閑話「顔が怖い男」
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お礼を込めて一番最近書いた閑話を一つ、公開したいと思います。
シュリーガン・ダクソンはとにかく顔が怖かった。
母はどこぞの貴族の娘だったらしい。幼少の頃より見た目が不気味で幽鬼のような雰囲気をまとっていたため、屋敷に閉じこもり、ほとんど外出をしていなかった彼女が、何かの御用で王都に出向かねばならなかったときに護衛をしたのがシュリーガンの父である。
騎士隊に所属していたシュリーガンの父もまた顔が怖かった。当時は見た目が美麗なことも近衛騎士には必要な資質であり「顔だけで無礼」と言われるこの男には出世の見込みは全くなかった。彼女の護衛を請け負ったのも、噂話の「幽鬼の御令嬢」の護衛任務を他の同僚たちが嫌がったためだった。
この王国最強の強面の二人はなぜか、出会った時から不思議と惹かれあった。お互いの共通のコンプレックスが、トラウマが、悩みが、一緒にいるときだけは忘れることができたためである。二人の結婚は反対するものが誰もなく、令嬢が貴族籍より体よく追い出される形で案外すんなりとまとまり、仲睦まじく愛情にあふれた二人の間にはすぐに子供ができた。
そうして生まれたシュリーガンは、彼を取り上げた産婆が気絶するぐらいだったと言われている。
夫婦は笑ってしまうほど自分たちにそっくりな幼子をかわいがり、大切に育てたが、王都に借りた借家は「悪魔の棲む家」と悪い評判ばかり立つことになり近所での孤立は避けられなかった。
これはまずいと思った父親は郊外に家を借り、妻とシュリーガンと三人だけの質素な暮らしをして世をはばかった。
シュリーガンは、成長し野山を駆けて体を鍛え、父にあらゆる武術を叩きこまれ、日々野生動物を狩って育った。怪談劇に登場する幽霊のような優しい母に「決してうそをついてはいけませんよ」「人を裏切ってはいけませんよ」と教えられ、その教えを忠実に守った。
平民学校に通うようになって、シュリーガンは恐れられ、誤解を受けながらも、生来の生真面目さ、誠実さを武器にめげずにがんばった。
男の子たちはシュリーガンが意地悪な上級生や不良たちを顔やケンカで追い払い、面倒見がよく、些細なことにも大いに喜んでいつも楽しそうな彼を認めてくれて、友人と呼べる人間も増えてきた。
ただ、どうしても女の子は苦手だった。シュリーガンを見れば硬直し、泣き、逃げられるのではどうしようもない。まるっきり女っ気がないままシュリーガンは学校を卒業し、試験を受けて武術トップの成績で騎士団に入隊し、王都の治安維持に努めた。
顔だけでチンピラや犯罪者を威圧、委縮させ、実際武術もあり得ないほど強かったシュリーガンは仲間たちに重宝され、誤解は次第に解け、騎士団に多くの友人を作ることができた。ただ、上司にはあまり評価は芳しくなかったようで、父親同様「顔だけで無礼」と評されるシュリーガンは正当な評価とは縁がなく、実績を上げてもせいぜい近衛騎士隊の末席に配属される程度であった。
そんなとき、騎士隊から第一王子の護衛任務の話が出てきた。
今年十歳になり、公務で外出が多くなる王子の専属護衛を騎士隊から選ぶということになったのだ。
「王子様だろ? 俺には縁がないねえ……」
シュリーガンがそう言うと、同僚の男たちも笑う。
「お貴族様ってのは見栄っ張りだからな、お傍には見目の良いやつが選ばれやすいのはまあ事実だな」
「実力だけだったらお前が一番だとは俺らも思うけどよ、まあお前はちょい、不利だとは思うよ」
「いやあ俺だってそんな堅ッ苦しい仕事に就いても上手にやれる自信がないわ。あきらめてるよ……」
まったく遠慮のない友人たちの本音の通り、シュリーガンも本気でそう考えていた。だがしかし、近衛騎士隊の隊長、ウリエル・ハーガンに呼び出されて「お前、第一王子の専属護衛任務、やってみる気はあるか?」と聞かれて驚いた。
「そりゃまた、なんでよりによって俺なんすかね?」
今はハゲだが若いころはそりゃあもう美男子で、多くの貴婦人の寵愛を受け、天性の立ち回りの上手さから今の地位まで上り詰めたとも言われる、シュリーガンと全く正反対なウリエル・ハーガン隊長は苦々しくシュリーガンを見る。
「殿下のご要望はかなり変わっていてな、それにぴったり合う奴がお前なんだ。騎士隊のどいつに聞いてもそれならお前だと言う。意外と友人に恵まれているな、お前は」
どんな条件だったんだとシュリーガンは思った。そんなにひどい条件なのか?
「殿下のご要望ってどんなんす?」
「それは殿下に聞け」
面白くなさそうにウリエルが吐く。
「一応聞く。辞退できる。どうだ?」
そのウリエルの顔は明らかに辞退しろと言っていた。
「やらせてもらいます」
「辞退しろ」
「しません」
千載一遇のチャンスである。まるで王子が自分を指名したかのようなこの慈悲に乗らないわけにはいかなかった。ウリエルはため息をついて、自分をこれから殺そうとしているとしか思えないそのシュリーガンの笑顔をにらみつけた。
驚いたことに初の面談を明日に控え、王子は従者もつけず、一人で近衛騎士隊兵舎にやってきた。
「こんにちは。僕の護衛係って、決まった?」
これには食堂で食事中の近衛隊たちも吹き出しそうになった。慌てて全員起立して敬礼の形を取る。
「着席! 敬礼は必要ないですよ。お邪魔するつもりはないんです。食事を続けてください」
まだ十歳の王子殿下は気さくに笑って手をひらひらと伏せるようにした。
子供が見たら泣く、怯えて逃げ出すとされていたシュリーガンは王族の令息令嬢から離されていたので、殿下を間近で拝謁するのはこれが初めてである。
全員が着席する中、一人、敬礼の手を下ろして起立を続ける。
「シュリーガン・ダクソンと申します。殿下の護衛係に決まったのは自分であります」
「お前かいっ!」
王子はびっくりして、そして笑った。自分のことを知っていたのかとシュリーガンは驚くことはしない。自分の顔を一目見て忘れない人間など珍しくはないことを知っていた。
王子は食堂のカウンターに向かい、トレイを取って食堂のおばちゃんに声をかけて一人分用意してもらっていた。そのままシュリーガンの元まで歩いてきて、テーブルに向かい合わせになっていた同僚に声をかける。
「席譲ってもらっていい? シュリーガンと話したい」
「あ、どうぞどうぞ」
日頃シュリーガンにも遠慮のない同僚が恐縮してすぐに席を立つ。
「ありがとう!」
そして、王子はシュリーガンと向かい合わせの席に座る。
「ふーん……。どんな人がなるかと思っていたけど、意外な人選だね」
「なんだか申し訳ないっす」
「いやいや、そんなことはないよ。僕なんか十歳の子供なんだから、お守り役押し付けちゃって申し訳ないのはこっちのほう。これからはよろしく頼むね」
王子は屈託なく、近衛隊の昼食に手を付ける。他の近衛隊同様に肉も手づかみでガツガツと日頃の上品さはどこへやらである。
「殿下、なんでまたこんなところに……。明日ご面談の機会が設けられていたでしょうに」
「仲間になるんだから、同じ釜の飯を食わないとね」
なんだかハラハラしている周囲に関係なく、王子は食事を平らげ、トレイを持って立ち上がった。
「じゃ、また明日! お昼ありがとう、おいしかった!」
カウンターに声をかけ、トレイを置いてさっさと王子は出て行った。
その姿を見て、シュリーガンは、もしかしたらこれはうまくやっていけるんじゃないかと、密かに抱えていた不安が吹き飛んだ。
そして翌日、シュリーガンは着任の報告に国王陛下の執務室に出頭した。
シュリーガンの仕事は王子の護衛だけではない。王子がどのように一日を過ごしたか、どんな仕事をしているかも逐一報告の義務がある。事実上の監視を兼ねる。
このように国王陛下御前に出頭して定期報告を行うのはシュリーガンの業務となるのだから当然顔合わせは必要だった。
「……お前か。いやいや意外な人物に決まったものだな」
陛下がにやにや笑いながら言う。シュリーガンにしてみれば自分のことを覚えてもらっていたのは意外ではない。警備として陛下のそばに控えることは少なくなかったし、たいていの人間は自分の顔のことを忘れられずにトラウマレベルで覚えていてくれるものが当たり前だからだ。
「ダクソンの息子か」
「はい。よくご承知で」
素性まで知られているのはさすがに少し意外であったが。
「お前の父親の顔は一度見たら忘れんだろう……。嫌でも記憶に残る。お前もだ」
「おっしゃる通りで……」
うむ、と陛下が頷いた。
「ウリエルは渋っておったが、人事はそれなりに喜んでおったな。なにより人手が節約できると。お前一人で騎士隊十人分以上の働きは間違いないと聞いている。期待している」
「ありがとうございます」
意外とケチ臭い理由もあったものである。まあ殿下の護衛にフル装備の近衛騎士隊が何人もぞろぞろついていくわけにはいかない場面も多いだろう。それは自分が正しく評価されているということだ。責任重大ではあるが名誉なことである。
「今この時より、お前は近衛騎士隊の任務より外れる。これからは何事もシンが優先だ。いいな」
「はい」
「外れるということは、国よりも、余よりも、シンが優先ということだ」
「……はい」
「万難が見えていても、事あらばその時は命に代えてもシンを守れ」
「はい!」
「たとえ余がシンを斬ろうとしても、そのときは余を斬り捨ててでもシンを守るのだぞ? 余が言うのはそういう意味だ」
「はい?」
間抜けな返事をしてしまった。いやいやいやいやいくらなんでもそんなことは万一にもあり得ないだろうとシュリーガンは思う。だが国王は厳しくシュリーガンをにらんだままである。
「……それぐらいの心構えを持てということだ。身は罪に落ち断頭台に首を落とすことになろうともためらうな。その覚悟はあるか」
「はい!」
「よし」
何という覚悟かと思う。陛下はシンを守るためだったら国王でも斬れと言う。そのためなら命も捨てろと。自分が預かるのは国の未来だ。それは国王陛下よりも重い価値を持つ。そう言われたに等しい。
こんな命令を出せるなど、陛下はどれだけの覚悟を身に秘めているのだろうかとシュリーガンは身震いした。
着任し、王子の護衛をするようになってシュリーガンは驚いた。
シンは王子として振舞うことは全くなかった。まるで年の離れた友人のように付き合うことを好んだ。子供として大人の自分にちゃんと敬意を払いつつ、冗談も言い、憎まれ口も叩き、ツッコミを入れてくる。
そして、王子には友人がいなかったことも理解した。王子は友人が欲しかったのだ。自分に求められていたのは、殿下の友人になることだった。
それだったら、俺なんかより面白いやつも、気のいいやつもいっぱいいただろうに、なんで俺だったんだろうとシュリーガンは疑問だった。
「殿下、前から一度聞いてみたかったんすけどねえ」
「なに?」
これから王子の婚約者となるご令嬢の初顔合わせのために、シュリーガンは二人乗りの小さな一頭引きの馬車の御者を務めながらシンに聞いてみた。こんなデリケートな任務にまで自分を連れてくる。顔だけでトラブルになりそうな自分をご令嬢のもとに随行させる王子の意図をどうしても深読みしてしまう。
「なんで俺が殿下の護衛やってんのか、今でも全く分かんないんすけど、殿下は、護衛役にどんな条件を出したんす?」
前から一度聞いてみたかったことだ。近衛騎士隊長のウリエルは人選において王子の出した条件は、王子から直接聞けと言った。いまだに理由が不明である。
「んー護衛の条件って、まず実力があって強いこと。僕をちゃんと護衛できるように。まあそれは当たり前だからそういう人の中から選んでくれるとは思ってたから言うまでもないよね」
「そうすね」
「だから僕が出した条件はたった一つだけだよ」
「どんなんす?」
御者を続けながら、シュリーガンは振り向かずに問うた。変な理由だったらがっかりするかもしれない。でも、どうしても聞いてみたかった。
「近衛隊で一番友達が多い人。近衛隊の同僚の皆さんに推薦を書いてもらって集めたら、シュリーガンが一番多かったって聞いたよ。だからだよ」
シュリーガンは込み上げてくるものがあった。いや、正直泣けた。
馬の手綱を取りながら、流れる涙を止めることができなかった。
忘れていた。自分の友人を書いて出せって言われたことがあった。小隊を組むためのアンケートかと思っていたが、あれがそうだったのかと今なら思う。
あの近衛隊の一筋縄ではいかないメンバーたちに、自分のことを友人だと思ってくれていたやつがそんなに多かったなんて知らなかった。
実力はあっても出世の見込みはまるでない。そんな自分に、チャンスを譲ってくれたんだと。
ものすごく顔の怖い男が泣きながら手綱を握る一頭引きの馬車。
混み始めた王都の市街路が勝手に開き、道ができた。
そしてシュリーガンは、このあと、生まれて初めて、母親以外で自分の顔を怖がらない女性との運命的な出会いをする。
どう笑っても殺人狂がこれから喜んで人を殺そうとしているようにしか見えない笑顔のシュリーガンは、涙を拭いて、振り返った。
「さ、そろそろ着きますぜ!」
閑話 「顔が怖い男」 END