隙間へ向かう。
殿下が侵入時にはもうそれを察知していたということだ。どういう女なんだとシュリーガンは冷や汗が出る。
夜の下町に向かって二人は子供たちを尾行する。
「……これって、前にデートした教会がある方向っすね」
「……」
ベルは返事もしない。
殿下の巧みなエスコートで二人は誰にも見咎められることも無く教会にたどり着き、柵を乗り越える。
シュリーガンも柵に走り寄って、その場に四つん這いになった。
「さ、ベルさん、乗って!」
するとベルはなんの躊躇もなくシュリーガンを踏みつけて柵を軽やかに飛び越えた。かなり痛かったが、なぜかシュリーガンはそのことが嬉しかった。念のために言っておくと踏まれたことが嬉しかったのではなく、自分に遠慮がないベルに、ちゃんと距離は縮まっていることを感じることができたからである。
長身のシュリーガンは自分で柵を乗り越えて教会敷地に飛び降りる。
「教会でなにしようってんですかね」
「さあ」
「急いで懺悔しないといけないことでもありましたっけ?」
「心当たりがありませんわ」
教会の正面扉は閉じられていた。二人は気づかれないように高いステンドグラスに登って窓から教会内部の様子をうかがう。
見ると、二人、向かい合って、殿下が御令嬢にハンカチーフを頭にそっと載せていた。
「汝、シン・ミッドランドは、この者、セレア・コレットを妻とし」
「病めるときも、健やかなるときも、貧しきときも、富めるときも」
「この者を愛し、慈しみ、死が二人を分かつまで」
「変わらぬ愛を、女神ラナテス様に、誓うか」
「(ひゃー! これ、結婚式っすよ!)」
「(そのようですね)」
「(止めないでいいんすかね!?)」
「(なぜです?)」
「(二人、まだ十歳でしょうに!)」
「(いけませんか?)」
冷静そうに振舞うベルであるが、それでも、驚きは隠せていない。それぐらいはシュリーガンもわかるようになっていた。
でも、シュリーガンも、二人が拙い誓いを立て、優しくキスして、抱き合ってぐるぐる回る様子を見ると、邪魔せずに見守りたい気分になってきた。
「……やりますなあ殿下も」
「シュリーガン様こそ、止めないでもいいんですかこれ」
「いまさらです」
「国王陛下よりあとで咎められたりしないのですか?」
「これを止めるぐらいだったら、首を落とされたほうがマシですな」
「……」
ゆらり、燭台の灯が揺れて神父が祭壇に現れた。殿下と問答しているようである。
「あちゃー、これはさすがに認められないか……」
「どうでしょうね……。王子の権威を持ち出せば案外許されるかもしれません」
「いいなあ殿下……」
うらやましそうに言うシュリーガンの顔をベルが見る。
「だって俺がこれやったら、教会が衛兵隊に包囲されて『人質の女を解放して投降しろ――!』って怒鳴られるに決まってますからねえ」
「ぷっ」
噴き出す声に驚いてベルを見る。
「くっくっく」
驚くことに、肩を震わせてベルが笑っていた。いや、笑うのを必死に我慢していた。
「お気の毒ですわシュリーガン様」
それはシュリーガンが初めて見る、ベルの笑顔だった。
「婚姻には証人が必要です!」
神父のつれない返答が聞こえてきた。
「どうやら出番のようですな」
シュリーガンはステンドグラスの窓から、ひらりと教会に音もなく飛び降りた……。
――閑話「笑わない女」 END――