●ボツになった展開集、その3B 前編
「僕は婚約破棄なんてしませんからね」、一迅社様より本日発売!
ご支持いただいた読者様のためにお礼を込めてIFストーリーをお送りいたします。
「●ボツになった展開集、その3A」の別パターン(配役変更)です!
「さあシン、これだけの証言がもうあるんだ。今更違うとは言わせない!」
クール担当こと侯爵長男、フリード・ブラックがセレアを断罪する。その横ではフリードに守られるように目に涙を浮かべた男爵令嬢、リンス嬢がいた。
「お前の婚約者、セレア嬢がこのリンスに数々のいじめを行っていたこと、とっくにわかっているんだ。なにしろ俺たちはいつもその現場にいたのだからな」
鋭い目を走らせるフリードのさらに後ろには脳筋担当、近衛騎士隊長長男のパウエル・ハーガンが控えて、これも怖い顔でシンとセレアをにらみつけていた。
「……あー、その前に、ちょっといいかな聞いても」
セレアの前に割って入るようにしているシンがあきれたような声を出した。
「まず、ここはどこだと思う?」
「卒業パーティーだ」
「そんななごやかなおめでたい場でそれ今言うこと? パーティーをめちゃめちゃにしたいの?」
「今までリンスに止められていたのだがな、証拠も出そろった今、全校生徒を味方にできるタイミングは今しかない」
「君、クール担当なだけに冷静で分別をよく心得て、非常識なことはしない人間だと思っていたんだけど、そうでもないみたいだね……」
シンの煽りにフリードがさらに眼を鋭くする。
「いいよ。じゃあ全校生徒に話を聞いてもらおう。みんな!」
シンが声を上げると、パーティー会場の卒業生たちの目が集まった。
「今からフリード君がセレアのことを断罪するんだってさ! ちょっと話を聞いてあげてよ!」
シンとセレア、向き合うフリードとリンスにパウエルの五人の周りに人が集まって輪ができた。この予想外のシンの振る舞いに三人は少しだけ、焦りが見えたが、今更、引くに引かれぬようにキッと二人をにらみ返す。
「まずセレアが何をやったのかをどうぞ」
余裕しゃくしゃくといった感じでシンが手を前に出して促す。
「とぼけやがって……。このリンスに自分が公爵令嬢なのを笠に着て、いままでさんざんいじめをやってきただろう。何度も恥をかかせてきたはずだ」
「初耳だね。なんか証拠はあるのかい?」
「最初の嫌がらせはまず入学して間もなくだ。お前、リンスの背中に、『私は元平民です』って紙が張られていたのをはがして証拠隠滅しただろう! あれがセレア嬢が書いたものだと気が付いてな!」
「あーあれか」
「王子たるお前が一生徒のリンスにわざわざそんなことをやってやる必要なんてあるわけない。そんなことをするのはそれがセレア嬢絡みだったからに決まってる。パウエルがちょうどその現場を見ていたぞ。第一の目撃証言だ」
シンはちょっと顎に手を当てて、考えた後、ピカールを呼ぶ。
「ピカール君! あの時、君もその場にいたよね!」
くるっくるっとターンしながら、特別仕立てのアクセサリーで飾られた卒業ダンスパーティー用のタキシードで伯爵長男、ピカール・バルジャンが輪の中央に登場した。さすがにもう誰もそのことに突っ込まないのだからすっかり定着したものである。
「お声かけありがとうシンくん! うん、まさにその場にぼくはいたね!」
「先生!」
学年の主任教師も輪の中に進み出る。
「あの時の紙、用意していただいていましたよね」
「はい、これですね」
そして教師は箱の中に保管された、一度くしゃくしゃに丸められて広げたような紙を持ってきた。
「あの後、僕とピカール君の二人で先生のもとにこれを持って行って報告したよね。ほら、この紙に僕と君と先生のサインが入っている。あの時三人でこれは証拠になるからってサインしたの覚えてる?」
「うん、間違いないね。リンス君の背中に張られていたのはこの紙だよ」
ピカールの確認が取れたので、シンが頷く。
「みなさんは指紋というのをご存じでしょうか?」
会場のみんながシンの解説に怪訝な顔をする。
「指紋?」
「ご自分の指を見てください。指の腹にぐるぐるの渦巻き模様があるでしょう」
全員が自分の手を見る。
「ほんとだ」
「気が付かなかった……」
「言われてみれば……」
「この指紋は一人一人、一本一本の指で全て形が異なり、同じものは一つとしてないんです。古くから拇印を押す習慣が平民にもありますが、これで個人を特定できるということは知られていると思います。それを犯罪捜査に応用したわけですね。手の指の脂が付着することで、粉を振りかけると犯人が触った指紋を可視化することができるんです。今では衛兵団での犯罪捜査にも取り入れられており、検挙率を三倍にするほど効果が上がっているんですよ」
これを犯罪捜査に応用するのはセレアの前世知識によるものである。シンがセレアのアイデアを聞いて、衛兵団室長に提案したのだ。今はもう指紋監査官が衛兵団に常駐している。
「まず、ついていたのは僕の指紋、それにこれを拾ったピカール君の指紋です」
「当然だね。シンくんがそれを丸めて、ぼくが拾ったんだから」
ピカールもそれを認める。
「それとは別についていた指紋……。この指紋、小さいんですよね。子供、あるいは女性のような。これを付けたのは女性ではないかと思われます」
フリードとパウエルの二人がそろってセレアを睨みつける。
「さて、監査官さん! これ、誰の指紋か、わかりました?」
シンが呼ぶと、衛兵団の紋章の制服を着た中年男が進み出てきた。
「はい、徹底的に調べろってご命令でしたので、調べさせてもらいましたよ。すぐにわかりました」
「ありがとう。みなさん、衛兵団室の指紋監察官さんです。法務大臣から権限を与えられて国内の犯罪捜査で鑑識をやってもらっています。では結果をどうぞ」
「これはセレア様の指紋ではありませんでした」
会場は誰も声を出さない。もちろん、セレアがそんなことをやるわけがないと会場の全員が思っていたからである。
「誰の指紋でした?」
「言ってもよろしいのですか?」
「言ってもいい? リンスさん」
シンがにっこり笑ってリンスに問いかける。リンスは真っ青になって、「ダメ……、ダメ……」と蚊の鳴くような声で首を横に振る。
「ダメですか。ではこれは証拠にならないということでいいですか?」
「お前、そんなことでリンスに罪を着せようとしやがって、汚いぞ!」
パウエルが怒鳴る。
「そんな指紋いくらでも捏造できるだろう!」
クールなはずのフリードも声を荒げる。
「おかしいですねえ。誰もこれがリンスさんの指紋だなんてまだ言ってないですよ? それにセレアの指紋がなかったというのは捏造ができますが、リンスさんの指紋が付いているのはどうやって捏造するんです? 実際にリンスさんに触ってもらうしかやりようがないじゃないですか。ありえないでしょ? なのにリンスさん自身がダメだという。自分の知らないうちに背中に張られていた紙にリンスさんの指紋がついてるわけがないはずなのに、へんですねえ」
「そんなのが証拠になるか!」
「現物がここにあるのになんで証拠にならないんですかねえ……、しょうがないか。ではこれは証拠にならないということで、破棄しましょう」
シンはそう言って、目の前でその紙をびりびりに破いてしまった。
これにはフリードも、パウエルも、リンス自身も驚きだ。
「さ、次をどうぞ」
ひらひらとパーティー会場の床に舞い散る紙片と、挑発的なシンの態度にフリードたちの顔が赤くなる。
「それだけじゃない。リンスは教科書を破かれた!」
「あーそれね。あれは僕が回収したよ。結局僕、あの教科書一年間使ったねえ。あっはっは!」
「あれもセレア嬢が破いたものだ。それをお前が証拠隠滅したな?」
これにはピカールが大げさに嘆いて、首を横に振った。
「……リンスくん。きみ、シンくんにサイン入りで教科書を下賜してもらっていたじゃないか……。その恩も忘れて、シンくんたちを犯人扱いするのかい。それ、きみがフリードくんに申し立てたのかい?」
ピカールの目は悲しみに満ちていた。さすがに良心の呵責があるのか、リンスが眼をそらす。
「あれは別に指紋を調べたりはしなかったよ。誰が破いたかなんてどうでもよかったしね」
「ほら見ろ。犯人がセレア嬢ではないという証拠がなかったということだ」
「それ以上にセレアが犯人だという証拠もないけど?」
輪の中に伯爵三男のハーティス・ケプラーが進み出てシンに紙袋を手渡した。
「さっき頼まれていたやつです。一応、会場に持ってきましたけど」
「ありがとうハーティス君。さ、これがその時の教科書です。リンスさん、これ君の教科書だったよね。君の書き込みがあちこちにされています、間違いないね?」
紙袋から取り出された破かれた教科書を出して、シンがリンスに見せる。これにはリンスも頷くしかない。
「これはリンスさんの歴史教科書でした。ご覧のようにビリビリに破かれてしまっています。明らかに誰かのイヤガラセですね。僕がこれを自分の教科書と交換してあげたのを、リンスさんのクラスの皆さんは全員目撃しましたね?」
卒業パーティーに出席していたリンスのクラスメイトが全員頷いた。
「メルヴィス君、リンス君のクラスの学級委員長を君がやっていたわけだけど、あれからゴミ箱を調べてこの教科書の破かれた紙片を全部回収してくれたよね。それってまだある?」
「持ってきます!」
声をかけられたメルヴィスが走って会場を出て、しばらくしてから戻ってきた。
「ありがとう。三年間も保管しておいてくれて」
「いいえ、頼まれましたんでね、袋に入れてファイルしておきましたよ」
メルヴィスがお役に立てて何よりとばかりに笑う。
「さて、みなさんこの教科書を見てください」
シンは破かれた教科書のページを開いてみんなに見せる。
「ここ、ページの隅っこに小さい絵が描いてありますね?」
みんなが目を凝らしてシンの周りに集まって教科書を見る。
「これ、こうやって……、パラパラって本を丸めてめくると、絵が動くんですよ! 凄いです! 面白いですね! これ、リンスさんが描いたんですよ!」
「うわ、凄い」
「これリンゴ? リンゴから黒猫が飛び出してお尻を振って……」
「うわー面白い。本当に絵が動いてるみたい」
会場のみんなが感心した。リンスがその反応に赤くなる。真面目に授業を受けてなかった証拠である。
「それがどうしたって言うんだ! ふざけるのもいい加減にしろ!」
フリードがまた声を上げる。
シンは破られたほうの紙片を全部テーブルの上に並べだした。
「ご覧ください、破られたページにはこの動く絵、パラパラ漫画というそうですが、それの続きが描かれていません。このパラパラ漫画は途中までしか描かれていなかったんです。残念ですね。どうせなら最後まで見たかったのに」
シンは本気で残念そうである。みんなが並べられたページを見る。確かに破られたほうの紙片にはページの隅っこには何も描かれていない白紙だった。
「つまりこの教科書を破った人物は、この教科書にこのマンガが描かれていたことを知っていた。マンガが描かれていない部分だけを破った。それはせっかく描いたこのマンガまで破ってしまうのはもったいないと思っていた人物ということになります」
……会場が静まり返った。そんなことを考える人間は一人しかいない。
全員がリンスを見て、見られているリンスは真っ青である。
「そんなのがなんの証拠になるっていうんだ! ただの偶然じゃないか!」
いいかげん、追い詰められてきたフリードが大声を出す。
「だからこれも証拠にはなりませんね」
シンはびりびりになった教科書を下手投げで投げた。その教科書はゆるやかな放物線を描いて、会場の隅にあったゴミ箱に見事なコントロールでずぽっと入ってしまった。
「さ、まだ何かありますか?」
フリードは悔しそうだ。声を振り絞って、「破られたドレスがある」と言う。
「ドレス?」
フリードが会場の隅に置かれたカバンを持ってきて、その中身をテーブルにぶちまけた。
「破かれたリンスのダンス練習着だ! これを破ったのもセレア嬢だろう!」
「なんでもかんでもセレアのせいにしないでよ。何の証拠があるの?」
ビリビリのダンス服を持ち上げるフリード。
「見ろ。破られたとは言うが、実際にはこのようにハサミで切り刻まれている。男ならともかく、か弱い女では服を破くというのは力が要るからな。だからハサミで切ったんだ。犯人は女だ」
「だろうね」
フリードの説明にシンも頷く。
「このことからハサミの特徴がわかる。このハサミの刃渡りは、女生徒が手芸の授業で使う学園支給のハサミで間違いない。犯人は学園内の手芸の授業を受けていた女だ。セレア嬢は手芸の授業を取っていただろう!」
「いやそれだけでセレアが犯人扱いされるのはまったく理由がわからないけど……」とシンがさすがにそれは無理があるだろうと首を横に振る。
「無理はないさ。手芸の授業を受けていた女生徒は二十七人。その中でリンスに恨みを持ち嫉妬を募らせるような女はセレア嬢以外にいないだろ」
「いやだからなんでセレアがリンス嬢に嫉妬を募らせるの? 肝心なそこのところちゃんと説明してよ。動機がないと説得力も何もないでしょ」
「……リンスが成績でお前の婚約者も上回り、お前のトップをも脅かすようになった。二年も三年もリンスがミス学園となり、目障りになったからだ」
セレアが何か言いそうになるのをシンが抑える。
「僕はリンスさんに一度も成績を抜かれたことがないし、そんなこと別にどうでもいいけど?」
「リンスはセレア嬢を抜いて女子の成績トップだったじゃないか」
これにはシンもあきれ顔だ。
「僕も王室も、セレアが学園で成績トップであることなんか望んじゃいないよ。セレアは王妃教育だけでも学園の何倍も勉強させちゃっていつもすまないと思っている。別に女子のトップでいる必要なんて全然ないね。学園がセレアの息抜きになっていればそれでいいよ。そんなことは王子妃の資質にまったく影響ないし、セレアがそんなの気にする必要もないさ」
大部分の学生も意外そうな表情になった。
セレアが勉強を頑張っていたのはよく知られている。それも王妃に必要な資質の一つで、それが求められているんだと思っていた人間が結構いたということになる。
「……ミス学園のほうはどうだ。未来の王妃たるセレア嬢がミス学園の座を男爵令嬢ごときに奪われるなど屈辱に他ならないと思って当然だ!」
「それ君のほうがリンスさんに失礼でしょ。そんなのどうでもいいよ。だってもう僕とセレアは婚約しているんだよ? ミス学園って僕の結婚相手を選ぶ行事じゃないでしょう? シンデレラじゃないんだからさ」
卒業生のみんなが笑い、赤くなったセレアがシンの顔を見上げて、シンが頷く。
「王妃教育もやって、学園でも成績トップでミス学園にも選ばれろって? 婚約者にそんな厳しい条件付けたら僕一生独身だってば。そんな女の子が現実にいたら、女王様になってもらって僕は王位を譲って楽隠居したいねえ」
これには周りのみんなが大爆笑した。
笑われて頭に来たのか、フリードが「学園の武闘会でも、パウエルにわざとお前に負けるようにリンスに言ったそうじゃないか!」と叫ぶ。
会場がざわざわっとする。
「私そんなこと一切言っていませんが……」
セレアの反論に後ろでパウエルが憤る。
「言った! 言ったね! 現にリンスは俺に、『お願いだから王子様に負けてあげて、でないと私が王子様の婚約者に……』って泣いて頼んできた!」
「……僕、武闘会に出場してないじゃない?」
「なんだと?」
「だから、僕、三年間、一度も武闘会には出場してないでしょ?」
「嘘をつくな! 毎年毎年、出てきては俺の優勝を奪いやがって!」
パウエルが怒る怒る!
「お前、いつも顔を隠してニンジャマンとかいうふざけたかっこで出場していたじゃないか!」
会場がみんなびっくりである。毎年顔を隠した黒装束で十手だけを携えて出場しては、三年連続で優勝をかっさらっていたあの謎の忍者がシンだったとは誰も知らなかったのだ。
「あーあーあー、ばれちゃったか……。よくわかったねえ」
「リンスが、あれは王子だって教えてくれた」
ゲームの決勝戦で当たるのは王子。それはゲーム展開にあったはず。リンスはそれで知っていたということになるかとシンは思った。
「そうなんだ。で、君はそのせいで僕に手加減したのかい?」
「するか! 本気で叩き潰してやろうと思ったに決まってる! 俺がセレア嬢の魔の手からリンスを守れば済む話だ!」
パウエルが憎々しげにシンをにらみつける。ここでわざと負けてやったという話にしないと矛盾することに気づいていないところが語るに落ちている。
「本気出して三年連続で負けたんだったら文句ないでしょ……。僕に勝てないヤツになんでセレアが負けろって意地悪するの? 必要ないよね?」
これは会場のみんなが納得した。そもそも学園の誰が見ても、いや、剣に見識のある人間が見ればなおさら、試合に圧倒的な実力差があったのは明らかだったからだ。パウエルは試合で、本気で打ち込んだ木剣を何度も、シンに簡単にもぎ取られていた。奪った木剣を場外に放り投げているニンジャマンを学園の全員が目撃している。それを拾いなおしに行くパウエルの情けない姿もだ。
逆に王子がパウエルを負かしていなかったら、この男がどこまで増長したかは簡単に想像がつく。むしろこの傲慢な男に仕置きした王子の株が、かえって上がったというものである。
それをまるっきり聞き流しているハーティスがそのテーブルの上に広げられた、びりびりのドレスをさっきから虫眼鏡で一生懸命観察している……。




