●ボツになった展開集、その3A 後編
「では次、他にも、リンスさんが学園の二階から、水をかけられるという事件が起きました」
ハーティスの言葉に会場がざわめく。
「それも君がやったんだろう!」
「言いがかりです。私そんなことやってません!」
反論するセレアにシンが指をさして決めつける。
「君はそのとき二階にいたのを目撃されている!」
「それだけで? 私の教室は二階です。私が二階にいるのは当然でしょう?」
「ハーティス君!」
ハーティスにまた声がかかった。
「今度こそ頼むよ!」
「お任せください」
そうハーティスが言って取り出したのは、なにか石膏の型だった。
「リンスさんが水をかけられた後、学園を調べてみたのですが、水をかけられたということは学園で、バケツか何かに水を汲んだ人物がいたということになります。そこで学園の水場を調べてみました。御承知の通り手漕ぎポンプはくみ上げ高さに限界がありますので、二階に水場はありませんからね」
そしてハーティスが石膏の型を裏返す。
「体育館横の裏庭水場に残されていた足跡です。それを石膏で型を取り、保存しました。ご承知でしょうが、靴は職人がオーダーメイドで一足一足、手作りする物です。靴の形、靴の大きさ、靴底の一針一針の縫い目の幅、全て違います。また、靴というのは履かれているうちにすり減って、形が変わります。それは一人一人全員異なり、同じものは一つとしてないんです。歩きかたの癖や体重、体格で変わりますからね。学園長立会いの下に僕が採取しました。学園長のサインが石膏の型に入っています。ご覧ください」
会場にいる生徒会メンバー、攻略対象者がその足型を覗き込む。
「なので残された足跡を比較すれば、それが誰の靴だったかが明確に特定できます。セレアさん、大変失礼なのですが、靴を脱いでおみ足を拝見できますか?」
「……私が今履いているのは夜会用のパンプスです。いつも学園で履いていた靴じゃあありません」
「問題はそこじゃないんです。どうぞ」
今度こそ、シンが確信めいたドヤ顔でニヤニヤした。
「さあ、やってもらおう、セレア」
セレアがしかたなく、靴を脱いで足を出した。セレアの足元に跪いたハーティスがセレアの足に型を重ねる。
「……セレアさん、意外と足、大きいんですね」
「……はい」
恥ずかしそうにセレアが顔を赤くする。
「ご覧になってもうわかりましたね。これはセレアさんの足跡じゃありません。大きさが違います。この足跡を残したのはもっと足の小さい女生徒です」
「ええ……」
シンが愕然とする。確かにその靴跡は、靴を脱いだセレアの足より小さかった。
「じゃあ……その……、もしかして」
「はい、シン君が徹底的に調べろって言いましたからね、徹底的に調べましたよ。これはリンスさんの足跡です。リンスさんが学園で履いていた革靴と完全に一致します。大きさも、縫い目も、すり減り方までまったく同じです。この靴はリンスさんが演劇部の部室で夜会服に着替えた時置いてきたものをさっき拝借してきました」
どんっとハーティスが女生徒用の靴を裏返してテーブルの上に置いて、石膏型と並べた。
「だ、だ、だからってリンスが自分で水をかぶったって証拠にはならないだろ! たまたま水場の近くを歩いていただけってこともある!」
「リンスさんが自分で水をかぶったなんて僕は一言も言ってませんけど?」
「ぐっ……」
シンが黙った。
「おかしな話なんですけど、裏庭の手漕ぎポンプ周辺の水場が一様に濡れていたんですよ」
「水場なんだから濡れているのは当たり前だろう?」
「逆です。水場ですから濡れないようにしてあるんです。現に石のブロックで水が落ちる部分は囲われていて排水されるようになっています。手漕ぎポンプを使うたびに周りが水浸しになんてなるわけ無いんですよ。現場が濡れていて靴跡が残っているってことがおかしいんです。妙なんですよね。靴跡を中心に水で地面が濡れていた。それは学園長も確認してくれました。そうですねえまるでこの靴跡の人物がそこでバケツで自分で水をかぶったみたいに、です」
場はシーンと静まり返った。リンス嬢はもう真っ青になってぶるぶる震えている。
「……ハーティス君、話が違うよ! 僕はこんなこと頼んでいない!」
「頼んだのはどんなことなんです?」
「なんでもいい、間違いない証拠を挙げろって!」
「おっしゃる通りにいたしましたが?」
「そういう意味じゃない!」
「じゃあどんな意味だったんです?」
白々しく、ハーティスが真顔でシンに問い返す。
「さあ、言ってください。僕にもわかるように、他の皆さんにも聞こえるように、いったいどういう目的で、何の意味があって、この証拠を集めろって、間違いない証拠を挙げろって、僕に言ったんですか? 答えてください」
さすがにこれはシンが黙った。とても二の句が継げる状況ではないようである。
「……もういいんですハーティスさん。私は殿下を貶めたいわけではありません。先ほどの婚約の破棄、お受けいたします」
「でもセレアさん……」
ぱち、ぱち、ぱち、ぱち……。
場違いな拍手の音が響き渡った。振り返るとピカールが拍手していた。
「尊い。いや、実にいじらしい。そうまでして殿下の気を引きたかったと。殿下に愛されたかったと。リンスくん、きみのその殿下に対する並々ならぬ愛情、このピカール、感服いたしました。シンくん、きみは果報者だよ。これからも変わらずリンスくんを愛してやってくれたまえ」
そう言って拍手をやめて、ピカールは肩をすくめた。
「ただ、セレアくんのことは、もうこれ以上かまわないでやってほしい。彼女に自由な愛の翼を与えて、羽ばたかせてやってくれないか。婚約の『破棄』ではなく、『解消』で……。どうだいシンくん」
「……同感だ。シン、もうあきらめろ」
クール担当、フリード・ブラックがそう告げる。
「俺もそれでいい。二人とも好きにすればいい。だがセレア嬢を巻き込むな。頼むよ殿下」
パウエルが珍しく殊勝なことを言う。
シンは周りを見回した。驚くべきことに卒業パーティー会場は人が減ってがらんとしていた。
王子の大変な醜聞である。現場にいたら、この件に関わっていたらあとでどんな咎めがあるかわからない。目撃者になることさえも恐れて卒業生、関係者一同、そそくさと会場を去ってしまっていたのだった。
頷いて、ハーティスが語り出す。
「シン君、いや、殿下。この件、なかったことにしていいですか? この件で誰も処罰しない。誰も咎めない。セレアさんも、僕も、ここにいて目撃した人を全員です。そして、セレアさんを殿下の元から解放してあげる。それでいいでしょ? そうしてくれるって言うのなら、僕らはもうこの件について何も言いませんし、今まで通り殿下の力になりましょう。いかがですか?」
シンはガックリとうなだれた。
「いいよ……」
「みんな、聞きましたね?」
ハーティスがその場のみんなに確認する。
「ああ」とフリード。
「見事だよハーティス君」と微笑むピカール。
「ま、よろしく頼むわ、殿下」とパウエル。
「認めよう」と国王陛下。
「へ、陛下!!!!」
一同驚愕である!!
「ち、父上……いつの間に」
「『セレア・コレット嬢! 僕はここに、君との婚約破棄を言い渡す!』……からだったかな?」
あああああああっとシンが頭を抱えて跪く。
「……一同に問おう。どうかね。シンはこの国の次期国王たる資質があるかね?」
「十分に、陛下」とハーティスが答える。
「恋の病は一時的な物。恋が叶えば完治します。シン君は公務でも、生徒会の仕事でも、勉学でも、ずーっとこの学園のトップを三年間維持してきましたよ。その実力は申し分ないし、そのための努力も僕は一番近くで見ていました。武闘会でも三年連続で優勝していましたし、武勲でも敵うものなしです。僕は今後もシン君の力になりたいですね」
「私もです、陛下」
珍しくフリードがちゃんと礼を取り、陛下に頭を下げた。
「俺……私も、殿下のことはともかくとしても、代わらぬ忠誠を王家に誓います」
パウエルもきちんと礼を取った。
「ぼくもです。こんなことでぼくのライバルが失脚するなどということがあっては残念でなりませんから」
さすがにピカールの礼は優雅である。
「私からもお願いします。シン様の心が離れてしまったのはそもそも私の責任もあるのです。私の力の至らなさをお責め下さい。今後はシン様を別の形でお支えすることもできましょう。どうぞこの場はお納めください」
セレアがきっちりと礼を取る。
国王陛下は頷いた。
「……よき友人に恵まれたな、シン。これだけの失態を犯してなお、それを許してくれる友人たちに感謝せよ。これからも慢心することなく、自身の働きによって名誉を挽回せよ。期待している」
「ありがとうございます陛下……」
シンはもう床に這いつくばって土下座をした。
「セレア嬢。この婚約は解消とする。そなたには何の咎も無いことは余が保証し申し伝える。国王としてではなく、一人の親として詫びを申す。コレット家にも後に謝罪をしよう。どうか許してくれ」
国王陛下がセレアに頭を下げた。
「もったいないです陛下」
「さ、もうパーティーを続ける雰囲気ではないな」
国王陛下ががらんとした会場を見回した。
「気を付けて帰りなさい。おやすみ」
そう言って、会場を出ていく。
一同、最上位の礼を取って、その陛下を見送った。
「あの、シン様……」
リンスがシンに声をかける。
その声を無視して、振り払うようにシンが小走りに会場を出て行った。
「シン様! 聞いてください! シン様~~!」
そのシンをリンスが追っていった。
「やれやれ。さ、ぼくらも帰ろうか……」
ピカールが例によってヘンなポーズを決めて、みんなで笑う。
「ああ、せっかくのパーティーが台無しだ。まったく」
フリードも会場を出ていく。それに無言でパウエルも、ピカールも従った。
「ハーティスさん……」
「……これでよかったんですかね、セレアさん。なんか悪いことしたような気がします」
「よかったと思います。お味方いただいてありがとうございました」
セレアがハーティスに頭を下げた。
「僕は……。その、セレアさんを助けたくて」
「わかっています」
「今更だけど、僕は、ずっとセレアさんのことを」
「おっしゃらないで」
セレアがちょっと切なそうに、微笑んだ。
「今はまだ、これからいっぱいごたごたがあると思います。だから、今はまだおっしゃらないで。全てが穏便に片付いたら、こんな私でよかったら、また……」
ハーティスが頷いた。
「わかりました」
すっとセレアが、ハーティスの前に歩み寄り、その手を取った。
「だから、今日のラストダンス、一緒に踊ってください」
ハーティスが穏やかに微笑んで、その手を握り返す。
セレアよりちょっと背が小さいハーティスと、セレアの踊る影が、その夜のパーティー会場のカーテンに揺れていた。
「(どうすんだよ! 出るに出られないじゃないか!)」
テーブルクロスに隠れて、料理テーブルの下に潜り込んでいたジャックがシルファに言う。
「(だって見届けたいじゃない)」
「(あのなあシルファ、あれを全部見てたよって言ったら、シンと気まずくなるじゃねえか。知らんぷりしてさっさと帰ったほうがよかったって……)」
シルファは身をかがめて座っているジャックにもたれかかって、こてんと頭をジャックの肩に乗せる。
「(友達想いですこと……)」
「(あーあーあー、当分帰れねえぞコレ)」
「(セレアさん幸せそう。いいじゃないですか。こんな夜があっても)」
「(よくねえよ……シンの身にもなってみろって……)」
踊る二人をテーブルクロス越しに透かして見て、ジャックはため息するしかなかった……。
―僕は婚約破棄なんてしませんからね ボツになった展開集その3A END―
読んでくれてありがとうございます。本編の主人公が王子でなく、ハーティス君だったら、こういうエンディングにしていたでしょう。ゲームのメインキャラで正規ルートを進めて失敗したら、こうなってたんですなあ。続きを楽しんでいただけたなら幸いです。
一迅社様より「僕は婚約破棄なんてしませんからね」明日4月2日発売。
応援店さんで店舗特典の未公開SS(サラン姉さまのお話)を配布してくれます。
「書泉・芳林堂書店/まんが王倶楽部 他(一部店舗除く)」
書籍化本には、本編で謎のままだったリンスと黒猫のクロの出会いエピソードが書き下ろしで収録。
背表紙見てください。厚いですよね。320ページもあるんですよ!
次回、「ボツになった展開集、その3B 前編」
ストーリーは同じですが配役が変わりますよ!