47.天文台
夏休み最初の公務は孤児院訪問。
子供たちとの付き合いも長くなりましたので、さすがにもう僕らが王子様、お姫様ってのはごまかしようがなく、バレちゃってます。でもここじゃ僕たち、シンにーちゃん、セレアねーちゃんですけどね。
今日は馬を連れてきました!
僕の愛馬、メトロ号です! 僕が子供のころからの付き合いですよ。馬体が大きいんですがもう年寄りです。気立てがおとなしく多少のことには動じず、子供と遊ばせても安心な馬です。年寄りなので走りませんし。
今日はメトロにセレアと二人乗りして孤児院にやってきました。
「うわー! 大きい!」
馬をあまり身近で見たことがない子供たちが大喜びです。順番に乗せてあげて、手綱を引いて院内の運動場を一周します。
「ぼくも馬に乗れるような仕事につきたいな!」
経済が良好で流通が活発になっています。御者の仕事も引く手あまたですから、孤児たちの就職先としてはいいかもしれません。馬に乗る、馬を扱う学校のようなものもどこかに職業訓練校として設立するといいかもしれません。
このように子供たちとの触れ合いは、次の改善へとつながることが多いですね。僕が積極的に孤児院運営に関わる理由の一つです。
次、王立学院、例によってまずはスパルーツさんの研究室から。
「セレアさん! アイデアありがとうございました! おかげでペニシリン、フリーズドライで結晶化することができまして、純粋抽出できるようになりましたよ」
それはすごい。結晶化するってのは知りませんでした。なんでもやってみるもんです。
「現在動物実験で臨床実験中です。カビが生えたときに一度確認していますが、やっぱり破傷風、ボツリヌス、ジフテリア……。治療できる病気が次々に加わってます。万能薬ですよこれは!」
「過信は禁物です。どんな薬にも副作用があり、薬害がありますよ」
セレアが心配そうに釘を刺しますね。
「承知しています。アナフィラキシーといって過敏なアレルギー反応する人もいるはずです。なにしろカビ成分ですからね。体の中にカビでも生えちゃったら大変ですし、そんなことでこの薬が使用禁止にでもなったら大変です。慎重に進めます」
まあこのへんはスパルーツさんも専門でよくわかってるはずですから、任せましょう。いつもテンション高いからちょっと心配になっちゃうけど。
同じ研究員のジェーンさんにも話を聞きます。
「国策で種痘が時限立法されました。今はもう出入国する人は全員種痘を受けているんですよね?」
「はい、市民レベルではもうすっかり浸透しまして、よく説明もされています。ただ、王都に出入りする要人にはこれ、頑固に断る人も多くて困っています」
「要するに?」
「貴族の皆さんですね、そのお子さんも」
……僕らフローラ学園の学生が一番抵抗してるってことですか。
夏休み中、領地に帰った学生が大半なはずなんですが、王都を出る際に種痘を受けずに里帰りしたと。それは問題ですね……。
「だったら学園で講演会を開きましょうか。全学生の前で、天然痘の脅威と種痘の有効性について、五年で本当に撲滅できることを説明して、協力を呼び掛けましょう。学園で公式に講演会を開けば、貴族の子供から親である貴族に伝わります。領民にも種痘を漏れなく受けてもらう国策としてこれをやるんだということを、生意気な貴族の子供らにもわからせないと。僕も協力して、王子でさえとっくにこれを受けて、天然痘にかからない体になっているって知らせれば、みんな受けるはずです」
「いいですね! ぜひお願いしたいところです!」
「ジェーンさん、その講演、学園でやってくれますか?」
「ぜひ!」
よしっこれで全国の領主に周知徹底させることができます。全国民に種痘を行うこと、実現できるかもしれません。夏休み明けに早速やりましょう。
今日の公務の最後は、天文台です。
一度研究室を訪問してほしいって、天文学部長のヨフネス・ケプラー伯爵から頼まれていたんですよ。もちろん息子さんのハーティス君からの伝言です。同じ学院内ですから、スパルーツさんの研究室の建物の隣ですし。
「いやあ、会いたかった! ぜひ会ってお礼を申し上げたかったです、セレア様!」
もうなぜか大歓迎ですねセレア。研究員一同が集まってきましたよ。どこに行ってもこうなっちゃうのが凄いなあセレアは。
「長年の天文学の謎が解けました! 惑星の軌道は楕円だったんです。セレア様の予想が的中しました。美しい、実に美しい軌道です。これなら教会も文句を言わないでしょう。神が作り出した天体、それは今まで言われていたような完全な円ではなく、もっと複雑で高度なものだったのです。天文学史上、久しぶりの大発見ですよ!」
御髪が少し心もとないケプラー伯爵がセレアの手を取ってぶんぶん振ります! それほどのことだったのかあ。
「いえ、私は、円じゃないなら楕円かなあとちょっと思っただけで……」
「それが凄いのです。神の作る天体、そのすべてが完璧で美しいはず。そういう思い込みが我々にはありました。そうして勝手に『計算に合わない計算に合わない』と困っていたのですね。そんなことはなかったのです。我々は科学者として、すべての思い込みを捨てて、観測データに真摯であるべきでした。それを思い出させてくれたのです。ありがとうございました」
研究員一同から頭を下げられます。なにごと? って感じです。
「かつては王政を動かすほどの影響力のあった占星術……、それが、科学の発展とともに観測データの積み重ねで、予想ができるようになり、占いではなくなりました。占星術は天文学と名を変え、皮肉なことにその真実が明らかになるほどに、必要とされなくなってしまっていったのです。あまりにも完成され過ぎた理論は逆に天文学を停滞させることになり……」
「父上、あの、それぐらいで……」
学者さんって、みんなこういうところが面白いですよね。ハーティス君に止められなければいつまでもしゃべってくれそうです。
「あ、失礼しました」
ケプラー伯爵がもうなくなってる頭を掻いておりますと、どたたたたたっと若い人が走ってきます。
「セレア様が来てるって本当ですか!」
「お静かにハーレイ君。こちらの方がそうですよ」
ハーレイさん、研究員でしょうか。お若いです。
「あ、あ、あの、惑星の軌道が楕円だと」
「……セレアと申します。差し出がましいことを申し上げまして、学院を騒がせて申し訳ありませんでした」
「いえいえいえ! 私たちにとって救いの女神さまですよ! 私は今、彗星の軌道を計算しているところなんですが! あ、失礼しました。私はエドモンド・ハーレイと申します」
いきなり直角に頭を下げますね。
「そ、そ、その、セレア様は彗星の軌道も楕円だと、思いますか?!」
ド真ん中ド直球なこと聞いてきますねこの人は!
「……私が言うことじゃないと思うんですが、彗星ってものすごく遠くて細長い極端な楕円軌道……じゃ、ないかなーって思いますが」
「まさにその通り!」
ハーレイさん、ぽんって手をたたいて大喜びです!
「私もとても、自分でも信じられなかったんですが、セレア様にそう言っていただけると自信がつきます。王室で学説を支持していただければ、その線でもう一度研究をやり直すこともできますし、絶対に当てて見せますよ!」
「……どういうこと?」
不思議に思って僕が聞いてみますと、ハーレイさん、「彗星がいつ夜空に現れるかが予想できるようになります!」って言うんですよ。そりゃあすごい。
「今まで彗星は不吉な兆候、この世界を滅ぼしかねない魔王とも考えられていましたが、火星や木星、そういった星々と同じ天体だと証明できるようになります。もう彗星を怖がる必要はなくなるわけです。だって予測できちゃって、予想通り飛んできちゃうんですから!」
研究室のみんなも、おおーって、大喜びです。
なんか僕、今、科学史に残るような重大な場面に立ち会ってるんじゃないでしょうか? なんだかそんな気がします。
「あの、みなさん……」
セレアが恐る恐る、声を上げます。
「お願いしたいのですが、今度の研究、みなさんが自身で発見されたということにしてください。私の名前が出ないように」
「えっなんでですか!」
研究室一同、驚きます。
「我々はセレア様の名を共同研究者に挙げて、論文を発表しようと準備していたところですが……」
「それはさすがに……私が言ったことなんて、たった一言、助言というレベルでさえありませんし、私、やりすぎるとそのうち魔女扱いされちゃいますし!」
魔女狩りも魔女裁判ももう二百年前に完全に禁止しましたけど、教会の連中は今でも勢力持ってますからねえ……。
「そ、そうですか……残念です」
僕も口添えしておきますか。
「皆さん、研究に王室の権威を利用したりしないように願います。自身の研究で、成果を出してください。たまたま助言の一つ程度もらったぐらいで、セレアの名前を利用することもないでしょう。僕はセレアが言わなくても、みなさんなら誰かが気が付いたことだろうと信じます。学院ではほかにも多くの研究者がさまざまな学問を研究しています。公平ではなくなりますので……その、ご理解ください」
「……おっしゃる通りです。肝に銘じさせていただきます」
みんなに頭を下げられて、こっちが恐縮しちゃいますね。
「さ、お堅い話はそれぐらいにして、今日は火星を見せてくれる約束ですよね!」
夜も更けてきました。いよいよ最新式の天体望遠鏡のお披露目です。
天文学科の屋上に行って、そこに新設されたドーム観測所にケプラー学部長が自ら案内してくれます。ハーティス君も、ハーレイさんも一緒です。
望遠鏡、大きいです! 両手で輪を作れるほどの直径ですよ!
確かにこの直径をレンズで作るのは大変そうです。鏡を使った反射式って画期的ですね。レンズだと色収差ってのがあってどうしても像がぼやけてしまうんだそうです。
「太陽から一番近い軌道を回っているのは水星です。でも水星は太陽に近すぎて観測できるタイミングがほとんどありません。地球に一番近いのは金星ですが、金星はなぜかいつもぼんやりしていて実態がわかりません。火星のほうが興味深いのです。『火星人襲来』という小説、ご承知ですか?」
「はい。火星人が地球に攻めてきて免疫不全で全滅しちゃうやつですね」
「……話のオチを最初に言っちゃうと嫌われますよ殿下……。ま、まああの小説が出たのは、火星に運河のような、非常に大掛かりで大規模な人工建造物にも見えるような筋がみられたからですね。でも実際にはこの望遠鏡で見ると自然現象でできた河川のようで、運河ではないようですな。植物などの生物の痕跡も見られませんで、生物がいるかどうかは不明です」
「火星人いないんだ。がっかりだよ」
「そんなもんが攻めてきたら一大事ですよ殿下……」
みんなで笑います。
「ガリヴァー旅行記に登場する二つの衛星は、確認できましたか?」
「それなんですが! 確かに火星には衛星らしいものがあるのです! 二個! 現在、それを確認中です! もし、本当に二つだと確認されたら、著作に敬意を表して、実際に『フォボス』と『ダイモス』と名付けようかと思っています」
セレアが天体望遠鏡をのぞかせてもらって喜んでますね!
夏ですけど、学院の屋上は風も涼しげで、いい夕涼みという感じです。
「火星もいいんですが、今は土星が非常に近くまで来ていて、観測しやすいんですよ。見てみましょう」
望遠鏡を土星に合わせてくれます。
「この倍率だと夜空は結構なスピードで動いていますから、すぐ視界の外にずれてしまいます。さ、どうぞ観察してください」
みんなでかわるがわる土星を見ます。
「こうして大型の望遠鏡で見ると、土星っておかしな形をしているんですよね。ほら、耳があるみたいに」
僕も見せてもらいましたが、ヘンな形ですねえ……。
「ホントだ」
「我々は土星には衛星が二つあって、それがくっついている三連星ではないかという仮説を立てたんですが、どうも自分で言ってておかしくてね、まだ議論中です」
「あんなでっかい衛星がくっついてるわけ無いですよ。衛星でしたら回転してるはずですが、ずーっとくっついたままの形が見えてるっておかしいでしょ。私はその説支持できませんねえ」ってハーレイさんも反対のようです。
「私には、輪に見えますけど……」
「輪?」
「わ?」
「ワ?」
望遠鏡を覗いたセレアの感想にケプラー伯爵とハーレイさんとハーティス君も首をひねります。
「ほら、こんなふうに、麦わら帽子をかぶってるみたいに……」
そう言ってセレアが絵に描いてくれます。フットボールに麦わら帽子をかぶせたような絵。
「輪か」
「輪ねえ……」
「輪だとすると……」
みんなもう一度望遠鏡で土星をよく観察してみていますね。
「なんだか本当に輪に見えてきた」
「輪? 土星に輪があるの?」
「輪があるなんておかしな話ですねえ……。あり得るのかな?」
「いやいやいやいや、まだ結論は早いよ諸君!」
「もっと大型の望遠鏡作らなくちゃいけないですねえ」
みんなが喧々諤々な中、セレアはくすくすとおかしそうに笑ってます。
あれはきっと、「土星に輪がある」って知ってるんだな……。
人が悪いよ、セレア。
次回「48.執事喫茶ってなに?」