58.政略結婚の正しい使い方
今日は王宮で外国の使節団の歓迎パーティーがあります。
ハルファですよ! 姉上が嫁がれた!
大国のハルファの使節団が訪れるのは三年ぶりですか。通常は外務大臣が使節団のトップを務めますが、今回はハルファの王太子、バルター・ブリティニア様がご同行されています。姉上の夫です。
姉上が嫁がれてから早いもので五年も経ちましたよ……。
もう子供が三人もいるんです。僕、実はおじさんなんですよね。複雑です。
「やあ、君がシン君かい。会いたかった。横にいるのはセレアさんだね、婚約者の」
パーティー会場でセレアと出席していたら、そのバルター様から声を掛けられました。
大変聡明で、大変やり手で、自国が大国であることを十分に意識した外交をなさる抜け目のない方と承知しています。
「お初にお目にかかります。お会いできて光栄です。姉上に逢えなかったのは残念ですが、元気にしていますか?」
「お初にお目にかかります。セレア・コレットと申します」
「よろしく。サランは元気だ。残念ながら子供たちはまだ小さいし、四人目の子供がお腹にいて同行はかなわなかった」
ラブラブな話ですねえ。ハルファをミッドランドの血で染めてやる計画、今も着実に進行中ですか。
「ほら、見るかい?」
殿下が懐から硝子板を出して見せてくれます。白黒ですが、姉上と四歳の長男、三歳の長女、一歳の次男の肖像です。
「うわー……。凄いですねこれ! まるで鏡に映して見たようです。絵とは思えません!」
「写真だよ。最近わが国で開発された技術でね、レンズを通してガラス板に肖像を見たままに焼き付けるんだ」
そう言って笑います。さすが大国、たいした技術です。
姉上、子供たちに囲まれて幸せそうです。よかった。
セレアもそのガラス板を見て喜びます。
「サラン姉さま……」って涙ぐんでますね。
「魔法のような技術です。素晴らしい」
「我が国は魔法大国として知られているが、これは魔法じゃない。科学技術さ」
「何においても最先端、すばらしい発展ぶりです。うらやましい」
「そうでもない。最近君の国では、天然痘を撲滅したとか。どういう技術かね」
天然痘の予防接種、もう知られていましたか。
隠していませんので、おおっぴらにしています。なにしろわが国を訪れる外国人の方にも、できるだけ出入国時に、種痘を受けてもらうよう推奨していますから。
「撲滅はまだしていません。五年計画でしてね。牛痘という病気をご存じで?」
「さあ、知らないが?」
「牛がかかる伝染病の一種です。人間にも感染するんですが、これにかかったことのある人間は天然痘にかからないんですよ」
「本当か!」
バルター様が驚かれます。驚いたふりでしょうか。絶対にすでに知っていて、その技術を手に入れたいと思っているはずです。
「牛の乳しぼりを生業とする畜産労働者には、天然痘の感染者が非常に少ないのでわかりました。天然痘は一度かかって回復すると二度とかかりません、御承知で?」
「承知している」
「それと同じ効果があるんです。人間の体に備わる免疫という力ですね。体が一度かかった病気を覚えていて、二度とかからないようにしてくれているわけです。牛痘と天然痘は極めて近いので、天然痘からも守ってくれるようになるんです。牛痘は人間にかかっても軽い風邪のような症状にしかならずにすぐに治るので、前もって人間を牛痘にかけてしまうわけです」
「ほう……なるほど」
「牛痘による予防接種の効果は最低で五年。わが国では五年以内に全国民にこの牛痘の接種を行い、国内から完全に天然痘を撲滅する五か年計画を実施中です」
バルター様が驚き、かつ、不審な顔になりますね。
「……シン君」
「はい」
「それをペラペラしゃべっていいのかね?」
「ハルファでは天然痘ごとき、治療魔法で簡単に治してしまわれると聞いております。この程度の医療技術に用はないでしょう」
「……読めない男だな、君は。有能なのか、無能なのか。お人よしなのか、それともたぐいまれなる戦略家か」
「かいかぶりです」
「きゃあああああ――――! スパルーツ様ぁあああ!」
突然の会場の素っ頓狂な声に思わずそっちを見ます。
あいたたたたたたた……。
なぜかいるピンク頭がスパルーツさんにまとわりついています!
「こんなところでお会いできるとは思いませんでした!」
攻略対象ですもんねスパルーツさん。ゲームだと学園の教師をやっているはずなのに、なんでこんなところにいるんだってことになりますか。
まとわりつかれて困っているスパルーツさんのもとに歩み寄ります。
「……リンドンさん、ここは外国使節団の歓迎パーティーです。私的な騒ぎは起こさないように願います。だいたいなんで君がいるの!?」
「リンスです! リ・ン・ス! 今度こそ覚えてもらったと思ってたのにい!」
「どうして君がここにいるの?」
「義父、ブローバー男爵の名代としてまいりました。以後よろしくお願い申し上げます」
いまさらのようにスカートをつまんで、礼儀正しくあいさつします。
うぜえ……。
「会場では失礼のないようにしてくださいよ。外交問題になりますからね」
「了解しましたあ!」
片手を頭に当てて敬礼します。なんなのそれ……。
「スパルーツ君、君がかい」
バルター様が歩み寄ります。
「アルコールによる消毒技術、わが国でも大変効果を上げているよ。ジフテリアの治療方法も君のアイデアだとか。わが国でも注目している」
力強くスパルーツさんと握手します。
「いえ、間違って伝わっているようですが、アルコールの消毒技術も、血清による免疫治療も、ボクの手柄じゃないですよ。それを推し進めてくれたのはこちらにいるシン殿下です」
「シン君が……」
正確にはセレアの手柄と言っていいものでしょうけど、まあそれは伏せておきます。
「種痘に至っては、ボクの手柄なんてゼロですね。全部こちらのジェーンがやってくれました。彼女が確立した免疫治療です」
スパルーツさんが傍に控えていたジェーンさんの手を取り、そっと隣に引き寄せて背に手を当てて前に出します。あいかわらず古臭くてやぼったいドレスを着ていますが、美人さんですよジェーンさんは。それをピンク頭がぎりっと歯を一瞬食いしばって見ていますね。
「……驚きだよ。大変な業績だ」
「殿下」
ピンク頭がいつの間にかバルター様の横に来てささやきます。
「ジェーンさんを留学生としてハルファに迎え入れてはいかがですか? かのお国ならばさらなる良い研究ができましょう。いい考えだと思いませんか?!」
うあああああ余計なこと言うなピンク頭!
お前、スパルーツさんとジェーンさんが恋仲なのを見て取って、ジェーンさんを排除しようとしているな!? なんて女だ!
「素晴らしい。ぜひそうしたい!」
そう言って、バルター様がジェーンさんの手を取って握ります。
「どうだろうジェーン殿。その技術、ぜひわが国で開花させてみませんか」
おっとう! なんか図々しいこと言いだしましたよこの人!
「我が国ではあなたを首席研究官として迎え入れましょう。多くのスタッフと研究室、豊富な資金を用意します。ぜひこちらに留学しませんか? このような国で、いや失礼、しかしその才能、ラステール王国だけに閉じ込めておくのはあまりに惜しい」
「わ……わたし、その、天然痘の対策はまだ始まったばかりで、今はこの国を離れられません。新薬の研究も引き続き行っておりますし」
「それを我が国でやればよいと申しております。ずっと多くの人を救うことができるのですよ? 世界中にあなたの名が轟くでしょう。いかがです!」
会場の皆さんに、大きくアピールします。
「ジェーン殿を我が国の最先端の研究所で学ばせる、みなさんにとっても喜ばしいことのはず。互いの医学向上のため、賛成願えませんか!」
このやろう……。
大国であることをかさに着て露骨に引き抜きにかかってきたな。そんなことぬけぬけとやってくるぐらいでないと、一国の王子は務まらないってことですか。まあ外交ってのはそういうもんです。
会場のみんなのあきれたような目もへっちゃらですか。大した心臓です。
「じ、ジェーン……」
「先生……」
すがるような目をしてジェーンさんがスパルーツさんを見ます。
「き、君が、それを望むなら、その、ボクは……、いや、その」
「先生、私はそんなことは望みません。先生、おそばにおいて研究のお手伝いをさせてください……」
「しかし、たしかに、その、ハルファはわが国など及びもつかない大国であるわけだし……ボクには君の未来を……」
さすがにこの一連のやり取りに黙っていられなくなったのか、父上の国王陛下がずかずかとこっちに向かって歩いてきます。
それを、ちょっと手を上げて、制します。
父上がほう、という顔をして、驚き、足を止めますね。
「バカですかあんたたち」
思いもよらぬ僕の暴言に、その場にいた一同が固まります。
「スパルーツさん、あなた、ジェーンさんが好きなんでしょ? 愛していらっしゃるんでしょ?」
スパルーツさんがあわあわします。
「ジェーンさんだって、スパルーツさんを愛していらっしゃる。片時も離れたくないはずです。なぜそれがお二人、おわかりにならないのです」
ジェーンさんも真っ赤になります。
「二人、いつも一緒にいて、なんでそのことに全く気が付かないんですか。朴念仁もいいとこですよ。これだから学者さんってやつは……」
会場が笑いに包まれます。
「さあ、スパルーツさん。言ってやってください、ジェーンさんに。行かないでくれって。傍にいてくれって言ってください。今ここでそれを言わないと、ジェーンさん、ハルファでいい男あてがわれて結婚しちゃいますよきっと。それでもいいんですか?」
汗だらだらのスパルーツさん、意を決したようにジェーンさんに向き直ります。
「ジェーン!」
「は、はい!」
「君を愛してる! どこにも行かないで、ずっとボクのそばにいてくれ!」
「は、はい!」
「ぼ、ボクと、ボクと、結婚してくれ!」
「はい!!」
うわあああああ――――!
会場大拍手!
「父上! 母上!」
僕に呼ばれて、国王陛下と、王妃のお二人が微笑みながらそばに来ます。
公の場で、僕が陛下と妃を「父上、母上」と呼ぶってことは、これは僕からの個人的なお願いということです。
「どうでしょう、ここまで国のために尽くしてくれた二人のために、褒美として、お二人が結婚の証人になってあげるというのは」
会場の拍手が鳴りやみません。
「司教殿!」
陛下が、パーティーに出席していた教会の大司教を呼びます。
「今ここで、二人の結婚の誓いを聞いてやってくれんかね」
ざっと、司教様までの人が割れて道ができます。
「しょうがないですな。結婚登録料は金貨二枚ですぞ?」
ニコニコ笑って言う司教様の教会ジョークにどっと会場が沸きます。
なんだか困っている二人を、僕とセレアでエスコートして、前に連れていきます。
「えーと、誰でしたかな?」
大司教のボケに会場大爆笑です。
「スパルーツ・ルーイスさんです」
「こほん、汝、スパルーツ・ルーイスは、この者……」
「(ジェーンさんです司教様……)」
「ジェーンを妻とし、病めるときも、健やかなるときも、貧しきときも、富めるときも、この者を愛し、慈しみ、死が二人を分かつまで、変わらぬ愛を、女神ラナテス様に、誓うか」
「はい、誓います!」
スパルーツさんがはっきりと、答えます。
「汝、ジェーンは、この者、スパルーツ・ルーイスを夫とし、病めるときも、健やかなるときも、貧しきときも、富めるときも、この者を愛し、慈しみ、死が二人を分かつまで、変わらぬ愛を、女神ラナテス様に、誓うか」
「はい! 誓います!」
ジェーンさんも、嬉しそうに答えますね!
「今夫婦になったこの二人に、女神の幸いあれ」
会場大拍手です。拍手の中、二人がキスをします。とんだハプニングですが、こんなハプニング、悪く思う人なんているわけないです。祝福の拍手が鳴りやみません。
「……やられたよシン君」
「二人のキューピットになってくれてありがとうございますバルター様。この二人を今ここで別れさせますか? それとも二人ともつれていきますかね?」
「そんなことはしないよ。サランに怒られる」
そして僕のことをにらみますね。やれやれというふうに首を振ってね。
「バルター様、医師をこちらに派遣して勉強させてください。別に隠すことなんて何もありません。我々はこれを商売にして金儲けにしようなどと考えていないんです。他の国に対して優位に立とうなんてこともね。優れた医学は人類共通の財産です。世界中に広まってほしいですよ」
なんてバカな王子だと思って僕を見ているでしょうね。こんなものいくらでも利用する方法があるだろうと。それを利用せずに放棄するなど無能な王子だと思いますかね?
「その技術、利用する気は君には全くないのかね。他国に対して大変な優位に立てるよいチャンスだとは思わないのかね君は」
バルターさんが嫌味を言いますねえ。
「そりゃあ心配はありますよ。種痘に高い金をとって大もうけをたくらんだり、特定の国にだけ技術を教えない嫌がらせを行ったり、ひどい場合には戦争の道具に使うヤツも出てくるでしょう。だからこそ、世界中のどの国にも、差別なく提供する必要があるんです」
ちゃんと釘を刺しておきます。バルターさん、そのニヤニヤ笑いピクリとも動きませんな。何も言い返すことができないようにしておきます。
「僕たちはこの技術をどこの国にも無償で公開しています。わが国にはもう三か国から医師が派遣されていて、今、種痘技術の勉強をしています」
「もうそんなことに!」
「そういう前例がありますのでね、ハルファでも学びたい医師を派遣していただければこちらで教育させていただきます。ぜひ若い、向上心ある医師をお送りください。お待ちしています」
「天然痘は魔法で治療する技術が我らの国にあると知ってのことかな?」
「医術に国境を設けるべきではありません。天然痘は人間だけがかかる病気です。だからこそ、僕たち人間の力でこれを世界から撲滅させることが唯一可能な伝染病といっていいものです。野生動物もかかる病気では撲滅は不可能に近いですが、人間にだけかかる病気ならそれが可能なんです。同じ人類として大国ハルファの協力を期待しています。よろしくお願いします」
「……大した男だな、君は。世界中に恩を売る気か」
「ハルファの魔法医療大国としての既得権益が、たかだか一つ減るだけでしょう。ケチケチしなさんな」
ピンク頭が祝福される二人を、それはそれは悔しそうに見ていますね。
全員攻略、ハーレムエンドの線が消えたってことです。まあ僕とセレアが結婚してる時点で、もう無理なんですけどね。
ざ・ま・あ、ってとこかな。あっはっは。
次回「59.多忙な王子」