7.初めての公務
「お見えになりましたぜ!」
シュリーガンの声が庭からします。
「えええええ! まだ早いよ!」
礼服に身を包んだ僕は慌てて部屋を飛び出します!
「殿下! お行儀が悪いですよ!」
走っているところを見られ、メイド長に注意されちゃいました。
「もうセレアが来てるんだって!」
「サロンにご案内してからお呼びいたします。お待ちください」
「そんなの待ってらんないよ!」
今日はセレアの、国王陛下との初めての拝謁の日です。僕の婚約者ですからね、家族全員、つまり、王妃である母上、姉上、弟と妹二人も列席します。
それに対してセレアはお父様であるコレット公爵と二人だけ。
セレアも覚えていないぐらい小さいとき、やはりご両親と共に拝謁したことがあるそうですが、まだ赤ちゃんも同然のころですからね、事実上、これが王子の婚約者としての初めての公務となります。
セレア、心細いに決まっていますからね、僕がそばについていてあげないと。
ホールを出て、正門まで走る僕を、近衛騎士のシュリーガンが追いかけてきます。
「殿下! まったまったまった! 止まって!」
「なに!」
止まってふりむいた僕の手をシュリーガンがつかまえます。
「殿下、こういうのは走って迎えちゃいけませんや。男はね、どーんと構えて、自分からは動かずに、ホールで待つ。いいっすね。ダンスと同じっす」
「うーん、わかったよ」
ホールまで引き返して、並んだメイドさんたちの奥に行き、ホール正面階段の前で筆頭執事のパーカーの横に立ちます。
「殿下自らお出迎えですか」
筆頭執事がニコニコして、僕を見ます。
「うん、僕の大切な婚約者なんだから、お城に来て、一番最初に会うのは僕でないと」
「よい前例になるといいですな」
そうして、背筋を伸ばしてしゃんと立つと、正面に四頭立ての馬車がかぽかぽと進んできました。
横付けされ、まずコレット公爵が下車されます。
そして、四人乗り馬車が両開きにドアが開いて、公爵が手を取ってドレスのセレアが降りてきました。
白いブラウスの胸元に大きなリボン、黒のジャケットと黒のスカート。華美でなく、シックで清楚な装いが、つやつやの黒くて長い髪によくにあいます。
公爵にエスコートされてセレアがこちらに歩いてきます。
「本日はお招きいただいて恐悦至極にございます。我が娘、セレアの国王陛下へのお目通りの機会を与えていただいたことに感謝を申し上げます」
「わざわざのお出迎え恐縮でございますシン殿下。コレット公爵家一女、セレア・コレットと申します。本日は国王陛下への御拝謁、身に余る光栄にございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
そう言って、スカートをつまんで、優雅に一礼してくれます。
「本日は招きに応じ、御足労いただき誠にありがとうございます。今日を良き日といたしましょう。さ、ご案内させてください」
僕も手を胸に当てて、お辞儀をします。
それから手のひらを上に向けて、差し出します。
きょとんとするセレア。
「(セレア、手、手!)」
エスコートですね。慌ててセレアが、僕の手に、自分の手を添えます。
「ご案内つかまつります」
パーカーが片手を広げて、階段を先導します。
「あれ? まずサロンじゃなかったっけ」
「もう玉座でお待ちでございますよ。せっかちなことですなあ」
なんだかなあ。そんなにみんな、早く会いたいのかな。
緊張してますねえ、セレア。
ちらっと振り返ると公爵がニコニコしてついてきます。国王である父上とは旧知の仲ですから、こちらはいまさら緊張も無いですか。
衛兵が扉を開け、玉座の間に通されました。
赤いじゅうたんを踏んで、国王陛下の前に進みます。
父上、意外と王様らしくない、シンプルなスーツですね。通常の執務で着ているような服です。玉座の横に並ぶ、母上や姉上、僕の弟妹たちも、夜会のようなコッテコテのドレスじゃありません。
家族で過ごすような、いつもの服を着ております。緊張するような場ではない、失敗したって、口上が上手に言えなくたっていいんだよっていう、あたたかな配慮が見て取れます。
僕に手を引かれたセレアと、並んで歩きます。
緊張してがっちがちって感じですね。
二人、並んで、陛下の前に立ち止まり、膝をついて頭を下げます。セレアはスカートをつまんで広げてから。
まずは僕のセリフからですね。
「陛下、本日はお目通りをかなえていただきましてありがとうございます。陛下が一子、シン。本日は私の婚約者、コレット公爵家ご息女、セレアをご紹介することをお許し願えればと、御前にまかりこしました。どうぞよろしくお願い申し上げます」
次、セレアのセリフ。
「本日はお招きいただき、恐悦至極に存じます。コレット家一女、セレアと申します。本日は国王陛下への御拝謁、身に余る光栄にございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
玄関ホールで言ったあいさつと同じですね。
「よい、顔を上げよ」
二人、顔を上げます。
「セレア嬢。大きくなったな。前に見た時はまだ赤ちゃんだったが」
「ハースト殿が、やっと女の子が生まれたと言って、喜んで見せに来てくれました。私も抱かせていただきましたわ。覚えていらっしゃらないと思いますけど」
父上も母上も嬉しそうです。
「あの時は冗談で、シンの嫁にと申したものだが、それが今日、ここに実現して余はまことに嬉しく思う。二人、これからお互いを良く支え、精進し、よく学び、来るべき王位継承に備えよ」
「身に余るお言葉、謹んで肝に銘じます」
「温かいお言葉をいただき、恐悦至極に存じます」
二人、揃って頭を下げます。
「うむ。さ、よく顔を見せてくれ」
そう言って父上が玉座を立って、こちらに降りてきました。
気さくにセレアの前に立ち、ひざまずいてにっこり笑います。
それを合図に、母上と僕の弟妹たちもまわりを取り囲みました。
「美人だな! ハースト、でかしたぞ!」
「嫁に出すのはまだまだ惜しいがな、王子が相手じゃ、不足があろうはずもなし、しょうがないというものだよ。はっはっは!」
「余の息子では不満か?」
「いやいやいや、そんなことは言っておらん」
「言っておるではないか」
そう言って笑います。仲いいですね父上と公爵殿。
「かっわいいわあー」
姉上も大喜びですね。姉上にもセレアの良さがわかりますか。
「お姉ちゃんだね」
「うん、姉上っていうより、お姉ちゃんって感じ」
妹たちなんか生意気なこと言ってます。姉上よりは、年が近いせいでしょうか。
セレア、戸惑って、真っ赤になってますね。
「怖気づくことはない。もう私たちは家族なのだ。なにも緊張しなくてもよいのだよ、セレア嬢」
「そうそう。もう失敗したり失礼があってもいいの。私にとっても娘ですもの」
母上がそっと目頭をハンカチで押さえます。
「カレン様が生きておられたら、どんなに喜んだか……」
「妻が残してくれた、末の娘、粗末に扱いましたら反乱して王家を滅ぼしてさしあげますぞ」
仲がいいのはわかりますが、そういう話は冗談でもやめてもらえませんかね公爵殿。僕、セレアを婚約破棄しちゃうかもしれないんですからね? 僕の浮気で国が亡ぶとかいくらなんでも理不尽です。
「物騒なことを言うなハースト。それはシンに言え。余に言われても困るわ」
さらっと僕に責任を押し付けないでください父上。
「かたくるしい話はこれぐらいにして、みんなで茶にしよう。サロンへ、いや、庭がいいな」
「その前に父上」
「ん?」
僕の言葉に、みんな、立ち止まります。
「国王陛下に申し上げたいことがございます」
「申せ」
さあ、これは言っておかないと。今後のための布石です。
「僕たちはまだ十歳です、王子、王子妃としての自覚、覚悟ともにまだ浅く、いまだ十分とは言えません」
「うむ」
「なので、僕たちがいつ結婚するのかは、僕たち二人で決めさせていただきたいのです。二人でよく相談し、その時が来たら、結婚しようと思います」
「……当然だ。われら王家、公爵家とも、婚約をしているという事実だけですでに十分目的は果たしておる。急がせる理由はない。慣例に従って、そなたらが結婚の時期を自分たちで決めることは当然の権利である。任すぞ」
「ありがとうございます」
よしっ! 言質は取ったぞ!
「ふふ、しかしな、余も、公爵殿も人の親。人並みに孫の顔は見たいものだ。あまり待たせるでないぞ?」
「もちろんです」
「人の命ははかないもの。余の命、公爵殿の命、いつまでもあるものではない。それは今日、明日にでも失われるかもしれないもの。言うまでも無く、この時より、王位につくという覚悟、民と共にあれという責任を常に忘れるな」
「はい」
「セレア嬢、王子妃というものは、王子同様、次代の王妃たる覚悟と責任を伴う。まだ幼きそなたにその責を負わせる余を許せ。シンと共にあり、シンを支え、シンに間違いあればこれを諫め、シンの力になってくれることを心より希望する」
「……もったいないお言葉にございます。謹んでお受けいたします」
ちょっとだけ、場が緊張しましたが、みんなで笑って、庭園に移動しました。
屋外のテーブルでなごやかにお茶になりましたが、セレアにはまだまだ敷居が高かったようです。
あとで話を聞いてみると、「生きた心地がしなかった」とのこと。
うん、別にみんなで食べたりしないからね。みんな普段から退屈してるだけだから。
午後、母上と姉上と共に昼食会。
それから、王妃教育を受ける教室と先生との面会、あとおけいこ場にもなるダンスホール、いろいろメイド長に案内してもらいました。それからセレアに与えられる個室も。
「私がお嫁に行ったら、もう使うことは無いから、この部屋自由に使って。全部セレアちゃんにあげるわ!」
姉上のお部屋です。何でもそろっていますからね。
「えーえーえー! 私がもらおうと思ってたのにい!」
上の妹が不満を言いますが、「あなたたちにとってもお姉ちゃんなのよ。がまんなさい」と言って姉上がたしなめます。妹たちには妹たちの部屋もあるし専属メイドもいるんだから、そんなわがままは許しませんて。
セレアが登城した時は、この部屋で休んだり、準備に着替えたり、場合によっては泊まったりすることになりますか。僕の部屋のとなりです。
「これからずっとここに通うことになるからね」
「はい、ありがとうございます」
恐れ多いという感じで、セレアがびくびく頭を下げます。
お城に来てからずーっと頭を下げっぱなしですからね。いいかげん疲れたかもしれません。
また僕と、筆頭執事と、二人で並んで、正面ホールからお見送りです。
公爵殿と二人、馬車で帰っていきました。
初めての拝謁が無事に済んで、僕もほっとします。
「殿下」
執事が僕に笑いかけます。
「お手柄ですな」
「選んだのは僕じゃないよ。父上と公爵殿の間で決めたことだし、僕の手柄じゃないよ」
「いえいえ、そういう意味ではなく……」
そんなもったいぶった思わせぶり言われても、子供の僕にはわかんないよ。
もっとわかりやすく説明してよ……。
一週間後、いよいよ、姉上のお輿入れの日がやってきました。
王宮総出でお見送りいたします。
セレアも、僕の婚約者として列席します。二回目の公務です。
昨日のお別れパーティー、多くの関係者が来てくれて盛況でした。姉上の人脈のすごさを実感しましたね。パーティーの主役は姉上だったので、僕らはすみっこでおとなしく目立たないようにしていて、すぐ寝ちゃいましたけど。
一夜明けて、朝からハルファ国に向かう馬車隊が正面ホールに並びます。
「セレアちゃん、シンの事、よろしくね。なにかやったら、ぶん殴っていいからね」
余計なこと教えないでください姉上。
姉上がセレアを抱きしめてはらはらと涙します。
そして、家族の一人一人と。
それから、僕にも。
「シン、セレアちゃんを守るのよ。どんなことがあっても悲しませないで。約束して」
「もちろんです。約束します。姉上もお元気で」
「じゃあ、行ってくる!」
しずしずと、おごそかに馬車隊が進んでいきます。
それを僕らはずっと、見えなくなるまで、見送りました。
もう姉上はいない。
王家子息としては、今日から僕がこの王城のトップです。
姉上がやっていた公務を、今後は僕が執り行うことになります。
僕に姉上の代わりが務まるでしょうか。いや、務めなければなりません。
セレアを見ます。
僕と同じ責を負わせることになるこの少女を、僕はこれから一人で守っていかなければなりません。いまさらのように大きな責任を実感します。
「たった一週間だけだったけど、私のお姉さまになってくださったサラン様。私、一生忘れません」
姉上、お幸せに。
後のこと、任せてくれって言うのはまだまだ生意気だと思いますが、僕、がんばりますから。
次回「8.王都の休日」