83.ゲーム・オーバー
僕は懐中時計を、ポケットから取り出します。
「今から時間を十五分戻します」
「はあ?」
会場のみんながぽかーんとします。
意味が解らないって感じですね。
「この国の法では、暦は国王陛下の発布です。陛下に権限の委譲を今、いただきましたので、僕の名のもとに行使させていただきます」
「どういうこと?」
ジャックが不審げに聞いてきます。
「だから、この会場で騒ぎが始まる前に戻すってこと」
そう言って、懐中時計のリューズを引っ張って、針を戻し、みんなに見せます。
「今から十五分前までの間に起こったことを全て不問にします。その上で、まだ抗議がある方は今の茶番をもう一度最初からやってください。五つ数えます。その間にどうするか決めてください。では数えます。ひとつ」
「な……」
「ふたつ」
レンがもう立っていられなくてその場に崩れ落ちますね。
「みっつ」
ヒロインさんがレンにしがみつきますが、それをレンが払いのけます。
「よっつ」
「ち、父上……」
レンが国王陛下を見上げていますが、陛下、そっぽを向いています。
「いつつ。では始めてください」
すたすたと、レンの婚約者のミレーヌ嬢が、レンの前に歩み寄って、淑女の礼を取って、頭を下げます。
「レン様。わたくしからレン様に、婚約破棄を申し上げたく思います。どうぞご了解ください」
「認めよう」
くっくっくって笑って、呆然としているレンの代わりに、国王陛下がそれを承認しました。
ぱあん! 僕は手を打って、みんなに言います。
「みなさん、お騒がせしました! ではパーティーを続けましょう!」
わ――――! って会場から歓声と拍手が上がります。
みんな、レンとヒロインさんから離れて、それぞれの歓談に戻ります。
レン、青い顔のまま、立ち上がってすたすたと小走りで会場から出ていきます。
残されたヒロインさん、もうなにがどうなってるのかわからない様子ですが、とりあえず一人で身を起こして、レンを追いかけようとします。
「れ、レン様ぁああああああ――――!」
「リンスさん!」
学園に入学して、初めてヒロインさんの名前を呼びました。今まで封印していましたけどね。もう大丈夫でしょうし。
ピンク頭、びっくりして僕に振り返ります。
「……忘れ物だよ」
松葉杖を指さします。
ヒロインさん、あわてて松葉杖を拾い、それを突きながら会場から出て行ってしまいました。
卒業生一同、爆笑です。
どうなっちゃうんでしょうねえ、これ。もうどうでもいいですけど。
「甘いな、シン」そういって陛下が笑います。
「だっていくら学園の中のこととはいえ、みんな不敬発言の連発でしたからね。後で遺恨の元になりかねませんから、無かったことにするしかないですって!」
今回の関係者を処罰するとなると、僕をひっぱたいたジャックやレンをひっぱたいたミレーヌ嬢が外せなくなります。味方になってくれた人だけ不問にするわけにもいかないでしょ。
まわりのみんな、今は友達の攻略対象のメンバー、それに大臣たち全員が、笑いました。大笑いです。
「殿下、これだけの騒ぎでの寛大なる処分、感服いたしましたぞ」
法務大臣も笑ってますね。だって僕にしてみればただの兄弟喧嘩なわけですし。
「いやあ、かわいい女の子の前で、ちょっといいカッコしたくなる。男の子だったら誰でもそうでしょう。若気の至りです。罰するほどのことじゃございませんて」
みんな、図星を突かれてバツが悪そうに笑いますね。国王陛下もです。
「……確かに。あの時、あの場に今の自分がいたら、あのときの自分、ぶん殴ってでもやめさせていたわって失敗がいくらもあるわ」
陛下の話を聞いて教育大臣が思い出したように言います。
「ミント嬢のことですかな」
「それは言うな!」
国王陛下が怒ります。ま、そのあと大笑いになるんですけど。
「学生である間だけ、身分を忘れて恋をする。そんなことあってもいいでしょう。卒業して、公私の区別が付けられればいいんです。それができるのが貴族なはず。この程度のことでいちいち人の人生、潰してしまう必要なんてないんです。みんなここに来るまで、十七年もかかっているんですから」
「まこと、王たる者の器です」
教育大臣の言葉に、ありがたく頭を下げます。
「しかし、みなさんなんでここに……。たかが学生の卒業式に」
「ここにおるものは、みんな殿下とセレア様の卒業を祝いに来たのだ。君たちの卒業をずっと待っておったのだよ。卒業後も、我らに力を貸していただけるよう、今後もご活躍いただけるように全員、お願いに来たのだよ!」
そうだったんですか……。嬉しいですね。僕らが必死に働いてきたこと、何一つ無駄じゃなかったんです。こうして多くの人の応援をいただいているんですから。
「……みなさん、本当に今日はありがとうございました。こんなことに口添えまでしていただいて」
「なに、良い余興でしたぞ」
大臣たちがそろって笑ってくれます。
「父上」
「ん?」
「今回、父上が一番寛大でした。よくこの騒ぎ見逃していただけましたね。ありがとうございます」
「余からの卒業祝いと思えばよい」
父上がテーブルのグラスに三つ、ワインを注ぎ入れて、一つを僕に、もう一つをセレアに渡してくれます。
「良き友人に恵まれたな。余が門に『この門をくぐる者はすべての身分を捨てよ』と書かせたのは、まさにお前に今日のような友人を作ってもらいたかったからに他ならぬ。相手がお前であろうと、第二王子であろうとも、恐れることなく正義を諫言できる者、お前にこそ必要な友人たちだ。卒業、おめでとう。シン、セレア」
チンッ、チンッてグラスを打ち鳴らして、それを飲み干すと、会場の出口に向かって歩いていきます。
「ありがとうございました」
渡されたワイングラスを持ったまま、セレアと一緒に、出口に消える陛下に頭を下げました。会場の全員が、退席される陛下に礼を取ります。
やっぱり凄いなあ。父上は……。
「ピカール、助かったよ」
ピカール、ニコっと笑いますね。
「当然だろう。きみはライバルである以前に、ぼくの友人だ。なにより共に貶められているのがぼくの最も敬愛するレディ、セレア嬢となればなおさらだよ」
「シルファさん、ジャックも」
「いやいや、あんな茶番笑う所が無かったからよ、さっさと退場してもらおうと思って」
あいかわらずですジャック。
「シルファさん、勇気が要ったでしょう。怖い思いをさせてごめんなさい」
セレアがシルファさんに頭を下げます。
「怖いことなんてなにもありませんわ。だっていつも殿下にお守りいただいていたのは、わたくしも同じですから」
「ハーティス君も。やっぱり僕のブレーンに欲しいよ」
「なんだか余計なことしたような気がします。シン君、どうせ返り討ちにする方法なんてあの場で十通りはあったでしょ?」
「まあね」
「でもアレは俺らだって、見てるだけじゃ気が済まんって。一口乗らせてもらわないとな!」
ジャックがそう言うとみんな笑います。
「……君が味方になってくれたのは意外だったよ」
クール担当フリード君、ちっとも面白くなさそうです。
「カン違いするな。俺は妹であるミレーヌの味方をしただけだ。前からあのクソ王子に婚約解消を言い出すタイミングを見計らっていただけさ」
「バッチリ調べは付いていたじゃない。さすがだよ」
「王子を断罪するんだからな、それぐらいはやるさ」
握手してもらおうと、笑って手を差し伸べます。
無視して行っちゃいました。ありゃりゃ。やっぱりクール担当、めんどくさいや。
音楽が変わって、ダンスタイムです。
セレアに、正式の型で、ダンスの申し込みをします。
やっと笑顔が戻ったセレアの手を取って、ホールの中央に進みます。
二人で、しっとりと踊ります。
今までで、一番、優雅で、気品あふれる、美しいダンス。
とっておきを披露します。
会場から、ため息が漏れます。
「……まさか隠しキャラがレン様だったなんて……」
「隠しキャラって?」
「特定の条件をクリアしないと現れない攻略対象なんです。私、知りませんでした」
「考えてみればアイツも王子だった。すっかり頭から抜けてたよ」
「私たちから見たら、いつまでたっても小さい頃の弟のままですもんね」
「いつのまにかあいつも大人になってたってことかあ……。もっとちゃんと話し合うべきだった。そうしていればこんなことにはならなかったかも。僕も反省だよ」
「私も事前に知ってたら……。看護師のお姉さん、教えてくれなかったんです。『私あのキャラ大嫌い! 甘えん坊で威張りん坊でシスコンで』って言って……」
うわー。なんか評価が散々で気の毒ですレン。
「なんでもゲームで考えるのはもうやめようよ。今日で終わりでいいじゃない」
「はい! そうですね!」
一曲目が終わり、満場の拍手の中、二人で会場に礼をします。
「さあセレアくん! 今日こそはぼくと踊っていただきますよ! ぼくはこの時をずっと待っていたんだから!」
ピカールが申し込んできたダンスを、セレアがにっこり笑って受けます。
「シルファさん、ずーっと友達でいてくれてありがとう!」
「私こそ、殿下!」
ニカっと笑うジャックから、シルファさんを譲ってもらいます。
シルファさんとこうして一緒に踊るのは久しぶりですが、すんごいですね。大迫力です。僕の体にふにゃっと押し付けられる胸の存在感の凄いこと凄いこと。
ピカール、セレアと一緒に、「美女と悪魔」の最後のダンス再現してみせて観客から喝さいを浴びてました。さすがだよ。
次、セレアからハーティス君に。
セレアと一緒に踊るハーティス君、嬉しそうでしたね!
セレアより背が低いんですけど、踊ってる姿も可愛いです。
「ミレーヌさん、いまさら僕が申し込むのはどうかと思うんだけど……」
「いいえ、光栄ですわ、殿下」
たった今、レンと婚約破棄したばかりのクール担当の妹、ミレーヌさんと踊ります。
「弟がいろいろゴメン」
「殿下のことをお兄様と呼べなくなるのだけが心残りですわ」
「僕も残念だよ」
「殿下、私に乗り換えません?」
「フリード君がもうそれは許してくれなさそうだしね……。ほら、今も僕のこと殺しそうだよ」
壁の花を決め込んでめちゃめちゃ怖い顔して僕のことを睨んでますよ、クール担当。いつものクールっぷりがだいなしです。
「お兄様が今まで殿下に働いた失礼を考えれば、お釣りが来ますわ?」
「かまわないさ。僕は彼のこともずっと友人だと思ってたよ」
「そう言ったら、お兄様がどんな顔をなさるやら、今から楽しみです」
「会計ちゃん!」
「会計ちゃんはやめてくださいってば!」
一年間、生徒会で会計を務めてくれたミーティス・プレイン嬢と踊ります。
「君、知ってたよね! 絶対知ってたよね! 一年生だもんね! レンと同じクラスだもんね!」
「ええ、ええ。もちろんです。レン君ってなにかっていうと王子風吹かせてクラスで威張ってたり、ミレーヌさんをないがしろにして三年のピンク頭に簡単に篭絡されたりして、一年女子の間でも嫌われてましたよ! 取り巻きの女の子たちはいましたけど、私はあんなのゴメンです!」
「いやそこまで言わなくても……。僕に教えてくれればよかったのに」
「教えないほうが面白いことになると思って。あんなの勝手に自滅すると思ったし」
「ヒドイ……」
「これで少しはおとなしくなるでしょ。知ったこっちゃありませんて」
「僕からもお詫びするよ」
「最後に一つだけお願いしていいですか?」
「なんでもどうぞ!」
「抱きしめてください!」
小柄でちっちゃい会計ちゃんを、ぎゅっと抱きしめて持ち上げ、ぐるんぐるんと回します。
ひゅーひゅーって会場からひやかされ、ジャックと踊ってるセレアにちょっと睨まれます。二年の書記のカインくんはあわあわあわですけど。がんばれ、君は卒業まであと一年あるから。
ラストダンス、もう一度、セレアと。
「……みんなが助けてくれて、本当にうれしかったです」
「十歳の時から僕たちがずっとがんばってきたのを、みんな見てくれていたのさ。僕たちががんばったこと、何一つ、無駄じゃなかった」
「はい!」
「これは無駄になっちゃったけどね」
胸ポケットから、ちらっと封筒を出します。
「なんですそれ?」
「……僕と君の十歳の時の結婚証明書。教会に発行してもらったんだ。これがあれば僕と君はもうとっくに結婚していて、誰も僕らを別れさせることができないって、証明できた」
「……無駄じゃなかったです。きっとそれが、十歳のときから、私たちのことをずっと守ってくれていたんです」
「そうかもしれない」
「私はそう信じます。ありがとうございます、シン様。私と結婚してくれて」
「ありがとう、セレア。僕と結婚してくれて」
セレアが涙ぐみます。
曲は終わってないけど、二人、ダンスをやめて、僕はそのまま、セレアを抱きしめました。
セレアも、僕に抱き着いてくれます。
十歳で婚約した王子様と公爵令嬢。その後、二人仲良く幸せになりましたとさ。
振り返ってみれば、普通の、何も変わったことの無い、あたりまえな物語だったよね……。
ホールの真ん中で、みんなが踊る中、ただ、二人で抱き合う僕ら。
その姿を、パーティー会場のみんなが、見ぬふりをして放っておいてくれました……。
次回最終回、「84.初恋の行方」