42.姉上が残した伝統
コンコン。生徒会室の扉を叩きます。
「どうぞ」
「失礼します」
ガラガラガラ。台車を押して生徒会室に入ります。
「……あらあらあら。殿下、めずらしい。どういう風の吹き回しかしら?」
生徒会長にして学園の女王、公爵令嬢エレーナ・ストラーディス様が生徒会メンバーたちと優雅にお茶を嗜みながら僕をじろりとにらみます。
「生徒会の仕事をお手伝いしようと思いまして」
「今は殿下にお願いする仕事はございませんわ。時期が来たらお呼びします」
「顧問の先生からお話を聞きました。生徒会活動の年間スケジュールができましたので会長の承認をもらってきてくれとのことです。ご承認ください」
「それはご苦労様、置いて行ってくださいませ」
「ご承認を」
「今ここで?」
「はい」
エレーナ様がスケジュール表を広げ、ちらりと一瞥します。
「承認いたしますわ」
「ではサインを」
「お待ちになって」
さらさらとサインをします。おいおいおいおい。生徒会長の仕事ってそれだけかい!
「ありがとうございました。では」
そう言って僕は荷台から石板を持ち上げ、ドスンと生徒会室中央のテーブルに置きます。
「で……、殿下、なにをなさるおつもりで!」
「ガリ版ですよ。これを印刷して全校生徒に今年のスケジュールを生徒会広報誌として発行します」
椅子を引っ張ってきて座り、石板の上にロウ紙を張り、定規を当てて鉄筆で線を引きます。
「そんなことは教員がやってくれます!」
生徒会一同があきれていますね。
「えーと、六月にスポーツ会、フットボールだけか。もっと種目を増やしたいな。女子生徒も参加できるようなやつも。まあ時間もないし来年からでいいか。八月に終業式、九月に始業式、十月には学園祭、楽しみですね。七月にはなにもないのか……。これもなにかやりたいですねえ……」
「あなた、その印刷一人でやるつもりですの!」
「そうですよ?」
「全校生徒の分を!?」
「三百名もいないですしね。こういうのは紙一枚でわかるようにまとめるのがコツです。すぐ終わります」
「なんでそんな配布物の作成を生徒会がやるのです!」
「生徒会の仕事だからです」
何を言ってるんでしょうねこの人たちは。当たり前の話でしょうに。
「いたずらに生徒会の仕事を増やすようなマネをするな! 伝統ある生徒会をなんと心得る! 生徒会は学園の行事の承認を行う最高決定機関である。それ以外の仕事など必要あるか! いかに殿下とはいえ、勝手は許しませんぞ」
副会長が怒ります。
「そんな伝統ありませんよ?」
「なに?」
「生徒会にはそんな伝統は無いんです。これは生徒会の仕事です」
カリカリと謄写版原稿紙に鉄筆でどんどんスケジュールを書き込んでいきます。
「なにわけのわからないことを言っている」
あー、うるさいなあ。
「……これを見てください。七年間の生徒会の活動記録のファイルです」
どさっとファイルを台車からテーブルの上に置きます。
「これらの仕事を全部生徒会が自主的に、自分たちで運営していたのです。記録があります」
「……この記録をどこから?」
「学園の図書室別室に保管してありました。この学園の生徒なら誰でも閲覧することができます。紛失防止に借り出しは図書委員に立ち会ってもらい、出入室記録の名簿に署名する必要がありますが。前年度の活動などを在校生徒が参照することができるようにそうなっています。先輩方も毎年これを参考にし、年度末には自分たちの活動記録のファイルを作成して生徒会顧問教師に渡し、保管してもらっていたはずですが?」
「そんなことは教員に任せていますわ」
「その程度の仕事ももうあなたたちはやっていないということで?」
「必要ありませんもの」
全く覚えがないんですか。ひどいなそれ。
「いえ、違います。必要なのにやることを放棄したのです。ここ五~六年の間に。伝統でも何でもなく、ただ歴代の生徒会役員が自分たちの仕事をどんどん教員に押し付けて減らしていっただけなのですよ。気が付きませんでした?」
「この資料を生徒会が作ったという証拠があるか?! 教員が作成したものと何も変わらないではないか!」
「生徒が自主的に作成していたという明確な証拠があります副会長」
「どれがだ!」
「この七年前の書類は、当時ここの学生だったサラン姫殿下が作成しているからです」
……生徒会メンバーが驚愕します。
「七年前、僕の姉上、サラン姫殿下が生徒会活動に参加して、これらの資料、生徒への配布物の作成を生徒会メンバーと協力して自主的にやっていました」
「そんなわけがあるか!」
「ありますよ。僕はまだ子供でしたけどね、学園行事が近づくと殿下はよく手や顔にもインクを付けて帰ってきて、国王陛下にも笑われていましたよ。『仕事が終わんない――――っ』って殿下が学園から資料を持ち帰って、王宮でガリ版でカリカリやってたことなんてしょっちゅうでした。僕もローラーを持ってインクで真黒になりながら印刷、手伝わされましたからね」
「……信じられません」
「ご覧ください。スポーツ大会の参加リスト、広報ポスター、会計報告、学園祭の行事進行プログラム、どれにも殿下の手が入っています。もちろん当時の生徒会メンバーも。同じ筆跡の文書が多数」
「そんなのサラン様のだと証明できないでしょう!」
「できますよ……。皆さんは知らないでしょうけどね、王族がなにか書面を書くときは必ず自分が書いたものだと証明できる仕掛けがあります。王族にだけわかるものです」
ほーらみんなびっくり。
「王族が書く書面は偽造されたり捏造されたりする可能性がありますのでそうするのです。この書面一枚だけでも、国王陛下でも王妃様にでも書記官にでもお見せください。サラン殿下が自ら書いたものだと断言してくださいます」
「……いったいどこにそんなしるしが……」
みんなファイルされた書面を見てその痕跡を探しますね。
「そりゃあ内緒です。国家機密ですよ? それを知ったらみなさん拘束されることになりますよ? 教えません。知らないほうが身のためです」
「……殿下が勝手にそう言っているだけでは?」
「王族の僕が『サラン殿下の書いた書面だ』と言うんです。この国でしたらどこでもそれで通用します。疑問でしたら王室の書記官にお尋ねください」
カリカリカリカリ。僕は複写作業を続けます。石板にロウ紙を当てて、鉄筆でカリカリと字を書きこむと、そこのロウが削れてインクが通るようになります。
それができたら、これを謄写版に張って、紙の上に当てて練りインクをローラーで伸ばして塗りますと、ロウ紙に書いたとおりに紙に印刷できるんですよ。原稿のロウ紙は使い捨てですが、数百枚程度でしたら十分これで印刷ができます。
子供のころから姉上の仕事を手伝っていましたからねえ、これは僕も得意です。
つい先日まで、御前会議でも、陛下や大臣に配布する資料をこうやって作っていましたし。
「……資料を見ていて思ったんですが」
「……?」
「使途不明の『雑費』がものすごい金額になってますねえ……」
カリカリカリカリ。
「七年前は会計で、『雑費』はわずか大銅貨六枚でした」
カリカリカリカリ。
「でもサラン殿下が留学のため、この学園を去ってから、毎年使途不明の『雑費』は増え続け……」
カリカリ、カリカリカリ、カリ。
「昨年度は実に金貨三十二枚分、生徒会費として全生徒から集めた生徒会予算の中の一割を超える金額になっています。しかもそれが全部使途不明です」
カリッ。カリカリッ、カリカリカリカリ……。
「こんな会計報告、国政で大臣が王室に出したらたちまち罷免されますねえ。会計や監査は逮捕されるかもしれません。いったい何に使われているのやら……」
カリッ。
顔を上げてみんなの顔を見ます。凍ってますね。
「去年は生徒総会は開催しましたか?」
「……生徒総会は二年前からやっていない。生徒会は信任を受けているからな」
「それは信任という手順を一方的に廃止してしまっただけでしょう副会長。会計さん、生徒会会計報告は広報していますか?」
「そんなことする必要は無いと言われて」
「生徒のお金を預かっているんですよ? しないでいいわけ無いじゃないですか。誰の決定ですそれ。生徒会費を生徒会が好きに使っていいわけですか?」
「そ、そんなことはしていません!」
「毎年度の生徒会の会計、全部計算しなおしてみましょう。みなさん毎日楽しんでいらっしゃるそのお茶とお菓子はどなたが提供しています?」
「……」
「会長が出しています?」
「いいえ、わたくしは知りませんわ」
「副会長は?」
「知らん」
「書記の方」
「……承知してないが」
「会計さんは?」
会計さん、汗ダラダラです。
「答えてください。納得のいく答えでなければこの会計の計算を隅から隅まで全部やり直しますが」
「…………生徒会費から出しています」
「ほうらやっぱり」
あきれましたね。
「で、でも、それは必要経費だと。雑費として報告していいと! 生徒会の伝統だと先輩から!」
「そんな伝統なかったんです。あなたたちとあなたたちの先輩方がここ数年の間に勝手に作り上げたウソだらけの伝統です。それはこの七年間の資料が証明しています。たった四、五年程度でもう『伝統』ですか?」
「うぐう……」
「会長は二期目で、去年も会長やってましたよね。公爵令嬢ともあろう方が実にみみっちいことに生徒会費を生徒会室のお茶会に流用していて、それを『必要経費』と強弁していたと。臣民の血税を豪遊して使い果たす俗物貴族の矜持そのままをこの生徒会でもやっていたということになります」
「わたくしを侮辱するのですか!」
「ご自分の領で平民相手にそれをなさるのは勝手です。でもこの場合侮辱されているのは学園生徒なのですよ? 生徒はみんな貴族なのですから。生徒会費をまるで税を納めさせるがごとくにしていいんでしょうかねえ」
……カリカリカリ、カリッ、カリカリカリ。
「さてどうしますかね。このことも生徒会広報誌に書いてしまいましょうか」
「そんなことは許しませんわ!」
会長激怒です。
「会長にはそんな権限ありません」
「その資料を寄こせ!」
「ダメです副会長。これは公文書です」
「なんだと?」
あーあーあー、見てわかりませんかね……。
「生徒会には、学園の生徒に公開できない秘密というやつは無いんです。あるわけがない。あったらおかしいでしょ。だから会長には生徒会活動のいかなる内容も非公開にする権限が最初からないんです。だから生徒会はこれらの書類を廃棄できません」
「いや、廃棄させてもらう。コレは没収だ!」
「あー、副会長、このファイルを一ページでも毀損したら逮捕されますよ?」
「たかが学生の生徒会の作成した書類程度でか! そんなことあるわけがない!」
「昨日、これらのファイルを持ち帰り、国立文書館に公文書として登録をさせていただきました。リストにして司書さんに記録してもらったんです。全部のページにスタンプが押してあり、通し番号が打ってあります。司書さんが一晩でやってくれました。ご覧ください」
生徒会メンバーが目を見開いて七年分のファイルをめくってます。
どのページにも、どの書面にも、王室の紋章とナンバーが捺印されています。
「ハルファに嫁がれたサラン殿下の直筆文書が学園生徒会ファイルから発見されたんです。貴重な資料だとみんな喜んでいましたよ。かわいいイラストまで描いてあって、殿下のおちゃめでかわいらしい性格が見て取れます。こんな仕事も嫌がりもせず当時の学生たちと一緒になって和気あいあいとやっていたという、学生時代の微笑ましいエピソードとして王族の歴史に残る一級資料になりました」
さあああっと生徒会メンバーたちの顔が青ざめます。
「後の、サラン殿下の後を継いだ生徒会が、ほとんど何も活動をせずぜんぶ顧問の先生任せにしているという事実と、今後はどうしても比較されちゃうことになりますねえ……。会計の『計算間違い』まで全部、国立文書館に公式の記録として残ることになりましたし」
「け、計算ミスですって!」
「学園のトップ集団であるはずのみなさんが、サラン殿下留学後は生徒会の運営程度の仕事もできない、この程度の会計計算も適当にごまかしてしまう人材しかいないと公式に記録されたとなると、このままでは、学園からはもう、国政の人材の採用が無いかもしれませんね。そのことは僕も入学式でも言ったんですが。フローラ学園は存亡の危機にあるって」
ファイルを手にする生徒会長の手が震えます。
「このファイルを処分しようとか、誤記を修正してしまおうとか考えないことです。今後はあなたたちがこれを廃棄したり、破ったり、燃やしたり、ただの一ページでも隠したり内容を書き変えたら公文書毀損で告発され逮捕されます。当然学園も退学です。国王陛下の権限で、です。現在このファイルの所有者は国立文書館で、学園に無期限で貸し出されています」
「で、殿下が権力をそんなことに使うなど許せません!」
「どこに権力を使ったというんです? 僕はフローラ学園の生徒なら誰でも閲覧できる資料の中から、王族の貴重な直筆文書を発見したので報告しただけですよ。国費で運営されているフローラ学園の、学内で作成された記録を公文書登録することに何も問題ありませんでした。権力の行使ではなく、単なる事務的な手続きです」
「……そんな言い訳」
「権力を振るうのは実に便利です。でも、さらに上の権力がでてくるとそんなものは簡単に吹っ飛んでしまうようですねえ。だからこそ、権力に頼り、権力に驕ってはいけないのです。みなさんも、後で人に見られて誰にも恥ずかしくない、フローラ学園生徒会にふさわしい仕事をしてください。でないとその記録が後世に残ります。いいですね」
カリカリカリカリカリ……。
「よし、できた!」
記念すべき、僕の生徒会での初仕事です!
「さて、じゃ、印刷するとしますか。誰か手伝ってくれる人はいませんかね」
謄写版にロウ紙を貼り付けて、上着を脱ぎ、袖をまくってエプロンを付けて、ローラー台に練りインクを垂らしてローラーでグルグル伸ばします。僕、これけっこう上手ですよ。三百枚ぐらい、すぐ終わります。
「私はそのインクのにおいが大嫌いよ!」
生徒会長が絶叫しました。
「申し訳ありません。会長、そこの窓開けてください」
「勝手にしなさい!」
生徒会室からみんな出て行っちゃいました。
会長。権力ってね、こうやって使うんですよ。
次回「43.破られた教科書」