●ボツになった展開集、その3B 後編
お待たせしました! 短期集中連載、後半です!
先ほどから続いている断罪騒ぎをまるっきり聞き流しているハーティスが、そのテーブルの上に広げられた、びりびりのドレスをさっきから虫眼鏡で一生懸命観察していて顔を上げた。
「シン君、フリード君、このハサミの切断痕なんですが、虫眼鏡で良く観察すると、刃先から指二本分の所に刃に小さな欠けがあるんですよ。なにか硬いものでも、例えばまち針でもうっかり一緒に切ってしまったせいでできた欠けです。これ、誰のハサミか特定できるんじゃないですか?」
「そりゃあいいや、じゃ、今ここでそれ確かめてみよう! フリード君、異存はないよね?」
「ああ、じゃあお前セレア嬢のロッカーから手芸道具を取ってこい。俺が立ち会う」
「セレア、鍵くれる?」
「はい」
セレアがシンにロッカーのカギを渡す。
二人で女子のロッカー室に行き、シンが鍵を開けてセレアの手芸箱を取り出すのをフリードが確認した。
「……女の子のロッカーを覗くなんてフリード君も下品な男だねえ」
「お前がすり替えるかもしれないからな。だいたいそれを言うならお前も同罪だ」
「僕はセレアの婚約者だし、気にすることじゃないね」
そうして二人がパーティー会場に戻って、全員衆目の上でセレアの名前の入った手芸道具箱からハサミを取り出してみんなに見せた。
「ご覧ください。セレアのハサミです。どこにも欠けなんてないよね。きれいなまま大切に使われていたことがわかります。これを切ったのはセレアのハサミじゃないですね」
会場からほっと溜息が漏れた。フリードが悔しそうな顔をする。
「それを切ったのはリンスでもないぞ!」
そう大声を出してパウエルが走ってきた。小脇に手芸箱を抱えていて、それをテーブルの上にドカッと置く。なぜかドヤ顔である。
「……パウエル君、それどうやって持ってきたの?」
シンが聞くと、「リンスのロッカーから」と答える。
「だからどうやって開けたの?」
「たたき壊して」
会場全員があきれ返っている中、リンスが悲鳴を上げて倒れそうになった。それをあわててフリードが支える。
「……どこまで脳筋なの。それもう犯罪だよ」
「見ろ! リンスのハサミだ! どこにも欠けなんかないぞ!」
手芸箱からハサミを取り出して見せるパウエルの手元を、ハーティスが虫眼鏡で観察する。
「……ありますよ」
「え?」
「欠けがあります。先端から指二本分のところ」
「え? え? え?」
驚くパウエルの様子にピカールが肩をすくめる。
「パウエルくん、きみ、目も悪いのかい……」
いや、それをピカールに言われるのはさすがに気の毒な気がするシンである。
ハーティスがドレスの切れ目に並べてハサミの刃を入れて、同じ切痕を付けた。
「ほら、完全に一致します。このドレスを切り刻んだのはリンスさんのハサミです」
倒れそうなリンスを抱えてフリードが声を絞り出す。
「そんなの証拠になるか!」
「これが証拠だって出してきたのはフリード君でしょ」
シンはあきれて言い返す。
「汚いぞお前たち! 前もってハーティスと仕組んで、リンスに罪を擦り付けようとしたな!」
「そんなこと不可能だよ。このドレスずっと君が持っていたんでしょ? ハサミの跡なんて今ハーティス君が見つけるまでわかるわけないじゃない。どうやって事前に仕込んでおくのさ? 言いがかりはやめてよ」
「全部リンスの自作自演みたいに言いやがって!」
パウエルも怒鳴ったがシンは涼しい顔で受け流す。
「誰もそんなこと言ってないでしょ。よく思い出してみなよ、そのハサミ持ってきたの誰? 僕そんなこと一言も言ってないよ?」
言ってはいないが、もう卒業生全員の目が白んでいる。
「リンスは水をかけられたこともある! それをやったのもお前たちだ!」
「ああ、そのことならもう犯人はわかっています。生徒会でとっくに調査済です」
シンがそう言うとフリードもパウエルも驚愕した。
「学園でいじめがあるのは大問題です。だからその報告を聞いてすぐに調査しました。証拠もバッチリです。発表はしませんでしたが」
「なんで発表しないんだ!」
「特定の女生徒の名誉を守るためです」
「ふざけるな! この期に及んでまだセレア嬢をかばうのか!」
「……これ以上まだ恥をかきたいのかい?」
今まで誰も聞いたことがない、シンの怒りの低い声に会場が静まり返った。
「ここまで全部セレアが犯人だって証拠、何一つ出てきてないじゃないか。どの証拠も全部、リンス嬢の自作自演。おかしなことを言ってセレアに罪を着せようとしているのは君たちでしょ。君たちが後でどんな処分をされても構わないというなら続けます。ハーティス君、持ってきて」
そしてハーティスが持ってきたのは、なにか石膏の型だった。これはハーティスが説明する。
「リンスさんが水をかけられた後、僕とシン君で学園を調べてみたのですが、証言にあった、二階から落とされたという水の跡は校舎周辺で発見できませんでした。しかし水をかけられたということは学園で、バケツか何かに水を汲んだ人物がいたということになります。そこで学園の水場を調べてみました。御承知の通り手漕ぎポンプはくみ上げ高さに限界がありますので、二階に水場はありませんからね」
そして石膏の型を裏返す。
「体育館横の裏庭水場に残されていた足跡です。それを石膏で型を取り、保存しました。ご承知でしょうが、靴は職人がオーダーメイドで一足一足、手作りする物です。靴の形、靴の大きさ、靴底の一針一針の縫い目の幅、全て違います。また、靴というのは履かれているうちにすり減って、形が変わります。それは一人一人全員異なり、同じものは一つとしてないんです。歩きかたの癖や体重、体格で変わりますからね。学園長立会いの下に僕たち生徒会で採取しました。学園長のサインが石膏の型に入っています。ご覧ください」
会場にいる卒業生たちがその足型を覗き込む。
「ありがとうハーティス君。そういうわけで残された足跡を比較すれば、それが誰の靴だったかが明確に特定できるの。セレア、ちょっと靴脱いでみて」
セレアが言われた通り靴を脱いで足を出した。セレアの足元に跪いたシンがセレアの足に型を重ねる。
「……セレア、意外と足、大きいんだよね」
「……はい」
恥ずかしそうにセレアが顔を赤くする。
「見りゃわかるよね。これはセレアの足跡じゃないよ。大きさが違う。この足跡を残したのはもっと足の小さい女生徒ってことにならない?」
「ええ……」
フリードが愕然とする。確かにその靴跡は、靴を脱いだセレアの足より小さかった。
「じゃあ……その……、もしかして」
苦痛にゆがむフリードの声にハーティスが答える。
「はい、徹底的に調べましたよ。とはいってもまず最初に調べたのはリンスさんの靴なんですけどね。これはリンスさんの足跡です。リンスさんが学園で履いていた革靴と完全に一致します。大きさも、縫い目も、すり減り方までまったく同じです。この靴はリンスさんが演劇部の部室で夜会服に着替えた時置いてきたものをさっき拝借してきました」
どんっとハーティスが女生徒用の靴を裏返してテーブルの上に置いて、石膏型と並べた。
「だ、だ、だからってリンスが自分で水をかぶったって証拠にはならないだろ! たまたま水場の近くを歩いていただけってこともある!」
「おかしな話なんだけど、裏庭の手漕ぎポンプ周辺の水場が一様に濡れていたよ」
「水場なんだから濡れているのは当たり前だろう?!」
わからないのか、フリードがシンに言い返す。
「逆だよ。水場だから濡れないようにしてあるんだよ。現に石のブロックで水が落ちる部分は囲われていて排水されるようになっている。手漕ぎポンプを使うたびに周りが水浸しになんてなるわけ無いんだよ。現場が濡れていて靴跡が残っているってことがおかしいんだ。妙だろ? 靴跡を中心に水で地面が濡れていた。それは学園長も確認してくれました。そうだねえまるでこの靴跡の人物がそこでバケツで自分で水をかぶったみたいに、ね」
「だからってリンスを犯人扱いするなんて……」
「だから僕はリンスさんが自分で水をかぶったなんて言わないし、彼女の名誉を守るために生徒会では今まで不問にしていましたけど? 君たちが持ち出さなかったらこの件、なかったことになっていましたが?」
「ぐっ……」
シンの話にフリードが黙った。いじめの犯人が女生徒の自作自演だとわかったら、生徒会がそれ以上追究しなかったのはむしろ感謝すべきであろう。
リンスはもう目をつぶったままピクピクしている。気絶したふりをしているのは明らかである。
そのリンスを床に寝かせて、フリードが立ち上がった。
何か言ってやりたいが、何も言い返せず、その顔が青黒く変わっていく。
そのフリードのもとに、会場に来ていた一人の女生徒がずんずんと怖い顔で歩み寄って、いきなり、フリードの顔をパーンと勢いよく平手打ちした!
「えええええええ!」
この展開はさすがのシンも驚いた!
今、フリードの顔をひっぱたいた一年女子、シンの弟であるレンの婚約者、ミレーヌ・ビストリウス公爵令嬢である!
「最初から全部見ていましたわお兄様」
「ミ、ミレーヌ……」
「お兄様のシスコンぶり、以前からずっと我慢を重ねておりましたが、今度という今度はもう我慢がなりません! こんなくだらないことでわたくしが敬愛するシン殿下を廃嫡なさろうなどと恥をさらすのもいい加減になさいませ!」
「……えっと、どういうこと? ミレーヌさん」
「このシスコンの恥さらしな格好つけのクールぶりっこは、わたくしの兄なんです!」
「えええええええ!」
そんなのぜんっぜん知らなかったシンである!
「知らないのも無理はないです。子供のころ、三男坊だった兄はビストリウス公爵家から、男子のいなかったブラック侯爵家に養子に入ったんです。恥ずかしながら、この男はわたくしの実兄なんですよ!」
「そうだったんだ……」
ただクールってだけじゃなくて、いつも偉そうだったのは本当だったら公爵家だったからなのかとシンは理解した。多少ひねくれて育ったのもそのせいだったのかもしれない。
「兄は、いつもいつもいつも本当だったら私が王妃だって世迷いごとを言ってましたよ。シン様がセレア様と婚約され、私がレン殿下と婚約してから、シン様を王太子の座から引きずり下ろすことばかり考えて……」
「あー、わかった! フリード君、ずーっと僕の事嫌ってたよね。そのせいか!」
「お前が……お前が、ミレーヌを選ばなかったから!」
いやそんなこと言われてもとシンは思う。公爵家のお茶会、順番にやる予定だったっけと。セレアがダメだったら、二番手、三番手にミレーヌ嬢がいたってことである。
ぱあんと、二発目の平手打ちがフリードの頬に炸裂した!
「誰がそんなことを頼みました!!」
「おまっ、お前が五歳の時に、『王子様のお嫁さんになってプリンセスになりたい』って言ったから!」
「そんな五歳児が絵本読んで妄想したような夢物語、真に受けるな!!」
ぱあん! 三発目の平手がフリードを襲う!
「やっ、やめ! やめろってミレーヌ!」
あわててシンの弟の第二王子、ミレーヌの婚約者のレンが飛んできてミレーヌの手を抑える。
「わりい、兄上。俺には兄上を差し置いて王太子になる気なんて全くないよ。兄上の凄さは一番近くで見てきた俺が一番知ってる。国政なんて兄上に任せるのが一番だと思ってる。俺はそれを補佐できれば上々なんだ。そこは勘違いしないでくれ、頼むよ」
まだ暴れるミレーヌを優しく抱きしめて落ち着かせようとするレンの姿に、シンは一安心した。どうやらレンとミレーヌ嬢の関係は良好なようである。
「兄上が! バカな兄が、重ね重ねの失礼、誠に申し訳ありません!」
ミレーヌ嬢も膝をついて、頭を下げて、最大限の礼を取る。
「わたくしも、レン殿下も、そのような大それたこと考えたこともございません! シン様とセレア様が、どれほどこの国のために尽くしてくれているか、お傍でいつも拝見させていただいて、この方こそが国の王、王妃たる者にふさわしい方であると十分承知しております!」
レンも膝をついてミレーヌに並んで頭を下げた。
レンとミレーヌ、二人にきっちり頭を下げられて、シンもセレアもさすがに困り顔である。
「……わかってるよレン、ミレーヌさん。何事にも万一のことはあるからさ、僕がなにかダメになった時のために、二人、これからも今まで通り頼むよ」
「で、では!」
「ああ、もちろんこのことは不問にする。なんにもなかったってことでいいよ。僕らもフリード君もまとめてただの兄妹喧嘩ってことで、このことは終わりにしよう」
「あ、ありがとうございます!!」
二人、さらに頭を下げた。
「フリード君。あと、パウエル君も」
シンがすっかり気が抜けたようになった二人に声をかける。
「悪いけど、もう帰ってくれる? パーティー、続けたいからさ」
「……わかった」
「すいませんでした」
フリードと、パウエル、うなだれて会場を出ようとする。
「待って」
その二人をシンが呼び止めた。
「忘れ物だよ」
シンがまだ寝転がって床で気絶したふりを続けるリンスを指さした。
パウエルが会場に備え付けの担架を持ってきて、フリードと二人でリンスを載せる。
「いくぞ」
「よいしょお!」
二人、リンスを乗せた担架を抱えてのろのろと会場を出ていく。
シンがそれを「どっかで見たような……」と激しくデジャブを感じたのは言うまでもない。
「……入学式も、卒業パーティーも、担架で退場って、ヒロインっていったいなんなんでしょうねえ……」
セレアの独り言に、思わず吹き出すシンである。
ぱあんと手を打って、「さあ! パーティーを続けましょう!」と会場に声をかけるシンに、わあ――――っと声が上がったところを、ジャックは料理をもぐもぐしながら眺めていた。その横でジャックの皿に料理を盛りながら、シルファがからかう。
「ジャック様、全然出番ありませんでしたね。絶対何か言いに行くと思ってました」
「モグモグ……ゴックン。シンだったらあれぐらい自分でなんとかしちまうに決まってるじゃねーか。子爵の処世術なめんな」
「……なんです子爵の処世術って?」とシルファが不思議そうな顔をしてジャックに問う。
「いいか俺らぐらいの子爵ってのはな、あんな高位の貴族からしたら八つ当たりにちょうどいい相手でな、勝ち組についても負け組についても結局、絶対に後で損すんだよ。こういう場合は黙って隠れてるのが一番なの!」
「ジャック様、成長しましたね!」
「いや、成長したのはシンだね。ありゃあいい王様になるわ。俺らがガキの頃、友達だったってのを自慢できるぐらいすごい王にな」
「なってもらわないと困りますわ。それに、ジャック様もね」
テーブル席に座っているジャックの後ろから、シルファがぎゅっと抱き着いて、大変立派に成長した豊かなものが、ジャックの首筋に押し付けられた。