●ボツになった展開集、その3A 前編 ※書籍化御礼!
「僕は婚約破棄なんてしませんからね」いよいよ発売が4月2日に迫ってきました!
ここまで支えていただいた読者の皆様にお礼の気持ちを込めて追加エピソードを四編、連日で短期集中連載いたします。IFストーリーです!
あんなに「君を守る」って言っていたラスティール王国第一王子、シン・ミッドランドは、学園が始まるとコロリとヒロインにまいってしまっていた。それはもう入学式で倒れたヒロインさんをお姫様ダッコして保健室まで連れていってしまうぐらい。思えばあれがゲーム開始のフラグだったのだ。それを見ているしかなかったことを、シンの婚約者である公爵令嬢のセレアは今更ながら後悔する。
まだわずか十歳の時に、シンに夜中に教会に連れて行かれて結婚を迫られたあのこと。さすがに怖くなって断ってしまったが、あの時、あの結婚の誓いを受け入れていたらこんなことにはならなかったかもと、セレアは思う。
そして今、卒業パーティーで、セレアは断罪の中心にいた。
「聞いているのかセレア!」
「はい、シン様」
こんな和やかな卒業パーティーの場で、いきなり生徒会メンバーを集めて断罪を始めるなんて、いくらゲームの通りだとは言っても、実際にこうして起こってみると常軌を逸した行為である。それほどまでにゲームの強制力というやつは強力なのかとセレアは思う。
王子だけでなく、副会長を務める侯爵長男であるフリード・ブラック。書記のハーティス・ケプラー伯爵三男。それに会計を務める男爵令嬢のリンス・ブローバー嬢まで引き連れて、これが後でどれほどの醜聞になるか考えてもみてほしかった……。
「このような数々のいじめを行っていたなど、僕の婚約者として、いや、この学園の生徒としてあるまじき卑劣な行為、断じて許すわけにはいかない!」
……こんな人じゃなかったとセレアは落胆した。王子はヒロインと出会ってからは、本当に人が変わったようにセレアに冷淡になっていった。公務も、生徒会の仕事も、きっちりこなすところはさすがであったが、それにセレアが寄り添うことはもう無く、そのかわりをこのゲームの世界のヒロイン、リンス嬢がどんな場合でも務めていたと言っていい。セレアはただただ、それが、寂しかった……。
「シン様、私そのようないじめなど一切やっておりません。覚えがございませんわ」
「とぼける気かい。証拠ならいくらでもあるんだけど?」
「ではその証拠をお示しください」
ふんっとバカにしたようにシンが笑う。
「いいのかい? 自ら逃げ道をふさぐようなことをして。素直に謝罪をすればまだ婚約破棄だけで許したものをさ」
そのシンの腕に絡みつくように手を回したヒロインのリンス・ブローバー嬢が涙目になってシンを見上げる。
「シン様、私はそこまでの処罰を望んでいるわけではないんです。シン様とセレア様の間をお邪魔するつもりもありません。私はただ、シン様にわかってもらいたかっただけで……」
「だが聞いた以上、それはもう見逃すことはできないよ。君にも恥ずかしい思いをさせることになると思うが、この場は耐えてほしい。ハーティス君!」
「はい」
そうして、生徒会長の懐刀、生徒会書記のハーティス・ケプラーが前に出てきた。セレアにとっても同じ文芸部の旧知の知人。こうして、今、セレアと反対側に立ち、シンの味方をしているハーティスがセレアには辛かった。
「まずはこの紙です。学園入学間もなくリンスさんの背中に張り付けてありました」
一度くしゃくしゃに丸められたものを広げたような紙を、ハーティスが手袋をした手で広げてみんなに示した。そこには「私は元平民です」と書いてある。
「そうだ。この筆跡、セレアと似ている。いや、君が書いたものだろう!」
「……私の字ではありませんわ」
「ふん、そう言うと思った。じゃあ決定的な証拠を出してやろう」
シンが自信ありげにハーティスを見る。
「みなさんは指紋というのをご存じでしょうか?」
会場のみんながハーティスの解説に怪訝な顔をする。
「指紋?」
「ご自分の指を見てください。指の腹にぐるぐるの渦巻き模様があるでしょう」
全員が自分の手を見る。
「ほんとだ」
「気が付かなかった……」
「言われてみれば……」
「この指紋は一人一人、一本一本の指で全て形が異なり、同じものは一つとしてないのです。平民には今でも一部で古くから拇印を押す習慣がわが国にもありますが、これで個人を特定できるということは知られていると思います。それを犯罪捜査に応用したわけですね。手の指の脂が付着することで、粉を振りかけると犯人が触った指紋を可視化することができるんです。今では衛兵団での犯罪捜査にも取り入れられており、検挙率を三倍にするほど効果が上がっているんですよ」
解説しているのはハーティスだが、元々それを衛兵室長に提案したのはセレアだった。この国にも拇印を押す習慣はあったので、指紋が個人の証明になることは知られていたと言えるだろうが、それを犯罪捜査に応用するのはセレアの前世知識によるものである。それが自分に牙をむくとは、さすがにセレアは思わなかった。
「まず、ついていたのは殿下の指紋です」
こほんと咳払いしてハーティスが言う。
「当然だ。リンスの背中からそれをはがしたのは僕だからね」
「それとは別についていた指紋……。この指紋、小さいんですよね。子供、あるいは女性のような。これを付けたのは女性ではないかと思われます」
生徒会のメンバーがそろってセレアを睨みつける。
「さて、セレアさん、あなたの指紋はすでにあなたの机から採取させていただきました。そうして比較した結果……」
会場の一同が息をのむ。
「セレアさんの指紋ではありませんでした」
ええええええ――――と会場がどよめく。
「え、な、え? どういうこと?」
「セレアさんの指紋と一致しませんでした。この紙を用意したのはセレアさんじゃないですね」
当たり前である。セレアはそんなことやっていない。本当に身に覚えがないのだった。
「だったら誰の指紋だって言うんだ?! 徹底的に調査しろと厳命したはずだよハーティス君」
「おっしゃる通り徹底的に調査しましたよ。これはリンスさんの指紋です」
「リンスの?」
「はい、リンスさんの机からも指紋を採取させていただきましたよ。これはリンスさんの指紋なんです。間違いないです。これだけべったりついていたら間違えようがありません」
「リ、リンスの背中に張ってあったんだ。リンスの指紋が付いていても何の不思議も……」
「ちょっとまった!」
くるくる回りながらピカール・バルジャン伯爵子息登場。今夜は一段とゴージャスなアクセサリーをキラキラさせた特別仕立てのタキシードだ。
「パウエルくん、この時現場にいたよね」
声をかけられたパウエル・ハーガン近衛騎士隊長、長男が頷く。
「いた」
「リンスくんは背中に張られた紙に全く気が付いていなかったよね」
「ああ」
「それをシンくんがはがしたんだよね?」
「そうだな」
「だったらリンスくんの指紋が付いているわけがない。知ってて張り付けたままにしていたということになるのかい? それもおかしいだろう」
「……」
珍しく理知的な話を展開するピカールに全員びっくりである。
「つ、次だ次!」
慌ててシンがこの件をスルーする。
「え? いいんですか? この件ちゃんと検証しないと……」
「破かれた教科書がある!」
「残念ですがあれは証拠にならないでしょう?」
「いいから出して!」
仕方ないという感じで、次にハーティスがビリビリに破かれた歴史教科書を出す。
「これはリンスさんの歴史教科書です。ご覧のようにビリビリに破かれてしまっています。明らかに誰かのイヤガラセですね。もちろんこれについても指紋を調べましたが、残念ながら指紋はリンスさんとシン君の指紋以外は付いていませんでした」
「セレア、これも君がやったことだろう!」
「……私の指紋がないのに、どうして私が犯人だっていうことになるんです?」
「これは歴史教科書。この国の歴史それすなわち王家の歴史。それを破くなんて王家に対する反逆であり不敬極まる。それができる人物などこの学園では限られている!」
「限られているのはわかりますが、だからってそれが公爵家の娘である私がやったことにはならないでしょう?」
いくらなんでも強引だとセレアは思う。
「……なるんだよ。聞いた話じゃ、指紋を犯人捜査に応用できるって衛兵室長に提案したのは君だそうじゃないか。つまり君はこの学園で指紋が証拠になることを知っている数少ない生徒だ。手袋を履いたりして指紋を残さないようにできるのはこの学園では君ぐらいさ」
「そもそも関わっていないとは考えてくださらないのですか?」
セレアは呆れた。
「さて、みなさんこの教科書を見てください」
ハーティスが破かれた教科書のページを開いてみんなに見せる。
「ここ、ページの隅っこに小さい絵が描いてありますね?」
みんなが目を凝らしてハーティスの周りに集まって教科書を見る。
「これ、こうやって……、パラパラって本を丸めてめくると、絵が動くんですよ! 凄いです! 面白いですね! これ、リンスさんが描いたんですよ!」
「うわ、凄い」
「これリンゴ? リンゴから黒猫が飛び出してお尻を振って……」
「うわー面白い。本当に絵が動いてるみたい」
会場のみんなが感心した。リンスがその反応に赤くなる。真面目に授業を受けてなかった証拠である。
「それがどうしたって言うの?」
シンが不思議がる。
「僕はその時、教室のゴミ箱を調べて破られた紙片を全部回収したんです」
「だったらそっちにセレアの指紋が残っているかもしれない!」
「無かったです。それは衛兵室長と一緒に確認しました」
「……何が言いたいのハーティス君?」
ハーティスが残された紙片を全部テーブルの上に並べる。
「ご覧ください、破られたページにはこの動く絵、パラパラマンガというそうですが、それの続きが描かれていません。このパラパラマンガは途中までしか描かれていなかったんです。残念ですね。どうせなら最後まで見たかったのに」
みんなが並べられたページを見る。確かに破られたほうの紙片にはページの隅っこには何も描かれていない白紙だった。
「つまりこの教科書を破った人物は、この教科書にマンガが描かれていたことを知っていた。マンガが描かれていない部分だけを破った。それはせっかく描いたこのマンガまで破ってしまうのはもったいないと思っていた人物ということになります」
……会場が静まり返った。そんなことを考える人間は一人しかいない。
全員がリンスを見て、見られているリンスは真っ青である。
「そんなの何の証拠にもならないじゃないか! ただの偶然かもしれない!」
シンが大声を出す。
「だからこれは証拠にならないと最初に申し上げましたよ……」
ハーティスは肩をすくめた。
「破れたドレスはどうなった!」
切羽詰まったシンが次の証拠を促す。
ハーティスは頷いて次の証拠である破られたドレスを提出した。
「破かれたリンスさんのダンス練習着です」
「そうだ、これを破ったのも君だろう!」
なんでもかんでも全部自分のせいにするつもりなのかとセレアは呆れた。
「シン様、私、そのようなことしていません!」
「証拠がある! さあ、ハーティス君、今度こそ頼むよ!」
頷いてビリビリのダンス服を持ち上げるハーティス。
「ご覧ください。破られたとは言いますが、実際にはこのようにハサミで切り刻まれています。男性ならともかく、か弱い女性では服を破くというのはなかなか力が要ります。だからハサミで切ったのです。犯人は女性だと考えられます」
それを聞いてシンがドヤ顔になる。
「このことからハサミの特徴がわかります。まずハサミの刃渡りですが、これに該当するものは手芸の授業で使われる学園支給のハサミで間違いないです。犯人は学園内の女生徒です」
「ほうらやっぱり」
そんなことでなんでセレアが犯人にされるのかはさっぱりわからないが。
「さて……、このハサミの切断痕なんですが、顕微鏡で良く観察すると刃先から指二本分の所に刃に小さな欠けがあることがわかります。なにか硬いものでも、例えばまち針でもうっかり一緒に切ってしまったせいでできた欠けですね。そこで教員に立ち会ってもらって、学園のロッカーからセレアさんの手芸道具箱を出してもらって検証しました」
シンが今度こそとニヤニヤとイヤな笑いでセレアを見る。ハーティスがセレアの名前の入った手芸道具箱からハサミを取り出してみんなに見せた。
「ご覧ください。セレアさんのハサミです。このように刃は欠けているところなど無く、きれいなまま大切に使われていたことがわかります。これを切ったのはセレアさんのハサミじゃないですね」
会場からええええええええーとざわめきが起こる。
「ち、ちょ、ハーティス君? 違うのそれ?」
「違いますよ。見りゃわかるでしょ」
「じゃあ誰がリンスのドレスを切ったのさ!」
「誰がやったのかはわかりませんけどね、ついでですので全女生徒のハサミを教員立会いの下で調べさせてもらいました。えーと、こっちはリンスさんの手芸箱で、ハサミを見ると切った痕と同じ場所、刃先から指二本分の所に欠けがあります。このドレスを切るのに使われたのはリンスさんのハサミと断定できます」
ハーティスがリンスの名前が書かれた手芸箱からハサミを取り出して、みんなに見せる。確かに刃先の所に小さな欠けがある。
「じゃあ実際にこのハサミでこのドレスを切ってみましょう。こうして……」
「そ、そんなのは証拠にならないだろ! 誰かがリンスのハサミを持ち出してやったのかもしれないし、後からリンスのハサミに欠けを作ったのかもしれない!」
「今この時までこれが証拠になるなんて誰も考えていなかったはずですが? それなのにどうやってこの服の切り痕とまったく同じ欠けを捏造できるんです?」
「ぐっ……。し、証拠はそれだけじゃないだろう! 次だ次!」
「ええ……。やって見せなくていいんですか? しょうがないなあ」
ちょっとがっかりしたハーティスが次の証拠に取りかかる。
「では次、他にも、リンスさんが学園の二階から、水をかけられるという事件が起きました……」