62.夏休みの家出
終業式を終えて、夏休みが始まりました。
最初は、剣術部の他校との交流試合です。
市民学校のトップ、王立セントラルハイスクールとの練習試合ですよ。
二年生のエース、ジャックが張り切っています。他校との交流試合は初めてですので、まず入念にルール確認からです。
僕らのフローラ学園は、騎士、貴族の家系となりますので由緒正しい貴族剣法です。それに対し、市民学校の剣術は、魔物、野生動物、強盗野盗相手の剣となりますので、かなり荒っぽいです。さながら軍人VSハンターというところでしょうか。
たとえ剣を落とされても、逃げて拾いなおすこともOKです。剣を落としたぐらいで負けを認めていては魔物との戦闘で死ぬことになりますから。貴族の試合とは違います。学生なので突きは無しで、お互い木刀を使います。
槍もいますし、短刀二刀流もいるというわけで、長剣だけでないのが市民流。
勝敗は、実際に防具に有効打を撃ち込めば勝ち。怪我したくないのは学生同士そこは同じです。
結果で言いますと、辛勝というところでしょうか。なんとか貴族という面目は保てましたが、相手の防具が安っぽかったことに少し助けられましたね。手段を選ばずという感じで所かまわず打ち込んでくる市民学校選手に対し、精緻な剣筋で戦う貴族剣法にほんの少し分があったということになりますか。
剣法ってのは何でもアリのように見えて、実は斬れる太刀筋ってのはそんなに多くないわけです。長い時間かけて完成された剣術のほうが、素人が我流で鍛えたような得意技より洗練されており、結局は速いんですね。
「いやー強い強い! 素人剣も突き詰めれば怖いな。危なかったよ!」
「そうだね。習った剣が同じだったらたぶん負けてたよ」
僕がそう言うと、ギリギリで勝ったジャックもさすがに不機嫌になりますね。
「……冷静なご評価痛み入るよ。どこを直したらいい?」
「けれんに惑わされないこと」
「だよな――……。フェイントでスキを狙う奴多かった」
負けた選手には教訓になるでしょうか。貴族ということにいつまでも傲っていては簡単に負けてしまいます。平民レベルの剣法もレベルアップしていて、もう抜かれる寸前なんだってことがわかったでしょうか。
圧勝を期待して応援に見に来てくれていた学園の生徒たちも、これはまずいぞと少しは思ってくれたかもしれません。
美術部、水彩画やスケッチ、素描などを市民コンクールに出展していましたが、全員審査落ちでした。容赦ないな審査員。
本気で王宮のお抱えになりたい、絵で生きて行こうというプロや学生のみなさんが集まるコンクールですからね、本気度が違います。貴族の手慰みじゃお話になりませんでしたか。しょうがないね。
音楽コンクール。こちらも予選落ちです。平民学校の生徒さんたちのほうが上手でした。「私たちはあんな簡単な曲で満足していたのか」と、音楽部の皆さんは他校の演奏を見て一様にショックを受けていましたね。レベルの違いを見せつけられたという感じです。音楽を習っても、それで食べて行けるのは千人に一人いるかどうか。そういう世界なんです。貴族が週末に集まってヘタな弦楽器でカルテットを奏でて、お世辞を言い合ってからお茶を飲む。そんな優雅な世界と違い、競い合うことに真剣なんです。
現実を知ってもらう。まずはそんなところから始めるのが僕の目的だったわけですが、効果てきめん。あるいはやりすぎでしたか……。
美術部も音楽部も、自信喪失で、かえって悪い結果になったかもしれません。井の中に閉じこもる蛙にならなきゃいいですが。
まあ、そんなわけで夏休みに予定されていた行事、あっさりと終わってしまいました。予定より拘束時間が短かったってことになります。僕らにも時間ができました。
一方、世間知らずで井の中の蛙という点では、僕らも全く同じです。僕とセレアの大きな弱点と言えるでしょう。
僕らが恐れているゲームの強制力。いつか本当に牙をむき、セレアは追放、僕は失脚と言う未来も無いわけじゃありません。
そのため、僕らは、僕たち二人だけで生きていく生活力が無ければいけません。そのための実習をすることにしました。前から一度やってみようと思ってたんです。
「二人で、家出をすると?」
「はい」
これは事前に、父上である国王陛下に、夏休み前から嘆願をしていました。セレアと二人で、陛下の執務室で話を聞いてもらいます。
「家出ってお前……。事前に親に報告する家出など聞いたこともないわ。具体的にどうしたいというわけだ?」
驚きでさすがの陛下も素になります。
「僕等は王族。いつ失脚し、あるいは戦に敗れ、革命に逃げ惑うこともあるやもしれません。そのために、市民として生活できる生活力を養いたいのであります」
「その時は踏みとどまって最後まで戦え。王族として恥をさらすことなくいさぎよくせよ。国破れれば自らの首を差し出すことで、国民の命を守ることもまた、王たる者の務めである」
「それはわかっております。しかしたまたま命を落とさずに平和的に済んだ場合、生活していけなくて餓死や野垂れ死にすることが王家の矜持と言えるでしょうか。妻や子供を落ち延びさせることさえも許されないとおっしゃいますか? それとは別に、身分を隠し、一市民として市井の者に紛れ、市民と同じ立場で治世を見ることもまた、学生のうちでなければ経験しがたい社会勉強となります。どうぞ三週間だけ、お見逃しいただきたいと思います」
「言ってることが無茶苦茶だ……。本気なのだな?」
「はい」
セレアと二人で頭を下げます。
「……いったいどういう理由で、そういうことになるのか、余にはさっぱりわからぬわ。セレア嬢にも今以上に苦労をかけることになろう?」
「いいんです、お義父様。私、一度シン様とそういう生活をしてみたかったんです。喜んで妻としてお供いたします」
セレアに「お義父様」と言われて、さすがの父上が一瞬、ぽわわんとしてしまいます。
結局、なんだかんだ言って強引に許可をもらってしまいました。当然、セレアのコレット家にも許可をもらっています。夏休みにセレアに会いに別邸を訪問していたコレット公爵は「でかしてこい」などとよくわからないことを言ってなんだか楽しみにしているようでしたが……。
決行前夜、セレアと持ち物を入念に選び、背負い鞄二つにまとめます。
「楽しみだね――!」
「わくわくして眠れないかもしれません!」
そんなことを言って、二人で早めに王宮で眠りにつきます。
早朝、日が昇る前に、普通の目立たない平民の格好をして、背負い鞄を背負って、王宮の隠し通路からこっそりと外に出ます。
僕らは、王子、王子妃(仮)として今までもずっと公務をこなしてきたわけですが、その実績が認められていて、国庫からきちんと年俸が出ています。今まで使うことが全然無かったので、けっこうな額の貯金になっています。平民としてなら数年は働かなくてもやりくりできるぐらいになってますが、今回は二人で二か月分相当ぐらいの金貨を用意しました。
まずこれで、駅馬車の発着所に行きます。
目的地は王都の隣、王国第二の都市、メルパール。
予約していた八人乗り駅馬車に一般の旅人と一緒に乗り込み、早朝に出発。護衛の冒険者ハンターたちが守る十二車列の駅馬車に揺られていきます。
同席した、息子夫婦に孫が生まれたので顔を見に行くなんて老夫婦と、仲良くなったりして。
「あんたたちも早く親に孫の顔をみせてやんな」なんて言われて赤くなったりしながらね。
夕方には到着。その日は二人で安宿に泊まります。
新婚さん用の宿なんてのは泊まれませんからね、相部屋。ベッドが二つある狭い部屋を借りて眠ります……。
翌朝、さっそく仕事探しです。
僕にはやってみたい仕事がありました。それは何かと言いますと、コックです。子供のころから厨房によく出入りして、野菜の皮むきとか、メイドさんやコックさんの仕事を手伝いました。最初は慌てていたみんなも、だんだん慣れてきて、僕が遊びに行くと何かしら仕事をくれたもんです。王宮の中で子供の僕が遊びに行ける仕事場ってのが、それぐらいしかなかったってことですが。
馬の世話とかもかなりできると思いますが、それはさすがにプロにかないませんし、二~三週間だけ雇ってくれるところも無いでしょう。ハンターとして狩りに行くのも論外です。お狩場で獲物をしとめる程度の腕はあっても、ハンター登録がまず無理です。こればかりは身分を隠してなれるもんじゃありませんから。
レストランとか食堂とか、求人の張り紙を見て回ります。短期でも見習いで雇ってくれるような所……。
場末のレストランで、よさそうな所を見つけました。
ウェイトレスと、コック見習い、皿洗いのバイト募集です。レストランの扉をくぐり、二人でご主人に面会します。
「若いねえ! 夫婦かい?」
「はい。シンドラーと、セレアンヌと申します。この街に滞在している間だけ、雇っていただければと思いまして」
「今かみさんが子供を産んだばかりでね、手が足りないんだよ。今日からでも働いてくれると嬉しいねえ! すぐ入れるかい?」
「はい、お願いします!」
びっくりしたんですけどね、ここであの、馬車で一緒になった老夫婦と再会しました! 孫が生まれたって言っていた老夫婦の息子夫婦って、このレストランの御主人のことでしたか!
レストランの御主人の紹介で、近くに安い共同住宅を一か月の家賃の前払いで借りることができ、そこから通いで働くことになりました。家具はベッドと机ぐらい。布団がありませんので、道具屋さんで寝袋を二つ買い、午後からはさっそく仕事です。
僕は皿洗いに盛りつけ。セレアはウェイトレスです。
ちゃーんとメモをもって注文を受けるセレア、ビックリされてましたよ。
お客とのお金のやり取りも完璧ですセレア。注文やお釣りを間違えるなんてことはあるわけ無いです。去年学園祭でメイド喫茶やった経験が生きています。
「読み書きできて計算も速いのに、ウェイトレスとはもったいない! 就ける職が他にいくらでもあるだろうに!」って言われました。
かわいいウェイトレスさんがいるってことで、評判になりそうです。
「上品な盛り付けするねえシン君! 才能あるよ!」
僕もほめられました。そりゃあ王宮の一流のコックの作る料理を毎日食べてましたからね、それぐらいはできますよ。
店は夜まで続きます。お酒も出す時間まで。
労働時間長い――――! 市民はこんなに働いてるのか……。
僕もセレアも夜遅くまで勉強したりしていますが、こんなに一日中同じことをやったのはこれが初めてですね。午後9時の鐘が鳴って、ようやくオーダーストップです。
「今日は初日だし、これで上がっていいよ二人とも。明日は朝十時に来て」
二人、クタクタになって、布団も無い狭いベッドの上で寝袋で眠ろうとして、重大なミスに気が付きました!
枕が無いんです! 買い忘れました。
……仕方が無いです。今夜の所は、セレアを抱き寄せて、僕の腕枕で眠ってもらいます。すやすやと眠るセレア、可愛かったです……。
翌日、朝起きてから、教えてもらった風呂屋に行き、朝湯を浴びます。
大きな湯船に浸かっていると、疲れが取れていくようです。これから疲れるための準備ですねえ……。
女の子はやっぱりお風呂が長いなあ。湯屋の出口でしばらくセレアを待つことになりました。しょうがないね。
部屋に戻って着替え、寝具店に寄って二人が並んで眠れる長枕を買ってから、レストランに出勤です。
十一時の店が開くまでの間、水汲み、材料の仕込み、野菜の皮むきなんかを手伝います。
ご主人の奥さんが出てきて、挨拶してくれました。お世話になってますって。
生まれたばかりの赤ちゃんも見せてもらいました。ちっちゃくてかわいかったです。セレアも抱かせてもらって、ちっちゃい手に指を握らせたりしてはすごく喜んでいましたね。
僕も仕事にだんだん慣れてきて、三日目ぐらいから野菜のカットも任されるようになりました。孤児院で子供たちと一緒に料理してましたんでね、これは僕もできます。子供たちは共同で自活していますので、料理も自分たちで当番制で作るんですよ。よく一緒に作りました。
「シン君はなにが作れるの?」
「ポトフ、ハンバーグ、温野菜、サラダ、卵焼き、焼肉……」
「もうちょっと頑張ろうか」
「はい……」
スパゲティをミートソースから作ってみます。翌日からは豚肉のトマト煮、ミートボールのクリームシチュー。鶏のロースト。だんだんレパートリーが増えていきます。
もっぱら、お昼が終わってから、夕食の間までのお客さんが少ない間に御主人に仕込まれます。僕は必死にノートにレシピをメモしながらですよ。
「……シン君もできるようになるのが早いねえ。私の若い頃はなんでも親方から見て盗んだもんだから、なにをやるにも時間がかかってしょうがなかったよ」
お役に立てて何よりです。御主人も、暇さえあれば奥さんの元に赤ちゃんの顔を見に行っていますからね。仲の良いご夫婦で、見ていて微笑ましいです。
この間、セレアとはロマンティックなことはなんにもなし。二人ともクタクタになってすぐ寝ちゃいますからね……。
一週間目、やっとお休みの日です。前日に給料をもらえました。
「先に一週間分の給料を払っておくよ。これで二人で少し街でも見て回りなさい」
金貨を五枚もらえました!
一週間二人で目いっぱい働いてこれだけかあ!
まあ、朝食、昼食、夕食をまかないで食べさせてもらっていますから、これでしょうがないか。平民の、手に職を持たないアルバイトの悲哀がわかりましたね。
次回「63.教会の結婚式」